日本の大動脈である東海道新幹線。
その車両の変遷は、その時々の社会背景を映し出しています。
そこで、私が進行役の議長を務め、歴代の車両たちに自身の活躍した時代を語ってもらい、東海道新幹線から見た日本の戦後を辿ります。
各車両自己紹介
2020年8月某日。東京駅にて。
議長:本日は暑い中お集まりいただきありがとうございます。
それにしても、皆さん堂々の16両編成でお越しですか。さすがは東海道新幹線ですな。
さてご存じの通り、本日の議題は「東海道新幹線のあゆみ」であります。ご自身の生い立ちやエピソードなどを自由に発言していただければと思います。
まずはN700Sさん、この度はデビューおめでとうございます。
N700S:ありがとうございます。
僕は先輩のN700Aさん以来、13年ぶりのフルモデルチェンジ車両なんです。乗り心地もとても良くなっているんですよ。
議長:私もこの前乗りましたけど、確かにインテリアや座席が改善されていましたね。
しかし、あまり元気がないようですが?
N700S:そりゃあ、せっかく僕がデビューしたというのに、世は新型コロナウイルスの感染拡大でそれどころじゃないですからね。一番列車だって事前周知されずに朝6時発の「のぞみ1号」で出発したわけですけど、あれじゃ早朝にこっそり東京から逃げていったみたいじゃないですか。
そんな訳でオリンピックも延期です(まだ中止にじゃないですよね?)。去年試運転している頃には、「東京オリンピックの年に営業運転を開始した新幹線」という肩書で、0系爺様と並び称されるのが楽しみだったんですが…
N700A:実際、去年と比べて相当乗客が減りましたよ。本当にN700S君は気の毒ですね。ところで700系さん、最近見ませんけど?
700系:それが、今年の3月に東海道からひっそり引退したのです。臨時列車とかで細々働きつつ、「最後くらいは注目を浴びたい」と思っていたものでしたが。不可抗力でどうしようもないとはいえ、N700Sさんのお気持ちは私にも分かります。
議長:全くですな。
それでは残りの方々にもお一人ずつ簡単にプロフィールを話していただきましょうか。まずは0系さんから順にお願いします。
0系:皆が知っての通り、東海道新幹線が開業した1964年にワシも世界初の高速鉄道として営業運転を開始した。あの頃は高度経済成長期でな。最初は「ひかり」と「こだま」が1時間毎に走るダイヤだったが、日本国民の所得も人口も増えて、乗客も伸びていった。そして1970年の大阪万博もあって、その後も旅行誘致に励んだ結果、最初の10年は右肩上がりだったのだ。
幸いそんな活気ある時代の象徴として、そして1950年代以降世界で広まっていた鉄道斜陽論を覆した存在として、ワシのことを紹介してくれることも多いらしい。名誉なことだな。
100系:私は1985年に0系さんの後継車として登場しました。
先ほどのお話にもありました通り、社会が変化し豊かになった結果、新幹線のアコモデーション改善というのが私の命題でした。通勤特急化した近頃の若い車両にはよく聞いて欲しいのですが、ご覧の通り私は2階建て車両を連結して食堂車や個室まであったのですよ。やはり所要時間短縮だけでなく、移動にもそうした付加価値が必要ではないでしょうか?
300系:失礼ですが。100系さんが先ほど目を細めながら(え?ああ、もともと目が細いのでしたね。ごめんなさい。)「付加価値」と表現されたもの。いずれも高速・大量・安定輸送の障害となるものばかりです。
私は1992年に「のぞみ」として誕生し、最高速度270㎞を実現しました。その結果、東京と新大阪が2時間半にまで短縮されたわけですね。これが近代化・進歩というものです。なのに100系さんときたら、20年も新しいくせに0系さんとほぼ速さが変わらないじゃありませんか。旅情云々など新幹線ではなくローカル線でやっていただきたい。
100系:私は300系殿の浅はかな啓蒙思想には与しません。貴方は人を運んでおきながら「人間性」というものを全く理解していない。つまり…
700系:議長!この議論の中断を提案します。お二方の言い分はどちらも正しいが、これではキリがない。
議長:うむ。西欧思想史の論争はやめましょう。お待たせしました。500系さんどうぞ。
500系:どうも。500系です。ここにおるのは皆JR東海の車両やけど、私はJR西日本の者なんです。
何といっても私は日本で最初に300㎞の営業運転を開始した車両ですわ。その頃、自己紹介文に先っぽがカワセミやらパンタグラフがフクロウやら書かせてもろたけど、目論見通りそれがえらい話題になったもんや。それまでにない戦闘機のキャノピー型の運転台に長ーい鼻の新幹線ということで、今でも私の人気は衰えてまへんで。
700系:私が登場したのは1999年。
300系さんや500系さんのデビューされた1990年代というのは、つまるところ高速化が第一命題でした。しかし私の設計思想は高速性能と快適性・環境への配慮をも両立することでした。ということもあり、カモノハシのような顔立ちになりましたし、エチケットとして騒音が発生する足回りの部分はカバーしてるんですよ。あと、最高速度は300系さんより少し早い285㎞でして、高速性能を求めるJR西日本の顔もたてておきました。
N700A:N700Aです。2007年に当時はN700系として営業運転を開始しました。現在の私の活躍ぶりについては今更説明するまでもない故に割愛します。
300系さん以来、東海道新幹線の最高速度は270㎞となりましたが、一番最初の高速鉄道ということでカーブが多く、実際は270㎞を出せる区間は半分以下だったのです。
そこで私は、乗客が気づかない程度に車体を傾けてカーブでも減速せず走れるようにしたのです。今の私の地位はそうした努力の賜物です。
東海道新幹線は殿様商売?
議長:ありがとうございました。
それにしても、初代0系さんと次の100系さんの間が21年ですか。
0系:そろそろいい年になってきた1970年代後半から1980年代前半は国鉄の財政やら労使関係が悪化していてな。それまで増え続けてきた乗客も減り、後継車の開発どころでなかったので1980年代半ばまでワシが増備された。
あれだけ変化の激しい時代に、新幹線車両がこのままで良いのかという葛藤はあったんだが。社会はオイルショックの影響で経済成長が鈍化していたが、国鉄にとっては飛行機や車の台頭でなおさら厳しい時期だったのだ。
N700A:私もデビューしたてのころ、大変光栄なことに引退直前の0系さんとご一緒させていただいた時期がありました。随分長い現役時代でしたね。
0系:2008年だったか。どうも引退が遅すぎた気もするが、あの時は本当に皆がワシを惜しんでくれた。最後の数カ月は行く先々でフラッシュを浴びていたような気がする。
議長:実は私もあの11月、新大阪から広島まで0系「こだま」に乗ったんですよ。
早朝のこだまなのに指定席は満席で、早めに自由席に並んでたらホームには凄い人でしたね。近くの席に鉄道好きな父親と10歳くらいの息子がいたのですが、父の方がビール片手に「夢の超特急や!」と言って、子供の何倍も嬉しそうにしていたんです。二人は次の新神戸で降りていきました。
話がやや逸れましたが、国鉄を取り巻く環境が厳しい頃に船出したのが100系さんなのですね。
100系:そうなんです。ただ、その後は国鉄民営化や景気拡大がありまして、また客足が戻り始めました。
何しろあの頃はバブル景気と呼ばれた頃でしてなぁ。特に日曜日の夜9時の東京駅なんかは、着飾ったカップルが「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」なんて言いながら別れを惜しんでいたのです。高貴な淑女のような身なりをしたあどけない娘が駅やホームで彼を探す光景なんかは、携帯電話がない時代ならではの恋模様でした。皆さんも私が出演している昔のCMでご存じでしょう?実に良い時代でしたなぁ。
300系:相変わらず100系さんは幸せですねぇ。私の活躍した頃はバブルどころか不景気で、航空業界の自由化が進んで競争が激化していたのです。だから私は必死にダイエットして筋肉質な体をつくったのです。一時はホームにいる乗客からブーイングを浴びながら名古屋駅を通過してまで、速達性を確保していたんですから。
議長:ところで、航空機との競争でスピードアップは分かりますが、価格面での対抗はどうです?今では飛行機はLCCならかなり安いですし、他の新幹線と比べても東海道さんはちょっと割引が使いづらい気がするのですが?
300系:お答えしましょう。価格は需要と供給のバランスで決まる。大都市を沿線に多数抱える東海道新幹線は、よそでやってる安売りをする必要はない。
議長は経済学部卒業のくせに、そんな基本的な市場原理もご存じないのですか?
議長:それはもちろん知っていますが…
700系:私も基本的な立場は300系さんと同じです。もっとも列車や時間帯によっては過剰供給になることもありますから、そのあたりをもっと柔軟にと議長は言いたいのでしょう。例えば有料会員用の「EX早得21」や「ぷらっとこだま」なんかはその解決策ですね。それに予約方法もネットの割合が増えたり、情報処理能力が上がればより自由度の高い価格設定にする余地は生まれるでしょうが。
0系:ワシが当初から築き上げてきた信頼性・ブランド力もある。今では285㎞で走っても平均の遅延時間は1分未満で3分毎に列車が来る。それに56年間で死亡事故は0件という輝かしい成果だ。
議長:なるほど。確かに本数の多さは東海道ならではですけど、他のブランド力に関しては山陽や東北さんでも当てはまりませんか?
100系:議長は分かっておりませんな。と申しまするも、東海道新幹線の客層は他と比べて観光客よりビジネス客の割合が多いのです。つまり、価格に敏感で景気変動を受けやすい観光客よりも、我々からするといいお客さん(要するに価格弾力性が低い)なのです。
300系:ふむ。100系さんもたまには良いことを言いますね。
100系:まあまあ、300系殿。まだ続きがありましてな。そんな上客がいるのに、JR世代の諸君のような味気ない設備・編成でお迎えするのはけしからん、むしろもっと高級サービスの選択肢を増やせということですよ。
他にもグリーン個室などの設備があった。
議長:お二人は仲が良いのやら悪いのやら…
N700A:世界一ともいわれる著名投資家のウォーレン・バフェットは、取って代わるものが無いビジネスの強みを「Moat(堀)」と表現しています。人によってはそれを「殿様商売」と批判するが、経済・ビジネスを理解していないと自白しているのと同じです。
N700S:すいません。僕はまだ経済とかシジョウとかよく分からないんですけど、コロナ禍で船出したものとしては利益云々よりも、とにかくたくさんの人に乗ってもらいたいです。
一同:切実…
進む車両の画一化
議長:さて、また話の腰を折ってしまいましたが、「のぞみ」が航空機に対抗して東京・新大阪間を2時間半で結んだ、ということでしたね。
700系:「のぞみ」の登場は画期的で、300系さんを以って新幹線車両の第二世代の始まりとする見方が一般的です。
一方、最高速度が一気に50㎞も上がったものですから、乗り心地が悪いと感じた人もいたようです。それで自己紹介で触れた通り、私は環境や快適性にも気を配りました。「大量消費の20世紀から持続可能性の21世紀へ」という時代の要請に対して、新幹線としての回答ができたと思っております。
500系:東京の300系さんや700系さんはそれで満足かもしれへんけど、厄介なことに福岡空港が街中にありましてな。山陽新幹線でもスピードアップしなあかんいうことで、私が300㎞を始めて、新大阪から博多までがなんと2時間17分や。とはいえ、悔しいけど山陽新幹線だけでは需要に限界があるのは事実や。東京からのお客さんも西日本へ運ばなあかんから東海道新幹線にも乗り入れたんやけど、こっちは砂利道で走りにくかったなぁ。
議長:コンクリート軌道の山陽新幹線と比べて、東海道新幹線はカーブがきつくて300㎞は出せませんからね。
500系:それでも我慢してたんやけど、おたくらの会社から「お前は号車ごとの定員が違う」とか「先頭部のドアが無い」とか言われた時はさすがに「アホちゃうか」思いましたよ。東海道新幹線はどうも排他的で、皆同じ白に青のラインが入った制服を着とる。要するに個性があらへん。
N700A:まさにそこなんですよ。500系さんが見下していたはずの700系さんの出世を許した要因は。自由席車両のドアが無いことや定員の相違に関して、貴方は「アホちゃうか」と思ったのかもしれませんが、ここで大切なのは独創的な個性ではなく協調性です。
500系:つまらん官僚主義やな。
ここにおるもんより、田舎者なりに一生懸命に自己主張しとる東北新幹線の連中の方がまだ親しみやすいわ。
0系:あれは1990年頃だったか、東京駅にワシに似た緑色の車両がいてな。その200系とかいうのは開業が遅れた東北・上越新幹線で活躍していたが、騒音の問題でその後もなかなか東京に入れてもらえなかった、という苦労話を当時はまだ東北訛りで話してくれた。ワシが登場した頃は東北本線なんぞようやく盛岡まで複線電化されたところだったから、新幹線が通っていたと聞いて驚いたわい。
0系と違って、都会で華々しく迎え入れられることはなかった。
N700A:今の彼らは生意気ですよ。何にもない田んぼとトンネルだけ走ってるくせに、日本最速だなんて。
N700S:でも、あの秋田美人のE6系さんでしたっけ?この前も東京駅で話しかけてもらって「N700Aさんより鼻筋が立って目の形も綺麗で美男子ですね。」って言ってくれたんですよ!整形して二重になって本当に良かった。その時から東京駅に入線するのが楽しみなんです。
両車の違いはE6系が指摘した通り。
N700A:N700S君、E6系にはE5系というパートナーがいるので、以後無駄な期待をしないように。・・・そんなに落ち込まなくてもよかろう。
300系:しかし東北新幹線と所謂ミニ新幹線の車両はけしからんですな。昼間から福島駅や盛岡駅でしばらく停車して、接吻したり別れたり。
N700S:えっ?主要途中駅なのにそんなことができるんですか?もし僕らが名古屋駅や新大阪駅でロマンチックに分離併合なんてしてたら、すぐ後ろの列車が追い付いてきちゃいますよ。やっぱり東北って田舎なんだなぁ。
100系:N700S青年も物分かりが良くて結構。
彼らからすれば我々も、凡俗なお上りさんや見たいものだけ見て帰っていくおめでたい外国人を喜ばせるために、スカイツリーや富士山を車体に描いたり、デッキを京都のお寺風にすべきなんでしょうな。
700系:まあ、我々と彼らでは求められるものが違いますからね。上も下もありませんよ。
議長:700系さん、微力な私を毎回助けていただきありがとうございます。
皆さん、プライドが高いのは結構ですが、よその方々を見下さないでくださいよ。これは宣伝でもありますが、もうじき第二回の東北・上越・北陸新幹線、その後第三回は山陽・九州新幹線の車両をお招きして座談会をする予定ですから。
500系:待てや。山陽新幹線の回あるんやったら、そっちの方に参加するんやったわ。
議長:もちろんそちらにもお招きしますよ。
山陽新幹線の回では本日いらっしゃる皆さんのご親族、つまり「ウエストひかり」「グランドひかり」「ひかりレールスター」さんなどを招待するつもりです。せっかくなので本日もお付き合いください。
(追記)2020年11月、山陽・九州新幹線の回を開催しました。
N700シリーズ時代
議長:さて、高速安定輸送のために東海道新幹線では車両の画一化が進んで、500系さんがその犠牲者だ、ということになりましょうか。
そしてこれらの要請をより高い次元で実現したのがN700系、現在のN700Aさんですね。
N700A:カーブが多くダイヤも過密であるという東海道新幹線の制約の下で、スピードアップのためにはただ単に足を速くするだけではいけない、と常々考えていました。そのため曲線通過速度を上げた、というのが冒頭申し上げた内容です。
0系:ワシの頃は新幹線も260㎞出せば十分ということでそうなったのだが、全く保守的な見通しだったな。
N700A:それだけでなく、加減速性能も相当向上したのですよ。「こだま」が「のぞみ」の邪魔をしていてはいけませんからね。なんせダイヤが過密で、途中駅に停車しているとホーム向かい側の線路に次の列車がもうやって来るくらいですから。これはもはや在来線の亜幹線どころか都心の通勤路線と同じ発想で、東海道新幹線ならではの制約を克服、否、「問題を解決した」と申し上げてよろしいでしょうか。
300系:(拍手をした後に)これぞ進歩ですな。私が打ち立てた東京~新大阪2時間半の記録を破っていただき光栄です。
N700A:最初の頃の私は今思えばまだ未熟で、N700系と呼ばれていました。それでも同区間の最速列車は2時間25分でした。今は285㎞運転もできるようになって、2時間21分でしたかな。
その間リーマンショックや何とかミクスなど激しい景気の変動がありましたが、私の実力は一時の流行り廃れに左右されない普遍的なものだということが証明されたわけです。
500系:鼻にかけよって。
N700A:いえいえ、貴方様ほど見事な鼻ではありませんよ。
700系:まあまあ。それにして、最初N700と聞いた時、私の手直しをした程度の後輩だと思ったのですが、私のような第二世代からさらに飛躍した、第三世代と言っても良いでしょうね。
議長:そうですね。東海道新幹線はN700AさんとN700Sさん、要するに「N700シリーズ」の天下ですからね。まあこれがN700Aさんのいう「解決」でしょうか。
N700S:でも僕は現状に満足しませんよ。これから山陽新幹線にも進出したいですし(ここで500系が立ち上がるが周りが制止する)、さらには海外にも僕の仲間が走るといいですね。今日は16両で来ましたけど、僕はその時のために編成を柔軟に構成できるんです。
そういえば議長、さっき「自分はロシアからポルトガルまで、ヨーロッパ中の高速列車と面識がある」とか自慢してたじゃないですか?今度国際座談会を開いて僕を日本代表として参加させてくださいよ。
議長:さすがにそれについては即答できかねますな。まあ若い方に野心があるのは結構なことです。
ともかく、現役のお二方には引き続き日本の看板列車として大いに活躍していただきましょう。
N700S:当然です。東海道新幹線は日本に欠かせないインフラですからね。
それに、一番重要なことを言い忘れましたが、(N700Aの方を見ながら)僕たちは人々が根源的に必要とするものを提供しているのです。
100系:ほほう。カフェテリアどころか冷水器すら無い合理化された車両が、やたら大きく出ましたなあ。
N700A:分かっていませんねぇ。乗客のニーズを満たすのが営業用車両の仕事だというのに。
0系:だから水ではないのか?N700Aクン、もったいぶらずに説明し給え。
N700A:コンセントですよ!
いいですか?乗客にとっては水や食料なんかより、スマホの充電こそが重要なのです。
「スマホON。ゆえに我あり。」これが現代人の本質です。
N700S:僕も先輩にそう教わって、全座席にコンセントを設置しましたよ。おかげさまで大好評なんです。
議長:こりゃ、相当馬鹿にされてるな…
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