一部廃線で生まれ変わった通勤路線、筑肥線快速列車の乗車記【博多から唐津経由で伊万里へ】

ローカル線

筑肥線は九州の北西部の路線で、福岡市営地下鉄の終点の姪浜めいのはま~唐津(佐賀県)、及び山本~伊万里までの2つの区間から成ります。
唐津~山本の短い区間は唐津線ですが、簡便のため本記事では姪浜~伊万里を筑肥線として扱います。
また、博多~姪浜の地下鉄とも直通運転されているので、実質的には博多~唐津~伊万里を結ぶ路線だとイメージしてよいでしょう。

青線が筑肥線、赤線が姪浜までの福岡市営地下鉄。
国土地理院の地図を加工して利用。

筑肥線は運転系統・沿線イメージから、

  1. 通勤電車が市街地を抜けて玄界灘沿いの海岸を走る、(博多~)姪浜~唐津
  2. ディーゼルカーが走る地味なローカル線、唐津~伊万里

という正反対な2つの区間に分けることができます。
2021年12月初旬、博多駅から伊万里駅まで筑肥線に乗車しました。

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博多~唐津

103系快速はトイレ付

博多から途中の筑前前原ちくぜんまえばるまでは多くの列車が直通しており、大抵の場合は筑前前原で乗り換えになりますが、接続する唐津行きも1時間に2本くらいの本数があります。
博多から唐津までの所要時間は約1時間半です。
また筑前前原~唐津で快速運転する列車も僅かにありますが、それほど時間は変わりません。

私が見た印象では地下鉄から直通してくる列車は、その大半が福岡市営地下鉄の車両でした。
たまにJR九州の車両も地下鉄線内を走っていますが、それらにはトイレが付いてきます。
筑前前原からはJRの車両ばかりになるので、どの列車も先頭車両(唐津方面行)にトイレがあります。
なお、筑前前原以西で使われるのは1980年代前半に製造された103系という車両です。
JR九州お得意の厚化粧で年齢を誤魔化していますが、乗って走り出すと相当年季が入っていることが分かります。

筑前前原駅にて103系

乗車記:住宅街を過ぎると博多湾の景色に迎えられる

地下鉄の博多駅を出発したのは朝7時過ぎ。
姪浜までの地下鉄の切符と、事前に用意しておいた姪浜~伊万里のJR切符を手に、筑肥線の旅を始めます。
平日でしたがピーク時にしては朝早く、博多行きとは方向が逆なので、地下鉄の車内はそれほど混んでいませんでした。

地下鉄の終着姪浜駅めいのはまの手前で地上に顔を出します。
辺りは住宅街です。

なお、筑肥線はもともとは博多発着の路線でしたが、沿線の都市化が進み通勤輸送に対応できなくなったため、1983年の福岡市営地下鉄開業に合わせて博多~姪浜を廃止し、同区間で直通運転をするという現在の運行形態が出来上がりました。
同時に姪浜~西唐津を電化、姪浜~筑前前原は複線化が行われました。

筑肥線の線路になって程なくして、右手に博多湾が現れます。
地上から市街地に顔を出したばかりですが、早速海と砂浜が迎えてくれるとは気の利いた景色です。
目の前の能古島のこのしまは元寇の際に元軍に占領された島で、その向こうには金印で知られる志賀島しかのしまが浮かんでいます。
12月の九州の日の出は遅く、7時半を過ぎてようやく東の空が薄ぼんやりと輝き始めました。

今宿駅で海沿いはいったん終わり、しばらく糸島半島の付け根を走ります。
古代の魏志倭人伝に伝わる「伊都国いとこく」があったのも、この一帯だとされています。
やがて筑前前原駅ちくぜんまえばるに到着。九州の地名では「原」の字を「はる」と読ませるものが多いです。
向かい側に停車中の快速唐津行きに乗り換えです。

博多を発って以来、初めて広い平野に出ます。
古代国家の人々も、ここで稲作をしていたのでしょうか?

筑前深江駅を過ぎるとまた海岸線沿いを走ります。
あいにく分厚い雲が垂れ下がっています。
九州=南国というイメージがありますが、北九州は日本海側の地域で、特に冬は南国というよりは山陰の続きだと思わせる気候です。

鹿家駅しかか~浜崎駅の間に福岡県と佐賀県の県境があります。
この区間では進路を南から西へと変えるため、大きく90度右にカーブします。
そのため右手前方に延びる有名な虹ノ松原を見渡すことができます。
個人的にはここが筑肥線の車窓のハイライトだと思います。

その後松原沿いに線路が敷かれていますが、近すぎて松の木が沢山生えているようにしか感じられません。
仕方なく左手を眺めると、万葉集で山上憶良に詠まれた「松浦まつら佐用姫伝説」でも知られる、台形をした鏡山が見えます。

虹ノ松原が途切れると東唐津駅に到着です。
筑肥線が電化される前は、この先松浦川を渡らずに南下し、唐津線と山本駅で接続して伊万里方面へ向かっていました。
電化を機に、橋を架けて市内中心部の唐津駅まで行き、唐津線の唐津~山本を借りて、そこから伊万里へという現在の形になっています。

1983年以前と以後の筑肥線概略図。
赤線が筑肥線、青線が唐津線。

東唐津駅を出てすぐに渡る松浦川の河口部は、まるで湖のように広々としています。
右手遠方に唐津城がそびえています。

唐津駅に到着しました。
観光してみたい場所ではあるものの、あいにく乗り換え時間は3分しかありません。

九州における直流電化の孤島

ところで、九州の電化区間は基本的に交流電化になっています。
大まかに電化方式には直流と交流の2種類があり、後者は戦後しばらく経ってから実用化された新しいタイプで、後進地域と見なされ遅れて電化された九州・東北・北海道ではこちらが採用されています。

そんな中で、筑肥線は地下鉄と直通運転する関係で直流電化が行われました。
そのため筑肥線は他のJR九州の路線とは異なる車両が走っているのです。
似た境遇の線区として、私鉄だったものが戦時中に買収・国営化された東北の仙石線(あおば通~仙台~石巻)が挙げられます。

JR東日本管内の仙石線では首都圏の中古が使われているのに対して、JR九州のお膝元である福岡では筑肥線だけのために新型車両が何種類か製造されています。

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唐津~伊万里

キハ125形1両でも本数は少ない

通勤路線の雰囲気が強かった唐津以東とは対照的に、唐津から先の筑肥線は非電化で本数も数時間に1本と、完全にローカル線のダイヤになります。
唐津~伊万里の所要時間は1時間弱です。

車両はキハ125形という、九州の非電化区間でも輸送量が小さい列車に使われる1両のディーゼルカーです。
そんな慎ましい役割の車両ですが、黄色く塗りつぶした外見だけはよく目立ちます。

唐津駅にてキハ125形

乗車記:唐津城を後にして山間部を行く

唐津行きの電車から伊万里行きに乗り換えた客は極僅かでした。
今まで来たのとは反対側に向けて出発しました。
唐津線と分かれる山本駅は意外と大きな駅でした。

しばらく唐津線と並走するので複線のように思えますが、やがて唐津線から離れて乗り越し、山間部へと入っていきます。

通路を隔てたボックス席で年配の男性二人が、穏やかそうな顔にしては強い語調で「~よか。」「~ばってん」と話しています。
どんなローカルトークが聞けるのかと思ったら、全国区のテレビ局が夜8時にBSでやりそうな、日米中を巡る安全保障の議論でした。
列車は松浦川に沿って走ります。

途中景色が大きく変わることも、大きな駅があって乗客が入れ替わることもなく、単調に伊万里を目指していきます。
この辺りは昔石炭で賑わっていたらしいのですが、今ではその面影すら残っていません。

やがてマンションなどが現れると終着伊万里駅に到着。
筑肥線の駅は行き止まりの単式ホームです。

この駅には元国鉄の松浦鉄道(有田~伊万里~平戸口~佐世保)も乗り入れており、以前は駅舎を共有していましたが、現在では線路は途切れて別々の駅舎を使用しています。

2つの伊万里駅。
道路を挟んで奥がJR筑肥線、手前が松浦鉄道の駅。

何かを見るには短すぎ、何もしないには長すぎる30分の後、松浦鉄道に乗り換えて九州北西部の海岸沿いの旅の続きとなります。

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歴史薫る通勤路線

地下鉄の西新駅から徒歩10分の所にある元寇防塁跡。
同じような史跡が沿線には複数ある。

今の我々の文化・文明の基盤となった稲作を始め、大陸から様々な文物を取り入れてきた日本において、博多はアジアとの玄関口として古代から現代に至るまで発展してきました。
通勤路線でありながら沿線に数多くの史跡を抱える筑肥線は、そんな豊かな歴史文化と活力を持つこの地域を体現した存在です。

数千年にも及ぶ外国との交流に思いを馳せながらロングシートの通勤電車に揺られるのも、歴史のロマンを感じる旅になることでしょう。

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