稚内駅は言わずと知れた宗谷本線の終着駅にして、日本最北端の駅です。
一つ前の南稚内駅は稚内の市街地に近く、飲食店やホテルが周りにあるのに対して、稚内駅は新しくはなっているものの、終着駅といった雰囲気の駅です。
宗谷本線の終着、稚内駅
ホームは1面1線のみ
日本最北端の駅に来た、という旅行者の高揚感とは裏腹に、稚内駅はあっけない1面1線のホームしかありません。
昔はもっと大きな駅でしたが、天北線や貨物列車の廃止に加え、宗谷本線の列車削減の結果、このような姿になっています。
それでも札幌・東京や、南九州の指宿枕崎線の終点である枕崎駅からの距離が書かれていて、一応は最果ての雰囲気を盛り上げてはくれます。
駅舎は新しい
稚内駅の駅舎は2011年に開業した、ガラス張りの新しいものです。
この建物は駅としてだけでなく、市の施設や映画館など多目的に利用されています。
駅からはガラス越しに宗谷本線の車止めを見ることができ、標識が日本最北端であることを示しています。
また待合室には「KANE POPPO」という駅員の像と鐘が展示されています。
この鐘は元々は、JR東日本がサハリンの鉄道に車両を譲渡した返礼として贈られたものです。
その後サハリンに近い稚内駅に展示されて、日本とロシアの友好の証として存在しています。
日露戦争後から第二次世界大戦終了まで、サハリンの北緯50度以南は日本の領土でした。
この歴史的背景は後述するように、稚内駅を見学する上で重要になってきます。
駅弁と駅そばがある
稚内駅は旭川駅を除くと、宗谷本線の駅では唯一駅弁が販売されている駅です。
お土産屋さんに何種類か売っています。
私が選んだ「最北海幸めし」は、サケ・カニ・ウニなどのいろいろな海鮮ネタが賑やかに載っている弁当です。
主役がいるわけではなく、それぞれのネタたちの群像劇となっています。
またお土産売り場の奥には食堂があり、立食いそばとしても利用できます。
利尻島が近くにあるためか、昆布を使ったそばもあります。
線路跡は続くよ
さて、現在営業している宗谷本線の車止めの先にも線路は続いており、駅舎を通り過ぎた所にもう一つの車止めがあります。
これは現駅舎が開業する前の稚内駅の線路終点です。
つまり宗谷本線は稚内駅の駅舎が現在のものになったことによって、100mほど短くなったということができます。
そして線路跡はさらに北へ続き、駐車場の手前の道路と交差するあたりで果てます。
これは、稚内とサハリン(大泊)とを結ぶ稚泊航路の桟橋に向かう線路跡です。
かつては稚内桟橋駅があって、鉄道と船が連絡していた時代がありました。
ちなみに駅が開業した1922年当時(宗谷本線ではなく、既に廃止された天北線として)の「稚内駅」は現在の南稚内駅でした。
その後1928年に、稚内駅から稚内港駅(これが現在の稚内駅)までが開通します。
そして1938年には、稚泊航路の発着港近くの稚内桟橋駅が設けられます。
この辺りのいきさつは、西の長崎に似ています。
昔の「長崎駅」は今の長崎駅の一つ前の浦上駅で、築港工事の進捗に伴い、長崎駅は現在の場所に移ります。
その後1930年には長崎からの上海航路の利用客用に長崎港駅が開業しています。
芸術的な北防波堤ドーム
サハリン行きの船が発着した旧稚内桟橋駅には、壮麗な「北防波堤ドーム」があります。
アーチ形の曲線美を持つ、まるで古代ギリシャの建物のようです。
稚内駅から歩いて5分弱のところにあります。
1930年代に建設されたこの美しい構造物は、稚内港の防波堤としても機能していますが、鉄道から船へ乗り換える乗客のためのプロムナードとしての役割も担っていました。
ドームの近くに稚泊航路記念碑と蒸気機関車の動輪があるそうですが、私が訪れた時はあいにく近くが工事中で、それらを見ることはできませんでした。
サハリン、果てはヨーロッパへの玄関口になれるか?
列車本数が少なく、ホームもたったの1面1線の寂しい駅ですが、それでも稚内駅では日本最北端としての旅情を感じることはできます。
ロシアではサハリンと稚内を結ぶトンネルを建設する構想があると言われています。
またサハリンとロシア本土を結ぶ路線も計画中のようです。
政治・経済・安全保障面も含めた実現可能性はともかく、仮にこの構想が現実となれば、稚内駅は廃止候補駅から、日本とロシア・ヨーロッパの国際中継駅へと変貌することになります。
そしてその暁にはロシアの寝台列車が、日本人に夜行列車の素晴らしさをもう一度思い出させてくれることでしょう。
存廃問題に揺れながらも新しくなった稚内駅と、人々をサハリンに送り出してきた防波堤ドームも、そんな夢を密かに見ているのかもしれません。