震災から復旧した三陸鉄道、全線走破の乗車記【盛~久慈】

ローカル線

三陸鉄道(盛~久慈)は三陸海岸に沿って走る岩手県内の路線です。
その魅力はやはり太平洋とリアス式の海岸線ということになりますが、2011年の東日本大震災から復興を進める沿線の地域社会を垣間見られる点にもあります。

三陸鉄道の運行形態はおおよそ3つに分かれていて、①盛~釜石(旧南リアス線)②釜石~宮古(旧山田線)③宮古~久慈(旧北リアス線)、となります(直通列車も多い)。
どの区間も三陸海岸の景色という三陸鉄道の一般的なイメージにおいては共通していて、かつ似たようなダイヤが組まれていますが、それぞれの出自が大きく異なります。

各区間ごとの路線の成り立ちにも触れながら、2020年12月の三陸鉄道の乗車記を紹介していきます。

三陸鉄道の路線概略図。太線の色は上記①②③の区分に対応している。
国土地理院の地図を加工して利用。
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盛~釜石

旧南リアス線の前身は国鉄盛線

三陸鉄道のディーゼルカーの車内

この区間の前身は国鉄盛線で、1970年に盛~綾里が開業し、1973年には線路は吉浜まで達しました。
以降も工事は進むものの、国鉄の財政が悪化していたこともあって未開業のままでした。
そんな中、弱小ローカル線の状態で中途半端に開業していた盛線は、第一次特定地方交通線に指定されてしまいます。
これは要するに国鉄再建に伴う廃止対象になったということです。

しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」というべきでしょうか。
第三セクターの「三陸鉄道」が設立され、国鉄盛線の継承及び未開業区間の開通により、1984年に三陸鉄道南リアス線(盛~釜石)が開業したのです。
このように、1970年代~80年代にかけて建設されたため、長大トンネルや大きな橋梁を駆使した近代的な設計となっていますが、景色を楽しむには不利であるのも事実です。

この区間の所要時間は約50分です。
また、盛~久慈までの運賃は3,780円で、青春18きっぷなどのJRのフリー切符は使えません。
三陸鉄道では土日を中心に2日間有効の全線フリー乗車券や、区間ごとの1日フリー乗車券が販売されています。
参考:三陸鉄道のホームページ

車窓はトンネルと湾の繰り返し

私が乗車したのは8:05盛駅発久慈行きの列車です。
今朝早く気仙沼から大船渡線BRTでやって来た時は高校生が沢山いましたが、三陸鉄道に乗ったのはわずか5人ほどでした。

盛駅にて

柱や屋根が錆びついた盛駅を出発すると、右手に大船渡湾とセメント工場を見ます。
工事現場ではこれから仕事に取り掛かる人達が、恥ずかしそうに朝のラジオ体操をしていました。

旅行者は当然三陸海岸の景色を期待して列車に乗り込むわけですが、残念ながら最初はやや内陸を走ります。
まずは白髪交じりの山の景色を楽しみます。

海は綾里駅を過ぎた頃から姿を現します。
ノコギリの歯のように太平洋に突き出している半島の付け根をトンネルで横切りながら、それらの間の入り江にある集落に挨拶するように駅に停車していきます。

小石浜改め恋し浜駅はホタテ貝の産地で、待合室にはホタテ貝の絵馬掛けがありました。
私も何を書こうかと考えているうちに列車はすぐに出発してしまいました。

恋し浜駅から見える海

この日は天候にも恵まれ、海岸線は明るく美しいです。
そんな自然の風景の中に、突然刑務所のような巨大な堤防が立ちはだかりますが、こればかりは文句を言う訳にも行きません。
堤防の内側がほぼ更地になっているのも不気味な感じがします。

そういえば北に向かうにつれて雪がなくなっていました。
しかし進行方向左側(内陸側)の山地はうっすらと雪を被っています。
やはり、山側の集落の方が古い民家がたくさんあります。

以降もトンネルと入り江の繰り返しです。
朝陽を浴びる太平洋は、10年前に大災害を引き起こしたことが信じられないくらい静謐です。

平田駅までくると周辺には市街地が広がっています。
なおもトンネルで一山超えると、赤銅色の橋梁で釜石湾に注ぐ甲子川かっしがわを渡って釜石駅に到着です。
対岸には釜石の象徴ともいえる製鉄所が、雲一つない青空に向かって申し訳なさそうに白い煙を上げています。

橋の渋い色といい、巨大な工場施設といい、穏やかな自然と触れ合ってきた乗客にとっては非常に印象的な締めくくりです。

釜石駅

なお、実際の旅程では釜石駅到着後、釜石線で花巻、さらに盛岡まで行き、山田線で宮古に出てから釜石に戻って1泊しました。

釜石線・山田線にも乗りつつ、明るいうちに三陸鉄道を全線乗りつぶすための苦肉の策でした。

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釜石~宮古

JR山田線から移管された区間

釜石~宮古はもともとJRの山田線(盛岡~宮古~釜石)だったのを、2019年に東日本大震災からの復旧するのに伴い三陸鉄道へ移管した区間です。
これによって南リアス線(盛~釜石)と北リアス線(宮古~久慈)に分断されていた三陸鉄道は1本にまとまり、リアス線(盛~久慈)となりました。
なお、この区間に山田線の路線名の由来となった陸中山田駅がありますが、三陸鉄道に移管されたことによって山田線はその名の正統性を喪失しています。

山田線の建設は古く、釜石まで全通したのは1934年です。
周辺のローカル線と比べて早い時期に開業した背景には、建設が議論されていた当時の首相が盛岡出身の原敬はらたかしだったこともあるようです。

それはともかく、近代的な設計の前後区間と異なり、釜石~宮古は歴史が古いため線路も地形により忠実で、最も車窓が楽しめる区間でもあります。
一方、前後区間の東日本大震災からの復旧が1年程度で済んだのに対して、山田線の被害は大きく、運転再開までに8年の時間を要したのも事実です。

この区間の所要時間は1時間半弱です。

建設された時期が古いため景色をゆっくり楽しめる

釜石駅から市街地と甲子川を見ながら進みますが、やがて短い山越えが始まります。
鉄鉱石か何の採掘かは分かりませんが、山肌が深くえぐられていました。

次の両石駅の手前で眩しい海が迎えてくれます。
歴史の浅い前後区間は「海の近くを通過する」のに対して、建設時期の古い旧山田線区間はより忠実に海に沿って線路が敷かれています。

鵜住居うのすまいという変わった名前の駅には、ごく普通のマンションと公共施設が造成されていました。

鵜住居

穏やかな海に注ぐ川の河口に巨大な水門が設けられています。
やむを得ないのは承知ですが、自然災害大国である日本では「防災」とは魔法の言葉だなと、つくづく思います。

井上ひさしの小説で知られる吉里吉里駅きりきりに着く際に、右手前方の家越しに湾を見渡します。

浪板海岸駅~岩手船越駅は特に景色が美しい区間です。
浪板海岸駅付近では曲線を描いた砂浜に松の木が立ち並んでいます。
やはり明るい海岸線には、針葉樹林ではなく松が似合うなと感じさせます。
また、この辺りの線路は曲線のみならず勾配もあるので、「立体的に」海を眺めることができます。

その後は、松林で海が遮られる所もありますが、織笠駅付近では養殖が行われているようでした。
前日の夜食べた、大きさ10㎝にもなるカキフライを思い出しました。

陸中山田駅は他の途中駅と比べて大きな駅で、5,6人乗って同じくらい降りていきました。
つまり、乗客のほとんどが入れ替わったことになります。

陸中山田駅付近

さて、陸中山田駅からは一転して内陸部を走ります。
急勾配が長く続き、エンジンもガリガリと音を立てます。
それまでの青い海に代わって雪が目立つようになり、針葉樹林に囲まれた道は山岳路線のようです。

内陸部に入り、家の形も変わる

津軽石駅まで来ると山越えは終わり、乗客も増えてきました。
久々に海を見た後、宮古短大駅からは宮古の市街地となります。

磯鶏駅前にあるSL

前日に山田線の道中で見たのと同じとは信じられないくらい悠然とした閉伊川を渡ると、宮古駅に到着です。

閉伊川を渡る

宮古は岩手県の太平洋側では最大規模の都市で、駅前には商業施設やホテルが建っています。
観光や漁業でも名高い場所ですが、停車時間が10分くらいしかなかったので名残惜しく列車に乗り込みます。

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宮古~久慈

旧北リアス線の前身は国鉄宮古線と久慈線

旧北リアス線も南リアス線と同様に、途中まで国鉄の路線として建設され、その後三陸鉄道によって運営されています。
南からは1972年に国鉄宮古線の宮古~田老、一方北側からは1975年に久慈線の久慈~普代が開通しました。

やはりこれらの路線も一時は廃止対象となりますが、南リアス線と同時に宮古~久慈が三陸鉄道北リアス線として開通しています。
またトンネルや大きな橋梁が多いのもあいにくです。

旧北リアス線は3つの区間の中で最も距離が長く、おおよその所要時間は1時間40分です。

忍耐のトンネルの後には絶景の連続!

宮古駅から先も、その次の山口団地駅を過ぎたあたりまで市街地が続いています。
旧南リアス線(盛~釜石)と同様に、内陸寄りをトンネルで通過してしまうので、海の景色を期待していた人はがっかりするでしょう。

トンネルの間で時折谷間に顔を出しますが、短時間でまた山を求めてトンネルに突入していきます。

田老駅は海に近いですが、防波堤の工事が行われていました。
これが完成すれば海も見えなくなることでしょう。

田老駅より

その後も長大トンネルと立派な橋梁の連続で、いささか退屈気味な時間を過ごします。
途中駅はいずれも簡素なつくりで、駅前も防波堤ばかりが目立つところが多いですが、新田老駅の傍には学校があり、幾分心が和みます。

そうこうしているうちに、島越駅からはようやく海が見えます。
久々の景色に喜ぶ我々の気持ちを見通したように、洋風のお洒落な駅舎が再建されていました。

島越駅より

相変わらずトンネルは多いですが、その合間に堤防のない自然な海岸線が望まれます。

島越~田野畑の車窓

久慈線の終着だった普代駅はそこそこ大きな集落がありました。
久慈線も1970年代に建設されたので、トンネル・橋梁主体なのは相変わらずです。

普代駅

しかし、三陸鉄道の車窓のクライマックスはこれからです。
白井海岸駅~堀内ほりないにある前浜橋梁からの眺めは、国鉄時代より撮影地として有名で、現在も三陸鉄道のポスターに利用されるそうです。

ところで、三陸海岸即ちリアス式海岸という印象がありますが、この辺りの北部の海岸は複雑な入り江はなく、太平洋が広々と見渡せる「女性的な」とも形容される景色です(もちろん「女性蔑視」の意図はありません)
遠くに大型船が航行しています。

前浜橋梁を渡り終えるとすぐに堀内駅。
サービスのためか列車はここで5分停車しました。
外の空気を吸うと、宮古を出て以来ずっと我慢してきた甲斐があったという気持ちが湧いてきます。

堀内駅を出てまもなく、やはり見晴らしの良い安家川あっかがわ橋梁にさしかかります。
まさにハイライトの連続です。

三陸鉄道、堀内~野田玉川の安家川橋梁からの眺め
堀内~野田玉川の安家川橋梁からの眺め
安家川橋梁近くには鮭のふ化施設がある

その後も断続的に太平洋が見えますが、陸中野田駅からは山越えが始まります。
強風のため列車は減速しての運転となりました。
久慈駅での八戸線との乗り継ぎが気になります。

辺りが開けると市街地が広がり、20分遅れで終点の久慈駅に到着です。
八戸線には間に合いそうで安心します。

久慈駅に到着

久慈駅で昼食のパンでも買えればと思っていたところ、なんと駅弁が販売されているではありませんか!
急いで買った「うに弁当」は、濃厚なうにの風味と爽やかなレモンの香りが広がる逸品です。
東北地方の太平洋側ではうにを使用した駅弁が結構ありますが、これが一番おいしいと感じました。

三陸縦貫の旅は八戸線(久慈~八戸)に引き継がれます。

鉄道旅行でここまで来た人なら多くが八戸線に乗るかと思いますが、同じ太平洋沿いの路線でありながら、三陸鉄道とはまた違った表情の景色を見せてくれます。

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三陸復興の象徴

同じ東北地方を南北に縦貫する鉄道でも、明治時代に近代日本の技術力を見せつけるかのように10年程度で全通させられた東北本線に対して、計画こそ昔からあったものの、三陸縦貫鉄道の完成には長い年月と紆余曲折を要しました。
そして、長く望まれていた鉄道開通の日には、既に車社会が到来していたのも皮肉な話です。

宮古駅にて

しかし、2011年の震災で甚大な被害を受けた後も、南東北の常磐線と同様に、三陸鉄道は復興の象徴として全線営業を再開しました。
駅前に造成されて新たな一歩を踏み出した街並みや、随所にある地元住民による応援活動を見ると、鉄道の持つ大きな使命を感じずにはいられません。

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