長崎本線の終着駅は長崎駅ですが、かつてはさらにその先まで線路が続いていたのをご存じでしょうか?
戦前の1930年、当時増加していた長崎~上海間航路の利用客のために、長崎駅から1キロ程度線路を延長して設けられたのが長崎港駅(ながさきみなと)です。
現在この路線は遊歩道になっているので辿ってみました。
なお、長崎本線については
異国情緒の街に誘う長崎本線の旅【車窓・駅弁・見所】
を参照してください。
長崎港駅への廃線跡の場所
遊歩道の入り口
まずは、かつて線路は長崎駅から基本的に真っすぐ伸びていたことを念頭に置きましょう。
今では長崎駅は頭端式で正面には大きな商業施設が建っているので、左に迂回して進んでいきます。
「ホテルニュー長崎」を右手に見ながら歩いて、交差点を右折すると「元船遊歩道」という看板があります。
この「元船遊歩道」が今回辿ろうとしている廃線跡です。
遊歩道を直進する
遊歩道の入り口を見つけてしまえば、後はもう迷いません。
途中で何度か道路に遮られますが、細い道を直進するだけです。
周りは普通に人々が生活する住宅地で、鉄道路線であったことを思わせる設備は残っていませんが、枕木で作った標識がありました。
車輪が見えたらゴール
そのまま進んでいくと川越しに機関車の車輪のモニュメントが見えてきます。このあたりがかつて長崎港駅があった場所です。
何も知らずに歩くと、ここに来て初めて遊歩道が廃線跡だったことが分かります。
大きな車輪には「昭和19年」の文字が刻まれ、レールや枕木もおそらく当時使われていたものでしょう。
傍らには説明があり、現役時代の貴重な写真と共に、長崎港駅が日本の近代化・国際化のために果たした意義が語られています。
長崎観光の合間に散策できる
上海航路の長崎港があった場所は、現在はウォーターフロントとして整備されており、近くには出島もあります。
また遊歩道と平行する少し離れた道路には、路面電車も走っています。
観光のちょっとした合間に訪れると、歴史ある国際都市長崎への思い入れも深まるのではないでしょうか。
まとめ
関門トンネル開業前は、長崎港駅から門司港駅までの急行列車が上海航路と連絡し、関門海峡を渡った後は花形列車である特急「富士」に乗り継ぐことができました。
そして関門トンネル開通後は、その特急「富士」が長崎港駅まで直接乗り入れ、東洋随一の国際都市であった上海、さらにはヨーロッパへと人々を送り出していきました。
上海航路は戦況の悪化によって廃止されますが、外国の文化文明を日本にもたらした長崎港駅の役割は計り知れないものがあります。
その割には遊歩道もモニュメントも、あまり目立たずにひっそりと存在しています。
しかし、古びた車輪もレールも、下手なインスタ映えスポットにされるより、かつて活躍したこの場所で落ち着いているようにも感じます。
長崎そして日本の発展を支えた長崎港駅とその線路は、現在の長崎新幹線を巡るゴタゴタ劇をどのように見ているのでしょうか。