鉄道が航空機に降伏した日、千歳空港駅開業で北海道の輸送体系が激変

時刻表深読み

国内で最も旅客数が多い航空路線は羽田・新千歳間で、コロナ前の2019年には年間800万人以上の利用客数を誇りました。(国土交通省)。
北海道新幹線が新函館北斗まで開業した現在でも、東京から北海道に行く場合はほとんどの人が飛行機を選択するでしょう。

さて、昔は本州と北海道との移動は鉄道が主役でしたが、1970年代以降は航空機へのシフトが明確になっていきました。
そして、それを象徴したのが1980年10月のダイヤ改正における千歳空港駅開業です。
つまり、鉄道の役割が1,000㎞以上の本州~北海道の長距離輸送から、千歳空港から札幌までの40㎞程度の空港アクセス輸送に成り下がってしまったのです。

当時の時代背景は

  • 1970年代中盤~後半の度重なる大幅値上げやストライキで、国鉄の競争力・信頼性は急速に低下。
    上野~札幌の特急座席車乗り継ぎの費用は13,300円、羽田~千歳の航空運賃は23,400円。
  • 青函トンネルと東北新幹線は未開業。鉄道と青函連絡船では東京から札幌まで最速でも18時間を要した。
  • 当時の千歳空港駅は現在の新千歳空港に隣接した別の空港であり、現在の南千歳駅。

大きな戦略の転換により、北海道の鉄道そのものも変化していきます。

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北海道の玄関は函館駅から千歳空港に

千歳空港駅(現・南千歳駅)から札幌駅へは、特急13本(所要時間35分)急行6本(40分)、普通26本(50分)の計45本の列車が運転されました。
同区間にはバスもありましたが所要時間は1時間以上だったので、千歳線の線形の良さを活かした国鉄の空港アクセス輸送には競争力がありました。
特急を利用するには距離が短い区間ですが、「エアーシャトルきっぷ」という割引商品が発売され、通常自由席でも1,390円のところ、800円で乗車することができました。
また、北海道の主要工業都市である苫小牧へも同程度のアクセスの利便性が図られました。
現在でも新千歳空港と札幌・小樽を結ぶ快速「エアポート」が頻繁に運転されています。

2021年7月、札幌駅に停車する快速「エアポート」。

この時代は国鉄が毎年のように値上げを繰り返す中、ジャンボジェットの就航などで大衆化が進んだ航空機が長距離輸送の主役となっていました。
「鉄道と飛行機のタイアップ」といえば聞こえは良いですが、千歳空港駅開業は鉄道が飛行機に白旗を上げた瞬間でした。
活況に沸く千歳線に対して、かつての北海道の玄関口だった函館駅はその重要性を失っていきました。
大晦日の紅白歌合戦でもお馴染みの「津軽海峡冬景色」で描写される、青森駅や函館駅での青函連絡船と列車の乗り換えの風景も、次第に過去の情景となってゆくのです。

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千歳線・室蘭本線電化で誕生した781系特急ライラック

現役時代の781系。
三笠鉄道記念館にて。

今回のダイヤ改正で千歳線と室蘭本線、つまり札幌から千歳空港を経て室蘭に至るルートが電化されました。
それまで札幌~旭川に北海道唯一の電車特急「いしかり」が走っていましたが、これを電化に合わせて室蘭~札幌~旭川に延長したうえで列車名も「ライラック」に変更されました。
「ライラック」に使われるのは前年に1編成だけ製造された781系で、北海道の気候にも対応し得る耐寒耐雪仕様の車両です。
なお、「いしかり」は1975年の登場以来しばらく485系1500番台で運転されていましたが、この車両は北海道の雪に耐えることができず、冬季はしばしば故障による運休が発生していました。

485系1500番台は本州では力を発揮し、長年に渡り新潟や東北で活躍した。
新津鉄道資料館にて。

「ライラック」の経由地は、室蘭と苫小牧という北海道の二大工業都市、札幌とその近郊、そして石狩平野の中小都市を経て道内第二の人口を抱える旭川に至るという、まさに北海道経済の心臓部分です。
その意味で、室蘭本線・千歳線電化に伴う電車特急の運転は、札幌を中心とした道央地区の鉄道が近代化された姿でした。

赤線が特急「ライラック」の運転経路

なお、現在では札幌~旭川が「ライラック」と「カムイ」、札幌~室蘭が「すずらん」と運転系統は分離されています。
「ライラック」と「カムイ」はダイヤは変わりませんが、グリーン車があるのが「ライラック」、無いのが「カムイ」です。
また、「すずらん」は札幌~函館の「北斗」を補完する役割の列車です。

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石勝線開通で特急おおぞらのルート変更、キハ183系が量産される

千歳空港駅が開業した翌年の10月、千歳空港から新得まで石勝線が開通し、道央の鉄道にまたも大きな変化が訪れます。
それまでは札幌から帯広や釧路に行くためには、滝川から根室本線で富良野を経由していました。
旧夕張線の線路を一部活用した石勝線は日高山脈を貫通し、札幌から道東の都市までの距離は40㎞以上短くなりました。

赤線は旧来の滝川経由
青線は石勝線経由

これによって釧路行き特急「おおぞら」3往復は全て石勝線回りに、急行「狩勝」は4往復あったうちの2往復は石勝線経由の「まりも」となります。
非電化単線ながら近代的な設備で建設されたため列車のスピードも上がり、札幌からだと1時間程度、千歳空港からは2時間程度も帯広・釧路方面への所要時間が短縮されました。
つまり、札幌と千歳空港を拠点とした北海道の各都市への旅客輸送形態が出来上がったわけです。

前の年の2月から試作車が運転を開始していた北海道向けの新型特急気動車キハ183系は、この時のダイヤ改正より量産車も登場していよいよ本格的に活躍します。
それまで北海道の気動車特急で唯一無二の存在だったキハ80系が厳めしい男性的なスタイルだったのに対し、キハ183系は「スラントノーズ」と呼ばれる独特の「く」の字になった正面が特徴的で、女性的な優美さ・柔和さがありました。

道の駅あびらD51ステーション(追分駅近く)の初期型のキハ183系。
クラウドファンディングにより静態保存が実現した。

キハ183系はリクライニングシート(簡易)を備え、先輩車両よりも快適な車内設備を有していましたが、長距離特急列車における一つのステータスだった食堂車は廃止されました。
このあたりは1960年代初頭という高度経済成長期に生まれたキハ80系と、オイルショック後の低成長時代かつ鉄道衰退期に登場したキハ183系との違いなのでしょう。

それはともかく、相次いで登場した781系とキハ183系は、新しい時代における北海道の鉄道の担い手として活躍が期待されました。
なお、現在(2021年)石北本線で活躍しているキハ183系は「後期型」と呼ばれるタイプ(しかもその後改造を受けている)で、1980年代前半に登場したものとは外観や性能が大きく異なります。

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函館~札幌では特急北斗が主役に

今まで述べてきたように北海道の玄関口が函館駅から千歳空港に移行するにしたがい、函館~札幌の優等列車の陣容も変わりました。
千歳空港駅が開業した1980年10月と、石勝線開通の1981年10月、そしてそれ以前の1976年10月の時刻表から函館発札幌以遠行きの特急・急行列車をまとめると以下のようになります。

列車名行き先1976年の本数1980年の本数1981年の本数備考
特急おおぞら釧路列車自体は3往復のままだが、
函館~札幌は順次削減。
特急北海旭川山線経由
1981年より札幌行き
特急北斗札幌
特急おおとり網走
急行すずらん札幌
急行ニセコ札幌山線経由
急行宗谷稚内山線経由
1981年に函館~札幌が廃止
特急7、急行6特急7、急行2特急8、急行1
「山線」は小樽経由の路線

このようにして見ると、まず①急行列車の削減が目立ち、②「おおぞら」の減少と「北斗」の増加に象徴されるように、特急列車の短距離化が進んだことが分かります。
つまり、青函連絡船を降りた人々を函館駅から道内各地へ輸送するのではなく、純粋に函館~札幌の特急列車が中心となったわけです。
この時代は特急が大衆化して優等列車が特急に一本化されつつあったことも背景にあります。

ちなみに、「山線」というのは函館本線の長万部~倶知安~小樽の通称で、戦後メインルートとなった室蘭・千歳空港経由よりも距離は短いものの坂やカーブが多い、いわば補助線のような路線でした。
そのため、車両の高速化と沿線の工業化が進む海沿いの室蘭・千歳線経由から取り残され、1986年に特急「北海」は廃止されて定期優等列車が消滅しました。

赤線が小樽経由の「山線」
青線が室蘭・千歳空港経由の主要ルート
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北海道新幹線札幌開業で鉄道復権なるか?

今回紹介した千歳空港駅開業の7年半後に、世紀の大事業といわれた青函トンネルが開業します。
着工時とは交通体系が全く異なる状況のため、そもそも不要論やシイタケ栽培施設に転用すべきという意見までありましたが、蓋をされることなく今も貨物輸送の動脈として機能しています。

2030年頃に北海道新幹線が札幌まで開業する予定で、JR東日本が目指しているように東京と札幌が4時間程度で結ばれれば、新幹線も競争力を持ちます。
青函トンネルも40年を超える下積み時代から解放され、千歳空港駅開業という「敗北宣言」からおよそ半世紀ぶりに鉄道がリベンジを果たす日は来るのでしょうか?





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