【盛岡から青森へ】IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の車窓や見所

幹線

盛岡~青森までの線路は長い間東北本線として存在し、1982年に東北新幹線が盛岡まで開業した後も、フィーダー特急の「(スーパー)はつかり」が活躍した区間でもありました。

しかし2002年の八戸延伸と、それに続く2010年の新青森到達によって各県の第三セクターに移行しました。
途中の目時駅を境に岩手県内が「IGRいわて銀河鉄道」、青森県内が「青い森鉄道」の運営になっています。
もっとも本記事では両社によって区別をつけず、むしろ「東北本線の延長」と位置づけて車窓や見所などを紹介したいと思います。

盛岡までの道中については以下の記事をご覧ください。

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盛岡~八戸

盛岡駅のホームに注意

盛岡駅は東京駅からの距離にあり、東海道本線の大阪とほぼ同じくらいです。
ここから終点青森駅まで約200㎞。
もちろん短くはありませんが、首都圏からはるばる普通列車で来た人であれば、みちのくの旅路もだいぶ後半戦といえるのではないでしょうか。

さて、盛岡駅のいわて銀河鉄道の乗り場は0番または1番線で、JR各線とは結構離れています。
時刻表には乗り換え時間8分と書かれていますが、新幹線と在来線の時と同じで実際はそこまでかかりません。
ただし道順が分かりにくいので要注意です。
また、車両はロングシートとボックスシートが千鳥配置になっているので、クロスシートの数は限られています。
その意味でも早めに余裕をもって乗り換えましょう。

盛岡駅のはずれ、1番線から出発を待つIGR銀河鉄道の電車
盛岡駅のはずれ、1番線から出発を待つ八戸行き

八戸まで行く列車は少ない

運転系統は八戸で分かれており、ここで必ず乗り換えになりますが、盛岡から八戸まで行ってくれる列車は少なく、いわて沼宮内や金田一温泉止まりが多数あります。
結局「使える」列車はせいぜい1時間に1本、日中では3時間以上間が空くケースもあります。

いわて沼宮内~二戸~八戸間で新幹線ワープできれば効果大ですが、新幹線の、それも停車タイプの本数からして簡単にはできません。
また車窓も魅力的なので、この区間のワープは極力避けたいところです。
どうせなら一ノ関~盛岡あたりで距離を稼いだ方が良いでしょう。

東北本線屈指の難所、奥中山越え

盛岡駅を出発してからしばらくは盛岡の市街地を走りますが、厨川くりやがわからは山に差し掛かり、また上下線が離れていきます。

渋民駅は石川啄木の故郷、つまり上野駅から来る時に見たあの歌碑にあった「ふるさと」です。

石川啄木のふるさと渋民駅
渋民は石川啄木のふるさと
上野駅にある石川啄木の歌碑
上野駅で見た歌碑は、この渋民を思っての詩であった

その次の駅が花輪線が分岐する好摩駅で、この辺りは岩木山が望まれるのですが、あいにく私が乗車した日には見えませんでした。


徐々に北上川の谷は狭まっていき、御堂駅から東北本線随一の難所である「奥中山越え」が始まります。
山あいに佇む集落をカーブしながら通過して、さらに山奥に進んでいきます。

IGR銀河鉄道の奥中山越えの車窓
東北本線屈指の難所が始まる

20‰を越える急勾配が続くこの区間は、かつて蒸気機関車D51が三重連で挑んだ撮影のメッカとしても知られていました。
奥中山高原駅を過ぎた少しの所にある短いトンネルの入り口がサミットです。
この光景を見た時、1000トンの貨物を牽く蒸気機関車の機関士はきっと胸をなでおろしていたことでしょう。

IGR銀河鉄道の奥中山越えのサミット
トンネルの入り口で勾配が逆になる。

今度はブレーキをかけながら坂を下り、なおも細い川沿いを走ります。
急勾配が終わってもなかなか山間部の車窓はなかなか終わりませんが、一戸駅二戸駅では乗客の乗り降りが多いようです。

IGR銀河鉄道の奥中山越えの車窓
深い山と細い川の車窓がしばらくは続く

目時駅の手前で列車は青森県に入ります。
県境の自然に抱かれた静かな山村に、新幹線の高架がそびえ立っています。
もっともその姿は高速鉄道の威容を誇っているというよりは、場違いな自らの存在に恐縮しているようにも見えます。

青い森鉄道から見る新幹線の高架橋
どっしりと建つ新幹線の高架だが、何処か「浮いた存在」に見える

三戸駅からはようやく車窓が開けてきます。
といってもそこにあるのは小さな町で、山越えが終わった開放感よりも寂寥感の方が強く感じられます。

青い森鉄道の八戸付近の車窓
八戸に近づくにつれ開けてくる。
刻々と変わる車窓を楽しむのは普通列車ならではである。

やがてまた無神経な新幹線の線路が現われて八戸駅に到着します。
駅を出ると海鳥の鳴く声が聞こえてきます。
ずっと山の中を走って来たわけですが、いつのまにか海岸近くにいるようです。

八戸駅
八戸駅。
左は新幹線駅。
駅周辺はホテルも幾つかある。

八戸市街中心はこの駅から分岐する八戸線の本八戸駅が近いです。

八戸駅は新幹線の駅こそ立派で近くにホテルも幾つかありますが、よく見渡すと辺りには何もない寂しい場所です。

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八戸~青森

運転本数は回復する

八戸から先はおよそ1時間ごとに青森行きの列車があります。
野辺地から大湊線に入る快速「しもきた」も運転されていますが、東北本線旅行者にはほとんど縁がありません。(ただし下り方面で、八戸を昼ごろ出発する「しもきた」で野辺地まで行き、そこから大湊から来る青森行きの「しもきた」に乗り換える、という変わったスジも1本あります。)
なお普通列車の車両はロングシートです。

海岸線に沿って走る在来線に対して、新幹線は乱暴にも八甲田山をトンネルで横断するので、両線が途中駅で連絡することがありません。
八戸~青森間(新幹線は新青森)の距離は在来線が96㎞に対して、新幹線は約82㎞です。

陸奥湾や八甲田山の車窓

八戸駅は2002年から2010年にかけて東北新幹線の終着駅でした。
周りの新幹線駅や元在来線特急の停車駅と比べても、規模が大きく近代的な駅です。

八戸駅の有名な駅弁、八戸小唄寿司。
八戸駅の有名な駅弁、八戸小唄寿司。
鮭と鯖の押し寿司をバチの形をした道具で切る、情緒ある弁当。

八戸駅を出て下田駅までは街中ですが、やがて丘陵地帯になります。
駅弁をロングシートの車両で開くなら、車内が空いてくるこの辺りからが良いでしょう。

青い森鉄道の八戸付近の車窓
八戸から海沿いで開けるのかと思いきや、また丘陵地帯になる

小川原駅からは右手に水田を隔てて小川原湖が見えます。
この辺りは新幹線開業前に「スーパーはつかり」が130㎞で疾走していた区間で、しばらく平坦な線路が続きます。

青い森鉄道から望む小川原湖
遠くに見えるのは海ではなくて小川原湖

乙供駅からはまた山村の風景になり、駅間の車窓はもちろん、駅の周りも寂しい区間です。
そんなところでもトンネルと緩い勾配・曲線で走破してしまうあたりに、大動脈の東北本線らしさを改めて感じます。

青い森鉄道の千曳駅
千曳駅に進入する。
辺りは寂しい所だが線路は立派である。

軽く山越えをした先にある野辺地駅の左側には、立派な林が立ち並んでいます。
これは東北本線の前身、日本鉄道時代の1893年に植えられた日本最古の防雪林で、吹雪から線路を守る役目を果たしています。

青い森鉄道の野辺地駅にある日本最古の防雪林
東北の冬の美しさは、厳しい自然環境の裏返しであることを思い出させてくれる

この駅からはJR大湊線が下北半島へ伸びています。
大湊線の景色は東北というより、もはや北海道に近いものがあります。

野辺地駅を出ると右側には松島以来の海が、そして左手遠方には八甲田山が見られます。
陸奥湾が一番きれいに見えるのは浅虫温泉駅の手前までです。
特に冬に行くと、同じ海でも松島で見せていた表情とは全く違う風景です。

青い森鉄道からの陸奥湾の車窓
荒涼とした陸奥湾と海辺に佇む集落。
きらびやかで穏やかな松島海岸とは違った趣がある。

今では下を新幹線がトンネルで通過する八甲田山も、かつては雪中行軍という無謀な試みの結果多数の死者を出した、畏れ多い山でもあります。

青い森鉄道より八甲田山を望む。
八甲田山を望む。
秋の紅葉は実に美しいが、かつて真冬に悲劇の舞台ともなった。

浅虫温泉駅からは山をトンネルで抜けて、次の野内駅からは車窓が青森の街になります。
東青森駅には貨物駅も併設されており、貨車や2車体連結の赤い電気機関車が並んでいます。

電気機関車と貨車が並ぶ東青森駅
電気機関車と貨車が並ぶ東青森駅。

ついに青森へ

青森駅手前で福島駅で別れた奥羽本線と再会します。
東北本線が仙台・盛岡を太平洋側を経由して青森に着いた一方で、奥羽本線は山形・秋田と内陸部を通ってここまで来たのです。

また奥羽本線の線路は日本海縦貫ラインとしての機能もあります。
そんな各地からやって来た線路・列車が、ここ青森駅で一つにまとまるのです。

青い森鉄道の青森駅付近から奥羽本線の線路を見る
最後は左から奥羽本線と久々の再会を果たす。
かつては青函連絡船の深夜便と接続する「はつかり」と「白鳥」が同時に青森駅を出発し、ここで互いの無事を祈りながらそれぞれの目的地へ向かった。

少なくとも旅客輸送に関しては今はそんな時代ではないことくらい私でも分かってはおりますが、毎回こうして青森駅にやって来る度にやはり感動します。

青森駅のホーム
青森駅に到着。
この先に旅客用の線路は無い。

さて、線路が合流した青森駅からは1987年の青函トンネル開業までは、青函連絡船が運航されていました。
青森駅はまだその頃の名残が感じられます。
なお、北海道新幹線開業以前は津軽線(または通称・津軽海峡線)が北の大地へのアプローチを成していました。

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青春18きっぷは一部しか使えない!

北海道&東日本パスは利用可

盛岡~青森間は第三セクターの運営になっているため、青春18きっぷは一部でしか使えません。
「一部」というのは青い森鉄道に特例があり、八戸~青森間は通過利用する場合に限って追加で運賃を払うことなく乗車できる、というものです。
そのため八戸駅で一度改札を出て、青春18きっぷで入場して乗り継げば、必要な費用は盛岡~八戸間の3110円となります。

それでも1回利用分よりも高額であることには変わりません。
そこでおすすめなのが、JR東日本とJR北海道管内の普通列車に乗れる「北海道&東日本パス」という、いわば青春18きっぷの姉妹品です。
こちらは両社とも追加料金なしで利用可能です。

値段は10850円と青春18きっぷよりも安く、7日間有効という非常に良心的な商品で私もよく使います。
注意点としては連続する7日間有効なので、まとめて数日旅行するスタイル向けです。
とはいえ、無理に7日間にしなくても3、4日くらいで十分元は取れるでしょう。

所要時間

普通列車の所要時間は、盛岡~八戸間が2時間弱八戸~青森間が1時間半程度です。
八戸での接続は比較的良好で長くても30分くらいですから、4時間で盛岡から青森に行けることになります。

上野から盛岡までは10時間程度なので、青森までは乗り換え時間も考慮するとおよそ15時間です。
実際に、2019年12月の時刻表では上野始発5:10で発って乗り継ぐと青森の到着が20:11です。

これを長いと感じるでしょうか?

ところで東北本線の複線電化が完了した昭和43年(1968年)10月の「ヨンサントオの改正」では、特急「はつかり」の上野青森間の所要時間は8時間半でした。
これでも長く思われるかもしれませんが、それ以前の非力なディーゼル特急時代と比べて2時間も短縮しているのです。
さらに1964年10月の時刻表を見ると夜行客車急行の「八甲田」は同区間を14時間要しています。

1964年10月の東北本線の時刻表
1964年10月の時刻表。
東北本線を走破する「八甲田」の所要時間は14時間。
特急「はつかり」が勾配の少ない常磐線経由であるのも注目

つまり、700㎞以上に渡って各駅に停車しながら、昔の急行とほぼ同じ速さで移動できるわけで、線路改良と電車の性能向上の成果がよくよく分かると思います。

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今なお北の大動脈

沿線人口の少なさや政治的な事情もあってか、特急列車が撤退した東北本線の盛岡以北ですが、第三セクター化された今も物流の大動脈であることには変わりなく、多数の貨物列車が行き来しています。

盛岡~青森は東北本線の他の区間と比べて車窓が魅力的です。
私鉄になっているからと敬遠せずに北海道&東日本パスを使って、是非ともその景色を楽しみ、青森駅に辿り着いた時の独特の感慨を味わってほしいと思います。

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