【ひかりは西へ】中国・四国の交通革命となった1972年3月の新幹線岡山開業

時刻表深読み

岡山駅は山陽新幹線の主要駅であるだけでなく、山陰や四国へ向かう列車が発着する、まさに交通の十字路となっています。
岡山駅が一大ターミナル駅としての性格を確固なものにしたのは、1972年3月の新幹線岡山開業です。
中国・四国地方を巡る鉄道の流れが大きく変わり、今に繋がる運行体系が出来上がるという多大なる波及効果をもたらしたのです。
当時の時刻表からその様子を探っていきます。

まず時代背景は

  • 高度経済成長期の終盤。この翌年、第一次オイルショックが起こる。
  • 航空機などの他交通機関の整備が進む一方で全体の需要は拡大していたため、輸送シェアは落としつつも輸送量は増加傾向が続く。東京・大阪~九州でも値段の比較的安い寝台特急などの利用が多かった。
  • 本州と四国を結ぶ橋はまだない。また、中国・四国地方の空港には主に大阪からのプロペラ機が就航していた。

なお、僅か3年後の1975年3月には山陽新幹線が博多まで全通し、西日本の鉄道網は再び大きく変貌します。

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四国初の特急列車「しおかぜ」と「南風」

新幹線が岡山まで延びたことで、そこから宇野線(岡山~宇野)・宇高航路(宇野~高松)を介して四国へのアクセスが改善しました。
それを機に、ついに四国にも特急列車が走り始めました。

四国初の特急列車に就いたキハ181系。
リニア鉄道館にて。

「三島」のうち九州は戦前から特急列車の運行実績があり、北海道も1961年10月に行われた「サンロクトオの白紙改正」以来特急列車が走っていました。
そんな中、四国は蒸気機関車のディーゼル列車化こそ早かったものの、それ以外は1960年代にかけて行われた全国の近代化から取り残されていました。

新設されたのは予讃線「しおかぜ」3往復(高松~松山・宇和島)と、土讃線「南風」(高松~高知~中村)1往復で、現在でも両線で岡山発着の看板列車として活躍しています。

列車名高松発車時刻終着駅到着時刻本州からの接続列車
しおかぜ1号8:00宇和島12:34寝台特急「瀬戸」(東京19:30発、宇野6:12着)
南風1号8:20中村12:38寝台特急「瀬戸」(東京19:30発、宇野6:12着)
しおかぜ2号12:27松山15:14ひかり1号(東京6:15、新大阪9:27発、岡山10:25着)
しおかぜ3号18:30宇和島23:04ひかり33号(東京12:00、新大阪15:12発、岡山16:20着)
四国の特急列車とその接続列車

四国が近くなったとはいえ、東京からはまだ1日がかりの移動であることが分かります。
上の表で紹介したのは特急列車だけですが、四国内では急行「いよ」「うわじま」(予讃本線)や、「土佐」「あしずり」(土讃本線)が多数設定され、特急とあわせて1時間毎のダイヤが組まれていました。

四国で活躍した急行車両キハ65系。
四国鉄道文化館にて。

この改正以前では、大阪から宇野までは特急「うずしお」や急行「鷲羽わしゅう」が運転されていましたが、それらに代わって「ひかり」に接続するグリーン車付きの快速列車(現在の「マリンライナー」の前身ともいえる)が岡山~宇野に設定されました。
さらに、宇高連絡船も増便されるなど本四間輸送も改善されています。

四国特急に投入されたのはキハ181系です。
1968年に登場したこの車両は大出力エンジンを積んでいることが特徴で、当時の電車特急と同じ120㎞でも運転が可能でした。
とはいえ、四国のカーブが多い線路でそのような高速で走行するのは不可能で、120㎞運転は20年後の民営化まで待たなければなりませんでした。

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伯備線特急「やくも」は陰陽連絡列車の白眉

関西から(新幹線乗り継ぎで東京からも)山陰地方へのアクセスは、京都から福知山線経由の特急「まつかぜ」が最も主要なルートでした。
「まつかぜ」は1961年10月に登場した特急列車で、山陰本線をひたすら走り続けた挙句、九州の博多(当初は松江止まり)まで至るという長距離ランナーでした。
もっとも、めでたくも特急を迎えた山陰本線とはいえ、全線単線非電化でスピードは決して速くはありませんでした。

そうした事情もあり、新幹線岡山開業を機に、山陰諸都市へは岡山乗り換えで伯備線(倉敷~米子の近く)を経由するルートが所要時間の点で有利となります。
それまで伯備線には「まつかぜ」の補完役のような「おき」が1往復設定されているだけでしたが、「ひかり」と連絡する「やくも」が4往復も登場しました。
中国山地を横断する伯備線はカーブや坂が多いため、当時大出力気動車と呼ばれたキハ181系が投入されます。
振り子式電車381系が「やくも」に投入されるのは1982年のことです。

国鉄のこうした力の入れようからも、「やくも」が「まつかぜ」に代わって山陰特急の主役となったことは明らかでした。
また、「やくも」が立ち寄らない米子以東の城崎(現・城崎温泉)や鳥取へは、姫路から播但線を経由する「はまかぜ」が2往復設定されました。
大阪から福知山線(当時は今と違って沿線の宅地化が進んでいなかった)に逸れてしまう「まつかぜ」に対して、こちらは三ノ宮・明石・姫路といった兵庫県の主要都市で客を拾える強みもあります。

京阪神から山陰への特急列車をまとめると以下のようになります。
なお、現在京阪神~鳥取への主力列車の「スーパーはくと」が経由する智頭急行は未開業です。

接続する新幹線列車名始発駅終着駅
ひかり1号
東京6:15、新大阪9:27
やくも1号岡山10:43出雲市14:20
まつかぜ1号京都7:20博多20:50
ひかり51号
東京6:30、新大阪9:43
はまかぜ1号新大阪9:25倉吉14:17
ひかり55号
東京8:30、新大阪11:43
やくも2号岡山13:18浜田18:18
ひかり59号
東京10:30、新大阪13:43
やくも3号岡山15:18益田21:08
まつかぜ2号大阪12:10鳥取16:24
ひかり5号
東京14:15、新大阪17:27
やくも4号岡山18:43出雲市22:22
ひかり39号
東京15:00、新大阪18:12
はまかぜ2号大阪18:00鳥取22:17
時刻の早い順に並べた山陰特急。
「はまかぜ」は姫路で新幹線と連絡。
特急運転の概念図

新幹線開業で山陽路が便利になっていく中で、山陰へのルートは「新幹線+陰陽連絡線」へと移行し、その一方で旧態依然とした山陰本線は交通の流れを寸断され、「偉大なるローカル線」へと転落していくのです。

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山陽本線の特急:昼行は岡山発着に短縮されるが、夜行は変わらず

最後に並行在来線である山陽本線の特急列車の変化です。
昼行列車では、岡山で新幹線と連絡する特急「つばめ」(博多・熊本行き)5往復と「はと」(下関行き)3往復が設定される一方で、関西発着の列車も11往復から減ったものの6往復残存します。
2015年に北陸新幹線が延伸した際、北陸本線「サンダーバード」が新幹線と並行する僅か60㎞程度の金沢~富山の運転をわざわざ取りやめて金沢止まりとなったことを考えると、この時のダイヤ改正は良心的に思えます。

中京・関西から九州へ行く夜行列車は、延伸区間がそれほど長くなかったこともあり、勢力を維持するどころかむしろ数を増やしています。
新設された岡山発着の「月光」2往復を含めて、それまでの9往復から13往復になりました。
この時から3年後の新幹線博多開業までの3年間が、九州行きブルートレインの全盛期でした。

なお、今回の改正で東京発着の「瀬戸」(宇野行き)と「出雲」(浜田行き)が、寝台特急に格上げされています。
当時大繁栄していた九州行き寝台特急は、その後新幹線や航空機によって急速に衰えていきましたが、特急化されたばかりの脇役的存在だった両列車は、瀬戸大橋線開業や伯備線電化を追い風に、ニッチな需要を満たす寝台電車としてしぶとく残っています。

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「健全」だった新幹線の岡山延伸

時刻表で地理を独学した私などは長い間、岡山は広島よりもずっと大きな中国地方最大の都市だと思い込んでいました。
もともと関西から近いうえに、瀬戸内海を隔てて四国の心臓部を窺い、中国山地の向こうには米子・松江・出雲といった都市が並んでいる地理上の特徴が、岡山駅を関西・九州・四国・山陰の結節点にしたのでしょう。

新幹線が在来線を圧迫することはあっても、増収のために強引に誘導されることもなく、相対的に利便性が低下した代替ルートや並行する夜行列車も残される、鉄道が今よりずっと社会に浸透していたのが1970年代前半という時代でした。

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