【鉄道開業100周年】日本海縦貫線が全線電化された1972年10月の時刻表

時刻表深読み

今年2022年10月14日は鉄道開業150年です。
その半世紀前となる、鉄道開業100周年を祝う1972年10月、国鉄で全国規模のダイヤ改正が行われます。
その中でも目玉だったのが日本海縦貫線(大阪~富山~新潟~秋田~青森)の全線電化完了でした。

当時の時代背景は

  • 高度経済成長期の終盤。この翌年起こった第一次石油ショックをきっかけに低成長時代を迎える。
  • 同年3月に山陽新幹線が岡山まで開業。東北・上越・北陸新幹線は未開業
  • 大阪・東京~北海道のような長距離輸送においても、鉄道は輸送シェアは落としながらも、全体量の増加分が上回っていた。
    例えば、青函連絡船の旅客数は翌年1973年がピークだった。
  • 出稼ぎ労働者数もこの年にピークに達する。
    高度経済成長期に工業化が進んだ太平洋ベルト地帯と比較すると、依然として東北・北陸地方の産業蓄積の遅れが窺える。

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「白鳥」「いなほ」が電車化でスピードアップ

日本海縦貫線を構成する白新線(新潟~新発田)・羽越本線(新津~秋田)の合わせて約300㎞が一気に電化されたことで、特急「白鳥」(大阪~青森)・「いなほ」(上野~秋田・青森)が電車化のうえスピードアップされました。
なお、現在「サンダーバード」が通る湖西線(山科~近江塩津)は未開業で、「白鳥」「雷鳥」などは米原駅を経由していました。

列車名と区間1972年3月の所要時間10月の所要時間本数(往復)の変化
白鳥(大阪~青森)14時間40分13時間40分1→1
いなほ(上野~秋田・青森)8時間(秋田行き)7時間29分1→2(秋田行と青森行)
雷鳥(大阪~富山)4時間10分4時間10分8→10
所要時間は下りの最速

日本海のクイーン「白鳥」

「白鳥」はサンロクトオ(1961年10月)のダイヤ白紙改正で登場した、日本海縦貫線初の特急列車で、2001年に廃止されました。
電車化によって1時間の時間短縮が実現しています。

ディーゼル特急時代の「白鳥」に使われたキハ82系
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸にて

やがて繁栄する「雷鳥」「しらさぎ」「はくたか」が孵化し、北陸本線が「鳥の楽園」と呼ばれるようになったのも、北前船の末裔「白鳥」の功績あってのことです。
とっくに新幹線と航空機の時代となっていた晩年に、1000㎞もの距離を走る国鉄色のボンネット特急が刻むレールの音は、まさしく「白鳥の歌」でした。

さて、1972年10月の「白鳥」のダイヤは下りが大阪1010発、青森2350着、上りが青森450発、大阪1848着です。
青森の時間帯が深夜早朝なのは、青函連絡船の深夜便と接続しているからです。
つまり、「白鳥」は関西からの北海道連絡列車としての役割もあり、函館で連絡船から特急「おおぞら」を乗り継ぐと翌朝855に札幌に到着しました。
当時は大阪~札幌の航空便が少なく、値段も2万円以上でしたが、「白鳥」~「おおぞら」の乗り継ぎでは合計6,000円ほどでした。

なお、上りの青森発450は、なんと同じく青森発上野行「はつかり」と同時刻です。
北海道からの旅客を乗せた両特急が同時に青森駅を出発し、それぞれ大阪・東京へと向かっていく壮大な光景が毎朝繰り返されていたのです。

実りの秋、「いなほ」

「いなほ」は1969年、東京~秋田「つばさ」(福島・山形経由)の補完役として、新津(新潟の近く。新潟駅は経由しなかった)・酒田経由の秋田行きで登場しました。

電化前の「いなほ」に使われていたキハ81系。
新車に置き換わった「つばさ」の編成が回された。

今回の改正で電車化・2往復化されただけでなく、1往復は青森まで延長されます。
上野~青森の所要時間は10時間と、依然として東北本線の「はつかり」より1時間半以上長いものの、奥羽本線の秋田以北では唯一の上野直通列車となりました。
特に津軽平野の城下町の弘前でも、「はつかり」から青森駅で乗り換えると時間はほぼ変わりませんでした。
また、スピードアップしたことで上野~秋田の所要時間では「つばさ」より速くなり、相変わらずディーゼル特急のままの先輩を出し抜いた形です。
つまり、東京~庄内・秋田・大館・弘前地区の輸送に活躍する、存在価値の高い列車に成長したのでした。

こうして、全国有数の米どころである越後平野・庄内平野を走る「いなほ」は、文字通り実りの秋を迎えます。
現在でも上越新幹線と接続して、新潟~酒田~秋田で活躍しています。

北陸のエース「雷鳥」と485系

今回電車化された「白鳥」「いなほ」に使用された車両は、485系という交直両用電車です。
日本海縦貫線は戦後になってから実用化交流電化が基本ですが、途中の新潟地区や米原までの東海道本線には直流電化区間があります。
その両方の電化方式に対応できるのが485系(※当初は481系)で、1964年に「雷鳥」・「しらさぎ」(名古屋~富山)で運転を開始しました。

(※)交流電化は西日本と東日本で周波数が異なり、直流と西日本の交流に対応するのが481系、直流と東日本の交流が483系、3種類全てに対応できるのが485系です。
これらはあまり区別しないことも多いので、本記事では「485系」で統一しています。

「雷鳥」と幼い日の筆者
1993年大阪駅にて

「雷鳥」は所要時間は変わらなかったものの、今回のダイヤ改正で増発されました。
3年後には米原を経由せずにショートカットする湖西線も開業し、以後も順調に本数拡大とスピードアップを果たしました。
そのため関西にとって、かつて険しい山々を越え行く遠い北国だった北陸地方が身近になったのは、間違いなく「雷鳥」の功績でしょう。

国鉄民営化後は高性能な新型車両に置き換わり、列車名も「サンダーバード」となります。
ちなみに、JR西日本の安直なネーミングのおかげで、本家のライチョウの英語名も「サンダーバード」(実際はptarmigan)だと誤解している関西人が時々いますが、これも同列車の存在感の大きさをよく説明しています。

富山県室堂平で撮影したライチョウ夫婦
置物ではなく本物
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東海道新幹線「ひかり」が米原駅に停車

東海道新幹線も日本海側の線路を支える役割を果たしました。
今回の改正で「ひかり」の3往復が北陸本線の起点である米原駅にも停車するようになり、特急列車と接続することで東京対北陸のアクセスが向上しました。
当時「のぞみ」はまだなく、東海道区間の「ひかり」の停車駅は名古屋と京都だけでした。
そんな看板列車が最初に選んだ追加の停車駅が北陸への玄関口、米原駅だったのです。

東海道本線の会社の境があり、北陸本線が分岐する米原駅は鉄道の要衝。

「こだま」で米原まで行っていたそれまでと比べ、「ひかり」の速達効果で50分も所要時間が短縮されました。
なお、「【ひかり】が米原に停車しなくても名古屋で乗り換えれば良いのでは?」と思った方もいるかもしれませんが、当時は今よりもずっと東海道新幹線の列車数が少なく、せいぜい「こだま」の10分後の「ひかり」に乗れる程度でした。

東京~北陸地方への各ルートを比較します。

列車名金沢までの所要時間富山までの所要時間
白山(上野~長野~金沢)6時間28分5時間43分
はくたか(上野~長岡~金沢)6時間20分5時間34分
ひかり&雷鳥(東京~米原~富山)4時間45分5時間30分
こだま&雷鳥・しらさぎ5時間35分6時間20分
下り最速列車の比較

「白山」の通るルートは距離の上では最短で、現在の北陸新幹線(つまり現在の「はくたか」)に近いものです。
しかし、途中に規格外の急勾配がある碓氷峠で機関車の補助が必要なため、遠回りする「はくたか」よりも時間がかかっています。
「はくたか」の長岡経由は、90年代後半まで最速だった上越新幹線&「かがやき」と同じ経路です。

「こだま」からの乗り継ぎの場合、目的地が金沢だと上野発の特急列車よりも速いですが、富山だと逆に時間がかかっていました。
ところが、「ひかり」乗り継ぎが実現したことによって、東京~金沢の所要時間で大差をつけるのみならず、富山へも米原経由の方が速くなったのです。
もっとも、富山までの費用は「白山」で2,730円に対して、「ひかり」利用時は4,570円なので、東京~富山の選択肢としてはあまり現実的ではなかったかもしれません。

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絶頂期だった100歳の鉄道

日本海縦貫線の電化は、1957年に田村~敦賀を皮切りに始まりました。
並行して行われていた複線化も新潟以南がほぼ完了、新潟以北も部分的な実現ではありますが一応の完成をみるに至ります。
こうして、たったの15年で「裏日本」と呼ばれていた日本海側にも立派な大動脈が築き上げられ、高度経済成長時代の日本の勢いを感じ取ることができます。

冒頭述べた通り、この年は3月の山陽新幹線岡山開業に伴い、西日本を中心に白紙改正が行われたばかりでした。

病気で弱った老人のお見舞いのような雰囲気の鉄道開業150周年と比べ、100歳の鉄道はまさしく働き盛りの絶頂期だったのです。


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