【昔急行が走っていた】姫新線・芸備線で姫路から広島までの乗車記

ローカル線

姫新線は姫路から津山を経て岡山県の新見へ、芸備線は新見から伯備線で数駅先の備中神代駅から三次を経て広島駅に至る路線です。
中国山地に沿って東西を縦貫するなだらかな山岳路線で、さらに路線の歴史が旅に彩を添えてくれます。

姫路から広島までの姫新線と芸備線を、それぞれ前半と後半に区分すると以下のようになります。

  1. 市街地と平野、姫路~佐用さよ(姫新線前半)
  2. 盆地の山村、佐用~新見(姫新線後半)
  3. 人口希薄な秘境、新見~三次(芸備線前半)
  4. 田園風景からベッドタウンへ、三次~広島(芸備線後半)

2020年8月に姫路を発ち、三次で1泊して広島へ向かいました。
なお、この時は三次~下深川は豪雨災害のため代行バスの乗車となりました。

「のぞみ」で1時間で走破できる同区間を、10時間程度かけて辿った阿呆らしい旅行記をお届けします。

姫新線と芸備線。太線の色は上の4つの分類に従っている。
国土地理院の地図を加工して利用。
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姫路~佐用

姫路市の郊外路線

姫路駅の姫新線の列車

佐用までの姫新線前半部分は、通勤通学に利用される姫路市の近郊線といった様相です。
姫新線は全線非電化単線ですが、播磨新宮、特に余部よべまでは運転本数が結構多く、途中駅で対向列車待ちを度々します。
ほとんどの場合は、播磨新宮で佐用またはその次の上月こうづき駅行きの列車に乗り換えとなります。

この区間で使われる車両は、京阪神地区ご自慢の新快速の電車を短いディーゼルカーにしたような型です。
座席は2人掛けのクロスシートなので快適で、トイレも設置されています。

なお佐用の次の上月までは、2010年より最高速度が85㎞から100㎞に引き上げられました。
赤字ローカル線と言われている路線でも、ただ衰退を座して待っているだけではないのだと勇気づけられる事例です。
姫路から佐用までの所要時間は1時間強です。

播磨平野を行く

前日東京をサンライズ出雲で発ち、早朝に姫路に到着しました。
8月上旬なのでもう明るく、まだ5時半だというのにセミが鳴いています。
関東ではミンミンゼミ・ツクツクボウシなどの多重奏に、夕暮れにはヒグラシの切々とした歌声も聞かれますが、今や関西ではクマゼミの「シャーシャー」という騒音だけです。

中華麺のような駅そばを啜ってから一番北側の西寄りにある、姫新線ホームに向かいます。
正面に姫路城を見ることができ、そのために姫路城を建てたのではないかと思ってしまうほどです。

姫路の名物、えきそば

定刻6時55分にスマートなエンジン音を立てて列車が出発しました。
土曜の朝でしたが高校生で混雑しています。
「○○しとん?」というフランス風に洗練された神戸・播磨方言は、私にとっては懐かしき母国語でもあります。

すぐに大幹線の山陽本線と分かれますが、しばらくは沿線には住宅地が続きます。
新しい建物もありますが、渋い灰色をした屋根の家や寺も散見されます。

だんだんと家が少なくなってきたなと思っていたころに、たつの市の市街が広がり本竜野駅に着き、乗客が入れ替わります。
この辺りはまだ都市近郊線のようなイメージです。

やがて揖保川を渡り、川沿いの平地に沿って走ります。
軽やかで頼もしいエンジン音を響かせながら、列車は快走しています。

播磨新宮駅で佐用行きの列車が接続しています。
乗り換えた客もそれなりの数でしたが、高校生のほとんどがここで下車したので列車は空いていました。
駅の横に食品工場があり、しょうゆの香りが漂っています。

素麵で有名な会社の工場がある

播磨新宮で揖保川とは別れますが、今度は栗栖川沿いを走ります。
ここから先は列車本数が明らかに減っており、それに応じて(実際の因果関係は逆だが)沿線の住宅もまばらになっていきます。

佐用の一つ手前の播磨徳久はりまとくさは、片側のホームと線路が草むらで覆われていました。
姫路を出た頃は景気が良かったこの路線も、少しづつ悲壮感が現れてきました。

佐用駅で津山行きの列車に乗り換えです。
昔の温泉地の駅前のような雰囲気です。

佐用駅には智頭急行線も乗り入れています。
智頭急行が1994年に開通したことで大阪・岡山~鳥取のアクセスが飛躍的に向上し、同区間の鉄道復権を成し遂げました。
少しマシになったとはいえ、姫新線の線路との違いは見た目にも明白です。


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佐用~新見

関西から中国地方へ

佐用から新見まではほとんどの場合、途中の津山で乗り換えになります。
ここから先の車両はそれまでより1世代(鉄道車両でいう15年程度)古い、バスのような1両のディーゼルカーです。
ロングシートと4人掛けの座席の混合で、こちらの車両にもトイレはあります。

乗り換えとなる佐用駅

運転本数はさらに減り、特に日中の運転本数は2,3時間空くこともあります。
今まで姫路市やたつの市の人口で何とか体面を保っていましたが、いよいよ本格的なローカル線らしいダイヤとなります。
佐用~新見の乗車時間は2時間半強ですが、津山での乗り換え時間を含めるとトータルの所要時間は3時間以上になります。

急行列車の華やかな時代の空気を留める津山駅

急行列車のグリーン車乗車口案内。
津山駅にて。

かつて姫新線には京阪神地区から美作地方に点在する温泉や、津山へのビジネス客のために急行列車が運転されていました。
それも10両を越える長大編成の列車が、途中で分割併合を繰り返しながら走っていたのです。
しかし、1975年に中国自動車道が開通してからは自家用車や高速バスに客を奪われました。

その古き良き時代の雰囲気を残しているのが津山駅です。
路線図を見て分かる通り、津山駅は各地からの列車が集まる鉄道の街でした。
1両か2両のディーゼルカーしかいないのに、古いホームは立派な長さで売店跡らしきものも見られます。

駅から徒歩10分くらいの所に「津山まなびの鉄道館」があり、ここでは転車台や扇形機関庫、歴代のディーゼルカーなどを見学できます。
乗り換え時間が1時間以上ある時は是非とも訪問したいものです。

中国山地の盆地を縫って走る

上月駅を出ると列車は上りにかかります。
沿線も風景からもしっとりとした風情が感じられます。

この辺りでは列車は25㎞くらいの徐行運転を行います。
勾配やカーブを考慮しても遅すぎるので、線路や付近の地盤が弱いのでしょう。

万ノ峠トンネルの中でサミットに達し、ここが兵庫県と岡山県の県境です。
峠を越えた次にある美作土居駅は木造のレトロな駅です。
この先もこのような味わいのある途中駅が続きます。

林野駅は昔温泉観光客で賑わっていた駅で、急行列車も停車していました。
立派な駅舎にその面影を見ます。

林野駅では駅舎とホームが離れている

その後もなだらかな田園風景が続きますが、東津山駅に近づく頃には市街地に入ります。
吉井川を渡ってまもなく、美作地方の中心都市にして鉄道の要衝である津山駅に到着です。
ここから新見行の列車に乗り換えです。

津山を出てしばらくすると、姫新線を衰退の道に追いやった中国自動車道があおるようにつきまとってきます。
地形に忠実に進む姫新線に対して、近代的なハイウェイを走る車は列車をスイスイと追い抜いていきます。

相変わらず川沿いの集落と水田を眺めながら走ります。
中国山地はなだらかな地形なので、姫新線の線路も極端な急勾配はほとんどなく、それ故に車窓はいくらか単調です。

道中では材木が積み重なっているのをよく見ました。
そういえば家は意外と、と言っては失礼ですが、立派で針葉樹林も時折見かけます。

中国勝山駅も以前は蒜山高原への拠点だった主要駅です。
今は使われなくなったレールが草を被って寝ています。

中国勝山から先は勾配・曲線は急になり、トンネルも多くなります。
そして線路に付きそう川も細くなっています。

のどかな田園風景から、ひっそりとした山間部の情景になります。
3連休初日の土曜日でしたが、途中駅では家族連れや中高年が乗ったり下りたりを繰り返しています。

列車はなおも登り、丹治部たじべを出て1㎞くらい先がサミット。
ここは姫新線の最高地点で標高は374mです。

トの字の勾配票がサミットを表わす

以降、小型の気動車は解放されたように軽やかに走っていきます。

岩山駅の片方のホームは自然と同化していた

やがて高梁川沿いの街並みが現れ、姫新線の終点である新見駅に到着です。
ここは伯備線と芸備線(事実上)の接続駅です。

伯備線の架線と電車が見えてきた
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新見~三次

超閑散としたダイヤ

新見駅から備中神代駅までは正確には伯備線の線路です。

芸備線の前半、つまり三次までは日本でも有数の超閑散区間です。
途中の備後落合で乗り換えになりますが、新見から三次へ乗り継げるスジは2本だけ。
しかもうち1本は新見5時18分発なので、実質的に使えるのは新見13時2分発の便のみです。(多客期には7時17分発もある。)
そのため、プランニングにあたってはまずこの区間を軸に組み立てる必要があります。

新見駅

車両は姫新線後半部分と同じディーゼルカーです。
トイレも車内にあるのですが、私が乗った時のように区間運休が発生している場合は、トイレが使用できない(汚物処理ができないため)ので要注意です。
新見から三次までの所要時間は、備後落合の乗り換え含めて3時間程度です。

陰陽連絡線だった芸備線

1967年10月号の時刻表より。
翌年、山陰へ抜ける急行は「ちどり」に統一される。

前章で姫新線の栄枯盛衰物語をしましたが、芸備線もそれに負けない凋落の歴史を持っています。
広島から芸備線で備後落合まで行き、スイッチバックして木次線を経由して山陰本線の松江・米子さらには鳥取へと至る急行「ちどり」は、中国地方を代表する列車でした。
夜行列車まであったとは現在では信じがたい話です。

こちらも道路の整備でバスやマイカーに取って代わられたうえに、沿線人口も減少したことで日本屈指の閑散線区となりました。
停車中・乗り換え時間で売店や近くの旅館が栄えた備後落合駅は、今や1日に数回しか列車が来ない無人駅となっっていますが、それだけに駅構造やホームには郷愁が満ちています。


他の区間にはない迫力ある車窓

新見の次の布原駅はかつて信号場でしたが、この手前はSLの撮影地としてよく知られていました。
曲線上の橋という以外にも、列車をSLが三重連で牽き、勾配で煙をモクモクあげているため、映える条件がそろっているそうです。

「撮り鉄」が押し寄せた名撮影地

備中神代駅からは正真正銘の芸備線です。
しばらくは比較的平坦な田園地帯です。

野馳のち東城駅の間にある大竹山トンネル入り口が岡山県と広島県の境です。
ここを境に駅名も「備中○○」から「備後○○」となります。

東城駅はこの辺りでは大きな駅で、帝釈峡への玄関口でもありました。

姫新線と同様に、基本的には穏やかな中国山地の地形を反映した芸備線ですが、東城駅から30㎞先の比婆山ひばやま駅までは急勾配と急曲線の連続する険しい線路です。
列車は上り勾配に挑みます。

民家にはオレンジ色の屋根の物が目立ってきます。
広島県に入ってからこの色が増えてくるのは、山陽本線にも見られるパターンです。

小奴可おぬか駅~道後山駅のサミットが芸備線の地点(標高624m)です。

レールが縦に曲がっている。緊張の瞬間。

道後山駅からは下り急勾配が続きます。
曲線上にある橋梁は結構高く、迫力のある景色です。

崖に沿って何とか線路をこしらえたといったところでしょうか。
この辺りはしばしば雪や災害で不通になりますが、よくぞその度にこんな区間を復旧してくれているものです。

人の手が及ばない山野を恐々と進んでいくと、突然視界が開けて備後落合駅に到着します。
この山奥に佇む味わい深い駅は、かつては中国地方各地から急行列車が集まるジャンクションとして栄えていました。
木次線が接続しており、芸備線もここで運転系統が分かれています。

不相応に長いホーム、自然に帰りつつある線路、転車台跡…。
この駅にあるもの全てに諸行無常の響きが感じられます。

備後落合駅での乗り換えは木次線の列車も含め概ね良好ですが、もし可能なら有志でガイドをされている国鉄OBの方の話を聞いたりして、ゆっくり過ごしたいものです。
「昔は栄えていた駅」は(残念ながら)全国にたくさんありますが、その中でも雰囲気の良さでは備後落合駅は屈指の存在です。

備後落合駅からしばらく木次線と名残惜し気に並走しますが、意を決したようにお互い反対側にぷいとカーブして別れます。
「いつまでも達者で」と言い合って去っていくような趣があります。

相変わらず人口が希薄な所を細い川に沿って走ります。

そりたつような赤い屋根の駅舎が特徴の比婆山駅からは、幾分勾配と曲線は緩みます。

ところで、車内は比較的空いていましたが、鉄道ファンと思しき人が半分くらいでした。
彼らは途中駅でしばらく停車する時は車両の細かい部分まで撮影しますが、乗車中は寝ているかスマホでゲームをしています。
よく「鉄道ファン」と一括りにされますが、私とは関心の対象・興味の持ち方が全く異なります。

備後西城駅付近では灰色の瓦屋根の民家が密集している風景が印象的でした。

左手に西城川を見ながら走りますが、右手には崖が迫っています。
建設に苦労したのでしょうが、保線にも気を使うことでしょう。

やがて開けて盆地に出ます。
備後庄原駅は比較的大きな駅で、反対側列車と行き違いをしました。
撮り鉄たちが嘗め回すようにディーゼルカーの写真を撮っていました。

その後は小さな駅が続きますが、駅間が短くなってきたことからも沿線人口が増えたのが分かります。

なおも盆地を行き、八次駅まで来ると市街地になります。
終点三次駅もディーゼルカーがたむろする鉄道の要衝ですが、ここから発着する三江線は2018年廃止されました。
私が三江線に乗ったのはその前の年でしたが、その時も九州や北海道からも「同業者」が来ていました。

三次駅に着いたのは16時3分。
私はここで1泊しましたが、16時9分発の快速「みよしライナー」に乗り継げば17時34分に広島に着くことができます。

江の川と馬洗川などその支流が交わる三次市は鵜飼でも知られており、古い橋でも架かっていれば岩国と同じような街です。
うだつの上がった立派な家も多く、目的もなく散歩するにも楽しい所でした。
また、三江線の橋梁が今なお残っています。

三江線の橋梁

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三次~広島

快速列車の設定もあるダイヤ

これまでスカスカのダイヤだった芸備線ですが、三次から広島までは1時間に1本程度と本数が急増します。
広島に近づくにつれて本数も増えていき、最後の方は電化されていてもおかしくありません。
しかも快速「みよしライナー」が5,6往復(土日)設定され、中距離都市間輸送の使命を今なお果たしています。

朝の三次駅


かつての陰陽連絡急行「ちどり」(広島~米子)の成れの果てだった、急行「みよし」が最後(2007年)まで生き残っていたのもこの区間です。
活気を幾分取り戻す芸備線後半ですが、車両は鈍重な国鉄型ディーゼルカーです。
三次から広島までの所要時間は快速で1時間半弱、普通では2時間弱です。

代行バスと列車で広島へ

三次駅から下深川しもふかわ駅まで代行バスに乗車です。
江の川に沿って三次盆地を走ります。
昨日より天気が良かったせいか、寂れた雰囲気はあまり感じられません。

向原駅を過ぎてからは田園風景から山間部になりました。
おそらくこの辺りが旅行の前月(7月)の豪雨で被害を受けたのでしょう。
全線鉄道で走破できなくて愚痴る訳ではありませんが、毎年何処かしら不通になるのでは公共交通機関としては頼りないものです。

下深川駅で列車の旅が再開しますが、広島までは僅か10数キロです。
市街地が急に広がり、列車本数もこの駅から増えるのもよく分かります。

下深川駅

右手に広島湾に注ぐ太田川を見ますが、川沿いには比較的新しいベッドタウンが造成されています。
宅地化は山腹にも達しています。
何となく横浜線を思わせる風景です。

列車は1駅停まるごとに乗客が増え、やがて立ち客も多くでるようになりました。
思えば昨日の朝の播磨新宮駅以来、旅を共にするのは鉄道ファンと中高年ばかりでしたが、今や若者の姿も多く、久しぶりに都会の空気を吸ったような気がします。

広島はもうすぐ。車内は混雑している。

ついに芸備線の終着、広島駅に着きました。
周りの路線が新型電車に置き換わった現在、芸備線の列車は時代から取り残されているようです。

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派手さはないが雰囲気と歴史が魅力

姫新線も芸備線も、所謂SNS映えする絶景ポイントやドラマチックな展開があるわけではありませんが、どこまでも続く「鄙びたローカル線らしい風情」が魅力的の路線です。
列車は淡々と走っているようで大小数多くの山を越え、その度に個性的な駅が迎えてくれます。

「点ではなく線で楽しむ」という列車旅の原点に辿り着く時、そして両線が賑わっていた時代に思いを馳せる時、鉄道旅行の大いなる楽しさとそこに染み渡る悲しさを味わうことでしょう。

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