兵庫県の瀬戸内海側の主要都市、神戸・明石・姫路。
JR神戸線の新快速に乗ると40分で過ぎてしまうエリアだが、それぞれが見所の豊かな都市である。
そして昔から関西の鉄道は会社間の競争が活発で、やはりそれぞれが明確な個性を持っている。
西宮市を拠点として、阪急電鉄・阪神電鉄・山陽電鉄の私鉄3社およびJR神戸線に乗って、各都市と各鉄道会社の魅力や歴史を探っていこう。
本記事はその前半の神戸パートを収録した。
なお、実際の日程として1日目に半日神戸観光をし、2日目の午前中は神戸の続き、その後夕方まで明石と姫路を訪れた。
①神戸前編:エキゾチックな都市神戸
「良いものは古くなっても良い」を体現する阪急電車
2024年7月中旬の曇って蒸し暑い昼過ぎ、西宮北口駅から阪急神戸線の特急に乗った。
私が生まれる前から走っていた車両がまだ活躍しているが、首都圏の新型車両より遥かに綺麗で乗り心地も良い。
否、首都圏の通勤電車「走ルンです」(昔流行った使い捨てカメラをもじった名称)と比べることはマルーン色の阪急車両に失礼である。
そういえば、神戸に転勤になった東京の大学の友人が「阪急は電車が綺麗だな。それに乗客も美人が多いじゃないか。」と言っていたのを思い出す。
六甲山の麓にある閑静な住宅地を直線主体で走る。
神戸線が開業した大正時代、沿線はまだ過疎地だった。
「乗客は電車が創造する」の言葉通り、沿線開発を通して需要と地域ブランドを創出した阪急電鉄の創業者小林一三の手法は、その後の私鉄経営のモデルとなった。
北から山なみが、南からJRの線路が近づいてくると神戸三宮駅に到着した。
「神戸三宮駅」は阪急も阪神も同じ駅名を使っている。
利用者としては「阪急三宮」とか「阪神三宮」の方が分かりやすい。
そうなっていないのは、例えば「阪急三宮」を正式な駅名とした場合、阪神の方こそが「本家」の三宮駅だと思われる、みたいなプライドがあるためだと聞いたことがある。
「大阪梅田駅」も同様である。
北野の異人館を巡る
地元にもかかわらず、というか地元だからこそ、実はこの辺りにはまだ行ったことがなかった。
神戸三ノ宮駅から北上し、まずは山手にある異人館街に行く。
神戸開港を機に日本に来た外国人は、20年経って世の中とともに彼ら自身も経済的に安定すると、それまでの海岸沿いからここ北野一帯に居住するようになった。
汗をぬぐいながら坂を登り、ラインの館に着いた。
付近の情報センターも兼ねている。
名前はベージュの外観の横線が目を引くことから付けられいて、ドイツのライン川とは関係がない。
ラインの館の脇の坂道を登ると賑やかな通りに出た。
トリックアート展やオルゴール館など、どの観光地にでもあるものが一通り揃っている。
こんな所で金を落とすカモになるまいと決意するも、六甲牧場ソフトクリームを売るお店があって、暑さに負けて引き寄せられてしまった。
550円は観光地価格だなと思って一口舐めると、今までで食べたソフトクリームの中で一番美味かった。
これなら猛吹雪の中でも食べたい。
原宿のような俗化された雰囲気によって害された気分も、ソフトクリームでクールダウンした。
ちなみに今回は行かなかったが、三ノ宮駅周辺から異人館街にかけては雰囲気の良い喫茶店も多いので、観光の休憩などに是非利用したい。
次に訪れたのはうろこの家。
瓦のように加工した天然石を魚の鱗のように貼り付けた外観が非常に特徴的な木造洋館である。
その横にレプリカのような建物が1982年に建てられ、展望ギャラリーとして使われている。
チケット売り場で並んでいると係の人が凍ったタオルを渡してくれた。
炎天下で体を冷やして気が緩んでいるうちに、勧められるまま周辺施設とのセット券を購入した。
うろこの家とその周辺の洋館を一通り見る。
どの建物も外観・内装は見応えがあった。
しかし、ガンダーラやアフリカの美術品展示など、(それ自体は興味深かったが)建物の歴史的役割とは関係ないものもあったのは気になった。
そうはいっても、料金もお得だったことだしセット券を買って良かった。
神戸の異人館で最も有名な風見鶏の館は臨時休業中だった。
いつでも来れるのでまた今度にしよう。
すぐ近くにある萌黄の館に入る。
ここは落ち着いた雰囲気の内装で、天井や壁、暖炉のタイルに至るまで繊細な装飾が施されていた。
庭には1995年の阪神大震災で吹き飛んだ煙突がそのまま保存されていた。
教会・ジャイナ教寺院など、国際色豊かな建物を幾つも見ながら散策し、神戸ムスリムモスクを訪れた。
モスクながら外観は教会を思わせる。
中に入ると、日本語含め5か国語を操るというパキスタン人男性が案内してくれた。
建物の由来やモスクについての説明によると、1935年に建てられた日本初のモスクらしい。
そして震災では周りの教会などの建物は全て倒壊したが、ここだけが無事だったという。(写真でも確かにそうだった)
「神様が守ってくれたのです。」と彼が言う。
聡明で敬虔な男性に礼を言って去る。
神戸でまだまだ見たいところはあるが、時間が迫っていたので明日に回す。
②神戸後編:実は神戸も都になっていた
阪急とは正反対キャラの阪神
2日目もまずは神戸へ行く。
昨日と同じ行き方では芸がないので、西宮北口駅から今津線に乗って今津駅まで行き、そこから阪神電車に乗り換えた。
阪急と阪神はあらゆる面で好対照である。
並行する阪急と違って阪神は駅間距離が短く、1㎞にも満たないことも多い。
実際、大阪梅田駅と神戸三ノ宮駅の間にある途中駅の数は、阪急が14に対して阪神は30もある。
今津・西宮間は1.3㎞と阪神にしては長いのだが、昔はこの間に西宮東口という駅があった。
西宮駅で特急に乗り換え。
工業地帯に近い海側の雑然とした住宅街を走る阪神はカーブが多く、やはり阪急とは対照的である。
駅間が短いために、普通電車専用の青い電車は加速性能が格段に高い「ジェットカー」が使われ、急行用車両とは区別されている。
さらに山陽電鉄や近鉄の車両も乗り入れており、行き交う車両を見ていると実に賑やかである。
新旧問わずマルーン色の車両ばかりの阪急が同質性の高い中産階級の市民社会なら、阪神は自由と多様性を重んじるリベラル社会だろうか。
なお、阪神の急行用車両といえばかつては赤色だったが、近年はオレンジ色になっている。
これは「読売ジャイアンツを連想させる」として酷く不評で、株主総会でも度々意見が出るらしい。
赤線:阪急神戸線、青線:阪神本線、黄線:阪急今津線、間をJR神戸線が通る
国土地理院の地図を加工して利用
このように非常に個性の強いライバル同士の阪急と阪神が2006年に経営統合に至るとは、鉄道事業をはじめ諸分野で競い合った戦前の実業家たちには信じられないことだろう。
ちなみに、甲子園球場と同じ西宮市を本拠地とした阪急ブレーブスという球団があったが、こちらは1988年にオリックスに身売りされている。
お互い切磋琢磨してきた阪急と阪神も、球団経営に関しては阪神の圧勝だった。
平清盛ゆかりの幻の都、福原京
古代の都というと、奈良の平城京や京都の平安京を思い浮かべる。
しかし、実はほんの短い期間ながら神戸にも都が存在したのである。
神戸三宮駅の一つ先の元町駅で降り、そこから市内バスに乗って雪見御所旧跡に行く。
古代末期の1180年、平清盛がこの辺りの福原に遷都を図るが、その北に平家の屋敷があり、その一つが清盛の邸「雪見御所」だった。
場所は海側から続く上り坂が少し途切れたところで、水族館の駐車場の傍らに雪見御所跡の碑と説明文があった。
住宅が無かった時代は見晴らしが良かったことだろう。
しかし福原遷都には反対の声も大きく、結局実態のある都を完成させないまま、僅か半年で都は平安京に戻った。
歩いて坂を下り、荒田八幡神社に寄る。
福原遷都の際には安徳天皇がここにあった山荘に駐在したという。
滅亡した平家、壇ノ浦で入水した安徳天皇、そして福原京。
小さな丘の上にある気づかず通り過ぎてしまいそうな神社にいると、諸行無常の思いがよぎる。
かつて福原京があった場所は雑然とした住宅や商店街だった。
チャラけた観光地と違って、ここは庶民の生活に根差した雰囲気である。
通りかかった肉屋で100円のコロッケを買った。
またバスに乗って地下鉄の中央市場前駅へ。
近くには明治時代に開削された運河が通っているが、清盛が修築した古代の港大輪田泊があったのもこの辺りである。
運河沿いのプロムナードにある黒ずんだ巨石は、大輪田泊の港湾施設の一部だという。
ここが日宋貿易の拠点だった。
さらに歩くと清盛の墓とされている清盛塚に着く。
十三重の石塔の横に清盛像が建っている。
時代の支配者というより、近所のお寺の住職といった感じの柔和な表情をしていた。
一般に平氏政権については、武士でありながら古代的権威を纏った貴族化した権力と評される。
一方で、万事において消極的で矮小になっていた平安貴族社会において、中国(宋)との貿易を再開した視野の広さがあったのも事実だろう。
中世から近世への橋渡しをしたのが織田信長なら、古代から中世への橋渡し役を担ったのは平清盛なのかもしれない。
楠木正成の湊川神社
2001年に開業した地下鉄海岸線に中央市場駅からハーバーランド駅まで1駅だけ乗る。
ハーバーランド駅はJRの神戸駅に近い。
明石に行く前に、駅から徒歩圏内の湊川神社を訪れて神戸観光の締めくくりとしよう。
ここは鎌倉幕府打倒に大いに貢献し、その後も後醍醐天皇に忠誠を尽くして足利尊氏を迎え撃って善戦するも敗れた楠木正成を祭神とする神社である。
境内では正成の功績と後世の評価について、イラストやチャット形式を用いて分かりやすく解説している。
そして神社の隅っこの一画に「嗚呼忠臣楠子之墓」と書かれた正成の墓碑が、静かに堂々と鎮座していた。
思えば、昨日訪れた異人館は建築としては見事だったが、外国人居留地一帯の観光地は何処か表面的だった。
平清盛の福原京遷都も一瞬の夢のうちに終わっている。
何かと中途半端になりがちな神戸において、楠木正成の一貫した生き様には卓越したものがある。
足利尊氏を評価しながら戦を交えて敗死した彼を、日米開戦に反対しながら連合艦隊司令長官として殉職した山本五十六と重ね合わせる人もいる。
ここで神戸観光を終え、JR神戸線の新快速に乗って明石へ向かう。
なお、1日目も2日目も正味2~3時間くらいの観光時間を要しているので、食事・休憩も合わせればこれだけでも日帰りコースになる。
以降は次回の記事にて。
コメント