西九州新幹線「かもめ」、N700Sとその時代【普通車の車内や座席など】

新幹線車両
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新幹線に昇級した「かもめ」

フリーゲージトレインを断念し通常の新幹線建設へ

2011年に九州新幹線(博多~鹿児島中央)が全線開業し、本格的な新幹線時代を迎えた九州。
しかし、この歴史文化豊かな島にはもう1本の新幹線計画がありました。
九州新幹線の新鳥栖駅から長崎に至る、西九州新幹線です。

青線が「リレーかもめ」、赤線が「かもめ」の運転区間
国土地理院の地図を加工して利用

当初の予定では、時間短縮効果の大きい武雄温泉駅~長崎駅が先に建設され、線路幅が異なる在来線区間との間にフリーゲージトレインを開発して走らせることになっていました。
しかし技術上の問題及びコストの観点から、フリーゲージトレインの導入は断念されます。
結局、博多駅~武雄温泉駅に特急「リレーかもめ」、武雄温泉駅~長崎駅に新幹線「かもめ」を走らせ、武雄温泉駅で両列車の対面での乗り換えを実施する案が採用されました。

武雄温泉駅で並んだ「リレーかもめ」(左)と「かもめ」(右)

残りの新鳥栖駅~武雄温泉駅も建設を進めたいところですが、費用負担の割にはメリットが少ないとして佐賀県が反対しており、未だに着工には至っていません。

なお、毎度お馴染みの並行在来線問題ですが、今回は特急が走らなくなる長崎本線は第三セクター化されず、自治体の設立した事業者が線路を管理してJRが引き続き列車を運行する「上下分離方式」となりました。
第三セクターを受け入れたり、ミニ新幹線で誤魔化された従順な東北地方とは対照的に、さすがは西南雄藩の一角として末期の江戸幕府と渡り合った肥前だけあります。

最新型N700Sをアレンジした車両

2022年9月、西九州新幹線は武雄温泉駅~長崎駅で、とりあえずの暫定開業にこぎつけました。
新しい新幹線を走る車両は、その2年前に登場した東海道新幹線の最新型N700Sです。
しかし既存のN700Sといっても、需要に合わせてグリーン車無しの6両編成となり、外観と内装も大幅に変更されています。

「かもめ」用のN700Sは、白い車体にJR九州のコーポレートカラーである赤のラインと、至る所にロゴマークや「かもめ」の文字をほどこし、きつめの黒いアイシャドウを塗るという、何とも出しゃばりな厚化粧でデビューを果たしました。
あの真面目そうな東海道新幹線の制服姿とは全く別人の印象です。
内装については次章で紹介します。

最高速度は最近開業した新幹線の例によって260㎞。
武雄温泉駅~長崎駅の距離は僅か65㎞程度ということもあり、所要時間は最短で23分、各停タイプでも30分程度しかありません。
おそらくこの車両は客を乗せている時間よりも、準備のためにメイクをしている時間の方が長いでしょう。

長崎駅に停車するN700S「かもめ」
せっかくオシャレをしているのに、顔に鳥の糞が付着しているのが気の毒だった
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「かもめ」用N700Sの車内

西九州新幹線用の編成にはグリーン車が無く、普通車も自由席と指定席で座席が異なります。

普通車自由席の車内と座席

西九州新幹線「かもめ」の自由席の車内
自由席の車内

自由席は通常通りの2&3列の座席配置です。
床が特徴あるデザインですが、全体的には東海道新幹線の編成を思わせる、落ち着いた感じの内装になっています。

座席も同じタイプで、色は青から黄色に変わっています。
もちろん全座席にコンセントが設置されています。

西九州新幹線「かもめ」の自由席の座席
自由席の座席

普通車指定席の車内と座席

西九州新幹線「かもめ」の指定席の車内
指定席の車内

西九州新幹線車両の個性が滲み出ているのが指定席です。
こちらは2&2列の座席配置で、柄も和風要素の強いものになっています。
また、車両ごとに色が異なるらしいです。
床の文様もより目立ちます。

西九州新幹線「かもめ」の指定席の座席
指定席の座席

4列座席なのでゆったりしているように思われるかもしれませんが、実際に座って見るとそこまで快適でもありません。
この辺りはJR九州の悪い因習で、「乗客よりもデザイナーファースト」指向が感じられます。

個性あるデザインは初代九州新幹線車両の800系とも共通していますが、N700Sは800系ほど純和風ではありません。
長崎を意識したのかは知りませんが、和洋折衷のインテリアに仕上がっています。

デッキはシンプル

デッキは九州の車両にしてはかなりシンプルです。
所々にカラフルなアクセントが施されています。
明るさを表現する技法としては、このくらいが上品だと思います。

また、沿線の特産品などのPRコーナーもあります。
まあ気持ちは分かるのですが、こちらはやや露骨に過ぎる気がしないでもありません。

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長崎の100年ぶりのチャンス

長崎の盛り上がりをいかに波及できるか。

1920年代に長崎・上海航路が開設されました。
その頃の上海は欧米列強の疎開として、各国の進んだ文化文明を享受し、「東洋のパリ」と呼ばれていました。
そんな上海まで旅券不要で、しかも当時の鉄道利用の東京よりも短い時間で行ける長崎も黄金時代を迎えることとなりました。

西九州新幹線開通は長崎にとって100年ぶりのチャンスです。
この長崎の興奮を佐賀県など他の地域に波及させていくことが、「かもめ」に課せられた最初の困難な役割でしょう。


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