【車無しも可】旧国鉄広尾線の幸福駅と愛国駅を帯広駅から十勝バスで訪問する

北海道の駅

1970年代前半、地元の人しか知らなさそうな何の変哲もない北海道の赤字線が、突然全国的に注目を浴びました。
帯広から十勝平野を南下する国鉄広尾線には幸福駅があり、NHKの紀行番組で取り上げられたことによって一躍有名となったのです。
その後、沿線では2つ帯広寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福行き」という縁起の良い2駅を結ぶ切符を販売して広尾線の経営改善を図ったのでした。
キャッチフレーズは「愛の国から幸福へ」。

1987年に広尾線は廃線となりますが、両駅は今でも観光地となっており、車が無くてもバスでアクセスすることが可能です。
2022年7月、帯広駅を拠点に広尾線の代替バスで幸福駅、次いで愛国駅を訪れました。

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十勝バス広尾線

旧国鉄広尾線のルートには現在十勝バスの広尾線が運行されています。
駅の北側にある帯広駅バスターミナルからの所要時間は「愛国」(駅最寄りのバス停は隣の「愛国入口」ではない)までが35分、「幸福」までが50分です。
廃止された路線の代替バスにしては本数は多く、日中は1時間毎、それ以外の時間帯も2時間に1本くらいの頻度で運転されています。
土日祝日はもう少し便数が減ります。
ちなみに札幌駅から帯広駅までは特急列車で2時間半程度です。

幸福駅と愛国駅の間には、やはり縁起の良い大正という駅がありました。
愛国から幸福にかけては、途中「大正〇〇号」という停留所が延々と続きます。
周りの風景もひたすら十勝平野のジャガイモや甜菜てんさい(ビート)の畑です。
広大な景色といい、大雑把な地名の付け方といい、いかにも北海道らしい眺めです。

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縁起切符を売っている幸福駅

幸福駅はバス停「幸福」から徒歩5分のところにあります。
見渡す限りの畑を歩いていると、遠くからよく目立つタラコ色のディーゼルカーが見えてきました。
入り口には駐車場やハートマークのモニュメントが整備されています。

幸福駅のシンボルは小さな木造駅舎です。
ここを訪れた人が、近くで売られている幸福行きの切符を駅舎内部に貼り付けていて、内装がどうなっているのか分かりません。
幸福駅が実際に駅として存在したのは僅か30年程度ですが、まるで相当な歴史の重みを背負っているかのようです。

記念切符の他に個人の名刺も多い

周辺にはお土産屋があり、駅名にあやかった色々な商品が販売されています。
廃止された駅というよりは、神社の境内のような雰囲気です。
日曜日の朝早くにもかかわらず、続々と人がやって来ます。
衣装のレンタルも受け付けているようで、中年の夫婦が白い正装姿で駅を背景に写真を撮っていました。
私はといえば朝から何も食べていませんでしたが、テイクアウト方式のカフェもあったので助かりました。

線路とホームそして国鉄時代のディーゼルカーが保存されています。
ホームといっても簡素なもので、幸福という駅名がなければ誰も見向きもしない駅だったと思われます。
ディーゼルカーは車内にも入ることができます。
ボックスシートに木張りの床、扇風機が遠い昔の現役時代を蘇らせます。

車内で飲食可能とのことだったので、カフェで購入したチーズトーストとコーヒーで朝食です。
古い車両の内装は所々剥がれ、お世辞にも清潔な環境とは言えませんが、頭の中でエンジン音を奏でながら窓の外の景色を流します。

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交通記念館になっている愛国駅

続いて愛国駅を訪れます。
「愛国」のバス停から数分も歩かない所に、幸福駅よりは近代的なオレンジ色の駅舎が見えてきます。
ここは駅舎が交通記念館になっており、保存されたホームには蒸気機関車が停車しています。
畑の中にある商売っ気たっぷりな幸福駅とは対照的に、愛国駅は集落に囲まれた静かな駅です。
なお、駅前には売店もありましたが、7月の日曜日でも閉まっていました。
その横には荒れ果てた車掌車が放置されていました。

記念館内部は広尾線についての解説や、国鉄時代の備品や写真が展示されています。
今は廃線となった広尾線の建設にかけた、当時の人々の思いにも触れることができます。
なお、現役時代の配線図を見ると行き違いができる駅だったようです。

駅の周りは公園として整備されており、ブームの火付けとなった「愛国→幸福」の切符の石碑があります。
なお当時から使われているキャッチフレーズは「愛の国から幸福へ」ですが、戦前もしくは第一次安倍政権だったら「の」が抜けていたかもしれません。

車で来たカップルや家族がこの石碑の前で写真を撮って帰っていきます。
私も2つの組から写真撮影を依頼されました。

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いじらしい広尾線

また広尾線には他にもめでたい駅名があり、新生しんせいから大樹たいきへの乗車券も沿線で販売されていたそうです。
しかし、切符の売り上げは上々だったにもかかわらず、駅を訪れる観光客は自家用車を利用したため、広尾線の輸送量は大きく改善しませんでした。

全線開通から廃止まで55年足らずの短い生涯の中で、なりふり構わぬ商売で赤字解消を試みた広尾線。
そのいじらしさは、縁起を担いで幸福駅や愛国駅の写真を撮る我々訪問客にも通じるものがあります。

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