【現役車両と座談会】小さな島で健闘する四国の特急列車たち

四国の車両

JRの旅客6社の中で最も規模の小さいJR四国は、人口減少や他交通機関の整備などを背景に厳しい環境が続く中、懸命な経営努力が続けられています。
その中核を担う現役特急車両たちを迎え、四国の鉄道について語ってもらいました。
今回も私が進行役を務めます。

四国の特急網
赤線→主要幹線:2700系:8000系・8600系
緑線→亜幹線:2000系・2600系・2700系
青線→支線:185系
国土地理院の地図を加工して利用。

2021年5月某日、高松駅にて

議長:本日はいろいろ大変な状況の中、お集まりいただきましてありがとうございます。今年はもう四国も梅雨入りですか。早いものですね。
さて、本日は民営化後の四国の特急列車のあゆみ、あるいは皆さんの矜持などをお話いただければと思っております。

2000系:JR旅客部門の中で最も小さな四国が日本全国の鉄道をいかに進化させたか、その話でしたらこの会合は私のためだけにあると言っても過言ではないでしょう。

2600系:なんでやねん!2000系さん、なんぼなんでもそれは過言やろ。

議長:恐れ入りますが、本日は漫才ではございませんので...
ということで、まずは自己紹介をしていただきましょう。年長車から順に、まずはキハ185系(以下「キハ」は省略)さんお願いします。

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各車両自己紹介

185系:私は国鉄時代末期の1986年に、四国向けの車両として登場しました。民営化を翌年に控え厳しい経営が予想される新会社の負担を減らしながら基盤を整えるべく、ご覧の通り軽快なステンレス車体となったのであります。
今でも徳島線「剣山」(阿波池田~徳島)などで脇役ながら活躍させていただいておりますのは、「特急型車両」の古いプライドを捨て実用本位に徹した結果だと思う次第でございます。

国鉄出身車185系(1986年~)。
国鉄特急全盛期世代の181系と新型高性能2000系との板挟みになりながら、淡々と時代を乗り切ってきた。

2000系:2000系です。私はご存じの通り、世界初の振り子式気動車として1989年に爆誕致しました。「振り子式」というのは車体傾斜システムの一つでして、曲線走行時に自転車と同じように車体を内側に傾けて遠心力を緩和することで、曲線通過速度が最大30㎞も向上したのです。急カーブが大変多い四国の路線で実に画期的な高速化を成し遂げました。なお、振り子式そのものは国鉄型の381系さんで実用化されていますが、私の場合、さらに乗り心地が良く曲線通過速度が高い「制御付き振り子式」というものです。
長らく「四国の鉄道の顔」として、土讃線の花形「南風」(岡山~高知)の役を果たしていましたが、最近は土讃線「あしずり」(高知~宿毛)や予讃線「宇和海」(松山~宇和島)などが主な仕事です。

世界初の振り子式気動車2000系(1989年~)。全国の気動車から「センセイ」と呼ばれることを誇りにしている。

8000系:私は1993年の予讃線高松~伊予市の電化に合わせて登場しました。四国初の電車特急車両で「しおかぜ」(岡山~松山)や「いしづち」(高松~松山)で仕事をしています。このロケットのような先頭部分、カッコ良いでしょう?それに、なんと私も電車としては初の制御付き振り子式車両なのです。四国の車両は恐るべしですな。
実を申しますと、160㎞運転も目指していたくらいに実力があるのですが、線形があまり良くない四国の路線ではその能力を活かす機会に恵まれませんでした。

初代特急電車8000系(1993年~)。野心のある性格で、本州にも進出することを夢見ていた。

8600系:私は先ほどお話をされた8000系さんと共に、2014年から予讃線特急「しおかぜ」などに就いております。
瀬戸内の自然を思わせる外観やインテリア、環境適合性・低コストなど、成熟期を迎えた21世紀にふさわしいサスティナブルな(持続可能な)設計思想にて誕生いたしました。8000系さんが「振り子式」でカーブ通過速度を高めているのに対し、私はより経済的な「空気バネ式車体傾斜システム」ですが、それでも同じ効果を実現しています。

2代目特急電車8600系(2014年~)。リベラルな思想を持ち、たびたび8000系の論争相手になっている。

8000系:8600系さん、貴方たちの世代は何かと「コスパ」を口にするが、私のような野心がないようですね。現状維持に汲々としているだけなのに、「サステイナビリティ」とか横文字を使って満足している...

議長:8600系さん、反論はちょっと待ってください。この議論の前に皆さんの自己紹介を進めたいので。
それでは、次は2600系さんですね。

2700系:えっ?私、2700系ですけど?

議長:大変失礼いたしました。何せ2600系さんと2700系さんは見た目がよく似てらっしゃるものですから、つい混同してしまいました。

2600系:なんや、車両の判別もできんくせに、よう偉そうに議長やっとんな。
私は2017年、2000系さんの後継となるべく登場した気動車で、さっき8600系さんが説明しはった車体傾斜システムを採用しました。
しかし、土讃線はあまりにカーブが多いもんやから、このやり方では肺活量がもたへん(注:空気バネを作動させる空気タンクの容量が不足していたという意味)いうことで、今は小所帯で高徳線「うずしお」(高松~徳島)を担当しています。

主役になり損ねた2600系(2017年~)。高松~徳島で活躍するためか関西弁を使う。2700系に美味しい所を持っていかれたと感じている。

2700系:今お話にあった2600系さんの挫折を踏まえて、我らが尊敬する2000系さんの「本格的な」後継車として2019年にデビューしたのが、私2700系です。

2600系:余計な能書きはいらんわ!

2700系:これは失礼。土讃線の問題を解決するために、私は敢えて時代と逆行して2000系さんと同じ「振り子式」を採用しました。やはりこれは四国が誇るべき技術ですからね。
今では次世代の主力として、土讃線「南風」や「しまんと」(高松~高知)などの大役を仰せつかっております。

四国の次世代エース2700系(2019年~)。真面目ながら高知出身のためか大酒飲み。たまに土佐弁が出る。

2000系:もう過去のものになったかに思われた私の車体傾斜方式が、自身の後継車両に引き継がれるとはこの上ない喜びですな。

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国鉄の置き土産185系と在来線高速化の革命児2000系

議長:ありがとうございました。しかしこうして見ると、四国という小さな島にもかかわらず随分と色々な車両がいるもんですね。

2700系:ついでに、毎朝東京からやって来る「サンライズ瀬戸」の285系さんもゲストとして呼んであげれば良かったのに。

議長:私も今朝「サンライズ」に乗って来たのですが、実際にお声がけはしたのですよ。ところが彼は「私はこれから寝るのでご遠慮します。皆さんによろしく。」とのことでした。

高松駅に到着した「サンライズ瀬戸」

さて、185系さんが登場した頃というのは、変化の激しい時代だったようですね?

185系:そうなのですよ。私のデビューが1986年、その翌年は国鉄民営化、さらにその翌年には瀬戸大橋が開業して本州と四国の線路が繋がりました。まあ、それが分割民営化後だったというのは皮肉ではありますが。
新生JR四国の経営が厳しいことは明らかでしたから、冒頭申しました通り、身の丈に合ったコストカットや急行での運用も見据えた軽快なスタイルが特徴です。先輩の重厚長大型のキハ181系さんからは随分見下されましたがね。「おいお前、120㎞は出せるか?」とか「君、食堂車はいいものだよ」とか、今でいうパワハラ上司ですよ。
しかし、いくら小回りが利く会社にするといっても、四国だけで独り立ちしろというのは酷な話ですなぁ。

リニア鉄道館に保存されるキハ181系。
1972年3月より四国初の特急列車として運用された。

8600系:全くです。これも当時から日本を支配してきた新自由主義の為せる業ですね。それに「地域密着」とか何とか言って、結局は中央の都合なんです。

185系:もっとも、あの頃は瀬戸大橋ブームに加えバブル景気に沸いて輸送は好調でした。案外うちの会社もいけるんじゃないかと嬉しかったものです。もちろんそれは一時的な要因でしたがね。

2000系:一方その頃、四国では高速道路が着々整備されていたのです。これは一時的ではなく構造的な問題です。しかも戦前に建設された規格の低い線路に比べ、ハイウェイはずるいことに近代的な設計なわけですから、JR四国としても浮かれている場合じゃありませんでした。とはいえ、線路を全面的に改良するような資金力もありません。
そこで、高速バスに対抗すべく、ハイパワーかつカーブでも高速走行できる振り子式気動車として、私が開発されたのです。試作車は1989年、量産型は1990年に登場しました。

2700系:185系さんと2000系さんって、一世代分年が離れているかと思っていたのですが、たった数年しか差がないんですね。意外でした。

2600系:国鉄生まれとJR生まれ。親子に見える異母兄弟といったところですな。お二方は複雑な関係なんですね。

185系:好き勝手言いよって。上の世代からは小物扱いされ、下の世代からは時代遅れ扱いされ、変化の激しい時代に生まれたばっかりに何とも不利な立場になった私の苦労が分かるもんかいな。
でもまあ、私のモットーは「細く長く」でしてな。四国だけでなく、一部の車両たちは九州に移住してそこでも地道に働いておるのです。
その意味では、僅か数年で主役の座から降りたものの、ゼネラリストとして特急から普通列車まで幅広く活躍できる私は、地方線区の特急車両のあり方としては時代を先取りしていたのではないでしょうか?

2000系:185系さんが私の引き立て役で満足なのでしたらそれで結構です。それはさておき、私が世に与えた影響とて相当なものですよ。
つまり、技術的に難しいとされていた振り子式気動車が実用化されたことにより、これが各地に広まったのです。私の数年後に北海道で生まれて一時は日本最速の特急だったキハ281系君をはじめ、多くの車両が今でも私のことを慕ってくれていますね。その後も中国地方の陰陽連絡線でも高速特急が走り始め、鉄道復権を成し遂げた所もあるくらいです。

2700系:まっこと素晴らしいぜよ!
2000系先生の偉業をきっかけとして、全国の地方の非電化路線が一気に「改革」されたわけですな。先生こそ鉄道高速化の「志士」です。

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新旧電車特急の共演、8000系と8600系

議長:ところで、瀬戸内海沿いの予讃線では電化が行われ、それに合わせて8000系さんが登場しました。

8000系:ダイヤ上での衝撃度では2000系さんには及ばないかもしれませんが、私は四国初の特急電車なんですよ。思えば日本全国で電化・複線化が活発だった1960~1970年代でも、悲しい哉、四国は全く蚊帳の外だったのです。あの北海道でさえ1961年から特急が走っていたのに、四国では1972年の新幹線岡山開業時にようやく特急列車が運行を開始する始末です。

その意味で、1993年の「しおかぜ」(岡山~松山)の電車化は大きな意義のあることだと言えますね。

2000系:それを機に私は「しおかぜ」の運用を減らし、代わって予讃線末端部の「宇和海」(松山~宇和島)など四国各地に活躍の場を広げました。

8000系:いいですねえ、気動車の皆さんは。電車である私は岡山・高松~松山くらいしか居場所がないものですから。四国だけでなく、瀬戸内海の向こう側の山陽本線とか東海道本線で、実力を遺憾なく発揮して160㎞で走りたいくらいですよ。

8600系:仮に予讃線でそうするにせよ、一体どれだけの投資が必要か分かってるんですか?四国のみならず日本は人口減少時代ですよ。
8000系さんはどうも右肩上がりの時代の発想から抜け切れていないようですな。まさか昭和中期の頃のように、今でも東京で危険を冒してでもオリンピックをやったら日本経済が成長して、国民が勇気と感動で満たされる(あとは「絆を取り戻す」でしたかな?)なんて思ってはいないでしょうが...

185系:確かに私が登場して間もない国鉄時代にも、地方の実情や時代に合っていない車両が運用されているケースが多々ありました。

8600系:そうですね。私は過剰輸送力に鈍感だった過去のあやまちをを繰り返したくありません。
ですから私は編成の車両数を需要に合わせてきめ細かく設定できる仕様になっています。その点、8000系さんご自慢のロケット型の見た目なんて、私に言わせれば柔軟な運用の邪魔でしかありませんね。それに外観や車内のデザインも蜜柑やオリーブを思わせるオレンジ色や緑色をアクセントにし、どことなく感じられる「懐かしさ」によって瀬戸内の自然・風土を表現しているのです。実際に、私を見ているだけで瀬戸大橋線や予讃線の駅メロで使われている「瀬戸の花嫁」が聞こえてきませんか?
要するに、20世紀的な近代化や工業化を象徴するスピードではなく、多様性こそが今の時代に求められているのです。グローバリズム一辺倒ではなく、ローカリズムです。

議長:なるほど、8600系さんの言い分ももっともな気がします。
8000系さんはどう思われます?

8000系:人口減少・他交通機関の整備とやらの外部環境。そんなものは上等じゃないですか。(とはいえ、さすがにコロナはこたえましたが)
失礼ですが、抽象的な思想や理念を掲げるだけで解決するとは思いません。例えば大阪から松山に行く人が飛行機ではなくて、環境にやさしい(ほら、やはり貴方はこの言葉がお好きですね。)鉄道を利用するように努力することで、潜在需要を掘り起こせるのではないですか?寧ろそのための投資を怠った先にあるのは、現状維持ではなく自然死であるという厳しい現実は、ここにいる全員が共有する認識であると思っております。

2000系:概ね8000系さんに賛成です。
先輩を揶揄する気は毛頭ありませんが、もし私が生まれて来ないで、「四国の身の丈に合った」185系さんが看板列車である「南風」を最高速度95㎞やそこらで走っていたら、今頃のJR四国、あるいはJR北海道はどうなっていたか。想像するだけで車体が歪み(鳥肌が立ち)ます。

8000系:そうです。四国が産んだ偉人、十河信二そごうしんじ(国鉄総裁として東海道新幹線開業に尽力した。現在の愛媛県新居浜市出身。)が当時から存在していた鉄道斜陽論に屈していたら、今のJR、否、今の日本はありません。
しかしまあ、8600系さんだったら「彼は戦時中に南満州鉄道の理事として、帝国主義による侵略戦争に加担した」とか言って、近頃の流行りに倣って十河先生の像を引き倒してしまうんでしょうなあ。へっ。へっ。

反対を押し切って新幹線計画を進めた十河信二。
予讃線新居浜駅近く、鉄道歴史パークin SAIJOにある十河信二記念館にて。

2700系:8000系さん、ちょっと貴方は後輩に議論を吹っ掛けすぎではありませんか?まあ、議論というか喧嘩を売っているようなものですが。

議長:同感です。次の話題に参りましょう。
それにしても、「ディーゼル王国」と呼ばれてきた四国ですから、電車組のお二方は肩身の狭い思いをされるのではないかと心配していたのですが、全くの杞憂でしたな。

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2600系の無念を晴らした2700系

議長:さて、2010年代後半になると2000系さんも老朽化が指摘され、後継車両の開発が行われます。そこで登場したのが2600系さんでした。

2600系:私も8600系さんと同じで、車体傾斜は現在では主流となった空気バネ式を採用したのです。そら、そうやろ?その方がコスパがええんやから。ところが冒頭申した通りそれでは対応できへんいうことなって、比較的カーブの少ない高徳線「うずしお」に就いています。幸いなことに、「うずしお」は1時間毎に運転されるので、1日に何往復も走って忙しくしております。
しかしどうにも気になるのが、2700系さんは主役になったのを自分の手柄のように言うてはるけど、ほとんど私の外見と設計を踏襲してるんやで。

2700系:いやはや、エジソンは実に的確なことをおっしゃいましたな。「上手くいかない方法を見つけたのであって失敗ではない」とかそんな意味でしたよね。
ところで、私と2600系さんはよく似てると言われますが、塗装の配色が若干違いますね。それから、私の方が車体傾斜をする角度が大きいために、腰(車体下部)の部分の絞り込みがより優美になっているのです。

2600系:そういう態度が気にいらんのや。もしJR北海道さんやったら、自分(ここでは2人称を意味する)なんか「2700系」やなしに「2600系1000番台」とかになっとんやろな。
せや、この前べろんべろんに酔っぱらった挙句に「今のわしがあるのも、おまんのおかげぜよ!」とか絡んできたの覚えとおか?

2700系:はっ?全く記憶にございませんが。確かに私は燃料よりも酒の方が好きなのは認めますが、いつ頃の話ですか?

2000系:しっかりしてくれたまえ2700系君。我々振り子式車両はカーブの位置を正確に記憶して車体をそれに合わせて傾けなければならんのだ。そんなことでは安心して後任を任せられんぞ。

2700系:面目ない。
しかしご安心ください。私は先輩からさらに乗り心地を改良させて揺れが少なくなっています。それに各座席にコンセントを設置してWi-Fiも完備しているのです。
8000系さんなんかは我々の世代のことを「進化してない」とか速達性だけで判断されますが、もっと総合的な観点で見てもらいたいですね。

8600系:(拍手しながら)さすがは四国の将来を担う2700系さんです。挑発に乗せられて抽象的な話が多くなってしまいましたけど、要するに、そういうことです。

議長:私も昨年、高知駅で2700系「南風」と2000系「あしずり」を乗り継いだのですが、確かに乗り心地や接客設備の進化というものは感じましたね。そして、これは予讃線の8000系さんと8600系さんにも当てはまることです。

8000系:(渋々と)それでは「ソフト面に関しては」進化している、ということにしておきましょう。何せ、残念ながら四国には新幹線が存在しません。特急車両に課せられた責任が他社よりも大きなものになるわけですから、この分野は我々が全国をリードしていかなければならないでしょう。

185系:うむ。特に最近は本州3社は新幹線重視の傾向が強いように感じますな。九州も今度は長崎に新幹線を造るし、北海道でさえこれから札幌まで延伸するそうではないか。

2000系:経営基盤が髄弱なはずの四国では、(私を筆頭に)これまで実力と個性のある車両が生まれてきました。後輩たちには、この逆境に負けないDNAをしっかり引き継いでもらいたいと思います。

議長:そうですね。50年後も、私はヨボヨボになっているかもしれませんが、元気な皆さんの後輩たちと四国各地を巡るのを楽しみにしております。





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