廃止が決まった大幹線、函館本線山線の普通列車の乗車記【長万部→小樽の車窓など】

ローカル線

函館本線は函館から長万部おしゃまんべ・小樽・札幌を経て旭川に至る路線で、道内三大都市を結ぶ北海道では最も重要な幹線です。
しかし、函館から札幌行きの特急は途中の長万部から室蘭本線経由のルート(海線)を通るため、函館本線のうち「山線」と呼ばれる長万部~俱知安くっちゃん~小樽は、短編成の普通列車しか走らないローカル線となっています。

赤太線が山線、青太線が海線。
国土地理院の地図を加工して利用。

暑すぎず、からりと晴れた2021年7月、函館から札幌へ向かうのに特急で3時間半で着いてしまうのは味気ないと考え、長万部から山線経由で小樽に向かいました。
なお本記事では以降、長万部~倶知安~小樽を「山線」、長万部~東室蘭~札幌を「海線」を呼称します。

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山線の旅

新型車両H100形はトイレ付

長万部~小樽の距離は140㎞で、その所要時間はおおよそ3時間です。
通しの列車もありますが、日中だと真ん中付近の倶知安くっちゃんで乗り換えになることが多いです。

車両は新型車両のH100形という新型気動車が投入されています。
ローカル線用車両によくある、通路を挟んで4人用と2人用のボックスシートが並んでいる構造です。
車内にはトイレも設置されています。

長万部発(または行き)の列車本数は非常に少なく、1日4.5往復の普通列車しかありません。
倶知安から先は少し本数が増え、特に余市を過ぎると乗客も多くなる傾向になります。
なお、函館~札幌の幹線ルートから外れた点では小樽~札幌も然りですが、この区間は複線電化されて快速「エアポート」も頻繁に運転される都市圏なので、普通は山線に含まれません。

【乗車記】車窓は山間部と盆地の繰り返し

長万部駅と言えばかにめし。かにめしと言えば長万部駅。

函館本線と室蘭本線が分かれる長万部駅おしゃまんべは地理的にも道南の北限で、何より北海道らしいアイヌ語の響きが旅情を掻き立てます。
ここの名物は駅弁のかにめし。
「かにめし」を名乗る駅弁は全国にありますが、長万部駅のものが最も薫り高く有名です。

太平洋側の長万部から日本海側の小樽に出る山線ですが、川沿いに上り詰めて一山超えてまた川沿いに下るといった単純な図式ではなく、海へ出る川を下っては翻ってまた上り始める、というのが山線の特徴です。
よって車窓の概要としては、基本ずっと山で時々盆地が開け集落が見えるがすぐに山越え、というパターンの繰り返しです。

【車窓】左にニセコアンヌプリ、右に羊蹄山を望む

さて、13時18分発の倶知安行きは1両編成で、座席は大半が埋まるくらいの乗客がいました。
コロナ前は大きな荷物を持った外国人がニセコなどのリゾート地から山線で長万部駅に着いて、大変な混雑だったと地元民から聞きました。
枝が上に向かって伸びるトドマツ(?)林が続きます。

二股駅を過ぎると早速1回目の山越えが始まります。
サミット近くには廃止された蕨岱駅わらびたい跡が確認できます。
駅破れて草花あり。
「墓地」を慰めるかのように白く小さな花が咲いています。

人家が増えてきて黒松内駅に到着。
ここで乗客がだいぶ入れ替わりました。
山線の途中駅の中では大きめの駅ですが、その分路線と共に寂れた印象も強く残ります。

列車はすぐに原野に迷い込みます。
車窓はとにかく緑が多く、その中で花と白樺の幹の白さがよく目立ちます。

峠越えが終わってまた盆地が開けます。
景色は平凡であり、同じパターンの繰り返しなのですが、それでも飽きさせない魅力が山線にはあります。

昆布駅付近より左手には堂々としたニセコアンヌプリが望まれます。
ヌプリはアイヌ語で「山」を意味します。

ここからもしばらく左手にニセコ連邦を眺めながら、尻別川沿いの谷を進んでいきます。
山線の中では最も迫力のある区間で、多くの乗客が車窓に見入ったりカメラを構えていました。

やがて平地になると今度が右手に蝦夷富士こと羊蹄山が、どっかりと辺りを占拠しています。
冬だとその表情は全然違うのでしょうが夏の羊蹄山は大らかそのもので、はるか南にある薩摩富士、開聞岳を思わせます。

新幹線駅が建設予定の倶知安駅くっちゃんにまもなく到着。
ここで2両編成の小樽行きに乗り換えです。
この時は新しいホームが建造されていました。

ようやく海側へ降りる

倶知安駅を出て野菜畑を過ぎると、また両側は緑の壁が迫ります。
かつて岩内線が分岐していた小沢駅こざわは、線路が剝がされた跡が残る痛々しい姿でした。

ところで山線では線路脇にある標識が、降雪時に備えて竹馬を履いたように地面から高い所にあります。
倶知安やニセコの人にとって、雪は観光業のために欠かすことのできない恵ですが、保線区の人達からすれば雪は本当に迷惑なものなのでしょう。

峠を越えた先にある銀山駅からは右手に集落を見渡すことができます。
景色が良いのは結構ですが、あの眼下に住む人々は今も鉄道を利用しているのでしょうか?

さて、これまで日本海側に出ることをずっとためらっていた山線ですが、ついに意を決したように余市川に沿って下っていきます。
長い山間部の旅を終えた列車を、赤い実をつけた果樹園が出迎えてくれます。
余市町では明治から大正にかけて莫大な富をもたらしたニシン漁が衰退しましたが、その資本を今度はリンゴ栽培に投資することで新たな産業となっています。
こうした先人のビジネス感覚を、新幹線開業後の鉄道運営に是非とも生かしていただきたいものです。

閉塞感を打破した列車の覚悟に呼応するかのように速度も上がり、仁木駅では部活帰りの学生が沢山乗ってきました。

余市駅から混雑する。海沿いから最後の一山を超えて小樽へ

余市駅からしばらく海沿いに走りますが、期待していたわりには市街地に阻まれてあまりよく見えません。
長万部を発って以来、これほど人が住んでいる所を走るのは初めてで、当然乗客もさらに増えていきます。

「この調子で小樽まで」といきたいところですが、そう簡単にはいかないのが山線です。
蘭島駅らんしまからは断崖になった海岸を避けるため、また内陸部を走ります。
これが山線最後の峠越えです。

やがて左の山の斜面に住宅を見ながら下り坂となり、そのまま小樽駅に到着します。
小樽駅の手前では前方に小樽市街と、その向こうに海を見渡すという、なかなか劇的な演出で以て山線の旅は終わります。

鉄道好きの小樽観光コース

小樽駅は運河のある歴史の街らしく、上野駅を思わせる建築様式の駅舎とレトロなホームが特徴です。

小樽市内に残る廃線跡は手宮線という路線で、小樽市内の手宮駅跡地まで歩くことができます。
なお、札幌~手宮は1880年に北海道最初の鉄道として開通した由緒ある路線でもあります。
旧手宮駅の構内は小樽市総合博物館となっており、屋外車両展示の他、鉄道を中心とした交通科学系の施設となっています。

散策コースになっている手宮線廃線跡
小樽市総合博物館の屋外展示。
屋内展示も面白い。
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山線はなぜ主要ルートから転落したのか?

さて、現在は函館~札幌の特急「北斗」が海線経由(室蘭本線【長万部~苫小牧】+千歳線【苫小牧~札幌】区間は多少誤差あり)になっているわけですが、実は山線経由の方が距離は30㎞以上も短いです。
にもかかわらず山線が廃れてしまった理由を3つ挙げましょう。

貨物列車が走る右側が海線、左に曲がっていくのが山線。
長万部駅近くの陸橋より。

理由①線形が悪い

まず第一に挙げるべき理由は山線の線形が悪く、スピードが出せないという地形上のハンディキャップです。
「山線」と呼ばれるだけあって、前節に見てきたようにほとんど山間部を走り、急カーブや急勾配が多数あります。

一方で海線経由は北海道らしく非常に平坦な区間が長く、曲線通過速度を高める振り子式車両でなくても、牧場と海を左右に見ながらずっと最高速度が出せるくらいです。
100㎞に満たない速度で走っていた昔ならともかく、130㎞が当たり前になった時代にこの差は致命的です。

冬の室蘭本線

理由②沿線人口が少ない

普通列車の本数の少なさが示す通り、山線の途中駅でまとまった人口を擁するのは小樽近くの余市くらいです。
ニセコのようなリゾート地がありますが、これも季節要因に左右されがちです。

対して海線の場合は、工業都市の苫小牧・室蘭を抱える強みがあります。
これは札幌~函館の「北斗」を補完する形で、札幌~室蘭に特急「すずらん」が運転されていることからも明らかでしょう。

仙台発のフェリーから苫小牧港を望む。
苫小牧は石炭積出港の役割を終えてからも、国内外のフェリー拠点として機能し、製紙業のみならず総合工業都市へ転換した。

理由③:複線・電化されている区間が無い

上の2つの理由と重なる部分もありますが、山線は全線単線非電化で輸送力が小さいです。
寧ろ、ここで注目すべきは海線の複線電化の充実ぶりです。

室蘭本線は道央の空知地方の石炭を港町の室蘭に運ぶために、明治25年という早い時期に建設され、戦時体制の中で複線化が進められました。
昭和初期に噴火湾沿いの東室蘭~長万部も難工事(そのため明治時代の技術では建設できなかった)の末開通し、室蘭本線は現在の形となります。
また、千歳線は私鉄だったものを1943年に国有化して、幹線の室蘭本線と札幌を結びつけました。
これは戦時中に千歳に海軍航空隊がおかれたのとも無関係ではないでしょう(現在千歳に空港があるのは衆知の通り)。
ここに、北海道の入り口と道央を繋ぐもう一つのルート、海線が整備されました。

冬の旧室蘭駅舎。
室蘭本線は石炭輸送のために複線化が早い段階で行われた。

かくして山線を差し置いて主要ルートとなった海線は、高度経済成長期の需要増に伴いさらに複線区間が延びました。
北海道への移動がほぼ航空機に移行した1980年には、空港アクセスを担うべく千歳線の大幅改良が行われ、これも結果的に海線を改良することになりました。

以上のように山線の没落の背後には、「日本の新大陸」として開拓の対象となり、戦時中も資源供給基地や道央さらには樺太(当時日本領だった)への道として、そして戦後の工業化や長距離輸送の航空機シフトといった、明治以来の北海道の歩みを体現しつくしたかのような海線の発展があります。

山線には1両の○○形ディーゼルカーが走っているという表層だけでなく、その根底にある歴史や経済と繋げてみると、意外と鉄道趣味も面白いと思ってもらえるはずなのですが…

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北海道新幹線全通後は廃止される公算が大

現在新函館北斗止まりの北海道新幹線は、2030年度末に札幌まで全線開通する予定です。
地形を気にせずトンネルで強行突破していく新幹線は距離の短い小樽経由で建設されています。
そのため山線は並行在来線となりその存廃が揺れています。
ただ現状(2022年初頭)では、札幌・小樽への通勤圏で乗客の比較的多い余市~小樽を第三セクター化する他は、山線は廃止される可能性が高いです。
(2022年3月追記)
余市~小樽もバス転換することで自治体が合意しました。
本記事で乗車した全区間が、北海道新幹線開通後に廃止されます。

長万部~余市は乗客が少なく、バス輸送で十分(実際そうなると所要時間は長くなるが)だと考えられています。
もっとも、新幹線開業で負の影響が出るのは現在特急が走っている海線の方で、寧ろ山線は新幹線+観光列車の組み合わせにより需要創出効果が見込めるといえます。

山線経由の臨時特急「ヌプリ」に乗ったことがある。
余市駅では停車中に地元で手作りのアップルパイが販売され、あっという間に売り切れていた。

実際に新幹線開業後に第三セクター化された鉄道は観光列車を運行している事例が多いですが、そうは言っても、山線はこれまでの並行在来線と比べて明らかに利用客数が少ないのも事実です。
いずれにせよ、実需を無視して「観光による地域活性化」と「災害時の代替ルート確保」という2つの「魔法の言葉」によってしか存続を正当化しえないのが山線の現状です。

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