能登半島の鉄道旅行、七尾線・のと鉄道普通列車と廃線区間をバスで輪島駅跡へ

私鉄

能登半島の鉄道路線には、IRいしかわ鉄道(旧北陸本線)の津幡駅つばたから和倉温泉駅までの七尾線、及びそれに接続して穴水駅まで延びるのと鉄道があります。
特にのと鉄道は、能登半島の風光明媚な景色を堪能させてくれる路線で、距離は短いながらも大変おすすめです。
なお、かつては穴水駅から北へ輪島駅・蛸島駅たこじままで線路がありましたが、これらは廃止されています。

2021年9月、津幡駅から七尾駅(和倉温泉の一つ手前)で乗り換えて穴水駅へ向かい、そこから代替バスを利用して輪島駅跡まで行きました。

国土地理院の地図を加工して利用。
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七尾線で津幡駅から七尾駅へ

普通列車も新型車両で運転される

七尾線の普通列車は日中およそ1時間毎に運転されています。
いずれも金沢始発ですが、乗り換えとなる終点はJRとのと鉄道の境界の和倉温泉駅ではなく、その一つ手前の七尾駅です。
金沢から津幡まで10分少々、七尾までは約1時間20分です。
特急列車では「サンダーバード」(大阪~和倉温泉)が1往復の他、「能登かがり火」や観光列車風の「花嫁のれん」(いずれも金沢~和倉温泉)が運転されています。

普通列車に使われる車両は521系という、京阪神地区の新快速電車を北陸向けにアレンジしたもので、二人掛けのクロスシートが並んでいます。

七尾線の普通列車。七尾駅にて。

乗車記:水田地帯を進み加賀から能登へ

早朝の北陸新幹線「かがやき」で雨が続く東京を脱出すると、北陸地方は涼しいとは言えませんがよく晴れていました。
津幡駅から七尾線の列車に乗り換えたのは11時44分。

津幡駅を出発するとしばらく山を見ながら走りますが、本津幡駅を過ぎると辺りは水田地帯になります。
収穫を間近に控えた黄金色の稲穂が綺麗です。

能登半島の西岸に沿って走りますが、左手の車窓から海は見えません。
やがて左手には低い丘陵地が現れるころ、旧国名でいう加賀から能登に入ります。
宝達駅ほうだつでまとまった数の乗客が降り、車内はかなり空いてきました。

特急列車も停車する羽咋駅はくいからは、能登半島を東西に横断します。
両側から山地が近づいてきますが、山越えというほどでもありません。
しだいに黒光りする屋根の民家が増えてきます。

市街地が見えてくると七尾駅に到着します。
上杉謙信に攻められるまで難攻不落として知られた七尾城があったこの地は、現在でも運転上の要衝なので広い構内を持つ駅です。

能登半島の入り口として機能する
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のと鉄道で七尾駅から穴水駅へ

1両編成のディーゼルカーだがトイレは有る

七尾からはのと鉄道のディーゼルカーに乗り換えです。
本数は七尾までと比べてそれほど減りませんが、接続は必ずしも良くありません。
終点穴水までの所要時間は40分程度が多いですが、時々1時間かかる列車もあります。

列車の車内はボックスシートが並び、トイレも設置されています。
営業距離が短い私鉄では汚物処理設備の関係でトイレが無い車両が多い中、気兼ねなく飲食できるのは大変ありがたいものです。

七尾駅で発車を待つのと鉄道のディーゼルカー

のと鉄道は、旧国鉄路線で廃止が取りざたされていた能登線(穴水~蛸島)の経営を引き受けた第三セクター鉄道です。
その後、JR七尾線のうち和倉温泉~輪島も継承し、一時期は営業距離が100㎞を超えました。
しかし、景気悪化・道路整備・人口減少のために、2000年代に穴水~輪島・穴水~蛸島が廃止されて今に至ります。

かつては穴水駅から先も線路が延びていた

乗車記:右手に七尾湾の景色

広い駅の隅っこにのと鉄道のディーゼルカーが停車しています。
これから海沿いを走りますが、海が見えるのは進行方向右側です。

和倉温泉駅は特急列車の終着となる観光地ですが、駅自体は七尾駅と比べるとこじんまりとしています。
また温泉街は駅から離れた所にあります。
和倉温泉駅を出てしばらくすると待望の海が見え、遠くには和倉温泉の温泉街も眺められます。
七尾湾に沿って北上し、入り江や漁村が次々に現れ、途中の駅では日焼けした白いTシャツ姿の中年男性が何人か乗ってきました。

能登中島駅からは内陸部の林を走るものの、またすぐに海に近づき入り江を見おろします。

すぐ目の前に能登島が浮かぶ七尾湾は夏の終わりの日差しを受けて明るく、まるで瀬戸内海を眺めているような気持になります。
しかし、北日本に特徴的な黒い屋根の民家や針葉樹林が、ここはあくまで日本海側であることを教えてくれます。
今は穏やかな景色ですが、厳しい冬になるとそれも全く変わってしまうのでしょう。

緩いカーブの途中にある能登鹿島駅には、びっしりと桜並木が植えられています。

なおも海岸に忠実に沿って北上します。

写真を取り損ねたのですが、終点近くのトンネル内でイルミネーションがありました。
やがて穴水駅に到着します。
この駅で降りた乗客は僅かでした。

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廃線になった穴水~輪島を代替バスで辿る

穴水駅には道の駅と元パノラマカーがある

「なかい」は能登線(蛸島行き)の駅名

穴水駅は国鉄時代の七尾線と能登線との接続駅としての面目を何とか保っている印象です。
道の駅が併設されており、土産物やお酒など結構なものが揃っています。

駅から出ずにホームをさらに先(廃線になった方)に歩いていくと、「放置」とは言えないまでも傷んだ昔の車両が停まっています。
これはのと鉄道発足に急行列車に使用されたパノラマカーで、現在でも時々イベントスペースとして利用されている模様です。

車内を覗くとソファやテレビ・カウンターなどがあり、昭和末期~平成初期らしさが窺われます。

穴水から輪島行バスに乗車

引き続き穴水駅からバスで輪島駅跡を目指します。
この区間は意外と本数が多く、1~2時間毎に運転されています。
所要時間はおよそ40~50分です。

奥能登を北へ横断する途中、突如として丘に能登空港が現れますが、ターミナルビルからバスに乗って来たのは一人だけでした。
また、能登三井駅の駅舎がバス停として今でも利用されていました。

海の明るさが無くなると、それだけで随分寂しい所に来たように感じられます。
まして乗客は輪島の市街地に来るまで私一人なのですからなおさらです。

シベリアに対峙する輪島駅跡の道の駅「ふらっと訪夢」

廃線後の輪島駅跡は道の駅「ふらっと訪夢フラットホーム」として生まれ変わっています。
駅跡を活用した拠点で「どうせなら鉄道がある時にそのくらい金かけてくれや」と思わずにいられない施設がありますが、ここもその一つでしょう。
とても立派な和風建築の建物で、食事場所やお土産売り場もあります。
特に堅牢にして優美な名産品の輪島塗は、見ているだけで心が研ぎ澄まされます。

ところで、施設内には線路とホームの一部がモニュメントとして再現されています。
輪島駅は終着駅でしたが、駅名標にはさらに次の駅として「シベリア」の字が書かれています。
これは現役時代から高校生の落書きとしてあったそうです。

私が思うに、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に先んじて、能登半島、さらには北陸地方の将来のために「環日本海経済圏」なる構想を廃止されゆく駅に暗示した、非常に野心的かつ開明的な高校生だったのでしょう。

帰りも同じ経路を辿り、夕刻に宿泊地の金沢に到着しました。
今度は帰宅する学生が多く、七尾線では健康的な4人の男子学生(うち2名は顎マスク)がボックスシートで膝を突き合わせて、「お前なにやっとるねん!」と言いながらゲームをしています。
電車は新しくなっていますが、こんな平和な光景が見られるのはやはり地方だなと感じます。

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能登半島の風土

同じ石川県でも、「百万石」に象徴される京都風の雅な香りが漂う加賀に対して、能登にはもっと素朴な、のびやかな中に一脈の暗さを湛えた北日本の情景があります。
とりわけ黒光りする民家の屋根が、日本海側らしさを表現しているように感じられます。
旅の印象としては、すっかり近代化された本家の北陸本線よりも、むしろ山陰本線に近いといえます。

輪島駅で1時間弱という中途半端な時間を過ごしてトンボ返りした今回でしたが、季節を変えて別の機会にゆっくり観光したいと思わせる能登半島でした。

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