【40周年を迎えた緑の高速鉄道】1982年東北・上越新幹線開業時の時刻表を読む

時刻表深読み

今(2022年)から40年前の1982年、東北・上越新幹線が開業しました。
それまで太平洋ベルトにしかなかった高速鉄道が新潟や東北にもやって来たことは、日本の国土開発にとって重要な意義を持つ出来事でした。
当時の時代背景は

  • 高度経済成長が終わり、石油ショック後の低成長時代。
  • 70年代後半に繰り返された国鉄の運賃・料金大幅値上げにより、長距離輸送は新幹線から航空機に移行が進んだ。
  • 国鉄内部の要因として、この頃まで労使関係が悪化しており、値上げ以外にも利用客に不便を強いる施策が目立ち、国民からの信頼を失っていた。

このように東北・上越新幹線は、国民の熱狂で迎えられた先輩の東海道新幹線とは全く異なる環境で始動したのでした。

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1982年6月、東北新幹線「先行」開業

拍子抜けするダイヤ

1982年6月23日、ついに東北新幹線が開業しました。
予定されていた1976年度から5年以上遅れ、建設費も大幅に見積もりを上回ってしまいました。
石油危機に伴う物価上昇や、騒音や振動といった新幹線の公害に対する関心が高まり、特に埼玉県の大宮以南の自治体が新幹線建設反対運動を繰り広げていたことが背景にあります。
結局大宮以南の用地取得が進まない中、上越新幹線もトンネルの出水事故もあり、大宮~盛岡だけとりあえず営業にこぎつけたというのが先行開業でした。
建設が遅れた上野~大宮では、利用客専用の「新幹線リレー号」が運転されました。

「新幹線リレー号」に使用された185系
写真は今は無き夜行快速「ムーンライトながら」

この時の東北新幹線の時刻表を見てまず感じるのが、その「やる気のなさ」です。
まず当時の新幹線の紙面は上半分が下り線、下半分が上り線となっているのですが、東海道・山陽新幹線が6ページを要しているのに対して、東北新幹線はなんと1ページに収まってしまっています。

列車名区間停車駅所要時間1日あたりの本数
やまびこ大宮~仙台・盛岡宇都宮・郡山・福島・仙台以北各駅仙台まで1時間59分
盛岡まで3時間17分
当初は5往復、その後1往復減便。
7月23日より4往復、夏休み期間はさらに4往復が増発される。
あおば大宮~仙台各駅2時間17分6往複
一番少ない6月28日~7月22日の「やまびこ」は僅か4往復だった。

今の東海道新幹線の1時間分程度のボリュームです。
これでは快速列車も走っている地方のローカル線のようなダイヤで、せっかく何年も待たされた末にこのようなお粗末な事態とはいかがなものかと思います。
開業当日の新聞によると、それでも新幹線が来た東北の人々は大いに喜んだものの、首都圏の人々は新幹線を冷めた目で迎えたそうです。

雪に強い200系新幹線がデビュー

曲がりなりにも完成した北の回廊を走り始めたのは、新製された200系新幹線です。
この時期100系はまだ登場していません。
見た目は0系新幹線に似ていますが、窓周りは緑色になり「”みどりの東北”にふさわしい容姿」と当月の時刻表でも表現されています。

車両構造も実は大きく変わっています。
太平洋ベルトよりも格段に雪の多い地域を走行するため、床下機器を完全に抱え込む「ボディマウント方式」が採用され、先頭車のスカートは積雪があっても自力排雪できるもの(下の写真の赤丸部分)になり、厳しい気候条件で生きる逞しさを感じることができます。

当時既に時代遅れになっていた0系と比べると内装・接客設備も改良されました。
3列座席が回転しないのは相変わらずでしたが、座席の間隔(シートピッチ)が4㎝広くなり、普通車でもリクライニングシートが本格的に導入されました。

ただ当初の最高速度は0系と変わらない210㎞で、前節の表からも分かる通り、今と比べると所要時間がかなり長かったです。
200系が240㎞運転を始めるのは1985年の上野開業以来です。
なお、一時期は上越新幹線で275㎞運転を行っていた200系の編成がありますが、これは下り勾配を利用しての「反則」によるもので、あくまで参考記録として扱われています。

東北本線特急も多くが残存

新幹線が開業すると在来線の特急列車は廃止されるのが普通ですが、東北本線内で完結する特急で今回廃止されたのは約半数のみです。
盛岡行き旧「やまびこ」は4往復全てが廃止され、仙台行き「ひばり」も14往復中6往復が廃止、一方青森行き「はつかり」6往復は全て生き残りました。
要するに「やまびこ」は全便が新幹線に昇格し、新幹線「あおば」の分だけ「ひばり」が減った格好です。

このように、6月の先行開業は東北新幹線の開演というより、観客付きのリハーサルといった様相でした。

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1982年11月、東北・上越新幹線「暫定」開業

ようやく真価を発揮した東北新幹線

先行開業から5か月後の11月15日、上越新幹線(大宮~新潟)も開業したことで、先行開業していた東北新幹線とともに本格的な営業を開始しました。
輸送力増強を目的として建設された東海道・山陽新幹線と異なり、東北・上越新幹線は「国土の均衡ある発展」を図るべく1970年代初頭に計画されました。
特に上越新幹線はその計画の背後に、田中角栄元総理の存在があったことはよく知られています。
いわゆる「我田引鉄」と呼ばれるものですが、ともかく国土を横断して日本海側に至る高速鉄道が初めて誕生したのでした。

上越新幹線浦佐駅前に建つ田中角栄像

「暫定」開業と位置付けられているのは、まだ首都圏側の始発が大宮だからです。
上野乗り入れは1985年3月、念願の東京に辿り着いたのはさらに6年後の1991年6月です。
なお、東北新幹線が全通するのは、先行開業から30年近く経った2010年12月でした。

東北新幹線の基本的なダイヤは、大宮駅を「やまびこ」が毎時00分、「あおば」が30分に出発する分かりやすいもので、所要時間・停車駅はそれまでと同じです。
日中は「あおば」が2時間毎の運転の時もありましたが、「やまびこ」17往復、「あおば」12往復(区間運転含む)と、ようやく1人前のダイヤとなります。

上越新幹線は速達タイプが「あさひ」、各停タイプが「とき」を名乗ります。

列車名停車駅所要時間本数
あさひ(A)高崎・長岡1時間45分4往復
あさひ(B)(A)に加え上毛高原・越後湯沢・燕三条の中から2つ1時間55分7往復
とき各駅2時間10分10往復
※「あさひ」のAとBは本記事で便宜上区別しているだけです

東北・北陸への交通体系が激変

6月には大した変化のなかった在来線ですが、今回は本格開業ともあって多数の特急列車の廃止・区間短縮などが行われました。
本数自慢だった上野~仙台「ひばり」は廃止、上野~新潟「とき」は新幹線化、そして名門の上野~青森「はつかり」は盛岡~青森の新幹線連絡特急として生まれ変わりました。

行き先新幹線とその接続特急列車所要時間(短縮時間)備考
盛岡「やまびこ」4時間(2時間20分)
新潟「あさひ」2時間25分(1時間46分)
青森「やまびこ」~盛岡~東北本線「はつかり」6時間37分(2時間6分)
山形「やまびこ」~福島~奥羽本線「つばさ」3時間46分(52分)
秋田「やまびこ」~盛岡~田沢湖線「たざわ」6時間12分(1時間40分)秋田への最速新ルート
秋田「やまびこ」~福島~奥羽本線「つばさ」7時間1分(51分)
秋田「あさひ」~新潟~羽越本線「いなほ」6時間49分(54分)新潟経由同士の比較
金沢「あさひ」~長岡~信越・北陸本線「白鳥」5時間45分(1時間7分)
札幌青森~青函連絡船~函館~「北斗」15時間40分(1時間47分)参考程度に…
大宮駅での乗り換え時間を含む、上野駅からの下り最速の時間。
短縮時間は1982年6月の在来線特急との差。

興味深いのが秋田へは3つのルートが存在することですが、その中で特筆すべきは今改正で新設された「たざわ」です。
田沢湖線は気動車が秘境を走るローカル線に過ぎませんでしたが、東北新幹線開業により電化され、東京から秋田へのメインルートへとのし上がりました。
田沢湖線の出世はその後も続き、1997年には「秋田新幹線」として新幹線車両が乗り入れるまでになりました。

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みちのく・日本海へグリーンライン

旅行する人は、その行き先で異質なものを見たいという欲求にかられます。
なので、新潟や仙台の駅前に東京と変わらない大きな家電量販店があるとがっかりします。
しかし、便利なものは誰にとっても便利なのであって、そこに「みちのく」や「雪国」の感傷的な情景を期待するのは、雪に憧れるのと同様に都会のエゴに過ぎません。

田中角栄が「日本列島改造論」を発表した1970年代前半は、出稼ぎが減少し、集団就職列車が廃止された時期でもありました。
そして、これら演歌で歌われた風物詩を過去のものにした国土開発の総決算こそ、東北・上越新幹線開業でした。

集団就職の若者を題材にした「あゝ上野駅」の歌碑
上野駅中央改札口横

40年前、不安に包まれながら出発した新幹線は、その後現在に至るまで路線網を拡大させ、高速化を求め続けています。

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