【枕崎から伊集院へ】廃止された鹿児島交通枕崎線と南薩鉄道記念館の訪問記

歴史散策

鹿児島中央駅から指宿枕崎線で終点の枕崎駅まで行ってから問題になるのは、どうやって鹿児島へ戻るか」です。
せっかく最南端のローカル線に3時間も乗って来たわけですが、折り返しの列車でまだボチボチ戻るのもあまり気が進みません。
高速バスなら僅か1時間半で帰ることができますが、やはりこれは味気ないと感じるでしょう。

そこで、利便性と鉄分を満たしたルートとして、廃止になった鹿児島交通枕崎線(南薩線)の代替バスで鹿児島本線の伊集院駅まで行く方法を提案したいと思います。

なお、指宿枕崎線の乗車記は以下の記事で紹介しています。

2020年9月中旬に、鹿児島から枕崎線を全線乗り通した後、途中の加世田にある南薩鉄道記念館に寄って伊集院を目指しました。

廃止された鹿児島鉄道の路線図。
枕崎~伊集院の枕崎以外にも、特攻基地で有名な知覧への路線もあった。
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枕崎駅から加世田行のバス

鹿児島中央駅10時2分の枕崎行き列車に乗って、枕崎駅には12時56分に到着しました。
なお折り返しの上り列車は13時20分発です。
枕崎線の後半部分は、まるで北海道の北東部のような「最果て」の情景が続きますが、果たして辿り着いた終着駅は、地方私鉄のそれに似たこじんまりとした素っ気ない駅です。

時計が示す時刻もそうですが、土地の雰囲気がさらにそれを強く感じさせるのか、よく晴れた枕崎は「昼休み」そのものでした。
ベンチでは中高年の男性が缶チューハイ片手にタバコをふかし(その後に隠れるわけでもなく用を足していた)、高校生が3,4人集まって黙々とカードゲームをしていました。

特に目的もなく、市内を歩いて港の方に向かってみました。
もうすぐ秋分の日だというのに、枕崎の昼間はじりじりと蒸し暑く、1週間前の台風に備えたのか、家の窓ガラスにはガムテープをX字に張り付けたものが散見されました。
工場がある通りには鰹節の香りが漂っています。

枕崎はカツオ漁で知られる港町

駅前のバス停から13時45分発のバスに乗車します。
加世田・伊集院方面へは1日8往復運行されており、枕崎線の末端部分よりも多いです。
客は私を含めて2,3人でした。

バスは一思いに目的地を目指すのではなく、生活道路を律儀に走っていきます。
このあたりは平野よりも丘陵地が多く、周辺の山の頂上には風車が見えました。

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南薩鉄道記念館

バスは伊集院行きですが、途中の加世田で下車しました。
枕崎からの所要時間は40分程度です。
かつて駅があった加世田バスターミナルのロータリーには、小型の蒸気機関車とディーゼル機関車が保存されています。
道路に囲まれた小さな「島」に安住する彼らがとても微笑ましく思われます。

またバスターミナルの敷地内には、南薩線に関する資料が展示されている南薩鉄道記念館があります。
石造りの倉庫のような建物で普段は施錠されていますが、切符売り場の窓口職員に申し出ると開けてもらえます。

館内は少し薄暗く、きれいに整備されているとは言い難い部分もありましたが、建物のレトロな雰囲気や展示品の質と量はなかなかのものでした。
1階と2階から成り、入り口は駅の改札口のようになっていて気分が盛り上がります。

入り口

廃線を偲ぶ資料館ではお馴染みの駅名標や現役時代の写真・小道具の他、鉄道建設にまつわると思われる資料もあります。

南薩線で使われていたディーゼルカーはオレンジ色で、先頭部が円状になっている特徴的な車両だったようです。
おそらく戦後さほど間もない頃に製造された型なのでしょう。

南薩線の車両のイラスト

そのディーゼルカーですが、一般公開はされていませんがバスの車庫に保存されているようで、遠くから車体のオレンジ色が僅かに見えました。

バスの車庫に列車がいる
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加世田から伊集院へ

辺りを少し散歩してバスターミナルに戻ってくると突然あられが降ってきましたが、すぐに陽がさしてきて、さらに蒸し暑くなりました。
男女数人の老人がタバコを吸いながら薩摩弁で何かを話し、停留所のベンチではジャージで全身を覆い隠した一人の若者が寝ています。
あまりにゆったりとした時間もやがて過ぎ、やってきた伊集院行きのバスに乗り込みました。

加世田バスターミナルには年季の入った機械が並べられている

それまでとは対照的に、加世田から先は平坦で広々とした風景です。
ときどき窓から鉄道路線の遺構を見ることができます。
最初は乗客は数人でしたが、少しづつ車内は人が増えていきました。

南薩線の橋桁と思われる

加世田から約1時間で、終点の伊集院に着きました。
かつて南薩線の駅があった場所は、鹿児島本線の脇の駐車場になっているようです。
陽も傾いてきた夕方、よく日焼けした高校生たちの乗る賑やかな電車に乗って、拠点にしていた鹿児島に戻りました。

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豪雨災害で廃止になったローカル私鉄

国鉄(当時)の指宿枕崎線が枕崎まで開業したのが1963年、一方の南薩線の開通は早く、枕崎~伊集院が鉄道で結ばれたのは1931年です。
つまり、モータリゼーションで車社会が到来するまで、鹿児島交通は薩摩半島の人々にとって、生活を支える大切な輸送インフラだったのです。
そして、折からの人口減少や自動車の普及に加えて、1983年には豪雨災害で被害を受けたことがとどめを刺す形で、南薩線は翌1984年にその使命を終えました。

南薩鉄道記念館にて

しかし、九州の最南端にある経営基盤の弱いローカル私鉄であったことを考慮すると、寧ろよく1980年代まで生き延びたものだと思います。
南薩鉄道記念館を訪れると、まるで時代から取り残されたこの鉄道が、地元の人々から愛されていたことがしみじみと感じられます。



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