【歴代車両と座談会】東海道には負けへん!山陽・九州新幹線の独自の進化の軌跡

新幹線車両

東海道新幹線と一体となって運用されていながらも、車両・列車名などにバリエーションが多いのが山陽新幹線です。
私が議長を務め、歴代の各車両に発言してもらうことで、東海道新幹線にはない山陽・九州新幹線ならではの良さや特徴について探っていきたいと思います。

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各車両自己紹介

2020年11月某日、新大阪駅にて。

議長:本日はお集まりいただきありがとうございました。
東海道新幹線の回では皆さん16両でしたが、今回は山陽・九州新幹線編ということで身軽になってお越しの方もいますね。
さて、今回の議題は「山陽新幹線のアイデンティティーを探る」であります。

新大阪駅にて幼少期の議長
兵庫県西宮市出身で、新大阪より新神戸の方が愛着がある。

800系:なんですか?その社会学じみたお題は?私はあんまり堅苦しいのは好まないのですが。

議長:国鉄時代は山陽新幹線というと、「東海道新幹線の細い延長部分」のようなイメージでしたが、現在では車両・列車の種類共に個性を打ち出しています。そのあたりの山陽新幹線の独自性、かみ砕いて言えば「東京に負けへん関西勢のこだわり」について皆さんに語っていただきたいと思います。

ではまずは0系さんから。「ウエストひかり」用12両編成ですね。

0系:2度も言うのは気が進まんが、1964年の新幹線開業以来走っておった0系だ。
山陽新幹線は1972年に岡山まで、1975年に博多まで全線開業したが、その時も車種はワシだけで1985年になってようやく100系クンがデビューしてきよった。
民営化後は一部がリニューアルされて、山陽新幹線区間のみの「ウエストひかり」としても運用された。あの時は自分も若返った気分だったな。

0系(1972~2008)※山陽新幹線での在位期間
初代車両としての威厳を備え、一同からも尊敬されている。

議長:私が小学生の修学旅行で広島に行きましたが、行きは「ウエストひかり」に乗ったのを覚えています。友達からトランプを誘われましたが、全部断って新幹線の旅を堪能していました。
それでは、次は100系さん。やはり今回も16両編成でいらっしゃいましたね。しかも2階建て車両が4両に増えている…

100系:さよう。私は国鉄末期の1985年に2階建て車両付きの新型新幹線として登場しました。当時から食堂車やグリーン個室など、新幹線車両ならではのゆとり空間を提供しておったんです。
学生さんやお子さんに私のことを話しますとね、目を輝かせて「昔の旅は楽しかったんですね。」とおっしゃるのですよ。ここにいる若い皆さん、コストダウンやら高速化やらでホンマに必要とされているものを見失ってはりまへんか?

100系(1985~2012)
やや慇懃無礼で皮肉屋。出身は京都らしい。

N700系:100系さんの懐古主義がまた始まりようわ。先言っときますけど、例の貴方がクリスマスに出演した、携帯電話が無い時代の恋模様を描いたテレビCMの話は結構ですからね。どうせ「タブレット」って言われたって、閉塞のことしか知らないんでしょう?

津軽鉄道の昔ながらのタブレット交換風景

100系:気の毒なことや。貴君、以前自分には窓側の座席にコンセントがあるとか言うて、「現代人の本質はスマホON、故に我あり」などと吹聴しておったが、心を失うとはこういうことを指すのやな。

0系:お二方、不毛な言い争いはやめてくれんか?爺のワシが言うのもなんだが、この前のアメリカ大統領選挙の討論会のようで実に不愉快だ。

100系&N700系:失礼しました。

議長:それでは500系さん。今では「こだま」用8両編成のはずですが、やはりこちらも「のぞみ」時代の16両ですね。

500系:もちろんですわ。私は何というても日本で最初に300㎞運転をした車両なんです。それまでの鉄道車両の常識を打ち破るような精悍なでスマートな車体に、子供はもちろん大人も釘付けになっておりました。正味しょうみ私からすれば後に登場した皆さんは量産型で、昔の特別急行列車のような特別感というか、カリスマ性いうもんがありまへんな。

500系(1997~)
自身が一番人気のある車両だと確信している大阪気質。

100系:ところで、あの合理性至上主義者の300系殿がいてはりませんが?

議長:300系さんは山陽新幹線には馴染みがないし話すことも特にない、とのことでお見えになりませんでした。

0系:確かに300系クンは、こっちに来ても関西らしいそぶりは全く見せていなかったからな。

100系:私もそう言うたら返答は、「新幹線車両たるもの、日本の国土を遍く均一化しなければならないのですから、地方の特異性を強調したり方言なんか使うべきではありません。」でした。全く滑稽もええとこですわ。

100系の論敵、300系

議長:まあ、お二人は後で仲良く喧嘩してください。
その次は700系レールスターさんですね。

700系:私はまず1999年に16両編成で登場しました。21世紀を迎えようとする当時、高速性能だけでなく環境適合性にも配慮した車両であるということは、以前の東海道新幹線の会で申し上げた通りです。
今日の8両編成の「レールスター」としては2000年にデビューいたしました。
私はもともとスタイルは良い方ではないのですが、白と青の16両編成よりもこちらの方がまだ似合ってるなんていう、褒めているのかいないのかよく分からない言葉をよく頂戴します。

700系(1999~)
容姿には若干コンプレックスがあるがバランス感のある優等生タイプ

議長:続いて一番短い6両なのに、一番お洒落な800系さんです。

800系:私は2004年に九州新幹線の新八代~鹿児島中央の開業に合わせてデビューしました。それまでの退屈な新幹線車両(周りからヤジが飛ぶ)、ええそうですとも、個性のない車両とは一味違った存在として、私はとても皆さんから注目を浴びたのです。内装も九州らしさを存分に盛り込み、快適さだけでない遊び心を提供しているのです。

800系(2004~)
軽薄そうに見えて意外と頭も良い。たまに九州弁が出る。

N700系:現在の主役、N700系です。東海道・山陽新幹線用の16両編成としては2006年から就いてますが、山陽・九州直通用の8両編成は2011年に誕生しました。私は乗り心地とスピードと他の車両との協調性を全て実現しており、もちろん山陽新幹線では最高速度300㎞で走れます。
ところでね、私の塗装は青みがかった上品さを湛えた白になっとんねんけど、大味の表現しか知らん800系さんには理解できへんのかもしれませんね。

N700系(2006~)
負けず嫌いな主力車両。熱くなると神戸弁が出る。
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栄光から凋落へ、0系が奮闘した国鉄時代

議長:はい、ありがとうございました。やはり関西勢の集まりは時々ヒヤヒヤさせられますな。

ではまず軽く国鉄時代を振り返ります。0系さんのお話にもあった1972年の岡山開業から、山陽新幹線の歴史は始まりました。
当時の時刻表を見た正直な感想を申し上げると、新大阪を境に本数は減っているのがよく分かります。

1972年3月の時刻表より

700系:まあ、それを以って「山陽新幹線は東海道新幹線の西の外れ」と言いたい気持ちも分からなくはありませんが、岡山は鉄道の一大ジャンクションですからその効果は大きいのですよ。

0系:うむ。ようやく四国に特急列車が走り始めたのも、京阪神から山陰へ行くのに岡山から伯備線で特急「やくも」に乗る体系ができたのもこの時からだったな。岡山開業によって西日本地域の鉄道は大きく変化したといえよう。

議長:ほう。そしてその3年後、1975年には「ひかりライン」は博多まで全通しました。

0系:当時の東京~博多の所要時間は6時間56分。その頃は航空機も大衆化しつつあったが、まだ新幹線のシェアが6割程を占めていた。寧ろ九州行きの寝台特急の衰退が大きかったように思う。

500系:そらぁ、大した設備もないくせして寝台料金はいっちょ前にとりよったから、お客が逃げるのも当たり前やろが。

初代ブルートレインの3段式寝台。
1958年に登場した時は絶賛された設備も、1970年代では時代遅れだった。

0系:だがな500系クン、ワシらも他人のことを偉そうに言ってられん。というのは、その翌年に国鉄は運賃・料金を50%強も一気に上げてしまったのだ。その後もさらに値上げを繰り返したもんだから、当然ながらお客が逃げてしもうた。背景には国鉄の財政悪化があったが、あの頃が一番苦しい時代だったなぁ。

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民営化後アコモ改善が進む

新車のような0系「ウエストひかり」が山陽新幹線限定で登場

議長:1987年4月、国鉄が分割民営化され、東京~新大阪の東海道新幹線をJR東海が、新大阪~博多の山陽新幹線はJR西日本が運営することになります。

500系:あの憎たらしい会社はおいしいとこだけ持っていきよったな。

800系:いやいや、JR九州の私からすれば、貴方たちの会社だって恵まれている方ですよ。

議長:確かに。民営化の翌年、1988年にリニューアルされた0系による「ウエストひかり」が設定されます。

0系:それまではダイヤが東京を中心に設定されていたが、「ウエストひかり」は山陽新幹線区間のみを走る列車だった。最大の特徴は普通車でも5列ではなく4列の座席を採用したことで、他にも喫茶店風のビュフェやシネマカーなどがあって意欲的なものだった。これも民営化あってのものだろう。

N700系:そうですね。「ウエストひかり」こそが、山陽新幹線がいわば東海道新幹線から「独立」する大きな第一歩となったわけですな。

0系:実際、山陽新幹線区間の速達列車は東京~博多の「ひかり」だけで不便だった。だから「ウエストひかり」は人気で本数・編成も増えていったのだ。

東京から博多へ、100系「グランドひかり」の華やかなりし時代

議長:なるほど。そして翌1989年には100系の新しいタイプ、「グランドひかり」が東京~博多で運用を開始しました。

100系:あの頃は青函トンネルや瀬戸大橋が開業して、それにバブル景気にも湧いておりましてな。新生JR各社の熱意も相当なもんでした。「グランドひかり」の特徴は、私の貫禄であり象徴でもある2階建て車両がそれまでの2両から4両に増えたことです。

800系:それなら東日本のE1系さんやE4系さんなんか、もっと威容があるオール2階建ての編成じゃないですか?

100系:あんな人間用高速貨物列車を私と比べないでいただきたい。編成によって差異はありますが、私の場合は立派な食堂車やグリーン個室付きの2階建て車両なんですよ。特に東京から山陽新幹線沿線だとやはり所要時間が長うなりますから、車内設備にも付加価値を提供したのです。あの頃が新幹線の旅の楽しみとっては全盛期と言っても異論はありますまい。

0系:そういえば東北新幹線に友人の200系というのがおるのだが、100系クンに触発されたのか、それまでワシに似た団子鼻の顔だったのが、いつの間にかシャープな顔つきになって個室付き2階建て車両も組み込んでおった。確かに当時は華やかな時代だったな。

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90年代は高速化時代に突入

「のぞみ」登場

議長:接客設備が大幅に改善された山陽新幹線でしたが、東海道新幹線はやはりビジネスライクで、1992年に本日欠席されている300系さんが「のぞみ」として270㎞運転を開始されます。「のぞみ」は山陽新幹線でも運行され、やがて1997年に山陽新幹線区間で日本最速「500系のぞみ」が300㎞運転を開始しました。

航空機のようなスタイルの500系

500系:やっぱ鉄道は「より速く」目的地まで着けることが大事や。特に山陽新幹線の場合、福岡空港が市内中心の近くにあるから、航空機との対抗で不利になってしまう。
ほんでもって、300㎞運転をした結果、新大阪~博多はなんと2時間17分(注:当初は新神戸通過)や。ところでN700系さん、「のぞみ」でも「みずほ」でもかまへんけど、現在おたくの最速列車はどうやったっけ?

N700系:「のぞみ64号」の2時間21分です。それが何か?

500系:ハハハ。別に何もあらへん、あくまで参考に聞いただけや。

N700系:公平を期すために、新神戸停車で比べれば500系のぞみと変わらないこと、及び東京~博多なら4時間46分と、停車駅が3つも少ない最速時代の500系さんよりも速いことを付け加えさせていただきます。

500系:それは言い訳や。停車駅が少ないことは列車の格にも関わる。だいたいホンマは新神戸なんか停まりたなかった。トンネルに挟まれた通過線もない駅やのに、神戸のもんは「自分たちは洗練されていて、下品な大阪と一緒にされたない」とかプライドだけ高い。(N700系がヤジる。議長もそれに加わる)
とにかく。2時間17分は今も破られていない最速記録や。カーブが多い砂利道の東海道新幹線では本領発揮できんかったけど、山陽新幹線でスピードアップした結果、東京対中国地方の競争力も高まったわけや。なんだかんだで東京からの需要は大きいからな。

100系:素晴らしい。そこまで速ければ車内で疲れる暇もありまへんな。

500系の車内。やや狭苦しさがある。

500系:やめてくださいよ、そういう京都風の嫌味。
とにかくね、私が登場した頃というのは、スカイマークが割安運賃で新規参入するなど、ライバルの航空業界はより強敵になってたんや。当時はJRには今みたいなネット割引は無かったから、私はスピードで対抗させてもらいました。

「ひかりレールスター」が「ウエストひかり」の後を継ぐ

議長:高速化が一気に進んだ1990年代でしたが、世紀が変わって2000年には「ウエストひかり」の後継、700系「ひかりレールスター」が登場しました。

700系:300系・500系・700系と次々新車が投入されていく「のぞみ」に対して、「ひかり」のサービス水準が相対的に低下していました。一方ありがたいことに山陽新幹線沿線には、のぞみ停車駅以外にも中核都市が点在している。そこで、当時は全席指定で停車駅もまだ多様化していなかった「のぞみ」で捉えきれない需要を満たすべく、山陽新幹線区間に「ひかりレールスター」が誕生したわけです。285㎞運転により停車駅を確保しながらも高速性も実現させました。

レールスターの落ち着いた普通車指定席。
「サルーンシート」とも呼ばれていた。

0系:あの頃、JRになってから時代の流れが速くなったと感じておった。でも後でよう考えたらそれ以前から流れは速かったが、国鉄がそれに対応できてなかっただけのような気がしてきた。

議長:地域の事情と時代に沿った列車を設定できらのは、民営化によって得られた大きなメリットのひとつですね。「ウエストひかり」と「ひかりレールスター」はその象徴でしょう。

700系:「ひかりレールスター」にはグリーン車やビュフェは連結されませんでしたが、車内放送をカットした「サイレンスカー」や4人用普通個室といった新しい試みが採用され、おかげで乗客からは好評いただきました。

レールスターの4人用普通個室

100系:まあ私の一部の編成にあるグリーン個室と比べると三密空間ではありますが、平成不況のもと誕生した山陽新幹線内の車両にもかかわらず、個室を設定した点で私は700系殿を評価しています。

南九州の「孤島」で800系「つばめ」が孵化

議長:さて、2004年にはついに九州新幹線(以下鹿児島ルートを意味する)の南半分が開業。800系さんが「つばめ」としてデビューしました。

800系:九州新幹線は需要の多い北半分ではなく、なぜ新八代以南から開業させたのかとよく聞かれるのですが、在来線の鹿児島本線は新八代までは複線で最高速度が130㎞、一方で以南は単線が多いのです。ですから新幹線開業による速達効果を高めるためにそうなったわけです。

500系:しかし、九州新幹線は建設費をケチったおかげで勾配がきつくて、300㎞はおろか270㎞もだせへんらしいな。

800系:もちろん山陽新幹線のような贅沢は望めません。ですが、それまで4時間近くかかっていた博多~鹿児島が、最短2時間10分になったわけですから、南九州も近く感じられたものです。
先行開業した新幹線区間は距離的に乗車時間も短いですが、それでも乗客の印象に残る和風の車内設備が私の特徴です。山陽新幹線の皆さんって4列座席を自慢しますけど、私にとってはそんなのは当たり前すぎていちいち言う気にもなりません。

800系の車内

100系:付加価値を重視する800系殿の姿勢は評価できますが、何というか表現過多な点が無きにしも非ず。まあ、そもそもおたくの会社は乗客よりも「デザイナーファースト」なきらいがありますからなぁ。

800系:100系さん、それは言わんと事前にお願いしていたとではなか!

東海道新幹線の天下り先となる山陽新幹線「こだま」

議長:ところでこの時代に顕著になった動きとして、東海道新幹線で運用を失った車両が改造されて山陽新幹線「こだま」に生き残る道を見出すパターンが、現在に至るまで続いています。

0系:東海道新幹線はさすが日本一の大動脈なだけあって、車両更新のスピードも速いな。それになんせ過密ダイヤなので「こだま」でさえも速達列車の邪魔にならんように高速性能を求められる。だから逆に列車密度が低い山陽新幹線の岡山以西では、主役の座を降りた車両が「こだま」に使われているのだ。ワシはこの最後の仕事を2008年11月までやらしてもろうた。

0系引退記念のポストカード

N700系:山陽新幹線「こだま」は「東海道新幹線の天下り先」と呼ばれていますが、もうじき私の自慢の後輩、N700Sが就くらしいですよ。あいつは器用でね。8両でも4両でも楽に編成を組めるんですわ。

700系:今は私と500系さんが「こだま」で生き延びていますが、その時には我々もお役御免ですかね、500系さん?

500系:いや。私はまだやる。

800系:一体どこでですか?念のため言っておきますけど、九州新幹線にも貴方の居場所なんてありませんよ。

500系:分かっとる。次に目指すのは東北新幹線や。

N700系:東北新幹線??

500系:私はなぁ、「こまち」のE6系ちゃんが不憫でならんのや。あんなにかわええやのに併結相手は天狗鼻のE5系や。だからあいつには泣いてもろうて、人気ナンバーワンの私が彼女の相手になったる。

100系:議長!今すぐドクターイエローさんを呼んでください。故障車が発生しました。

E5系(右)とE6系(左)
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九州新幹線全通で列車名が多様化

「みずほ」が最速達列車に

議長:九州新幹線は2011年3月に全線開通し、山陽新幹線と直通運転を開始しました。それに合わせて8両編成仕様のN700系さんがデビューしたのですが、残念ながら「華々しく」とはいきませんでした。

N700系:ええ。あの年の3月12日は東日本大震災の翌日で、とてもそんな雰囲気ではありませんでしたからね。その1週間前にデビューして、日本最速ということで天狗になったE5系(一同笑)も同様でした。

800系:N700系さんとE5系さんって仲悪いんですね。余計なお世話かもしれませんが、私のように個性を突き詰めれば他者と比較して苦しむこともありませんよ。

N700系:余計なお世話です。なんせ、私が名乗ろうとした伝統ある九州特急に使われた「はやぶさ」を、あろうことかE5系は東北新幹線なんかに使っとお。それで新大阪~鹿児島中央の最速列車は「みずほ」を使わせてもらっとんねんけど、「はやぶさ」の名を返してもらわなあかんと思ってます。

0系:寝台特急「みずほ」は確かに「はやぶさ」の補佐役であったな。しかし、N700系クンもそう熱くなるでないぞ。

N700系:そうですね。ともかく、大阪対南九州の所要時間は縮まった結果、熊本までは飛行機よりも優勢に立つことができました。ただ鹿児島まではまだ劣勢なのでスピードアップしたいのですが、やはり九州新幹線がネックですね。それから、「みずほ」は東海道・山陽新幹線の「のぞみ」に対応する列車ですが、「ひかり」と同列の列車は「さくら」でこちらの方が本数が多いのです。いわば「さくら」は「ひかりレールスター」の発展型なんです。

戦前から使われていた「ひかり」と「のぞみ」

500系:まあ「はやぶさ」を取られたのは心外やろうけど、それが「みずほ」や「さくら」になっても、そう大したことではないやろう。それより問題なのは800系さんが未だに既得権益で就いてる「つばめ」ですよ!日本を代表する偉大な列車名が、何と博多~熊本の各駅停車タイプなんぞに使われとる。これはもはや許容範囲外や。「つばめ」は返上して、せいぜい「有明」くらいで満足せえ。(賛成の声多し)

800系:そんな言い方はなか!ならばこちらも反論させていただきますよ。皆さんが誇りをもって名乗っている「ひかり」や「のぞみ」。このルーツをご存じですか?かつて日本領だった韓国の釜山から旧満州国の首都である新京(現・中国の長春)を結ぶ戦前の列車です。
九州にはインバウンドが流行る以前にも、周辺国から多くのお客さんが来ていました。なのに日本の大動脈の主力列車が元はこんな帝国主義の象徴だったとバレたら、コロナ後の訪日客数に深刻な影響をもたら…

1940年「満洲支那汽車時間表」より

700系:議長!800系さんのご発言は高度に政治的かつセンシティブであり、この会の趣旨から著しく逸脱したものであります。直ちに中断することを提案、否、要求します。

議長:私も同感です。あまり時間も無いのですが、この場により相応しい話題がある方は即刻始めてください。

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競争相手と協力相手、どちらも手強い

山陽新幹線の「二重性」

N700系:全く何でこんな話になっとんやろか。
九州新幹線直通列車に関してですがね、山陽新幹線には東海道から来る16両の列車と、新大阪始発で博多や鹿児島中央行きの8両の列車があるわけです。どっちが上という訳でもなく、2つの交通路が重なっているとでも表現できましょうか?要するに、同じ最速達タイプでも16両の「のぞみ」と8両「みずほ」が走っているということです。

700系:つまり、N700系さんは①東海道・山陽新幹線であり②山陽・九州新幹線であるという二重性を指摘されているのですね。

100系:私が登場した国鉄時代はまだ①の要素が前面に出ていました。しかし民営化によって地域密着指向が強まった結果、②の要素が続々と登場したのです。九州新幹線と繋がっても①の列車は所要時間の関係で博多から先には直通して来ないため、なおさら①と②の並立が際立ったといえそうですな。

議長:そういうことなんです。私が冒頭に何となく申し上げたかったのは。
山陽新幹線の二重性を簡単に示すと以下のようになりませんか?

東海道・山陽新幹線的存在(16両)山陽・九州新幹線的存在(主に8両)
のぞみ・ひかり・グランドひかりみずほ・さくら・ひかりレールスター・
ウエストひかり・こだま

0系:まあ、そんなとこだろうな。

500系:②の方ではそれぞれが個性を打ち出してるけど、今では①では何でもかんでも横並びや。その点私なんかは確かに①にカテゴライズされるけど、いくら東京のマーケットが魅力的とはいえ、私が東海道色に染まらんかったばっかりに「出る杭は打たれる」そのものやった。先頭車両に乗降ドアが1つないだけで文句付けてくるんやからな。

100系:私が「グランドひかり」に就いていたころはそこまで酷くはありませんでしたな。いやはや、最近の若い車両もんは内向きの安定志向ばかりでけしからん。

800系:山陽新幹線というとたくさん列車が走っている印象だったのですが、やはり東海道新幹線と比べると所詮はローカル新幹線なのですね。いや別に悪い意味ではありませんよ。ローカル新幹線にはその良さがありますから。

議長:ローカル新幹線の良さとは?

800系:つまりですね、皆さんが私のことを「個性的な内装や設備の充実に現を抜かしている暇人」と思っているなら、それは大きな間違いなのです。私が「南九州の田舎者」であるのと同様、東海道の連中からすれば皆さんは「地方の奴ら」なんですから。ですが、「暇」があったからこそ我々は独自の進化を成し得たのです。

0系:ふむ。800系クンはオシャレにしか興味がないように見えて、意外と物事を考えておるのだな。

議長:お話を伺っていると、民営化後に新大阪から博多・鹿児島中央へと商品価値の高い列車(つまり②の列車群)を走らせ、過密ダイヤで画一化された①の列車群との差別化を図りました。一方では、東海道新幹線の①の列車が運んでくる需要に期待せざるを得ないというのもまた現実である。その辺のジレンマではないにせよ、「二重性」が山陽新幹線の大きな特徴だということが分かりました。

やはりライバルは航空機

700系:とにかく、皆さん航空機との競争を意識してきたということは確かですね。最近はLCC(ローコストキャリア)という存在もありますし、なおさら厳しい環境になるかもしれません。

N700系:新幹線が航空機よりも圧倒的に優位な点は、本数が多く空港までの移動が不要であることが挙げられます。世界に誇れる定時性に関しては言わずもがなです。

800系:九州新幹線内だと航空機よりも寧ろ高速バスが主な競争相手ですから、なおさら価格が重要になります。なのでJR九州うちではネット割引にはかなり力を入れてますよ。いずれにせよ、新幹線は高いと思われては損ですから、そういう固定観念も変えていかなくてはなりません。

100系:やはりJR世代の諸君は「競争」という言葉がお好きなようですね。しかし近頃はテレワークも注目を集めており、今後も人口減少は進行します。そんな時代に求められるのは、嫌われようが何度でも言いますが、敢えて乗りたいと思わせる食堂車のような付加価値とちゃいますやろか?
奇しくも、我々のご先祖様の山陽鉄道に始まるこの文化(※山陽本線が国に買収される以前の私鉄で、日本で初めて食堂車を営業した。)が葬り去られ、後輩たちが血生臭い価格競争に巻き込まれていくのには大きな不安を覚えますな。

0系:うむ。さすがは100系クンだ。斜に構えているようで、要所では的確なことを言いよる。
とにかく我々は距離も客層も問わない高速輸送機関として、社会に欠かせないインフラであり続けたいと思う。(一同頷く)

500系:そういえば、今年のコロナで思ったんやけど、新幹線は緊急事態宣言時以外はガラガラでもちゃんとほとんどの定期列車を走らせてますよ。
それに比べて飛行機はなんや?ちょいと景気悪なったらホイホイ減便して、この前もどっかの外資系の日本法人が撤退しよった。

700系:思い返せば、2000年前後にも北海道や九州を拠点とした航空会社が相次いで新規参入しました。当初は意気揚々と空を飛んでいましたが、今や穴(ANA)の中に逃げてしまいました。(一同拍手。500系が座布団の代わりに枕木を持ってくる。)
※当時新規参入した会社の幾つかは経営難で全日空の経営支援を受けた。

100系:700系殿!見直しましたよ、貴殿にもユーモアを解するセンスがあるとは。
やはり我々は地に足の着いた公共交通機関として…

議長:何だか嫌な予感がしてきたので、これで終わりにしたいと思います。
皆さん本日はありがとうございました。


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