歴史の詰まった敦賀駅と敦賀鉄道資料館、【過去の欧亜連絡列車から将来の新幹線へ】

西日本の駅

敦賀駅は福井県にある北陸本線の主要駅で、特急列車もほとんどが停車します。
敦賀の鉄道はその地理的条件から国際航路の玄関口としても機能するなど、非常に興味深い歴史を持っており、北陸本線の列車旅の途中で是非とも途中下車したいで場所です。
本記事では敦賀駅の見学と、駅からやや離れた所にある敦賀鉄道資料館の紹介をします。

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北陸本線の主要駅、敦賀駅

大きなカーブの途中にある駅

弧を描いたホームに停車する新快速電車

敦賀駅は下り線(金沢方面行)から見て、大きく右にカーブする途中にあります。
起点米原から北陸本線は琵琶湖の湖岸に沿って北上しますが、敦賀でその方角を東へと変えます。
その意味で敦賀駅構内のカーブは、北陸本線にとって日本海側へのアプローチ部分から、いよいよ北陸路の路線へと転じる象徴的な意味合いを持っているといえます。

ホームの雰囲気にも貫禄が感じられる。
この仕切りは洗面台跡にしては長過ぎる気がするが、何なのだろうか?

また、2006年には既に交流電化されていた北陸本線の長浜~敦賀及び湖西線の永原~近江塩津が直流電化されました。
こういう話は単発だとただの鉄道マニアの知識自慢に過ぎませんが、私が何を言いたいかというと、これによって京阪神地区の新快速電車(直流の車両)が敦賀まで直通できるようになったのです。
つまり北陸地方の敦賀が京阪神とより強く結びつけられたということです。
当然、名古屋を中心とした中京地区とも距離的に近く、敦賀はまさに交通の結節点であるといえます。

点線が既に直流電化の区間、実線は交流から直流になった区間。

駅弁では鯖寿司が有名

沿線の駅弁が豊富な北陸本線ですが、敦賀駅でも駅弁が販売されています。
改札を出て左に歩いたところに売り場がありました。

私はここで2種類の弁当を買ったのですが、まず一つ目は「さばずし」。
近年では日本は水産資源の多くを輸入していますが、昔は若狭の国で採れた鯖を京都に運ぶ道が「鯖街道」と呼ばれています。
通常サイズと半分の長さの食べきりサイズがあります。

敦賀の名物駅弁「さばずし」
敦賀の名物駅弁「さばずし」。写真はハーフサイズ。

もう一つは「鯛鮨」。
こちらもやはりご飯と魚の味がうまくまとまっていて完成度が高いと思います。

敦賀の駅弁、鯛鮨
鯛鮨は鯛の食感が良い

駅弁ではありませんが、名産の「へしこ」も売っていました。
私もその独特の風味に最初は戸惑いましたが、気づくとなかなか病みつきになって、地酒があっという間に無くなってしまいました。

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敦賀鉄道資料館とその周辺

欧亜国際連絡列車時代の栄華を偲ばせる敦賀鉄道資料館

敦賀駅から敦賀鉄道資料館までは、コミュニティバスで10分少々の「金ケ崎緑地」というバス停近くにあります。
徒歩だと30分前後だったと思います。

資料館に使われている建物は旧敦賀港駅舎を模したものです。
そもそも敦賀港駅とは敦賀駅から延びる貨物支線(現在は廃止)の終着ですが、1912年からは新橋~金ケ崎(1919年に敦賀港に改称)に1・2等寝台車を連結した欧亜国際連絡列車が運転されていました。
ここからロシア帝国(当時)のウラジオストクへの定期航路が運行され、さらにはシベリア鉄道経由で西ヨーロッパ各国まで半月で結んでいました。
民間航空機は機体も小さいため航続距離も短く、大衆化とはまだまだ程遠い時代の話です。

旧敦賀港駅舎をイメージした敦賀鉄道資料館
旧敦賀港駅舎をイメージした敦賀鉄道資料館。
実際の旧駅は少し離れた所にあった。

資料館は1階と2階から成り、戦前の駅舎らしい内装・雰囲気もここの見所の一つです。
入館料は無料ですが館内の撮影は不可です。
1階は鉄道部品や模型といったコレクション系の展示ですが、映像資料で戦前から戦後に至る敦賀の鉄道の歴史も紹介されています。

2階は時代ごとに区切ったパネルによって敦賀と鉄道との関わりを開設した展示があり、こちらがメインといえそうです。
時刻表や資料なども豊富で結構面白かったです。
ざっくりと全体のハイライトを挙げると、①国際連絡列車が走った戦前、②北陸トンネル開業によって北陸本線が近代化された戦後、そして③米原~敦賀直流電化で新快速が直通した民営化後、といったところでしょうか。
北陸トンネルは敦賀駅から金沢方面に出発してすぐの所に入り口があります。

なお、この航路はロシア革命後も存続し、第二次世界大戦中にナチスに迫害された人々は、日本の外交官杉原千畝ちうねが発給した「命のビザ」を携えて、シベリア鉄道を経由してウラジオストク航路でここ敦賀に上陸しました。
敦賀鉄道資料館の近く、元の敦賀港駅があった付近に「人道の港 敦賀ムゼウム」がありますが、残念ながら私が訪れた時はリニューアルのため閉鎖中でした。

1940年「満洲支那汽車時間表」より。
赤下線の「浦○」がウラジオストク。この頃は欧亜連絡よりも、当時日本が事実上支配していた満洲への玄関にもなっていたことが分かる。
また東京から直通する列車に1等寝台車は連結されていない。

廃線跡、ランプ小屋にジオラマ館など見所が多い

ところで、敦賀港(当初は金ケ崎)駅~長浜駅は、1884年という全国でもかなり早い時期に開通しており、日本海側では初の鉄道でもあります。
この当時は日本の重工業がまだ未発達で、鉄道建設のための資材は先進国から輸入していたので、その陸揚げ地点として敦賀港駅がつくられました。

現在の敦賀港はというと、前述したように鉄道貨物が廃止(トラック輸送は行われている)された今、線路と駅舎だけが残っています。
使われている気配のしない建物は、カーテンが閉められ不気味な雰囲気でした。

貨物線の廃線跡から駅舎(写真中央部の建物)を見る

敦賀港駅の傍にはランプ小屋があります。
これはかなり古い建物で、建造された1882年頃のまま現存しているようです。

瓦屋根とレンガ積みのランプ小屋。内部見学もできるようだが、営業時間外だった。

また観光スポットになっているレンガ倉庫の隣には、急行型気動車が保存されています。
車内に入ることはできませんでしたが、国鉄色のままなのは嬉しい点です。
また倉庫にはジオラマが上演される施設があります。
私は鉄道模型には興味がありませんが、その規模の大きさのみならず、海と山に囲まれた昔の敦賀の街並みが再現されていて、なかなか楽しめました。

国鉄色の気動車。
急行「わかさ」は敦賀から延びる小浜線を走った列車。
ジオラマでは鉄道も出てくるが、車両名を読み上げていく類のものではなく、敦賀市内に住む家族の物語が語られる。

これらのスポットは全て徒歩圏内にあります。

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2024年3月に北陸新幹線が開業

奥に見えるのが新幹線駅

2024年3月に北陸新幹線が敦賀駅まで延伸を果たしました。
これにより、東京から最短で3時間8分で結ばれることとなります。
そして敦賀駅を新たな終着駅とした「サンダーバード」と「しらさぎ」が、それぞれ大阪・名古屋からやって来ます。
日本三大都市の東京・大阪・名古屋全ての行き先の列車が集う敦賀駅は、北陸・関西・中京の結節点としての機能をますます発揮することでしょう。

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