厳しい経営環境の中で奮闘するJR北海道。
その広い大地を駆ける特急車両は、限られた資源にもかかわらず、全国でも類を見ない程の実力者揃いです。
彼らの足跡とその意義について、座談会を通じて探っていきたいと思います。
進行役は私が務めました。
2021年7月某日、札幌駅にて
議長:本日はお集まりいただきありがとうございます。
それにしても全国的に梅雨の時期に、カラッと晴れて暑すぎない北海道はいいですね!
キハ283系(以下キハは省略):感染症で大変な時に、こんな不要不急の会合のためにノコノコと札幌にやって来るとは。
議長:いえいえ。これから世界中の人々をお迎えする首都東京だって安心安全であると、我が国の総理大臣閣下も繰り返しおっしゃっておりますぞ。
183系:いくら情報社会になったところで、こういう暗愚な人はいるんですね。
議長:まあ、実際に安心安全でなかったとしても、大本営発表を信用した私がアホだったということでお許しください。
さて、前置きはもうよいでしょう。今回の議題は「北海道の特急列車の歴史と今後」です。
本日は現役車両に加え、OBとして82系さんと781系さんにも来ていただいております。
785系:それは良かった。私以外のJR世代ときたらみんな同じ顔して、居心地が悪くて仕方がない。
各車両自己紹介
議長:まずは皆さんに軽く自己紹介をお願いします。年功序列ですので、まずは82系さんどうぞ。
82系:国鉄史上に残る1961年10月、つまり「サンロクトオの白紙改正」を機に登場した82系だ。この時に私が函館~旭川の特急「おおぞら」の運転を開始したのが、北海道における特急列車の始まりであることはここにいる皆も知っておろう。その後も運転区間を広げ、道内特急網の基盤を築きあげたのだ。
国鉄型気動車といえば私のことを思い浮かべる人も多いことだろう。
781系:781系です。私が初めての北海道専門の交流電車として営業運転開始したのは1979年、その翌年に旭川~札幌~室蘭の「ライラック」として本格始動しました。国鉄型電車特急というとボンネットかのっぺり顔のどちらかでしたが、私は適度に丸みのある外見です。外が寒くて脂肪を蓄えているからというのは冗談ですが、北海道特有の厳しい気候に耐えられるように設計されているのが特徴です。
183系:私は1980年に北海道用の特急気動車としてデビューいたしました。私には大まかに2つのタイプがありまして、まず「初期型」と分類される車両はスラントノーズという、「く」の字型の独特で優美な顔つきでした。その後登場した「後期型」は時代に即した改造を重ねて、今でも石北本線特急「オホーツク」などで活躍しております。
281系:函館~札幌の「北斗」に就いている281系です。私は北海道初の振り子式車両として1994年に登場し…
785系:ちょっと待ってください。次は私ですよ!
281系:おっと失礼。なんだ貴方はまだ現役でしたか。
785系:281系さんも他人のことあまり言えないくらいに少数派でしょうが。
それでですね、私は1990年に登場した特急電車です。ここにいる皆さん、ずいぶんとゴツイ顔つきでいらっしゃいますが、その中でも私のスマートさは唯一無二といってよろしい。
札幌と旭川を結ぶ「スーパーホワイトアロー」として運用され、現在は札幌~室蘭の「すずらん」で余生を送って、ゴホン、一花咲かせております。
議長:次が281系さんですね。続きからどうぞ。
281系:私は札幌~函館の特急「スーパー北斗」の運用に就きました。最高速度が130㎞となり、カーブで車体を内側に傾けて遠心力を緩和する「振り子式」のおかげで曲線通過速度の向上したので、同列車の大幅なスピードアップを果たしました。
283系:さらなる高速化を目指したのが私283系です。1997年より札幌~釧路の「スーパーおおぞら」で営業運転を開始し、画期的にスピードアップしたのです。気動車とはいえども、性能面ではここにいる誰にも、否、全国でも私よりも早く走れる車両はおらんでしょうな。
その他でも「スーパー北斗」や「スーパーとかち」(札幌~帯広)などで私が幅広く活躍した頃は、うちの会社も今よりずっと元気だったように思います。
261系:こんにちは。261系と申します。私は2000年より札幌~稚内の「スーパー宗谷」としてデビューいたしました(0番台)。その後、283系さんを補佐するべく「スーパーとかち」用にも増備されました(1000番台)。
私は振り子式ではなく、空気バネ式の車体傾斜車両です。性能はやや劣りますがコストパフォーマンスに優れているのが特徴です。
789系:電車特急3代目の789系です。2002年の東北新幹線八戸延伸を機に、八戸~函館の「スーパー白鳥」で営業開始をしました(0番台)。わが社のコーポレートカラーのライトグリーンを前面にあしらって、東北からのお客様を北海道にお迎えする役割でした。
その後、785系さんの後釜として札幌~旭川の特急にも就き、北海道新幹線開業後はこちらの仕事がメインになっております。(0・1000番台)
第Ⅰ期~特急列車の登場と発展~
議長:ありがとうございました。
82系さんが華々しく登場した1961年10月のダイヤ改正、俗に言う「サンロクトオの白紙改正」では、北海道の「おおぞら」以外にも多くの特急列車が運転を開始しました。
82系:それまで特急列車は東海道・山陽筋など限られた線区にしかなかった。山陰やら北陸やら「裏日本」と呼ばれておった地域に私が進出したことで、その土地の人は大いに喜んだものだった。電化が進んでおらず、黒い蒸気機関車が茶色の客車を牽いていた時代、赤とクリーム色の私は近代化そのものだったのだ。ちょうどあの頃カラーテレビが出てきたのだが、テレビだけでなく鉄道だってカラーになっていたのだぞ。
議長:なるほど。話を北海道に戻しますと、「おおぞら」は順調に本数を増やしたり延伸していますね。
82系:そうだ。あの頃は高度経済成長期だったからな。最初は函館~旭川を1往復だったのが、釧路や網走にも行くようになったし、列車名も「北斗」「おおとり」や小樽経由の「北海」と増えていった。
北海道を端から端まで移動するとなると10時間以上もかかるゆえ、特急列車は食堂車を連結していたものだ。
283系:それは大らかな時代でございましたな。
82系:全く、振り子式車両なんて私には気分が悪くて仕方がないよ。(281系・283系苦笑い)
ところで聞くところによると、最近の車両は車内販売の営業さえも無いようではないか。全くけしからん。
789系:お言葉ですが、自分の時代の価値観を他車に押し付けるような年長車は好かれませんよ。
82系:「老害」という奴かね?私はただ鉄道黄金時代を懐かしんでいるだけだよ。
第Ⅱ期~低成長時代における転換期~
北海道の入り口は函館駅から千歳空港へ
議長:黄金時代というお話がありましたが、1970年代中盤になると北海道の特急列車には陰りが見え始めます。そして1980年10月、千歳空港駅が開業しました。
183系:高度経済成長期も終わり、1970年代中盤からは航空機が大衆化して、一方の国鉄は値上げを毎年やってた有様ですから、本州から北海道に行くのに鉄道ではなく飛行機を使うようになったのです。ですから、せめて空港から札幌中心部までは列車を利用してもらうということで千歳空港駅が開業したのです。ちなみに当時の千歳空港駅は今の南千歳駅のことですよ。
82系:要するに君らの世代は、私が懇意にしていた「白鳥」(大阪~青森)や「はつかり」(上野~青森)それに青函連絡船を裏切って、飛行機なんぞと手を組んだわけだな。
781系:恐れ入りますが、我々は現実的な判断をしたのです。
だってそうでしょう?まあ、東京で失恋して「ああ津軽海峡冬景色」と嘆きながら故郷に帰る女ならともかく、価格差が縮まれば当然人は圧倒的に速い飛行機を使いますよ。
なんせ、鉄道と船なら最速でも18時間、飛行機なら1時間半です。
議長:私も時々フェリーで旅するのですが、物憂げな佇まいをした後ろ姿の一人旅の女性が時々いるんですよ。ああした雰囲気はなかなか趣がありますな。
789系:議長が話を逸らしてどうするのです?
議長:失礼しました。で、その時に室蘭本線も電化されていますね。
781系:そうなんですよ。電車特急にとっては札幌~旭川しか活躍できる場所がなかったのが、おかげさまで室蘭~札幌~旭川で運転できるようになりました。沿線の太平洋側には室蘭・苫小牧といった北海道では数少ない工業都市がありますからね。
261系:たしかに「北斗」で函館から札幌を目指すと、その辺りからだんだん人も列車も多くなります。
781系:はい。我々電車特急は舞台こそ道央地区に限られますが、実際は北海道の政治的・経済的中枢を担っている主役なのです。
785系・789系:そうだ!(拍手)
北海道の産業・人口が集中している。
281系:デモ隊とその取り巻きの方たちですか?
電車組の貴方達は、複線電化されてカーブもほとんどない石狩平野を悠々と走っているだけでしょうが。我々気動車組こそが厳しい自然環境のもとで北の鉄路を守っているのです。
283系:私からすれば281系さんとて、比較的温暖な道南地区を走っていて羨ましいですよ。北前船・松前藩・五稜郭の戦い…、函館・道南なんて地理的にも歴史的にも北海道というよりは「内地」に近い。美しいばかりに厳しい冬の道東の荒涼とした景色こそが本当の北海道です。
261系:皆さんやめましょうよ。自分の方が恵まれてないぞ自慢なんて。
石勝線開通で道東へのルートが一変
議長:261系さんありがとうございます。
さて、千歳空港駅開業の翌年の1981年、またも大きな出来事がありました。道央と道東を短絡する石勝線の開通です。
183系:石狩と十勝を結ぶ石勝線(現・南千歳~新得)は、夕張線という路線を大幅に改良したうえで東西に延伸したものです。
このおかげで帯広や釧路までの所要時間が、札幌からは1時間、千歳空港からは2時間も短縮されました。
785系:札幌と旭川の間に位置する空知地方は石炭資源が豊富で、かつては石炭輸送のための路線が夕張線を含めてたくさんあったのです。1960年代以降のエネルギー革命によりそのほとんど(全てといっても良いかな?)が廃線になりました。
そんな中で有効活用してもらえた夕張線は本当に幸せですよ。
283系:おっしゃる通り。北海道の背骨といわれる日高山脈を穿って建設されたこの路線は、沿線に集落もあまりないため駅間距離が数十㎞と新幹線並みなのです。その代わりにスノーシェルターで覆われた信号場が幾つもあります。実にダイナミックで近代的な路線ですな。
今思えば石勝線が開通していなかったら、道東の鉄道は今よりずっと悲惨だったでしょうね。
183系:石勝線の起点は千歳空港駅なので、また82系さんからはお叱りを受けるかもしれませんが、今に繋がる札幌・千歳空港本位の道内鉄道輸送体系が確立したのがこの時期でした。
82系:所要時間が短くなるのはもちろん結構なのだが、経由しなくなった富良野駅には申し訳ない気がするな。
261系:その点は私が季節列車として、これからも彼の顔を立てていきますからご安心ください。
第Ⅲ期~民営化後の高速化~
JR化後初の新型車両785系
議長:1987年に国鉄が分割民営化され、JR北海道が誕生します。翌1988年には世紀の大事業、青函トンネルが開通しました。
そして1990年、JR北海道初の新型特急車両785系さんがお見えしました。
785系:前途多難に思われたJR北海道でしたが、好景気・新会社への期待・青函トンネルブームという追い風もあり、意外と健闘していたのです。
しかし、高速道路が整備も進んでいましたから、鉄道としても危機感は持っていました。そこで、まずは最重要路線の輸送改善ということで、私が札幌と道内第二の人口を擁する旭川を結ぶ列車に投入されたのです。その名も「スーパーホワイトアロー」。いかにも早そうでしょう?
781系:私もその頃はまだ若かったので、同じ区間を「ライラック」として走っていました。最初785系君を見た時は、どこかの私鉄特急車両がお客さんとして来たのかと思いましたね。
785系:先輩だけでなく後輩からもそう言われるんですよ。困りますね。
281系:自己紹介で785系さんが私以降の車両の容姿について「ゴツイ顔つき」と誹謗中傷されましたが、大型野生動物の多い北海道において、有事の際に運転手の安全を確保する配慮であることをお忘れなく。思えば明治時代の開拓のためにアメリカ人が走らせた機関車も「カウキャッチャー」が付いていましたね。歴史から学ぶことの大切さを感じます。
785系:明治時代ですか…。どうも軽快でスマートな私の都会的な装いは、北海道では受け入れられなかったようです。
それに後輩の789系さんも同調圧力に負けたようで残念です。それとも青函トンネルにもエゾシカやクマが出るんですかねぇ?
789系:トンネル内にはいませんが、外に出て函館近くには「レッドベア」(注:JR貨物のディーゼル機関車DF200の愛称。北海道の貨物列車牽引の主力車両)が群れてますよ。
781系:ハハハ。785系君、一本取られましたな。
表定速度の最速記録保持車281系と最高性能車283系
議長:札幌~旭川に始まった民営化後の高速化は、まもなく非電化区間にも及びます。
まずは札幌~函館の「スーパー北斗」281系さんの登場です。
281系:北海道の中心都市・札幌と道南の中心都市・函館とはビジネス・観光の往来が盛んですが、鉄道はS字型の遠回りなルートを通るため、飛行機に対して不利なのです。
北海道初の振り子式気動車である私は、札幌~函館を最速2時間59分と従来より30分も短縮してしまったのです。その表定速度(停車時間も含めた平均速度)は106.8㎞。これは日本最速記録ですよ!
785系:沿線人口が少ないって、ある意味羨ましいですね。318㎞も走って途中停車駅が東室蘭と苫小牧だけなんて。私なんて旭川までの130㎞余りで5駅にも停車していたんですから。それでも表定速度は100㎞を超えていたんですから大したものでしょう?
281系:停車駅の数だけの比較は不公平ですね。函館本線(函館~長万部)はまだ未改良の単線区間も残っているんですよ。常磐の「ひたち」や北陸の「サンダーバード」みたいな本州の大都市の優等生ではなく、北海道の気動車である私がタイトルを取ったのですから、これはもう快挙としか言いようがありません。
283系:そして281系さんの実績のおかげで、高速化事業はついに道東・釧路へも達したわけです。
千歳線(札幌~南千歳)と石勝線(南千歳~新得)は線路が良いのですが、その先の根室本線は道央・道南の規格から取り残されたような線路だったのです。
そこで自治体の協力も得て根室本線の改良を行い、1997年に「スーパーおおぞら」デビューと相成りました。
281系:私が示した道を、283系さんが後を継いで進んでくれたというわけです。
283系:281系さんとはよく似ていると言われるのですが、私の方が振り子の性能が良くなって乗り心地も快適になっているのです。それから根室本線は地盤が軟弱なところがあるので、軌道を傷めないように自動車のようなステアリング機能付きの台車(自己操舵式台車)を履いています。
それからまだありますぞ。釧路は霧の街ですから、視力を良くするために目玉の数も増やしたのです。
そもそも需要が限られているわけだし、飛行機との競争もあるのだから、これくらいはせねばならんでしょう。
183系:JR世代の諸君に影に隠れがちではありますが、私のことも忘れないでいただきたい。
一部「後期型」の編成では281系さんたちと同様に130㎞で走れるようになったのです。また、その前のバブル景気の時代には2階建て車両を連結した「リゾート特急」として、「業務多角化」を図りました。つまり、高速化とアコモデーション改善という2つの命題両方に取り組んだわけですな。新しい世代を否定するのではなく、時代についていく努力を惜しまない適応能力が私の強みです。
宗谷本線にも特急が登場
議長:札幌を核として函館、釧路方面の高速化に続いて、2000年には最北への鉄路・宗谷本線の旭川~名寄でも線路改良が行われます。その時に登場したのが261系さんでした。
261系:宗谷本線には急行しか走っていませんでしたが、ついにここでも特急運転が始まり、私が2往復の「スーパー宗谷」を担当させていただきました。
781系:宗谷本線の端の方のサロベツ原野って、人よりも乳牛の方が多そうなところでしょう?特急なんて勿体ないと思いますが?
261系:そういうご意見があるのも承知しています。実際に北の最果ては輸送量も小さいですからね。だから私は281系・283系両先輩方のようなバリバリの高速化志向タイプではなく、冒頭申し上げた通りコスパ重視の設計なのです。
283系:コスパねぇ。この言葉が流行るようになるのは停滞の証だな。
議長:その話はまた後で出てきますので。
183系:結局、私が今も担当している石北本線(旭川~網走)だけが改良されずに残りましたな。
261系さん、そのうち貴方にバトンタッチするだろうけど、あの路線の常紋トンネルは虐待労働で建設された実に怖い所だよ。
785系:馬鹿馬鹿しい。幽霊でもいるんですか?
183系:幽霊はまだ見たことないのですが、人骨は本当に散らばっていたそうですよ。
北海道だけの話ではありませんが、開拓なるものの歴史というのは常に影も伴っているのです。私のような鉄道車両も近代化・文明化をすすめる立場ですが、今の世ではそれが常に善とはみなされないことは肝に銘じております。
261系:妙なアドバイスですけど、ありがたく頂戴しておきます。
青函トンネルで白鳥復活
議長:ところで、2002年に東北新幹線が八戸まで延伸すると、国鉄型車両を使っていた盛岡~函館の「はつかり」は、新たに登場した789系さんによる「スーパー白鳥」となります。
789系:実はその数年前にJR東日本のE751系さんという方が「スーパーはつかり」の名で走っていたのですが、彼は青函トンネルを走れないようだったので、私が北海道連絡列車の主役を務めた経緯があるのです。E751系さんは不満そうでしたが、それは他社さんのことなので私には関係ございません。
議長:いっそ札幌か九州に転勤したらどうかと伺ったのですが、それなら東北で地味に働きたいとおっしゃってました。
82系:縦割りで閉塞感のある社会だな。これが「分割民営化」というものかね?
とはいえ、前の年に廃止された「白鳥」の列車名が復活した時は私も嬉しかったな。
789系:はい。それから、私も自慢させていただきましょう。
青函トンネル内で在来線では珍しい140㎞運転を、それもトンネルの上り坂でも行っていたのです。気動車組の皆さんも、一度電気の滋養を堪能したら良いと思いますよ。
261系:いいえ結構です。最近の気動車も昔と違って、健康的かつ地球にやさしい食生活に変わっておりますから。
第Ⅳ期~停滞・後退の時代~
補佐役のはずが主力車両に…
議長:2010年代は受難の時期でした。否、過去形にすべきではありませんね。
経営体力に見合わない過剰な投資が行われた結果、2010年代前半に重大な事故が立て続けに発生します。もちろん皆さんに欠陥があったわけではないことは私も承知していますが、最高速度が120㎞になったり車体傾斜装置の使用を停止したりと、輸送品質は低下して現在に至ります。
781系:ちょうど私がデビューした頃の国鉄末期がそんな雰囲気だったのです。減量ダイヤやローカル線の廃止が相次ぎ、鉄道の衰退が明確になっていました。後輩にはそんな思いをして欲しくはなかったのですがね。
183系:同感です。私を「国鉄型車両」と見下していた奴らが、今や全盛期の私と同じくらいか、下手すればもっと遅く走っている。実に残念です。
261系:ところで、私は2006年より根室本線で、釧路行き283系「スーパーおおぞら」の補完役として帯広行き「スーパーとかち」にも投入されていました。
皮肉なことですが、そんな厳しい時に増備されていた経済性重視の私に、「今後の主力特急車両」として白羽の矢が立ったのです。
183系:帯広行き特急は運転距離が短いので、そこまでハイスペックさは必要ないから問題ないでしょう。
261系:ええ。ところが私は自分より速い281系さんの後継として「スーパー北斗」に配属されたのです。札幌~函館は昔から高速化が熱心に行われていた区間で、本当なら285系さんという化け物のような性能の車両がお見えするはずだったのですが…
281系:最高速度140㎞、曲線通過速度+50㎞ですからね。ちなみに現役最高の283系さんがそれぞれ130㎞、+40㎞です。
82系:ゆゆしきことだ。素晴らしい技術を経営体力のないJR北海道が開発し、それを受け継ぐ所もない。他のJRの連中は新幹線と観光列車だけで良いとでも思っているのか?こんなことでは日本全体の鉄道の将来が思いやられる。
議長:全く同じ意見です。一鉄道ファンとして悔やまれます。
283系:私も今や最高速度110㎞です。全力疾走していた頃が懐かしいですな。昔は札幌~釧路を最速3時間半くらいで走っていましたが、今は辛うじて3時間59分が1便あるのみです。
そういえば、どこの馬の骨とも知れない者が、私のことを「去勢手術された最強気動車」などと呼んでおったが。
261系:ああ、同じ人が私に対して「主将にされた控え野手」だなんて失礼な表現をしてましたね。
781系:おや、議長さん、そんな慌てて咳き込んで。マスクをお貸ししましょうか??
北海道新幹線が部分開業
議長:失礼。ご心配なさらず。
2016年、ついに新幹線が青函トンネルを越えて、北の大地北海道に達しました。北海道新幹線新函館北斗開業ですね。皆さん、あの時はどんな気持ちでしたか?
一同:別に…
781系:正直、この話題は盛り上がらないと思いますよ。「シンカンセン」って聞いて喜ぶ子供や同じ精神構造のオタクでもあるまいし。
北海道の入り口に4時間もかけて来ていただいてもねぇ。そりゃ観光都市としては著名ですけど、函館も札幌みたいに需要があるわけでもないし…
281系:だいたい、あの駅名なんでしたっけ?そう、新函館北斗駅ね(261系さんありがとう)。あそこは函館市街から遠すぎるんですよ。長い間連絡船との接続した北海道の玄関口に対して、あれは失礼ですよ。
785系:函館の、それも隣の市の郊外なんかではなく、札幌まで通さなければ北海道新幹線なんてほとんど意味がありません。
だいたい僅かな客が新函館北斗まで乗ってくれても、うちの会社の取り分は新青森以北だけじゃありませんか。現状はあくまで中途半端な暫定開業と認識すべきでしょう。
議長:その通りです。とはいっても、ある程度の開業効果はあるそうですよ。もっとも、期待値が初めからさほど大きくないのも事実ですが。
ところで、ここで重要なのは新幹線の話ではなく、それに付随する動きです。
そうですよね?789系さん?
789系:新幹線が新函館北斗まで延びてきたことで、「スーパー白鳥」はお役御免になりました。
そこで転職活動を始めたのですが、先ほどから話にある通り、電車組は道央地区しか応募できないものでして。結局、札幌~旭川で一度消えた「ライラック」の名前を復活させて今も走っています。
781系:やはり「ライラック」は残すべきですね。
北海道は本州とは違って冷帯気候に属しますから、動植物の生態分布も異なります。植物に由来する列車名が多いのは、北海道らしくて良いではありませんか。
281系:それはともかく、札幌~旭川の特急は名前をコロコロ変えすぎですよ。「いしかり」に始まり「ホワイトアロー」やら「ライラック」に「カムイ」。それに「スーパー」が付いたり、また消えたり。
で、今の「ライラック」と「カムイ」って何が違うんですか?
789系:両方とも私、789系による運用で、停車駅・所要時間も変わりません。
違うのは「ライラック」は元「スーパー白鳥」用の車両なのでグリーン車があることです。もともと道央地区の都市間特急として登場した「カムイ」用車両(1000番台)は普通車のみですが、シックな外観が特徴です。
183系:「ライラック」は旭川駅で私が担当する「大雪」(旭川~網走)や、261系さんの「サロベツ」(旭川~稚内)と連絡してくれるんです。なんせ不景気なもんで、限られた車両数でやり繰りしなければなりませんのでな。
789系:電化区間はお任せください。
かつて本州から道南へ人をお迎えしていたのですが、現在は札幌から道北・道東への入り口である旭川へ送り出す仕事をしているのです。
北海道の鉄道の将来
議長:それでは最後に今後について伺いましょうか。
261系:いろいろと話せることはありませんね。とりあえず新幹線の札幌開業まで持ちこたえることでしょう。
183系:私は去りゆく者ですが、コロナが収まったらインバウンドにも力を入れなければなりません。北海道のみならず日本全体の人口が減少しているのですから。
789系:羽田・新千歳の航空便は国内で最大の旅客数だそうですから、新幹線がそこにある程度食い込むことができれば、うちの会社にも波及効果も含めて還元されるのではないでしょうか。
それを梃子にして立て直していきたいですね。
82系:うむ。やはり北海道の鉄道輸送は本州と繋がらなければな。
しかしそうは言っているうちに、261系クンの宗谷本線は廃止候補になっているそうではないか。周りの天北線や羽幌線もとっくに廃線になってしまったし。コロナはもちろん、低成長・地方の過疎化…嫌な時代だ。
261系:そう。もう一つ私には夢があるんです。聞いてください。
隣国ロシアは本土とサハリン、さらにはサハリンと稚内を繋ぐ鉄道の構想を持っているらしいのです。そうしたら、日本とロシア・ヨーロッパの線路が繋がり、宗谷本線はローカル線から、戦前そうだったように、国際縦貫路線の一部になるわけですよ。あの秋田犬を飼ってる大統領にも宜しく伝えなければ。
283系:国家安全保障の観点から、261系さんのご発言は聞き捨てなりませんな。あなたはスパイですか?
183系:283系さん、あなたは私より若いのに頭が固いようですな。
今は地方分権やら道州制やらで、東京との関係だけ考えなければならないこともなかろうに。実際九州なんかはアジア諸国とのつながりを意識していますね。261系さんのような発想があってもいいと思いますよ。
議長:やや壮大に過ぎる気がしないでもないですが、将来を展望して終ることができてホッとしています。
皆さん、本日はありがとうございました。
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