大旋風となった南風、2000系とその時代【普通車・グリーン車の車内など】

四国の車両

本記事ではJR四国の2000系量産車について取り扱っています。
改良型のN2000系については別記事で紹介しています。

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2000系の歴史はJR四国と共にあり

四国の鉄道の高速化

1987年の国鉄民営化によって誕生したJR四国は、当初の悲観的な予想をよそに好調なスタートを切りました。
当時は景気が良かっただけでなく、瀬戸大橋が開通して四国への旅行が活発になっていたのです。

ところがそんな中でもJR四国は、健全な危機感を持っていました。
好景気にせよ瀬戸大橋ブームにせよ、それはあくまで一時的なものですが、四国では瀬戸大橋開通を機に高速道路の整備が急速に進んでいたのです。

国鉄時代末期にJR四国の経営基盤整備のため、特急用機気動車キハ185系が製造されていましたが、四国は九州や北海道と比べても鉄道設備の近代化が遅れており、そのほとんどの路線が非電化単線です。
キハ185系の最高速度は110㎞にとどまり、高速道路を走るバスに対抗するにはさらなる高性能の車両が必要でした。
この要請を満たすために1989年に開発されたのが2000系です。
この時に投入されたのは先行試作車両(TSE)で、翌1990年に量産車が増備されました。

2000年代前半に撮影した、JR四国の2000系先行試作車両TSE
2000年代前半に撮影した2000系試作車両「TSE」

JR各社は国鉄に準じた形式名を付けていますが、JR四国では私鉄のように四桁の数字を用いた表記になっています。
なおこれは路線名にもいえることで、国鉄時代は予讃本線・土讃本線など、○○本線がいくつかありましたが、民営化後は全ての路線が○○線を名乗っています。

世界初の振り子式気動車

2000系は気動車では世界初となる振り子式車両として登場しました。
それまで振り子式車両といえば、国鉄時代の1970年代に製造された381系だけでした。
この車両は曲線通過速度を向上させた画期的な車両でしたが、振り子機能がまだ未熟で乗り心地が悪いという問題がありました。

2000系ではそれまで重力に任せて車体傾斜する自然振り子式ではなく、機械制御によって傾ける制御振り子式を採用したため、評判の悪かった揺れも改善されました。
曲線通過速度も381系の本則(通常車両)+20㎞から+30㎞に上がりました。
また出力はそれまでのキハ185系よりも増強され、最高速度は120㎞になっただけでなく、加速性能も向上し急勾配でも威力を発揮しました。

四国各地で運用される

2000系は岡山から松山への「しおかぜ」や高知への「南風」で運用を開始します。
とりわけ大歩危小歩危に沿って急曲線が連続し急勾配もある土讃線では面目躍如で、岡山~高知間の所要時間はそれまでの3時間弱から2時間半を切り、30分程度ものスピードアップを実現しました。

やはり急曲線の多い予讃線でも実力を見せつけ、僅か数年前に「将来の四国の特急網を担う新型車両」としてちやほやされていたキハ185系は、瞬く間に「国鉄時代の実力不足の気動車」となってしまいました。

ところで、古代より天然の運河である瀬戸内海に面する予讃線は四国において最も重要な交通路であり、1993年に主要区間である高松~松山~伊予市間の電化が完成します。
これを機に予讃線特急「しおかぜ」と「いしづち」の多くは、四国初の電車特急車両となる8000系に置き換えられました。
それでも代わりに松山~宇和島間の「宇和海」に使用されるなど、2000系が四国の特急の中心的存在であることには変わりありませんでした。

また1997年からは高徳線の高松~徳島間の「うずしお」向けに、2000系の改良版である通称・N2000系が登場しています。
N2000系は従来の車両とは外観がやや異なる他、最高速度が130㎞に引き上げられていることが特徴です。
当初は専ら高徳線「うずしお」で運用されていましたが、後述するように他線区でも使用されるようになっています。
(2020年7月追記)
2700系増備により「うずしお」からN2000系は撤退します。

後継車両2700系により徐々に運用は縮小

かくして四国の鉄道の王者となった2000系ですが、2010年代後半に差し掛かると老朽化が進むのは避けられませんでした。
そこで2017年、既に振り子式に代わって主流になっていた空気バネ式車体傾斜装置を備えた2600系が製造されました。
この方式は振り子式と同じ走行性能ながら、コスト面で有利という特徴があります。

ところが本命とされた土讃線では曲線があまりに頻繁に存在するため、このシステムではうまく作動しないことが発覚します。
そのため2000系と同様振り子式を採用した2700系が、2019年に後継車両として製造されていきます。
もはや老齢に達した2000系としても、自身の実力・功績を再確認することになり感無量といったところでしょう。
なお振り子式の形式が誕生したのは、JR西日本のキハ187系以来実に18年ぶりです。

2700系は土讃線の一部の特急列車の他、高徳線「うずしお」にも投入されています。
それに伴い「うずしお」に使われていた本形式の改良型であるN2000系が、「宇和海」「しまんと」などにも進出し、2000系はやや運用が狭まってきています。

(2021年3月追記)
土讃線特急の主力列車である「南風」「しまんと」から2000系は撤退し、全列車2700系で運転されます。
2000系の運用は土讃線の高知以南を走る「あしずり」や、予讃線「宇和海」に残されています。

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2000系の車内

2000系にはリニューアルされた車両とそうでない車両が存在しています。

普通車(非リニューアル)の車内と座席

2000系のリニューアルされていない普通車の車内
リニューアルされていない普通車の車内

非リニューアル普通車の接客設備は、令和時代の水準からみるとお粗末です。
1990年代前半までは高速化に重点が置かれる一方で、アコモデーションに関してはまだまだ発展途上だったように思います。

2000系のリニューアルされていない普通車の座席
リニューアルされていない普通車の座席

一応フットレストが付いていますが、座席の間隔(シートピッチ)がそれほど大きくないので、それほどありがたみは感じませんでした。

それからこれは振り子車両の宿命で2000系に限ったことではありませんが、走行時の細かな振動が気になります。

リニューアル済み普通車の車内と座席

2000系のリニューアルされた普通車の車内
リニューアルされた普通車の車内

2010年より一部の2000系の車両ではリニューアルが行われました。
それまでの素っ気ない内装から、木目調の壁や床に爽やかな座席といった、まるでゲストハウスのような客室になりました。

2000系のリニューアルされた普通車の座席
リニューアルされた普通車の座席

グリーン車(非リニューアル)の車内と座席

2000系のリニューアルされていないグリーン車の車内
リニューアルされていないグリーン車の車内

座席は大型でまさに「フカフカの席にどっぷりと座る」といった感じです。
リニューアルされていないグリーン車の内装に関しては、「地味で退屈」と感じるか、「落ち着いている」と感じるかは個人差によるのではないでしょうか。

2000系のリニューアルされていないグリーン車の座席
リニューアルされていないグリーン車の座席

リニューアル済みグリーン車の車内と座席

2000系のリニューアルされたグリーン車の車内
リニューアルされたグリーン車の車内

リニューアルされたグリーン車も、新しくなった普通車と同様に自然を感じる内装です。
客室扉や妻面のダークグレーが高級感を出しています。

モケットが派手になっているものの、座席はそれほど変わっていません。

2000系のリニューアルされたグリーン車の座席
リニューアルされたグリーン車の座席

デッキには自動販売機がある

リニューアルされた車両のデッキ

JR四国の特急列車には車内販売はありませんが、デッキに自動販売機を備えた車両ならあります。
たかが自動販売機で喜ばなければならないとは、随分と悲しい時代になったものです。

非リニューアル車のデッキは、やはり簡素なデザイン。
こちらの編成にも自動販売機はある。

ちなみに、2000系による列車の中には「アンパンマン列車」として、外装や一部の室内にキャラクターが描かれたものがあります。
写真を撮るのも不愉快なのでここでは紹介しません。
臨時列車を設定して走らせるなら結構ですが、定期列車にああいう車両を使用するのは誠にけしからんと私は思います。

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総評

2000系は四国で高速の特急網を築き上げたことはもちろん、技術史の観点からも革命的な存在です。
それまでJR化後に新製された特急車両は、観光色の強いキハ85系を除けば、JR東日本の651系やJR九州の783系のような、比較的線形の良く沿線人口にも恵まれた線区をスピーディーに走る「育ちのよさそうな電車」でした。
悪条件の中でその性能を発揮して高速化を実現させた2000系が、全国の地方幹線の輸送改善のために果たした役割は計り知れません。
1990年代は「振り子ブーム」といわれたほど、各社が振り子式車両の導入で高速化を進めますが、その先陣を切ったのが2000系でした。

貫通型の正面

2000系の成功に触発されたのか、JR北海道では最高速度130㎞で走る振り子式気動車、キハ281系・キハ283系が1990年代中盤に登場します。
時代をリードしていく高性能車両が、JR各社のうち最も基盤の弱いはずの2社によって誕生したことは特筆されるべきです。

逆に言えば、この2社が深刻な経営状態に追い込まれたことで、さらなる車両高速化の担い手がいなくなってしまったのが、2010年代以降の日本の在来線の姿です。

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