【2泊3日、四国みぎうえモデルコース】土讃線・徳島線で善通寺と吉野川沿いをゆく(2,3日目)

旅行記

本州と九州に三方を囲まれた小さな島、四国。
とはいえ、全体をしっかり観光するにはそれなりの日数を要する。
「2泊3日の休みを利用して手軽に四国を周れないか」と思案した私は、「四国みぎうえ」周遊コースを思いついた。

ここでいう「四国みぎうえ」とは、高松駅を起点とすると予讃線・土讃線経由で阿波池田駅、そして吉野川沿いに徳島線を東進して徳島駅に至る、要するに香川県及び徳島県北部地域のことである。
さらに徳島駅から高徳線に乗れば高松駅に戻って一周が完成する。
関西地方に近いこのエリアは城・寺社・街並みなどの史跡がコンパクトに充実しており、鉄道によるアクセスも良好なので、文字通り「四国旅入門編」としてお勧めできるモデルコースでもある。

「四国みぎうえ」ルート
青線:1日目、黄線:2日目の行程
国土地理院の地図を加工して利用

2024年7月中旬、実家(兵庫県西宮市)を拠点に1日目は高松、2日目は徳島に宿泊して「四国みぎうえ」を鉄道で辿った。
本記事で収録した2日目は、弘法大師空海生誕の善通寺を訪れてから徳島県に入り、阿波池田、脇町と江戸時代に栄えた吉野川沿いの街を徳島線で辿る。

スポンサーリンク

実は希少、特急「しまんと」で高松から善通寺へ

繁華街にあるホテルから高松駅まで歩いていく。
駅の方から来る3連休明けの通勤客と絶えずすれ違った。
高松駅8時25分発の高知行き特急「しまんと5号」に乗ってまずは善通寺に行く。

ところで、この特急「しまんと」は運転区間こそ高松~高知(1往復は中村・宿毛発着)と県都を結んでいるが、設定があるのは朝と夜だけの4往復だけという寂しさである。
土讃線のうち四国山地越えの区間は急カーブが連続して線路条件が悪く、高速バスに対して競争上不利な条件にあるためだ。
同じ土讃線特急でも昨日乗った岡山発の「南風」は、新幹線からの接続があるので1日10往復以上あるが、「しまんと」は高速道路整備の影響をもろに受けている。
ただでさえ人口減少が顕著な四国の鉄道再生には新幹線が欠かせないだろう。

そんな希少価値の高い「しまんと」は、自由席でも大半の席が空いている状況だった。
途中駅から乗って来る人もある程度いたが、2両編成でも過剰輸送力である。
列車は昨日と同じ道を走る。
水田地帯に円錐型の山がポツポツと盛り上がり、時々ため池も見られる。
車窓から丸亀城を見ると、改めてその威容に感心させられた。

高松駅から30分で善通寺駅に到着。
駅から寺までは10分程度だった。
南大門から敷地に入ると、まず五重塔の大きさに驚かされる。
入口近くのクスノキは空海が幼少の頃から茂っていたそうで、だとすると樹齢は1,200年を超える。

善通寺は元からあった伽藍(東院)に隣接して鎌倉時代に造られた西院を有し、その寺域は四国で最も広いという。
西院は建物の造りもその配置も寺院と言うよりは神社のような雰囲気で、中心部にある御影堂には密教らしい法具(肖像画で空海が手に持っているような物)が内部に飾ってあった。
また、敷地内の屋根付き通路には空海の生涯と功績を描いた絵が8枚ほど飾られていて、これは教会のステンドグラスに描かれたキリストを思わせる。
お遍路さんがたくさん来ていて、あちこちの建物でグループがお経をあげていた。

善通寺から出てくると、ちょうど自衛隊の輸送車両と出くわした。
ここは軍都としての歴史も持っており、かつて陸軍の師団が置かれ、今も自衛隊の駐屯地がある。
護国神社や明治時代に建てられた陸軍将校のサロンを見るだけで済ませて、善通寺駅に急いだ。

「南風5号」の自由席は混んでいて辛うじて通路側の座席に座る。
昨日同じ列車に岡山から丸亀まで乗ったが、増結していたのでもっと空いていたように思う。
次の駅の琴平駅は金比羅宮の最寄りで、降りる人がいたので窓側に座れた。
こんぴらさんには昔行ったことがあるので今回は省略したが、高松から琴平までJRだけでなく琴電でもアクセスできる。

これまで電化されていた土讃線も、琴平からはずっと単線非電化。
急カーブが連続する線路を振り子式気動車が懸命に走る。
この辺りは右手の車窓に注目したい。
ひと山越えて徳島県に入り、勾配を下りながら右手の吉野川の流れと共に東に進む。
ところが途中でUターンしながら吉野川を渡り、今度は右岸を西に向かって走り、11時23分に阿波池田駅に到着する。
このダイナミックな光景は土讃線の第一ハイライトである。

スポンサーリンク

阿波池田・脇町、徳島本線沿いのうだつの上がる街を行く

土讃線と徳島線が事実上交差する阿波池田駅は、山あいにある鉄道交通の要衝で、私はこういう雰囲気が好きである。
1時間少々時間があるので駅周辺を散策する。

駅から徒歩5分くらい歩くと、かつて刻み煙草の製造で栄えた通りに出る。
旧宅の一つは「阿波池田たばこ資料館」になっている。
高台に阿波九城の一つ、阿波池田城(大西城)跡があるというので行ってみた。
しかし、そこにあったのは幼稚園で、「城跡」と書かれた碑の他は近くにある神社と公園が城の痕跡なのだろう。
すぐ近くを吉野川が流れていて市内も見渡せ、讃岐・伊予・土佐への備えを果たすには相応しい立地と思われる。
城に関する記念碑や説明書きを探すも、カメラを持って幼稚園付近をうろついて不審者扱いされるのはマズイので、引き上げて地酒を求めて酒屋へ。
店主と客が活きのいい阿波弁で会話していた。

12時37分発、徳島線の2両編成の普通列車は高校生で大混雑だった。
徳島線は吉野川に沿ってひたすら東を目指す路線だ。
辻駅を過ぎた辺りで見る川は「美濃田の淵」と呼ばれる名勝で、写真は撮り損ねたが川に特徴的な石が露出していて荒々しい風景である。
その後も断続的に吉野川が見られるが、車窓の単調さは否めない。
学生たちは降りて行くも、すぐに別の高校(男子校?)の生徒たちがたくさん乗ってきた。
日焼けした運動部らしき青年たちはヤンチャだったが、友人同士隣り合って座れるように私が席を移動すると礼儀正しく礼を述べた。

13時28分、途中の穴吹駅で途中下車。
ここからタクシーで美馬市脇町南町に行く。
歩くと30分程度なのでバスの便が欲しいところだ。
ここは江戸時代に吉野川の水運を利用した藍(染料)の集散地として栄えたところで、伝統的な造りの町屋が連なっている。
化学染料が明治中期に輸入されるまで藍は徳島県の主要産業で、信じられないことに明治初期には徳島市は全国10位の人口を擁したという。

駅から5,6分で建造物保存地区の入り口に着いた。
この街並みの見所は「うだつ」である。
うだつとは屋根に取り付けられた袖壁で、家事の際に隣家からの延焼を防ぐ役目がある。
このうだつを高くすることが富裕の象徴とされ、出世できない人を指す「うだつの上がらない」という慣用句もこれに由来する。

赤丸部分がうだつ

出世にはまるで関心のない私だが、うだつの町並みを歩いてみよう。
内部を見学できる豪商の旧宅もあり、民家の裏手には川があったので船着き場跡も残されていた。
軒先に飾られた藍染の織物やチリンチリンと鳴る風鈴が、涼し気な風情のある歴史散策を演出してくれる。
が、と言ってもやはり暑い。
強烈に照りつける真昼間の日光が白い漆喰に反射してなおさらである。

二重うだつの家

帰りのタクシーは行きとは違う道を通った。
吉野川を渡る橋は行きの国道ではなく、欄干の低い沈下橋のようなものだった。
運転手は何気なく通過したが印象に残った。

穴吹駅で再び徳島線の普通列車に乗る。
阿波川島駅から川島城の天守閣が見える他は、車窓は相変わらずだった。
徳島線には特急「剣山」が1日5.5往復運転されている。
他の幹線を走る俊足の振り子式車両と違って、「剣山」に使われるのは国鉄末期のキハ185系という気動車である。
停車駅は特急にしては多く、以前私が乗った時も利用者も短距離の客がほとんどで、ローカル快速列車のような雰囲気だったのを覚えている。

ところで、徳島県は日本で唯一電車が走らない県として知られている。
つまり電化区間が無いということだ。
ライバル(?)の高知県もJR線は全線非電化だが、辛うじて路面電車のとさでん交通がある。
それどころか、複線化区間も徳島線が高徳線に合流する佐古駅と徳島駅の1駅だけという不名誉に甘んじている。
せめてもの救いは高松・徳島間の特急が130㎞/h運転を行っていることくらいか。

スポンサーリンク

鉄道不毛の徳島

それはともかく、17時47分に徳島駅に着いた。
駅前のビルこそ近代的だが、その反対側には城山が迫っており、そのせいで県都にもかかわらず阿波池田駅のように田舎の駅の佇まいである。
淡路島経由ルートは無理としても、岡山から高松経由の四国新幹線が延びてくれば、徳島駅ももう少し県都のターミナルらしくなるはずなのだが。

ホテルの部屋でお茶だけ飲んですぐ外出する。
ロビーに置いてあった近隣の飲食店マップを持っておすすめの店をフロント係に聞くと「この地図には載ってないのですが、ここは美味しかったですよ」と言って、昔からあるという海鮮系の居酒屋を教えてくれた。
私は飲食店選びで最も確実なのはホテルの人(地元の人)に聞くことだと思っている。
グーグルマップも使えなくはないが信頼性では劣る。

刺身・アワビの酒蒸し・阿波尾鶏の鉄板焼きなどいろいろ頼むと、必ずといっていいほどすだちが付いてくる。
印象的だったのが甘鯛の松笠焼で、最初は衣をつけて揚げたものかと思った。
高温の油をかけると鱗が松笠のように反りあがるのだと後で知って、その様子を思い浮かべるだけで体中が痒くなったが、ともかく食感と味わいとすだちのアシストは抜群だった。
帰る途中に徳島ラーメンの店に自然と足が向いた。
こってりした豚骨系でトッピングは甘辛の豚肉、そしてニンニクや溶き卵も付いており、この徹底した濃厚路線は隣の県の讃岐うどんへの対抗意識だろう。

ホテルに帰っても仕事は終わらない。
徳島駅ビルで買ったクラフトビールを飲み比べする。
すだち入りのエール・鳴門金時入りのスタウト・鳴門塩とキャラメル入りエールなど、徳島県の特産品を使った個性的かつ完成度の高いビールばかりだった。
製造地にはかなり内陸の田舎もあり、この県にはベンチャー精神が根付いているのかもしれない。
そういえば数年前に世を騒がせた給食のコオロギも、メーカーの所在地は徳島県だったような気がする。

翌日は神戸行きのバスに乗るまでの午前中に徳島市を観光する。
今日はよく晴れてとにかく暑い。
ロープウェイで眉山山頂へ登り、吉野川沿いに開けた徳島市街と淡路島を見渡す。
それだけでも暑くてへばっているのに、話をした年配の男性二人は歩いて登って来たというから恐れ入る。

眉山を散策した後は徳島城へ。
城山に登る前に博物館を訪れた。
江戸時代の徳島藩の蜂須賀氏が参勤交代に使った船の千山丸は金箔塗りで、館内ガイド曰く、後に大正天皇が乗船した時に施された些細な改造さえなければ国宝認定は間違いないとのこと。
博物館隣にある大名庭園は規模こそ大きくはないものの、日本庭園と枯山水から成り、荒々しい石を大胆に使った見ごたえのあるものだった。

昼間の炎天下の中で城山を登り、頂上の本丸跡に辿り着くと広場には見事に何もない。
「城跡」もここまで「無」だと潔い。
しばし感慨に浸っていると、男性のグループに写真撮影を頼まれた。

駅に戻りバスで神戸に帰る。
さすがに私でもこれから敢えて高松・岡山経由の鉄道で行こうとは思わない。
新幹線ができたとしても、徳島から京阪神は値段と時間から判断してバスの方が利用されるだろう。

2日半の四国みぎうえ旅行は終わった。
四国東部の瀬戸内海側を巡ったわけだが、列車・観光・食・酒と楽しめたように感じる。
畿内寄りの優等生タイプのみぎうえの次は、ディープな四国太平洋側を周りたいと今は思っている。






コメント

タイトルとURLをコピーしました