ヨンサントオの白紙ダイヤ改正、複線電化された東北本線を時速120㎞で走る特急列車

時刻表深読み

昭和30年代~40年代にかけて、当時の国鉄では大規模なダイヤ改正が何度か行われました。
その中でも代表的なものとして、「ヨン・サン・トオ」の白紙ダイヤ改正(昭和43年10月)があります。
この改正では全国の幹線の複線化・電化、そして軌道強化が行われました。
つまり日本の鉄道網全体のレベルアップが図られたわけです。

本記事では、そんな歴史に残るダイヤ改正の中でも一際目立っていた、東北本線の特急列車について紹介します。

時代背景は

  • 自動車の台頭、航空機の普及により鉄道の輸送シェアは小さくなるが、高度経済成長によって需要は依然として右肩上がり。
  • 上野から札幌まで、青函連絡船を介して特急列車の2等車を乗り継いだ費用は4380円。
    飛行機(ジェット機の場合)の運賃は12900円。
  • 高速道路はこの時期にようやく東京~名古屋~神戸が全通
  • 新幹線は東京~大阪間のみ開業。
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ヨンサントオの主役、特急「はつかり」

特急「はつかり」に使用された583系(と同タイプの車両)。
九州鉄道記念館にて。

国鉄史上に残る白紙改正の目玉が上野~青森間の特急「はつかり」です。
それまで非電化で大半が単線だった盛岡~青森間が複線電化されたことで、蒸気機関車の時代から東北本線の看板列車として親しまれてきた「はつかり」も電車化されました。
この列車はそれまでは仙台まで常磐線経由の気動車特急(当時の気動車は出力不足だったので、勾配が緩い常磐線を走っていた)でしたが、東北本線経由の583系電車になり、大動脈としての面目を一新しました。

1968年10月「ヨンサントオ」の改正で湧く青森駅の写真。
ついに東北本線が複線電化され、電車となった特急「はつかり」がやって来た。
青森駅跨線橋のギャラリー。

「はつかり」は2往復に増えましたが、当時の社会をよく表しているのが、上野15:40発→青森翌0:10着の「はつかり2号」です。
なぜこんな利用しづらそうな列車が代表例なのかというと、「はつかり2号」のダイヤは東北本線の特急というよりは、北海道連絡を強く意識していたからです。

青森駅のホームの奥の先端部には、今も青函連絡船への乗り継ぎに使われた跨線橋が残る
青森駅のホームの奥の先端部には、今も青函連絡船への乗り継ぎに使われた跨線橋が残る。

青森から20分の乗り換えに続き、青函連絡船の4時間弱の船旅を経て、函館4:20着。
その後4:40発の特急「おおぞら」に乗ると、8:55という非常に良い時間帯に札幌に着くことができました。
深夜の乗り換えを含む17時間にも及ぶ長旅ですが、当時は航空機よりもずっと安い鉄道を利用する人は多かったのです。

1982年に東北新幹線が開業すると、「はつかり」は盛岡~青森間(青函トンネル開通後は一部が函館まで直通)の新幹線連絡特急としての使命を果たしました。

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最高速度120㎞になった特急列車

上野~仙台を結んだ特急「ひばり」(左)と急行「まつしま」(右)。
大宮の鉄道博物館にて。

ヨンサントオのダイヤ改正は全国の幹線で複線電化が行われただけでなく、軌道強化によって特急の最高速度が120㎞に引き上げられた点でも画期的な内容でした。
最高速度向上は元々線形が良い東北本線で、とりわけ大きな効果を発揮しました。

東北本線の各特急の1968年10月における所要時間を、それ以前と比べると以下のようになります。

列車名区間改正前の所要時間改正後の所要時間本数の変化
ひばり上野~仙台4時間30分3時間53分2→5
やまびこ上野~盛岡6時間59分6時間13分1→1
はつかり上野~青森10時間24分8時間30分1→2
所要時間はいずれも最速列車のもの。
改正前のダイヤは前年1967年10月の時刻表を参照。

1967年10月の時点で、盛岡までは複線電化されていますが、それでも「ひばり」「やまびこ」は大幅にスピードアップしています。
そして新たに複線電化、それに伴う一部新線への切り替えが行われた盛岡以北の所要時間短縮が目立っています。
盛岡~青森間での「はつかり」の所要時間は3時間9分から2時間20分にまでなりました。

みちのくの寒村にも太いレールが通っている。
現・青い森鉄道、野辺地付近の駅。

なお、時代が下って2000年よりE751系で運転を開始した「スーパーはつかり」は、同区間を1時間58分で走破していました。
この列車は八戸~青森では最高速度130㎞で運転されていました。

スピードアップだけにとどまらず、特急列車の本数増加も今回の改正の特徴的な要素でした。
特に仙台行きの「ひばり」は5往復に増発され、この時代に進んでいく特急大衆化の象徴のような存在になっています。
また、上の表の上野~仙台間3時間53分というのは、途中停車時間も含めた表定速度では89㎞にも及びます。

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昭和時代の日本の象徴、583系

展示されている583系(表記の581系とほぼ同じ)の、ギミックや車両運用についての解説。
東北本線から山陽本線・鹿児島本線まで昼夜を違わず走り回った。

昼間の特急「はつかり」と、東北本線のみを走る夜行列車では唯一の寝台特急「はくつる」(上野~青森)には同じ車両が使われています。
これらの列車に使われる583系は昼夜兼用に開発された車両で、昼間は通常の特急として、夜は寝台特急として、高度経済成長期に24時間働き続けた企業戦士です。

当時は需要が増加する一方で用地難から車両基地の拡張が間に合わず、なるべく運用効率を高める車両が必要だったのです。
昼用から夜用の車内に変身させる作業はまるで手品のようで、限られた物理スペースを使いつくすことにかけての日本人の能力の高さがいかんなく発揮されています。

2等車(現在の普通車)の座席が向かい合わせの4人掛けだったのは構造上やむをえませんでしたが、夜間使用されるベッドの幅は広くなりました。
それまでの1950年代に製造された客車のベッド幅は52㎝でしたが、583系では70㎝に拡大されています。
日本人の体位向上も一つの背景です。

583系の昼間の車内。
展示車両は普通列車用に改造されたためロングシートや吊革がある。
ボックス座席を下段ベッドにした様子。
窓側の肘掛けが壁をくりぬいた仕様になっているなど、数々の工夫が見られる。

私は583系は、0系新幹線と並んで昭和中期を体現する車両だと思っています。
余談ですが、山陽や東北に新幹線が開通し、航空機も大衆化した昭和50年代以降583系は次第に運用を失い、昭和59年からは近郊型車両への改造が実施されてました。
そしてそれまでの輝かしい功績に対して敬意が表されることもなく、地方都市の普通列車として使用されます。
昭和の象徴583系は、特急列車の不景気のあおりを受けて窓際に追いやられる、平成の象徴でもあったのです。

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所要時間短縮の歴史

仙台駅に設置されたパネル。
所要時間短縮の歴史を図で解説している。

東海道本線が全線電化された1956年、東北本線は信じがたいことに、大宮から先は非電化でした。
1958年にようやく宇都宮まで電化されますが、戦後大宮以北で電化が行われたのはこれが初めてです。
太平洋ベルトを成す東海道・山陽本線比べて近代化の遅れた東北本線ですが、その後わずか10年で見違えるほどの太いパイプとなりました。

「はつかり」が8時間30分かけて結んだ青森まで、現在新幹線の「はやぶさ」は3時間弱(新青森まで)で走っています。
航空機に対抗するには十分な速さですが、東北新幹線は360㎞運転を目指しています。
ヨンサントオの改正がそうだったように、東京と北海道の中枢である札幌を結びつけるために、今も昔も東日本の最重要回廊の高速化が進められているのです。

それにしても不思議なもので、在来線特急は複線電化を機に120㎞、東北新幹線の初代200系の最高速度は240㎞、そして将来の360㎞運転と、いずれも120の倍数となっているのは何かの因果でしょうか。

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