北陸本線の長浜駅は現在では京阪神地区の新快速電車も乗り入れ、同地域との結びつきもより強くなっています。
ところで、長浜の鉄道の歴史はとても古く、日本ではまた「陸蒸気」が珍しいものだった明治初期の1880年代にまで遡ります。
本記事では、そんな歴史を感じることができる長浜鉄道スクエアについて紹介します。
現在の長浜駅からは南へ数分歩いた所にあります。
長浜鉄道スクエアは①旧長浜駅舎、②長浜鉄道文化館、③北陸線電化記念館の隣接した3つの施設から成ります。
旧長浜駅舎
長浜鉄道スクエアで最初に訪れることになるのが、現存する最古の駅舎である旧長浜駅舎です。
その歴史的価値の高さのため、日本遺産に認定されています。
長浜駅が開業したのは1882年、この時金ケ崎(後の敦賀港)~長浜で鉄道が開通しました。
この路線は資本の論理というよりは国策の一環として建設され、日本海側と太平洋側を結ぶ初めての路線となりました。
エントランスも兼ねた三等待合室は広々として庶民的な雰囲気で、当時の出札も再現されています。
残念ながら2階は公開されていませんが、文明開化が始まって間もない時代、人々は西洋スタイルのこの建物にさぞや驚いたことでしょう。
入り口から左に進むと一・二等待合室があります。
車室だけでなく待合室まで区別されているあたりに、明治時代の階級社会がよく表れています。
その他にもいくつかの小部屋が続き、当時の駅長の服装なども見ることができます。
長浜鉄道文化館
ヨーロッパのターミナル駅のような天井をした空間に、「鉄道唱歌」の男性による斉唱が流れるこのスペースでは、長浜駅にまつわる鉄道史の紹介や資料展示が主な内容です。
子供用のコンテンツもありますが、昔の白黒の映像資料などなかなか興味深い内容のものも多いです。
鉄道模型だけでなく、鉄道連絡船が出港していた時代の長浜駅周辺の模型もあり、当時のことが窺い知れます。
東海道本線が全通していなかった頃は、長浜~大津(現在の大津駅とは違う場所にある)には日本初となる鉄道連絡船が琵琶湖に運航されて鉄道の代用とされていました。
1889年、最後に残った長浜~米原~膳所、及び深谷(廃止)~米原が開通したことで、東海道本線が全通し、長浜駅は東西を結ぶ幹線のルートから外れることになりました。
北陸線電化記念館
「サンダーバード」や「しらさぎ」が疾走している現在では想像できませんが、1950年代までの北陸本線はカーブや坂が多く、蒸気機関車の牽く列車はスピードも遅く輸送力が低い路線でした。
しかし、1957年に田村(長浜の一つ米原よりの駅)~敦賀間が交流電化され、その後も北陸トンネル開通を筆頭に、複線電化や線路改良が行われました。
北陸線電化記念館にはD51形蒸気機関車と、珍しいED70形交流電気機関車が並んでいます。
それまでの直流電化方式と比べて、交流電化はコスト面で有利なのですが、田村~敦賀間は日本で初の本格的な交流電化が導入されました。
この区間を皮切りに全国各地で交流電化が行われ、鉄道の近代化が進んでいくのです。
さて、雄々しい機関車も良いですが、周りの壁には東海道本線の各駅とそれに対応する鉄道唱歌の歌詞が延々と続いています。
この絵巻物を辿っていくと、それまで馬車や徒歩で旅していた人々が、鉄道という機械文明によって風景の知覚の仕方そのものを変えられたのではないか、と思えてきます。
鉄道の速さを讃え、文明の発展を啓蒙しているようだ。
見学の所要時間
長浜鉄道スクエアの見学時間ですが、大まかにいうと30分以上1時間以内で、まあ45分程度が妥当だと思います。
長浜駅から当施設までの往復移動を考慮すると、1時間でも間に合わないことはありませんが、1時間半くらいあった方が心に余裕をもって見学できるでしょう。
これらは見学の所要時間であり、模型運転コーナーなどの体験を行う場合はこの限りではありません。
なお、入館料は大人300円です。
鉄道のまち、長浜
当初は蒸気機関車を見て「得体のしれない魔術のようなもの」として怖がる人も多かったそうですが、そんな時代に長浜の人は将来の発展を鉄道に求め、そして「ステン所」「停車場」と呼ばれていた駅を誘致しました。
鉄道交通の要所として多くの人が集まり栄えた長浜でしたが、東海道本線が全通するとその地位を失います。
時は平成となった1991年、直流電化によって新快速電車が乗り入れたことで、京阪神からの観光客が大幅に増えて長浜駅も賑わいを取り戻しました。
人々が街の発展のために鉄道にかけた思いは、現在にも受け継がれています。
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