昔の雰囲気を残す下関駅
長いホーム
下関駅に降り立ってまず感じるのは、気の遠くなりそうなホームの長さでしょう。
比較的長い山陽本線の列車でもだいたい4両編成くらいですが、15両の長大編成の列車も十分停まれるほどの長さです。
山陽新幹線が全通する以前は東京や大阪から多数の九州行きの列車が運行されていました。
例えば1972年3月(山陽新幹線が岡山まで開業した時)の時刻表を見ると、寝台特急だけで18本の列車がここ下関駅を発着、あるいは通過していきました。
また関門トンネルに入るために機関車の交換が行われたのもこの駅です。
ホームの九州寄りの端の方は(今はあるか分かりませんが)喫煙スペースの奥は特に人が立ち寄ることもなく、まるでかつて使われていた倉庫かなんかの廃屋にいる気分です。
夕方ラッシュの時間帯だが、こちらのホーム先端部分は人の気配がしない。
山陽本線・山陰本線・九州各線の結節点
山陽本線は神戸~門司までなので、戸籍上では下関駅は山陽本線の途中駅に過ぎませんが、ここが会社の境界駅となっています。
神戸駅からずっとJR西日本管内ですが、下関駅から九州に渡った門司駅までの1区間だけはJR九州の線路です。
また、一つ東の幡生駅で山陰本線が合流しますが、列車は全て下関駅を発着します。
そのため下関駅は事実上、山陽本線・山陰本線、そして鹿児島・日豊など九州各線の結節点として機能しています。
このあたりは青森駅と似たようなロマンがあります。
私は学生時代に山陰本線を全線走破した後、深夜の下関駅から寝台特急「あかつき」の座席車(レガートシート)に乗車したことがあります。
ホームで待っていても広い駅には誰もおらず不気味でしたが、たまたま通りかかった駅員さんが「ご苦労様です」と声を掛けてくれて心強かったのを覚えています。
旧下関駅は別の場所にあった
関門トンネル開通による下関駅の移設
現在は高架式で通過できる構造になっている下関駅ですが、関門トンネル開通以前は今とは離れた位置にありました。
大宮の鉄道博物館の歴史ステーションに良い資料があったので、こちらを紹介します。
「下関」は旧駅を示している。
比較検討の結果、現在線は「A線」が採用された。
上の写真で示される「門司」は現在の門司港駅、「大里」が門司駅です。
旧下関駅は鹿児島本線へと結ぶには逆方向を向いていたので、スムーズに関門トンネルに進入できる現在の場所に移設された経緯があります。
関門トンネルは戦時中に北九州と本州への貨物輸送を増強するべく、突貫工事で1942年に完成しました。
写真の図では分かりづらいですが、下関から埋め立て地を通って彦島に渡り、そこからトンネルに潜ります。
旧駅跡に行く
旧下関駅は現存していませんが、それを示すモニュメントはあります。
旧駅のあった場所に行ってみましょう。
現在の駅から唐戸市場方面へと延びる一番大きな通り、国道9号線に沿って歩きます。
つまり観光地エリアへと同じ方面です。
「生涯学習プラザ」を右手に歩き、次の交差点を右折します。
左手に警察署が見えてきますが、1つ目の信号のある交差点付近が旧駅の場所です。
また2010年頃までは、旧駅から船で九州や朝鮮半島・大陸へ渡る人が宿泊していた「山陽ホテル」の建物がありましたが、現在は解体され駐車場になっています。
慎ましくも優美なデザインを窺わせる。
旧駅周辺は開発が進んでおり、緩やかにカーブする道路に旧線の面影がかろうじて感じられるに過ぎません。
正面の先が旧下関駅。
しかし、駅があった一帯には故人の詩が彫られた記念碑がいくつか置かれています。
船の情景が詠まれているものが多いです。
港を目の前にしてこれらを辿っていると、遠い昔の旅情が蘇ってくるような、道行文の旅行者になった気分になれます。
九州そして大陸への玄関口
1930年代の東京駅で出発を待つ特別急行列車「富士」。
「下関行」の表示が見える。
下関駅が我々に呼び覚ますノスタルジーは、1960年代~70年代前半のブルートレイン全盛期にとどまりません。
戦前の鉄道黄金時代と呼ばれる1930年代、旧下関駅から人々は船に乗って朝鮮半島へ渡り、そこからさらに中国そしてヨーロッパへと向かっていったのでした。
線路の結節点かつ海峡の駅である青森駅と、異国への船旅へと誘った稚内駅の両方の魅力を味わうことができるのが新旧下関駅です。