【歴代車両と座談会】時代を越えて九州を彩る個性豊かな特急列車たちの歴史

九州の車両

九州には魅力的な特急車両が揃っています。
私が議長を務め、彼らとの座談会を通じて、戦後の九州を走る特急列車の歩みを振り返ります。

2022年3月某日、博多駅にて

議長:本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。
今回は九州内で活躍されている特急電車4名のみならず、国鉄出身のOBの4名にもお越しいただきました。
しかしお洒落な方が多いですね。

883系:そりゃそうですよ。ここ九州では個性こそが大事ですからね。

885系:個性が大事なのは同感ですが、奇をてらうことと混同したくないものですね。

485系:現役のお二方は早速喧嘩ですか。これでは話が進みませんよ。

議長:ありがとうございます。
それでは、まず年長車の方から順に自己紹介していただきます。
20系さんお願います。

赤線:鹿児島本線「つばめ」(博多~鹿児島)・「有明」(博多~熊本)
緑線:長崎本線「かもめ」・佐世保線「みどり」
青線:日豊本線「ソニック」(博多~大分)など
JR化後1990年代の特急網概要。国土地理院の地図を加工して利用。
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各車両自己紹介

20系:ごきげんよう。私は1958年に寝台特急「あさかぜ」(東京~博多)の新型客車としてデビューいたしました。当時としては大変贅沢な個室寝台車を備え、「走るホテル」という有難い呼び名を頂戴しました。
青い車体に白いラインの入った流麗なフォルムというデザインも好評で、以後定着した「ブルートレイン」の呼称の元祖となったのも私でございます。

20系(1958~1978)※九州での在籍期間
優雅な立ち振る舞いの垢ぬけた老紳士。東京生まれだが九州には愛着を持っている。

議長:お次はキハ82系(以下キハは省略)さん。いつもお世話になっております。

82系:この会に出席するのは3回連続だな。
鉄道史上に残る1961年10月の「サンロクトオの白紙ダイヤ改正」より、京都~長崎・宮崎「かもめ」と大阪~博多「みどり」で九州入りを果たした、特急気動車82系だ。
山陽本線さえ全線電化されていなかった当時、私がデビューしたことでそれまで限られた区間にしかなかった特急列車が、北海道・裏日本(注:日本海側の意味。)・南九州といった全国の地方幹線に波及したのだ。

キハ82(1961~1985)
全国的な特急網確立を成し遂げたディーゼルカー。各地方で地元の名士として尊敬されている。

485系:どうも485系です。1965年に名古屋~熊本「つばめ」と新大阪~博多「はと」に配属されたのが最初のキャリアです。(注:当初は481系を名乗っていたが485系で統一)
私の特徴は直流・交流問わず電化区間ならどこでも走れる交直両用電車であることです。会社の命令でどこに転勤になっても対応できる、サラリーマンの理想たるゼネラリストなのです。

485系(1965~2015)
組織や集団への順応性が高く、幹事や司会をやるのが大好き。

583系:お疲れ様です。おや、皆さん元気がありませんね。
世界初の昼夜兼用特急電車の583系(注:581系と区別しない)です。私は1967年に、昼間は新大阪~大分「みどり」、夜は新大阪~博多「月光」として就業しました。24時間働く昭和の企業戦士として、運用効率を極限まで高めた活躍をしたのです。

583系(1967~1984、その後通勤電車に改造され1998まで在籍)
昼も夜も休まず働き続けたモーレツ社員。ワークライフバランスなどゆとりだと思っている。

883系:やれやれ、国鉄世代の先輩方の社畜自慢は毎度のことですね。

485系:博多と大分の間を往復するだけの貴方に、あまねく社会に奉仕することの喜びなど分からないでしょうよ。とりあえず、もう少し静かにしてもらえますか?

議長:はい。それでは現役のJR世代に移りましょう。

783系:「ハイパーサルーン」こと783系です。大型の窓を持つ軽快なステンレス車体で最高速度130㎞が可能といった、今では当たり前のことを始めた民営化後初の特急電車なのです。
それから私独自の仕様なのですが、車体の中央部に乗降ドアがあるので、客室が2分割されて落ち着いた広さになっています。

783系(1988~)
民営化世代ならではの明るい性格で、担当線区によって装いを何度も変える器用さを持つ。

787系:博多~西鹿児島(現・鹿児島中央)の「有明」を栄えある「つばめ」に改名するにあたり、それに相応しい車両をということで1992年に登場したのが私、787系です。重厚感のあるグレーの車体には、783系さんには無い特急車両らしい風格が備わっております。
もちろん見た目だけでなく、インテリアも落ち着いたグレードの高いものに仕上がっております。

787系(1992~)
プライドの高い薩摩隼人。「つばめ」引退後も変わらぬ貫禄を見せ続けている。

883系:こんにちは、883系です。1995年より日豊本線の博多~大分「ソニック」をやってます。メカニックな容姿から「ワンダーランドエクスプレス」なんてあだ名があります。
それから私は九州で振り子式を採用した最初の車両です。振り子式とはカーブ通過時に車体を内側に傾けて遠心力を緩和するもので、その結果速度を落とさずに済むんです。

883系(1995~)
個性的な現役メンバーの中にあっても、一際目立ちたがり屋。

885系:885系です。長崎本線にも振り子式車両を投入するべく、2000年に博多~長崎「かもめ」でデビューしました。チャラチャラした先輩の883系さんを反面教師、失礼、差別化を図るために洗練されたデザインを心がけました。(甲高い肥前訛りで)皆さんご覧ください、この真っ白く美しい、ボディー!

885系(2000~)
普段は冷静沈着だが、興が乗ると有名なTV通販の創業者のような口調になる。
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第Ⅰ期~ブルートレインの誕生と在来線特急全盛期~

走るホテル、20系「あさかぜ」

議長:ありがとうございました。それではお話を伺っていきます。

20系:東京~博多「あさかぜ」という列車自体は、実は2年前から走っていたのです。ところがその中身は寄せ集めの古い客車ばかりで、これは特急としてよろしくないことで私が登場したのです。
冒頭申し上げた特定の上位設備のみならず、全車空調完備で全般的な乗り心地・防音性に優れておりました。
1950年代後半はまだ特急に乗れる人も少なく、「冷房の効いたあさかぜに乗って寝ると朝風邪あさかぜをひく」と僻む方もいたそうです。

885系:まだ一般家庭にクーラーが普及していない時代、20系さんは国鉄の威信をかけた車両だったのですね。

20系:おかげさまで「あさかぜ」は好評で、東京~九州のブルートレインは「はやぶさ」「さくら」など、その陣容を整えていきました。
その後東海道新幹線が開通しますが、新幹線と連絡する寝台特急はさらに増えて実に華やかでした。

583系:そうでしたな。名古屋・関西・岡山発着便を合わせて18往復、東京発も6往復という時代もありました。

20系:しかしその中でも「あさかぜ1号」(上りは2号)は別格で、一番多い時には14両編成のうち7両が個室含むA寝台とグリーン車座席だったのです。

787系:かの有名な「殿様あさかぜ」ですね。僭越ながら私も同じ豪華車両として通っておりますが、まったく頭の下がる思いです。

南九州にも気動車特急が進出

議長:1961年のダイヤ改正で82系さんがデビューされました。それにしても「かもめ」の京都~長崎・宮崎とは、昼間の列車にしては随分長距離ですね。

82系:それが特急列車の貫禄というものだよ。関西から長崎・宮崎・鹿児島まで12時間以上かけて走ったものだ。特に宮崎の人なんかは「陸の孤島へ立派な特急に来ていただいた」と、ずいぶん私に感謝してくれた。
それに長距離だけでなく長大編成もステータスだな。

小樽市総合博物館の82系食堂車
82系:今年の3月を以て特急列車から自動販売機までも撤去されただと?嘆かわしい…

783系:しかしそれでは小回りが利かないのでは?82系さんが新規開拓した線区というのは、そもそもそれほど需要が多くないでしょう?

82系:そこで、分割併合ができるという私のもう一つの強みが活きるわけだ。
例えば「かもめ」は小倉駅で長崎行きと宮崎行きを切り離しており、しかも両方の編成に食堂車があったのだ。

787系:鉄道が陸の王者と呼ばれていた時代ならではの光景ですな。実に羨ましい。

20系:1960年代から70年代前半は九州、特に別府や宮崎は新婚旅行の行き先の定番で、日豊本線がハネムーン客で賑わっておったのです。
特に大安吉日の1等車なんかはもうアツアツで、車内の温度も他の車両より高かったそうな。

時刻表1967年10月号の広告欄より。
議長:写真の素敵なお二人、ちょっと年の差あらへん?

485系:ほぉー。それは本当ですか?

82系:知らんわ。
そんなことより、黒い蒸気機関車が茶色の客車を牽いていた鉄道の世界に、クリーム色と赤色(つまりは「国鉄色」だな)を纏った私が明るい近代化の光を当てたのだ。
何度も同じことを言うが、あの時代に白黒からカラーになったのはテレビだけではないのだよ。

電車特急が一時代を築く

485系:さて、そろそろ電車特急の話をしてよいでしょうか?(議長頷く)
東海道新幹線開業の翌年には鹿児島本線の熊本まで達しました。そこで山陽本線の直流、九州での交流両方に対応できる私の出番とくるわけです。

82系:あの時点では他の九州の行き先は非電化だったから、気動車の列車もまだ多かったがな。

485系:そうですね。しかしその後も電化は進み、1967年に日豊本線が大分を越えて架線が繋がったところで、時代の寵児583系の登場をみます。

583系:私に話を振ってくれたのですか。
高度経済成長期のさなか、車両がどんどん増備された結果、車両基地の留置能力がひっ迫していました。まあ土地不足の住宅事情は人間と同じですね。
そこで、昼は4人用の座席車、夜は3段式の寝台車として運用することで、私は問題を解決したのです。

当時の営業ポスター。九州鉄道記念館より。
583系:今の寝台特急「サンライズ」は、都心のど真ん中で15時間も昼寝しているだと?けしからん!

783系:4人用のボックスシートが3段寝台に変わるんですか。まるで手品みたいですね。
それにしても限られたスペースを有効に活用し尽すのは、いかにも日本人的な発想だなぁ。

583系:仰る通り。昭和の高度経済成長期を代表する車両というと0系新幹線さんばかり注目されますが、真の昭和スターは私だと自負しております。
せっかくですから、新入社員の時の勤務シフト表をご覧に入れましょう。

  • 1日目 博多19:45発 →<月光号>
  • 2日目 新大阪5:45着(休憩)9:30発→<みどり号>大分19:35着 (大分泊)
  • 3日目 大分9:30発→<みどり号>新大阪19:47着(休憩)23:30発→<月光号>
  • 4(1)日目 博多9:20着(休憩)19:45発 →<月光号> 

883系:ヒエー!なんですか、この長時間労働は。しかも休憩中も寝台と座席の転換で忙しかったんですよね。
国鉄がこんなブラック企業だったとは。

583系:4人用座席は特急らしからぬと言われたこともありますが、実際は足が延ばせるほどスペースがあって快適だったのですよ。それにベッド幅も20系さんの52㎝から70㎝に、下段に至っては101㎝もありました。
飛行機がまだ大衆化しておらず新幹線も東海道だけ、そして割安なビジネスホテルも少なかった時代、私はホームラン王と最多勝を狙うMVP級の二刀流だったのです。

583系の座席を寝台にした様子
583系:誠に残念ながら、幅広ベッドでも大人二名での利用は、営業規則ならびに風紀の観点から禁止されておりました。

485系:思えば1960年代後半~1970年代前半が、我々在来線特急の全盛期でした。
しかし、1975年に山陽新幹線が博多まで開業すると、山陽本線の九州行き特急は昼の部が一気に全廃。さらに国鉄の経営悪化に伴う大幅な値上げで、航空機との価格差が急速に縮まった夜行列車も競争力を失います。
つまり、時代は拡大期から再編期へ、新たなステージへと突入するのです。

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第Ⅱ期~新幹線博多開業により特急は島内輸送中心へ~

去りゆく功労者たち

885系:ところで485系さん、いつから貴方が司会進行役なのですか?

議長:はい。885系さんの仰る通りでして、まあ485系さんの方がずっと慣れているのは分かるのですが、一応私の仕事なんで…

485系:これは失敬。いつものクセで出しゃばってしまいました。

議長:それでは山陽新幹線博多全通以後、国鉄組の皆さんがそれぞれどのように過ごしたかを伺ってまいります。

20系:70年代以降も後継車両が次々と登場したので、私は彼らに道を譲りました。日本人が豊かになり体格も向上したため、私の52㎝のベッド幅では狭いと思われるようになりましたからね。それに新型車両はB寝台でも3段から2段になり、50年代末に絶賛された私の設備もいよいよ時代遅れとなったのです。

20系客車のB寝台。大宮鉄道博物館にて。
20系:「走るホテル」も10数年後は「蚕棚」ですか…。それだけ急速に経済成長したということですね。

583系:利用客からは「新型客車は寸法面では確かに20系より規格が上だが、乗り心地に関しては寧ろ後退している」という声が聞かれました。それだけ20系さんが優れていたということだが、ブルートレインの衰退は彼らにも責任があると思いますよ。

20系:ここにいない者達を非難するのはよしなさい。
私は1978年、最も思い入れのある「あさかぜ」を最後に九州を離れました。もっとも当時はかつてのように豪華な殿様編成ではありませんでしたが。

議長:20系さんの「あさかぜ」引退は、九州ブルトレにとっても一つの時代の終わりでしたね。
82系さんはいかがでしたか?

82系:鹿児島本線に続いて、長崎本線・佐世保線・日豊本線が全線電化されていったので、私も居場所が無くなっていったね。非電化で残った路線に特急が走るに相応しい所はほぼ無かったからな。
ところが、私の九州との縁は山陰本線経由の大阪発博多行き「まつかぜ」で1985年まで続くのだよ。

885系:エッ?信じられません。山陽新幹線が全通してから10年間もそんな列車が走っていたとは!
もはや時代を超越した存在です。

82系:いかにも。小さくまとまった今の若い車両もんに「時代遅れ」だの「老害」だの言われようが、一向に構わんよ。

485系は逆に本領発揮

議長:ところで、電化が進んだということは電車組には好都合だったのでは?

485系:はい。新幹線が博多まで来て以降、それに接続する「有明」(熊本・鹿児島方面)・「にちりん」(大分・宮崎方面)や「かもめ・みどり」(長崎/佐世保方面)が増発されたのです。おかげで忙しくなりました。

885系:それまでの本州対九州各地から、博多を中心として九州各地に特急が走る今の体制が出来上がったわけですね。

485系:その通りです。1980年代には拡大してゆく高速道路に対抗するため、特急をさらに増発するとともに、過剰輸送力にならないように編成の短縮化を行いました。
集客に必要なのは食堂車や貫禄ではなく、利用しやすい多頻度運転ではないかと考えたのです。

485系:私のスタイルも重厚なボンネット型から変化していきました。(写真は新津鉄道記念館)

82系:全く、みすぼらしい4両編成の特急列車を見た時は泣きそうになったよ。

485系:しかしプライドだけで成り立った時代はもう終わっていましたからね。
進化論で知られるダーウィンは言いました。「生き残る車両は速いもの、豪華なものではない。それは社会経済環境に適応した車両である。」と。
私が長い間線路上で活躍できたのも、なりふり構わぬ営業努力のおかげなのです。

583系の晩節

議長:同じく電車特急の583系さんはその頃いかに?

583系:酷いものでした。
寝台特急が年を追うごとに削減され、昼夜兼用という私の特性を生かすことができなくなったのです。忙しい自分カッコイイと思っていた時代が嘘のようでした。

485系:お気の毒です。ボックスシートが標準の急行列車が特急化された時代、やはり向かい合わせの座席は敬遠されたと聞いております。

583系:昭和末期の1984年のある日、国鉄のお偉いさんにポンと肩を叩かれたのです。
「583系君、君もまだそんなに歳でもないのに窓際族呼ばわりされるのは嫌だろう。ひとつ違う仕事をしてみないかい?」
私はもちろん「喜んで。何でもやります。」と答えました。すると車両工場に連れていかれて、なんと通勤電車に改造されてしまったのです!

783系:あの食パンみたいな顔した715系とかいうヘンテコな車両ですよね。

583系を改造した通勤車(写真は引退済みの富山の419系)。中間車を無理やり先頭車にした「食パン電車」。
783系:あれが583系さんの成れの果てだとは薄々感じてたけど、気づかないふりしてたんです。

議長:私も子供の頃、青春18きっぷ旅行で419系(715系の北陸バージョン)さんにお世話になりましたよ。個人的には他の車両より座席の間隔広くて雰囲気も独特で好きでしたけどね。

883系:懸命に会社に務めた挙句、「追い出し部屋」ですか。583系さん、自身を昭和の企業戦士の象徴と語ってましたけど、ついでに「悲哀なる平成サラリーマン代表」の肩書もいかがですか?

583系:要らんわ!

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第Ⅲ期~民営化で独自カラーを如何なく発揮~

【鹿児島本線①】民営化後初の特急車両「ハイパーサルーン」登場

議長:1987年国鉄が民営化されJR九州が誕生します。
早速その翌年には新型車両の783系さんがお見えになりました。

783系:発足したての新会社ですから、当然ながら相当な意気込みを持っておりました。そしてそれが形になったのが私です。
それまでとはイメージの違うスピード感のあるフォルムは好評いただき、さらに接客設備の改善と速度向上を果たし、九州にも鉄道新時代をもたらしたのです。

当初の783系のカラーリング。九州鉄道記念館より。
783系:これはリクルートスーツ姿の私ですね。まだあの頃の私と会社は今より固かったです。

485系:その頃は電車特急としては私が孤軍奮闘していたものですから、若い方が来てくれて助かったものです。とはいえ、783系さんばかりチヤホヤされているのを苦々しく思っていたのも事実です。
そこで、私も一念発起して外観を派手にリニューアルしてみたのです。しかし今思えば質実剛健タイプの私があんなケバケバしいことをして、まるでチンパンジーの曲芸みたいでしたな。

783系:いえ、さすが「環境に適応する」485系さんだなと感心したのですが、やはり無理されてるんだろうなとは思いましたね。

民営化後の485系、九州鉄道記念館より。
883系:いかにも若作りしてるオッサンって感じっすね。

485系:いやはや、京都では同じ485系がパノラマグリーン改造されて主力として活躍しているのを見ると、私は都から九州に流された菅原道真の気持ちがよく分かりましたよ。

82系:ほお。それで引退後もわざわざ「左遷先」に来るとは、君も物好きだな。

【鹿児島本線②】優れた車内設備の787系投入で「つばめ」が復活

議長:783系さんが就いたばかりの博多~西鹿児島「有明」ですが、1992年に新製された787系さんが同区間を担当することになります。列車名も「つばめ」に改められます。

787系:鹿児島本線は熊本から南は単線区間も多く、鹿児島までは4時間程度もかかっていたのです。これが九州の南北格差なのでしょうか。
とにかく、所要時間ではとても航空機には敵わないので、内装やビュフェやグリーン個室といった接客設備で差別化を図ったのです。

九州鉄道記念館より
787系:今の九州新幹線の各停タイプの「つばめ」は、栄えある列車名を汚しておりますな。

783系:787系さんは「我はここに九州の鉄道ルネッサンスを掲げんとする」とか、あの歌うような薩摩弁のイントネーションで高々と宣言してました。凄い迫力でしたね。

82系:私も日本全国を走り回ったが、鹿児島と秋田・青森の方言だけはさっぱり分からん。不思議なのだが、方言が特徴的な地域と酒飲みが多い地域がやたらと重なることだな。四国には行かなかったが高知もそうだろう。

議長:実は私もその点に関心があるのです。付け加えると美人が多いことも共通していて大変興味深いのですが、とりあえず話を戻しましょう。

787系:皆さんご存じの通り、薩摩は幕末・維新を牽引した存在です。特に大久保利通こそ近代日本をつくった人物といって過言ではありますまい。
九州の中心、博多とそんな鹿児島を結ぶ特急列車なら、「つばめ」にも名前負けしませんぞ。

787系:私は西郷隆盛より、冷静沈着で意思と度量のある大久保利通先生を尊敬しております。

583系:しかし、783系さんは早くも看板車両の座を失って気の毒でしたな。

783系:まあ、他にも転用先はありましたし、「つばめ」を補佐する博多~熊本「有明」だけでもバスとの競合で20本以上も設定されましたから、鹿児島本線でも運用は続きました
だから私は熊本に愛着があるのです。熊本城は日本一の城だと思いますし、近代以降は軍都として栄えた南九州最大の都市です。非常食で軍馬を食べることがあったという事情も、熊本の馬刺し文化と関係があると私は愚考しています。

783系:難攻不落の城ですから、西南戦争では流石の西郷隆盛も落とせなかったわけです。
2016年の地震で被災するも、天守閣は綺麗に蘇りました。

【日豊本線】振り子式車両の高速特急「ソニック」

議長:民営化直後は本当に個性派の新型車両が続々登場します。
1995年には日豊本線特急の博多~大分で、883系さんによる「ソニック」が運転を開始しました。

883系:「ソニック」、速そうな名前でしょう?実際に振り子式と130㎞運転で博多~大分が2時間程度に短縮しましたからね。これも競争のためですよ。

82系:「ソニック」は小倉経由なので、本州から新幹線で乗り継ぐ客は良いが、博多からだと大分までは遠回りになるのだったな。

883系:そうなんです。しかも進行方向まで変えなければなりませんし。しかも、博多~小倉は高速バスだけでなく山陽新幹線と競合してますからね。
つまり、私は右手で「のぞみ」と握手しながら、実は左手を振りかざしているんですよ。

20系:山陽新幹線はJR西日本の管轄だから他社なのですね。
ところで右手と左手の話、たしか豊臣秀吉の参謀で中津城を築いた軍師、黒田官兵衛の逸話でしたかな。

883系:中津城は大分県最北部にあり、特急「ソニック」からも見えます。

883系:はい。密かに天下取りの野心を抱いていた彼は、息子に「徳川家康と右手で握手している間、左手は何をしていたのだ?」と言ったそうです。
私も天下列車気取りの「のぞみ」と協力する時はしますが、自分の領域を侵すならそれなりに応じさせてもらいますよ。

583系:なるほど。私も新幹線とは複雑な関係にありましたから、よく分かります。ただ鉄道同士は適度に競争しながらも、やはり協調して欲しいですな。JR九州だのJR西日本だの言って部分最適の理屈ばかり進行するのは、日本の鉄道界にとって好ましくない。

485系:仰る通りです。783系・787系さんの先ほどの話にもあった通り、九州の経済の中心軸は鹿児島本線沿線にありますが、東側の日豊本線にも頑張ってもらいたいですね。特に「ソニック」が運転されていない大分以南も。

885系:そういえばいつも思うんですけど、883系さんの座席って、あの偏狭なアメリカの大企業から著作権侵害で訴えられないんですか?

883系:イヤー、本当のところはね、結構ヒヤヒヤしてるんスよ。

883系:(甲高いハスキー声で)ハハッ、僕の車内はワンダーランド。そんなつまらないこと言ってないで、「青いソニック」(883系運用)に乗ってみんなハッピーになろうよ。そうだ、間違って「白いソニック」(885系運用)に乗っちゃダメだよ。

【長崎本線】「白いかもめ」885系登場

議長:さて、ついに最後の登場車両です。2000年3月、長崎本線「かもめ」にも先ほど営業妨害を受けた、振り子式車両の885系さんが投入されました。

885系:長崎本線は急カーブが連続する区間があるので、スピードアップのためには振り子式車両が不可欠でした。私は見た目が注目されるのは当然ですが、実は加速力でも日本の特急電車で最高クラスなんです。「白いかもめ」に乗れば私の実力を実感してもらえますよ。

885系:長崎本線って景色は良いけど、単線で急カーブ多数で本当に走りにくいんですよ。
この辺を改良工事してくれれば、正直新幹線なんか要らないんですけどね。

583系:私みたいな図体と重量の大きな「健康優良車」と違って、今の車両は線が細いですからな。

885系:それから787系さんがお国自慢をされていましたけど、長崎もずっと昔から外国との交易で文化を取り入れてきた街ですから、やはり九州を代表する車両が必要なのです。

885系:客室はもちろん、デッキでさえインテリアにはこだわっていますよ。
お客さんに2時間しか乗せてさしあげられないのが残念です。

20系:私がデビューする前の戦時中の話で恐縮ですが、関門トンネルが1942年に開通して九州と本州がレールで結ばれた時、特急「富士」の行き先は鹿児島でも大分でもなく長崎だったのです。上海航路とも連絡していたそうですよ。

787系:しかし西九州はどうも長崎一点主義ですな。南の薩摩には、もっとその地方の歴史といったものが幅広くあります。

885系:長崎だけではありません。地味に思われてますが今の佐賀県を治めた肥前藩は、名君の鍋島直正の藩政改革によって、幕末期には日本最先端の科学技術を持つまでになりました。初めて蒸気機関車の模型を造って走らせたのも肥前藩です。
そしてその肥前から輩出した大隈重信こそ、我が国初の鉄道建設に関わった中心人物なのであるんである!

大隈重信像とその生家
885系:「あるんである」は大隈が演説の際に多用した強調表現です。私も通販番組に出演したら使おうかな。
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第Ⅳ期~九州新幹線時代~

議長:885系さんの登場を以って新車投入や高速化は一段落しました。以降の新設特急列車は既存の車両を改造した観光列車となります。
そして、2011年には九州新幹線が博多から鹿児島中央まで開通し、在来線特急の運用も変化していきます。

787系:新幹線開通後は鹿児島本線内の特急がほぼ消滅したため、私は九州各地に散らばりました。

783系:私は転勤になったら担当線区にマッチした装いをしているのですが、どうも787系さんはどこに行っても「つばめ」時代のイメージを引きずってらっしゃるようです。

783系:特急「ハウステンボス」用の編成です。もう何回目のリニューアルか忘れました(笑)

787系:私は小細工は好まないもので、せわしなく自分の流儀を変えることなどできませんな。もちろんビュフェは普通車に改造しましたが、グリーン個室をやすやすと廃止することもないし、それどころか先頭グリーン車の最前列には、さらに格上のDXグリーン車をつくったのです。

議長:そういえば、今年(2022年)秋には長崎に新幹線が開通するようですね。

885系:今回は部分開業(武雄温泉~長崎)なので、乗り換えが増えるし時間短縮効果は限られますが、まあインパクトはそこそこあるのではないかと。

諫早駅のポスター
議長:早く乗りたい!それに、また九州に行く大義名分ができます。
885系:見た目は私の方が上ですね。

883系:議長、この会では新幹線の話題は盛り上がりませんよ。

議長:やっぱり。ではそろそろ終わりにしましょうか。

485系:それでは締めましょう。
今現在はともかく、これからの九州の強みはやはりインバウンド需要ではないかと私は思います。

885系:都市間ビジネス輸送も引き続き大事ですが、国内は人口減少が進んでますからね。それにバスとの価格競争でヘトヘトですよ。

20系:今の農耕民族たる日本が始まった弥生時代以降、大陸から近い九州は歴史の変革の最前線でした。現代でもコロナ騒動前は「インバウンド」という言葉が流行る以前から、九州には周辺国の外国人が沢山いましたからね。

議長:そういえばレストランでも外国人を何度か助けました。博多のラーメン屋で「ようやく英語を使える人に会えた」と言われた時は悲しかったですが。

82系:福岡からはソウルはもちろん、上海だって東京と距離はほぼ変わらないしな。海外旅行に簡単に行ける時代で羨ましいよ。

783系:福岡空港に来た人を、我々が九州各地に運ぶというわけですね。

583系:アジアの人達には私のように働いて金持ちになって、それを日本で消費していただきましょう。
さて国鉄組の皆さん、これから博多で一杯どうです?OB同士で飲みニケーションといきましょうや。

20系:喜んで。「あさかぜ」の縁で私も博多に愛着があって、現役時代はよく飲み歩いたものです。

82系:私も行くぞ。485系君も来たまえ。

485系:かしこまりました。4名で個室を予約しておきます。

議長:私も博多に行くと、いつも何を食べようか迷ってしまいます。

885系:テレワークの時代に飲みニケーションですか。逆に新鮮ですな。

議長:現役組の皆さんも集まらないんですか?

883系:我々はリモートでやります。

787系:恥ずかしい話ですが、焼酎は個別に注文するからともかく、料理を何にするかいつも揉めるのです。私が鶏のたたきといっても、783系さんが馬刺しだと反対する。

議長:仲が良いんですね。では皆さん、これからも九州を盛り上げてください。




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