【鉄道で紀伊半島一周・前半】新型車両HC85系、特急南紀自由席の乗車記

幹線

2023年7月、特急「南紀」(名古屋~紀伊勝浦)に新型車両HC85系が投入されました。
この「南紀」の走る紀勢本線はダイナミックな車窓変化に富む、とても魅力的な路線です。

2023年12月上旬、紀伊半島一周の東半分として、名古屋を昼過ぎに出る「南紀5号」に終点の紀伊勝浦まで乗車しました。

赤線が特急「南紀」の経路
国土地理院の地図を加工して利用
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新型ハイブリッド気動車HC85系

特急南紀は紀伊半島の東側を走る列車です。
名古屋から三重県の津を経由し、和歌山県の紀伊勝浦(1往復は新宮)まで1日4往復運転されています。
名古屋から紀伊勝浦まで乗り通すと、所要時間は4時間弱となります。

2023年に投入されたJR東海の新型車両HC85系は、特急車両では日本初めてのハイブリッド気動車です。
ハイブリッド気動車とは従来のようにエンジンだけで走行するのではなく、エンジンやバッテリーで出力したエネルギーでモーターを駆動させます。
この方式により環境負荷の低減や快適性の向上が実現しました。

エンジンとバッテリーの出力で加速中

キハ85系の豪快なエンジン音もそれはそれで魅力ではありましたが、HC85系の走りっぷりはスマートです。
皆さんが小学校の理科の授業で習った通り、ガスバーナーの炎はメラメラ燃え盛る赤い炎より、整った形の静かな青い炎の方が温度が高いのです。

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特急「南紀」の車内(グリーン車は廃止)

特急「南紀」ではグリーン車が廃止され、通常は普通車のみの2両編成と寂しい内容となっています。
名古屋寄りの1号車が自由席、紀伊勝浦寄りの2号車が指定席です。
混雑期は増結されるらしいです。

特急「南紀」の車内

車内のインテリアはなかなか良いと思います。
「ワイドビュー」を名乗っていた先代のキハ85系ほどではないにせよ、窓が大きいです。
各座席にコンセントが付いていてWi-Fiも利用可能です。
荷物置き場も広く、令和時代に求められる設備を揃えています。

特急「南紀」の座席

デッキには「ナノミュージアム」といって、沿線の伝統工芸品がさりげなく展示されています。
特急「ひだ」に乗った時は、さすが飛騨匠の伝統を有する高山本線らしいなと思い、「南紀」のナノミュージアムが楽しみでしたが、今回も飛騨のものだったのは残念でした。
車両ごとに展示品は異なり、実際には伊勢のものもあるそうです。

車内販売・自販機はありません。
途中駅でしばらく停車することもほぼ無い(そもそも駅に売店があるかも怪しい)ので、乗車前に買い物は済ませておきましょう。

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予約は「えきねっと」または「e5489」で

特急「南紀」の予約はJR東日本の「えきねっと」、またはJR西日本の「e5489」で行うことができます。
不思議なことに、自社であるはずのJR東海の「スマートEX」では在来線特急の予約はできません。

どちらのサービスを使っても早期割引は設定されていません。
お住まいから切符が受け取りやすい方を利用すればよいでしょう。
どちらかといえば、座席表から好きな席を選ぶことができる「e5489」の方が良いです。
「えきねっと」だと、車両の両端(または両端以外)・A~D席のいずれか、の範囲内で希望することはできます。

もっとも、東京や大阪から新幹線で名古屋に出てから「南紀」に乗るのであれば、普通にみどりの窓口で買った方が乗り継ぎ割引が効くので安くなります。

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南紀5号の乗車記

【混雑具合】名古屋駅を出てからも乗客が増え続ける

12時40分、人もまばらな名古屋駅のホームに特急「南紀」が入線。
清掃作業を終えて12時48分に乗車できるようになりました。
まだ発車していないのに、微かに関西弁アクセントのある車掌が検札を始めます。
特急券を持っていない人が結構いました。

12時58分、ガリガリとエンジンを鳴らして名古屋駅を発車。
東海道本線からすぐに弾き出されるように背を向け、我らが関西本線は近鉄と並走します。
近鉄と違ってこちらは単線をチンタラ走り、駅前後のポイントではグラグラ揺れます。
自由席の乗車率は5割前後、指定席はその半分程度でしょうか。

列車は伊勢湾に注ぐ川を幾つも渡ります。
中でも桑名駅に着く前に渡る木曽川とそれに続く揖斐川は、川幅の広さ、水量共に申し分なく、まるで湖の上を走っているようです。

大きなコンビナートや石油を積んだ貨物列車の列が見えてくると、工業都市の四日市駅に到着です。
ここで降りる人が何人かいました。

四日市駅から二つ目の河原田駅かわらだ(通過)から、第三セクターの伊勢鉄道に入ります。
「南紀」の切符には伊勢鉄道の運賃・料金が含まれているので、車内で追加料金を払う必要はありません。
比較的新しい時代に建設された高速運転向けの路線を、ようやく特急らしくなった「南紀」が枯草を巻き上げながら疾走します。
高架から広々とした田園地帯を眺めます。

県庁所在地の津駅でJR紀勢本線と合流。
予想に反して、ここで降りる人は1人だけ。
代わりにまとまった人数が乗ってきました。
次の松阪駅でも10人程度乗車して、自由席の乗車率は7割程度と名古屋出発時よりも高くなっています。
松阪からこの先の尾鷲駅までが道中で最も混雑した区間でした。

都会から田舎へ行く特急は、都会の近郊区間が過ぎると一気に空いてしまうのが通常です。
「南紀」がその逆パターンなのは松阪までは近鉄が並行し、さらに名古屋発鳥羽行きの快速「みえ」も走っているため、近距離客の利用が分散しているためだと思われます。

多気駅にはもはや中京都市圏の雰囲気はありません。
松阪駅で乗って来た関西弁のおばちゃん勢の一人が、今年有名になったパイン飴を仲間に配っています。
おそらく大阪から近鉄で伊勢に来て、これから南紀観光に行くのでしょう。

【車窓】山を越え海に落ちる、ダイナミックな景色

それまで平坦だった行路は山道となり、左手には深い谷が刻まれています。
田舎に来て一軒家は大きくなりましたが、道路沿いのコンクリートの建物はくたびれています。
作物の育ちが良くないのか、畑は荒れています。

三瀬谷駅みせだに付近で一旦開けるも、緩やかな上り勾配がその後も続きます。
やがて「まもなく紀州への入り口となる荷坂峠にさしかかります」と車内アナウンスが流れます。
この峠のサミットにある小さな梅ケ谷駅を通過し、トンネルの連続で急勾配を下ります。
ブレーキをかけている時のHC85系は走行音が静かです。

坂を下った先で対峙するのはリアス式の海。
感動する間もなく、紀伊長島駅に到着します。
峠越えから一気に海に落ちるダイナミックな展開です。

以降はギザギザした海岸に沿って走ります。
ノコギリの歯のようになった半島の基部はトンネルで通過し、その間に海が見える、をずっと繰り返していきます。
尾鷲駅で降りる人が結構いました。

尾鷲~熊野市の区間が、紀勢本線で最も遅く開通した区間です。
駅の前後以外はほとんどトンネルで、顔を見せる海は断崖絶壁の時もあれば、入り組んだ湾に臨む漁村の時もあり、それだけに車窓は印象的に残ります。
以前夏にここを通った時は、トンネルを抜ける毎に天気が雨になったり晴れになったり、目まぐるしく変わるのに驚いたものです。
日本で最も雨が多い地域にもかかわらず、耕作放棄された畑には太陽光パネルが設置されています。

熊野市駅に着く5分くらい前に見える新鹿あたしか海岸は弓状の形をした砂浜です。
温暖な常緑広葉樹林帯のためか、辺りの山は冬でもおおらかな緑です。
熊野市駅で降りる人が外国人も含めて多数いました。

【車窓】海岸は穏やかになっていく

ここからはなだらかな七里御浜の海岸線に沿って走ります。
住宅に阻まれて海岸が見えにくいですが、それまでとは全く雰囲気が異なります。
車内アナウンスが熊野川を渡ることを知らせました。
この川が三重県と和歌山県の県境で、これまでの閉塞感を一掃するくらいの景色です。
まもなく列車は新宮駅に着きます。
車内に残った客はほんの僅かでした。

新宮からはJR西日本の区間となります。
いわば、紀伊半島一周の前半と後半の境界でもあるのです。
凪いだ海の水平線は既に赤紫に染まり、壮大なグラデーションを背景に独りで釣りをする人がとても小さく見えます。

紀伊半島一周の後半戦は、豪快な自然に人がひれ伏す前半戦とは異なり、海辺のリゾートホテルや、張り出した黒い岩礁などが織りなす明るいパートです。
その意味で、「南紀」の新宮~紀伊勝浦は前半パートの予告編といった様相になります。

16時43分、薄暮れの紀伊勝浦駅に到着。
終着にしてはこじんまりとした駅です。

駅から数分歩いた所に漁港があり、ホテルも点在しています。
社員旅行らしき一行が、近くの島にあるホテルへ渡るための船に乗り込んでいきました。
その他は日本人よりも外国人旅行者のほうが目につきます。

ブレているだけで心霊写真ではありません

夕食は居酒屋へ。
鯨の一品料理の数々やイルカの刺身、そしてマグロ丼と滋養に富む珍しいグルメを堪能します。
おかげで筋肉痛がすっかり解消しました。

鯨の竜田揚げとイルカの刺身

翌朝は紀伊半島一周の後半戦。
引退説が囁かれる283系の「くろしお」で大阪へ向かいます。

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豪快な自然に閉ざされた小さな漁村を行く

特急「南紀」は紀伊長島から海に沿って南下します。
一口に「海沿い」と言っても、リアス式海岸あり、直線状の砂浜あり、とその車窓は変化に富んでいます。

そんな景色のなかで最も印象的なのは、湾と山に閉ざされた民家でしょう。
その集落を見ていると、ここに住む人々はどんな生活を送って来たのだろうかと、ふと考えることがあります。
陸の孤島を呼ばれたこの地域に、着工以来40年の時を重ねて昭和34年に紀勢本線が全通したことの意義が、ひときわ強く感じられるようです。


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