北陸本線は滋賀県の米原駅から金沢駅を結ぶ日本海側の幹線で、全線が複線電化された贅沢なつくりの路線です。
北陸新幹線が金沢まで延伸するまでは新潟県の直江津駅(上越市)までが北陸本線でした。
ここでは各県の第三セクター鉄道を含む直江津までを「北陸本線」として扱います。
北陸本線をその特徴によって4つに分類すると
- 琵琶湖の湖東を北上する米原~敦賀
- 平坦な水田を走る敦賀~金沢
- 富山平野と立山連峰を望む金沢~泊
- トンネルの合間に日本海が広がる泊~直江津
となります。
北陸本線には「絶景の車窓」というような大衆的・通俗的な魅力はさほどありませんが、本記事ではまた違った視点で普通列車の旅の楽しみをお伝えしていきます。
2020年7月に米原から青春18きっぷ(金沢まで)を利用して、普通列車(一部だけ特急を利用)で直江津を目指した時の様子を綴ります。
米原~敦賀
鉄道のジャンクション米原駅
北陸本線の起点は東海道本線の米原駅。
JR西日本とJR東海の境界で、新幹線や近江鉄道も発着している鉄道のジャンクションです。
ちなみに、長い間私は滋賀県の県庁所在地が米原だと勘違いしていましたが、時刻表を地理の教科書代わりにしていた人は皆そうなのではないでしょうか??
北陸本線の列車が発車するホームは、東海道本線の上下線のホームに挟まれて真ん中に位置しています。
青春18きっぷシーズンになると「席取りバトル」で殺気に満ちた雰囲気になる東海道本線と比べると、こちらは幾分落ち着いていて、北陸の情景がかすかに漂っているようにも感じられます。
米原駅には駅弁がありますが、有名なのは「湖北のおはなし」。
最近流行りのブランド牛やカニの一点豪華主義とは正反対の、粋な手作りのお弁当といった感じの優しい味わいです。
なお、特急「しらさぎ」で名古屋方面から北陸本線に直通する場合、米原駅で進行方向が変わり5分前後の停車時間があるので、ホームから階段を上った辺りで駅弁を買ったり、改札横のコンビニで買い物ができます。
新快速が直通し、京阪神地区に組み込まれている
北陸地方へのアプローチを成すこの区間の列車は、「新快速電車の成れの果て」がほとんどです。
現在では湖西線も含め、北陸本線でも敦賀までは直流電化されており、京阪神地区アーバンネットワークの一部に組み込まれています。
1991年に長浜駅まで新快速が直通するようになった時に、「琵琶湖線」の愛称が同駅までに使われていますが、今では実質的に敦賀までが、北陸本線というより琵琶湖線といった方が適切だと思います。
米原~敦賀間は約50㎞と短いですが、途中には歴史や旅情を感じる駅も多く、密度の濃い区間だと思います。
米原からの列車は途中の近江塩津駅止まりが多く、湖西線経由で来る新快速に乗り換えとなるケースが多いです。
また近江塩津駅での接続はあまり良くなく、30分程度の乗り継ぎ時間です。
線路改良の歴史を示すループ線
米原駅を出て東海道本線と別れて進路を北にとると、琵琶湖の湖岸近くの水田を進みます。
田村駅は上下線の間に線路がある変わった配置です。
昔はここから交流電化だったので、この田村駅で蒸気機関車と交流電気機関車が交代していた名残です。
近年まで新快速の終点だった長浜駅は、鉄道の歴史上重要な駅です。
東海道本線が全線開通していなかった時代は、長浜から汽船に乗って琵琶湖を渡り、大津からまた鉄道を利用していたのです。
現在の駅の近くに旧駅が保存されており、これは現存する日本最古の駅舎として日本遺産にもなっています。
旧駅舎を含めた3つの隣接した施設が「長浜鉄道スクエア」という博物館になっています。
長浜駅を過ぎると琵琶湖の湖面が姿を現し、乗客もみるみる減っていきます。
木ノ本駅からの路線は現在1957年に開通した新線を通っていますが、それまでの旧線は急勾配のトンネルを抱える輸送上のネックでした。
太い線が北陸本線で細い線が旧線の柳ケ瀬線。
山間部を走り、余呉駅付近からは琵琶湖から隔絶されてひっそりと広がる余呉湖が望まれます。
湖西線が合流する近江塩津駅は、宿場町にありそうな木造建築が印象的です。
ホームは高架上にあるので狭く殺風景な通路と階段を通りますが、それが立派な駅舎の内外と対照的なのも面白いところです。
次の新疋田駅までにある、およそ8㎞の新深坂トンネルの中で滋賀県から福井県に入ります。
そして新疋田駅からは、上下線が大きく別れる北陸本線有数の見所となっています。
敦賀方面行の下り線は、急勾配があるとはいえ下り坂なので意に介さず進んでいきます。
一方の上り線は上り急勾配を避けるため、ループ線を走ります。
本記事は下り普通列車の乗車記ですが、この区間で興味深い上り線のループ線の様子もご紹介しましょう。
敦賀駅を発車して下り線を立体交差で乗り越して線路はループを描きますが、トンネルが多くてあまり実感できません。
ところがトンネルを抜けると不思議なことに、今まで背にして走っていた敦賀市内と敦賀湾が左手に広がっているではありませんか。
ここでループ線の存在がはっきりと意識されます。
手前に見える単線の線路は小浜線。
やがて再び下り線が寄り添ってきて合流して新疋田駅に到着します。
敦賀~金沢
残された特急街道
これまで北進してきた北陸本線は敦賀駅構内で大きく右にカーブして、東を目指して延びていきます。
この敦賀駅の構造は、それまでの北陸への導入部分から、いよいよ日本海縦貫線たる北陸本線の始まりであることを示しています。
そして近畿と北陸の結節点のみならず、敦賀はかつてウラジオストク航路の発着地としての地位も持っていました。
今は廃線となりましたが、敦賀駅から北に延びる貨物線が敦賀港駅まで達していて、欧亜連絡列車の接続線としても機能していた時期もありました。
敦賀~金沢は大阪発の「サンダーバード」と名古屋発の「しらさぎ」という、2種類の北陸本線の特急列車が行き交う区間です。
2023年頃には北陸新幹線の敦賀延伸が予定されており、「鳥の楽園」と呼ばれる特急街道の繁栄も残りわずかとなっています。
普通列車の場合だと、福井駅で乗り換えになる場合がほとんどです。
中小都市が断続的に存在するため、普通列車にはどの区間でもそれなりに乗客はいる印象です。
683系サンダーバードのグリーン車に乗車
華やかな歴史を持つ敦賀駅も、新幹線開業を控え駅舎も新しくなっています。
しかし、弓なりになったホームは特急停車駅に相応しく貫禄があります。
ここで駅弁の「さばずし」を購入。お腹が空いていない人は酒のつまみにへしこでも良いでしょう。
脂過ぎず、酸過ぎずで完成度が高い。
敦賀駅を出るとすぐに約14㎞の北陸トンネルです。
このトンネルは在来線では日本最長で、北陸本線近代化の象徴でもあります。
なお時間の都合で、私は今回敦賀から福井まで特急サンダーバードに乗車しました。
国鉄時代から上越線の「とき」と共に北陸本線の「雷鳥」が大繁栄していました。
民営化後に新型車両になったことで列車名が変わりましたが、「サンダーバード」とは英語を習いたての子供が付けそうなセンスです。
北陸トンネルを抜けても窓が曇っているためもあってか、パッとしない山間部であまり開放感がありません。
武生駅に近づくとようやく水田が広がり、その背後には山が見えます。
しばらくは北陸本線の車窓はこの構図が基本になります。
武生・鯖江とやや工業化された地域を走ります。
普通列車だと、口をあまり開けずボソボソと「だんねぇ」「せやけどぉ」と話す方言もちらほら聞かれます。
福井駅は高架式の駅です。
この駅でも駅弁が販売されています。
「かにめし」と名の付く駅弁は全国各地にありますが、福井駅の弁当が特徴的なのは、ご飯が蟹の内蔵も出汁にして炊いているところです。
蟹の形をした容器が面白い。
この駅から越前大野・九頭竜湖へ向かう越美北線(正式には一つ手前の越前花堂駅から分岐)の列車が発着しています。
福井駅を出て九頭竜川を渡ると、福井の市街地は終わってまた水田地帯となり、そして建物は古く低くなります。
やがてレトロな雰囲気のする芦原温泉駅に到着します。
その後は山が迫ってきて、緩い勾配のサミットでトンネルに入る地点が福井県と石川県の境です。
特急停車駅の加賀温泉駅からはまとまった数の人が乗車してきました。
やがて市街地に入って高架式の小松駅に到着します。
福井県よりも石川県の沿線の方が賑やかな感じがします。
景色は一見同じように思えても、車内や途中駅の様子に微妙な変化を感じ取れるのが普通列車の旅の醍醐味の一つです。
またすぐに水田の車窓に戻りますが、左手の遠くには松林が見え始めて海に近づいていることを実感します。
もっとも海に近づくのは小舞子駅付近ですが、残念ながら辛うじて水平線が確認できる程度です。
本格的な日本海の眺めは富山から先までお預けということになります。
松任駅あたりからは沿線に新しい家も増え、普通列車の車内も混雑してきます。
相変わらず直線主体の線路を走り、現・北陸本線の終点となった金沢駅に到着します。
金沢~泊
第三セクター鉄道となり、青春18きっぷも使えない
金沢から先は新幹線の並行在来線ということで、各県の第三セクターによる運行です。
そのためこの先は青春18きっぷが使えません。
しかし僅かな特例があり、金沢から七尾線に直通する時の津端まで、または氷見線や城端線から富山に乗り入れる時の高岡からは有効です。
2015年までは大阪・名古屋、そして東京からの新幹線と連絡する特急列車が走っていましたが、新幹線が開業してからは、数便の通勤ライナーと和倉温泉行きの特急以外は普通列車のみの運転です。
金沢から先の運転系統は、当然富山のような大きな駅でも分かれていますが、最も大きな断絶は泊駅です。
規模もさほど大きくなく、会社が変わる県境でもない泊駅で乗り換えになるのは意外です。
私も当初は「この電車は泊止まりです。」という洒落を言うためかと思っていたのですが、もちろんそうではなく、泊駅が富山平野の東の端に当たり、この先は山塊が海岸に落ち込んだ厳しい地形となっているのです。
なので、金沢~泊は沿線人口も列車本数も多く、一部で見られる新幹線開業の陰で見捨てられた並行在来線の悲哀というものは感じられません。
といいますか、この程度の需要があるならJRのまま切り離さずに、北陸本線特急も富山まで直通しても良かったのではないかと思えてきます。
俱利伽羅峠を越えて富山平野へ
北陸地方最大の都市金沢は、加賀百万石の栄華を誇る街でもあります。
関西・中京地区からは北陸本線特急で3時間以内でアクセスできますが、北陸新幹線の延伸によって首都圏とも深く結びつけられました。
流石に「○○すし」に飽きてきたので、金沢駅では上品なお弁当「加賀彩々」を購入しました。
伝統ある城下町らしい、料亭のランチボックスのような味わいです。
とりわけ炊き込みご飯の香りに格を感じる。
金沢駅を出てしばらく新幹線と並走した後、金沢の市街地も尽きてだんだんと山が迫ってきます。
津幡駅からは能登半島を走るJR七尾線が分かれています。
倶利伽羅駅から先は古戦場として有名な倶利伽羅峠を越えます。
今では大したことのない勾配ですが、線路改良が行われるまでは蒸気機関車泣かせの難所でした。
山越えの途中にある俱利伽羅トンネル内で富山県に入ります。
次の石動駅を過ぎると砺波平野が広がり、この地方に典型的な屋敷林も見られます。
高岡駅は北へ氷見線、南へ城端線が分岐する駅です。
いずれの路線も非電化なので、駅構内にはたくさんのディーゼルカーがたむろし、北陸本線ではここだけがローカル線のターミナルのような雰囲気です。
高岡駅から先も同じような平野の風景が続きます。
この日は休日だというのに、夕方の列車は高校生で混雑しています。
彼女たちの言葉は京阪神に近いですが、時々変わった柔らかいアクセントが出てきます。
高山本線と並走して神通川を一緒に渡ると、富山駅に到着です。
今回の旅行では私は富山で一泊しました。
駅弁の「ますのすし」が有名ですが、もう満腹なのでお酒とビールだけ買いました。
北陸は自然豊かなので、今日は既に駅弁も日本酒も3~4個(杯)堪能しています。
翌朝は8時に富山駅を出発します。
金沢始発の列車で到着時は混んでいましたが、意外と富山からは空いていました。
富山平野を進むと右手に立山連峰がそびえています。
かすかに白く見えるのは残雪でしょうか。
北アルプスから注ぐ川の水は、夏にもかかわらず冷たそうです。
東滑川駅からはようやく日本海も見えます。
それまでは比較的平凡な水田や平野の車窓だった北陸本線ですが、ここに来て両側から海と山が現れて嬉しい気持ちになります。
またこの周辺では富山地方鉄道が並走しています。
我らが元幹線に対してローカル私鉄ではありますが、各駅が醸し出す風情は何とも魅力的で、有料特急も運転して健闘しています。
魚津の市街を経て、ちょくちょく顔を出していた富山地方鉄道が完全に別れる黒部駅あたりまでは工場も多くあります。
その後は自然に抱かれた平野を進んでいきます。
富山から約50分で、乗り換えとなる泊駅に到着。
駅から直江津方向を見ると正面を山が塞いでいて、これからはまた違った車窓になることが分かります。
泊~直江津
電化区間をディーゼルカーが走る
前章で解説した通り泊駅で富山平野が尽き、ここからはかつて難所と呼ばれた所をトンネルで突破していきます。
そのため運転本数も1時間に1本と少なくなります。
北陸本線は全線が複線電化されていますが、泊からの普通列車はディーゼルカーです。
敦賀からずっと交流電化区間で、糸魚川の一つ先の梶屋敷からはまた直流電化になりますが、高価な交直両用電車の使用を避けているためでしょう。
やや余談になりますが、北陸本線やそれに接続して日本海縦貫線を構成する信越本線・羽越本線は、新潟県では電化方式が直流となっています。
これらが電化された1960年代後半から1970年代中盤は、旧来の直流電化よりも効率の良い交流電化が既に主流でした。
ではなぜ新潟県では直流なのかというと、1947年という早い時期に上越線(群馬県の高崎~新潟県の長岡の一つ前)が直流で電化されており、新潟の経済圏で車両運用を合理化するためです。
上州と越後に跨る上越線には、当時最長だった清水トンネルや急勾配があり、その区間は建設当初の1931年の時点で既に電化されていた(長大トンネルと急勾配は蒸気機関車の大敵)という背景があります。
とにかく、電化方式一つとっても国境越えの歴史や経済・文化圏といったものが背後にあるわけです。
○○系同士の外見の間違い探しごっこよりも、鉄道の社会的側面こそ興味深いと私は思うのですが、どうでしょうか?
フォッサマグナを越えて西日本から東日本へ
泊駅を出発すると、山地を避けるようにして海沿いに出ます。
越中宮崎駅と市振駅の間に富山と新潟の県境があります。
このあたりは、かつて自然災害に悩まされた親不知の嶮として知られていましたが、複線化の際に新たに内陸部にトンネルを掘って、輸送力増強と防災に寄与しました。
トンネルの合間の親不知駅付近には旧線跡らしき用地が見られます。
そんな安全になった線路では、親子互いに気遣う暇もないという「親不知」どころか、ホームに停まった列車を祖母と孫がゆったりと眺めています。
旧線跡が見える。
トンネル区間は青海駅まで続き、その後姫川を渡って工場群が見えてくると糸魚川駅に到着します。
糸魚川駅は北陸新幹線と大糸線の接続駅です。
駅には大糸線で昔活躍した国鉄型気動車も展示されています。
内装もほぼそのままで匂いまで残っていました。
また、大きなジオラマスペースに様々な鉄道コレクションがあります。
確かに見ていて楽しいとはいえ、私はむしろ資料などが展示されている博物館タイプの施設が好みですが、鉄道好きの子供連れには良いかもしれません。
奥に見える車両が大糸線で使われた気動車。
ところで、糸魚川は日本列島を東と西に分かつフォッサマグナの西端にあります。
そういえばこの駅では、もはや広義の関西弁は聞かれず、地元の人も標準語を話していることに気づきます。
繰り返しになりますが、糸魚川の次の梶屋敷駅からは直流電化となり、関西と結びつきの強い北陸地方から、むしろ関東寄りの新潟圏内に入ります。
さすがにこの辺りまで来ると、民家が肩を寄せ合う日本海沿いならではの風情というものが感じられます。
しかし、そうした感傷的な思いを断ち切るかのように、2両編成のディーゼルカーは分不相応に贅沢なトンネルへと潜っていきます。
筒石駅は長さ10㎞を超える頚城トンネルの中に移転しました。
トンネルの中にある駅という意味では、上越線の土合駅に似ています。
その他の周辺駅もトンネルに挟まれた形になっていますが、ここも線路改良前は海岸線沿いを走るけなげな路線だったのです。
直江津駅の少し手前でようやくトンネルの連続から解放されます。
周りが開けてホッとしていると、右から信越本線が寄り添って広い直江津駅が見えてきました。
終着の直江津駅
米原からおよそ360㎞。ついに北陸本線の終点、直江津駅に到着です。
ここで信越本線と合流しますが、信越本線はこの駅を境に長野方面への中部山岳地帯の横断線、新潟方面への日本海縦貫線と、その性格を変えます。
さらに東へ2駅先の犀潟駅からは、かつて上越新幹線と連絡する特急「はくたか」が経由した北越急行も分岐しています。
つまり直江津も米原と同様に鉄道のジャンクションなわけで、そのあたりにも北陸本線の重要性が表れています。
さて、直江津駅を語るうえで欠かせないのが駅弁です。
ここの「鱈めし」と「さけめし」は両方とも駅弁大将軍で優勝している実力を持っています。
「両方食べたい」「どちらか迷う」という私の同じ悩みを持った人もいるでしょうが、心配はいりません。
両方が味わえる「二大将軍弁当」が販売されているではありませんか。
きっとヘーゲルだったら「アウフヘーベン!」と叫んだことでしょう。
鱈も鮭も味は流石で、一見すると地味で変哲のない弁当ですが、実際食べてみるとその美味しさに感動すると思います。
それからビールによく合います。
在来線近代化のお手本
日本海側の路線というと、幹線の山陰本線でもそうであるように、厳しい自然の下で鄙びた集落を結んでいくというけなげな印象があります。
輸送力には問題があっても、そうした条件には旅人の心を打つ情緒があります。
ところが北陸本線にはそうした要素はほとんどない。といいますか、北陸トンネルに代表される輸送改善の結果、解消されました。
古くからの北陸と京阪神との結びつきの強さや、北前船を受け継いで貨物輸送を担う日本海縦貫線としての歴史が、北陸本線を高速運転向きの路線へと変貌させたのです。
当時の特急は民営化後の「サンダーバード」より、2時間も富山への所要時間が長かった。
途中主要駅では駅弁や地酒が存分に楽しめ、沿線の文化度の高さも窺えます。
車窓そのものは魅力的とまではいきませんが、幾つかの温泉地や京都の香りを漂わせる金沢、自然に恵まれた富山など、活力を感じる路線でもあります。
歴史や経済や地形が、鉄道の線路やダイヤにどのように影響しているのかを確かめるのが、北陸本線の魅力となっているのです。
コメント