木次線は芸備線の備後落合駅と山陰本線の宍道駅を結ぶ路線です。
ローカル線の話題において、必ずと言ってよいほど取り上げられる路線で、出雲坂根駅の三段式スイッチバックを筆頭に、人里まばらな奥出雲の地を全国的にも珍しい程の急勾配・急曲線でよじ登るように走っていく、もはや観光資源といえる存在です。
また車窓のみならず、風情のある駅の数々も見逃せない魅力です。
そんな木次線を普通列車で、備後落合から宍道まで旅しました。
木次線の乗車記
ターミナルとして栄えた備後落合駅
芸備線と木次線が合流する備後落合駅は、かつての陰陽連絡のターミナル駅でした。
最盛期には100人以上の鉄道関係者がおり、駅前にあった旅館も繁栄したそうです。
今となっては山間部に佇む秘境駅の趣ですが、昔の繁栄の面影があちこちに残っている大変魅力的な駅です。
乗換が便利すぎて10分程度しか滞在できないケースもありますが、是非とも1~2時間くらい時間を割いて味わいたいところです。
ガイドもいて説明してくれる。
木次線も超ローカル線ですが、芸備線とてこの辺りはそれに負けないくらいの閑散とした路線です。
壮観な出雲坂根駅の三段式スイッチバック
備後落合駅を出発して芸備線と別れると、早速30‰という急勾配を上り始めます。曲線半径も200mで特急が運行されている線区ではほとんど見ない急なものです。
トンネルや橋が続く深い山の中を進みますが、線路の状態が悪いのか時速25㎞制限を受ける区間もちらほらあります。
備後落合から2つ目の三井野原駅は木次線の最高地点で標高は726mあります。
ここからは逆に30‰の下り坂が延々と続きます。
道路のよく目立つ赤い橋が最初は見下ろすかたちで見えますが、しばらく走った後に今度は見上げることになるので、列車が大きく迂回しながら下って来たのがよく分かります。
次の出雲坂根駅では木次線のハイライトともいえる三段式スイッチバックが演じられます。
まずポイントを雪から守るシェルターを通過したところでバックして出雲坂根駅に停車。
そして駅を出発するときは再び進行方向を変えて、先ほど通って来た線路を右手に見上げながら進んでいきます。
通って来た右側の線路を見上げながら左側の線路を下っていく。
砂の器の舞台、亀嵩駅のそばを味わう
亀嵩駅は松本清張原作の「砂の器」の舞台として知られる駅です(原作の映画ではロケは隣の出雲横田駅で行われているらしいです)。
あの駅で汽笛が鳴らしながらD51形蒸気機関車が来るシーンが、私が映画を見て最初に泣いた場面です。
さて、亀嵩駅には名物の奥出雲そばの店「扇屋そば」があります。
「本数が少ないのに途中下車なんてできない。」
という人も心配無用。
1時間前までに電話で連絡すればホームまで弁当そばを持ってきてくれます。
普通のそばが600円、とろろと温泉卵付き(写真)が750円で、「これぞ蕎麦」といった本当に芳醇な味がします。
奥出雲の秘境の旅を存分に盛り上げてくれること間違いありません。
ちなみに電話する際に車中からだと、備後落合駅からしばらくはトンネルが多く不通になりやすいので注意してください。
その後も山岳鉄道らしさは続き、駅も相変わらずレトロな感じのものが多いです。
日登駅を過ぎてからは坂も緩み、辺りは開けてきて、まもなく木次駅に到着します。
木次駅からは乗客も増える
木次駅まで来てようやく田舎とはいえ、町らしい駅に着いた気分になります。駅も比較的大きく、隣には車庫もあります。
ここから終点の宍道までは30分少々。
備後落合を出て以来ほとんどの区間で乗客は私一人の貸し切り状態で、多くても5人くらいだった乗客数も、ついに2桁の大台に乗った模様です。
木次~宍道までの区間は途中山間部を走るものの、さすがにこれまでの区間と比較すると余興といった感じは拭えません。
山陰本線の架線がまぶしい。
昔は急行「ちどり」の走る陰陽連絡線だった
夜行急行まで運転されている。
今やいつ廃止されてもおかしくない木次線ですが、かつては陰陽連絡線の一部を成し、広島から松江・米子を結ぶ急行「ちどり」が夜行も含めた3往復運転されていました。
南九州の肥薩線の急行「えびの」もそうですが、スイッチバックもある線形の悪い路線を、都市間急行列車が数往復走っていたというのは、高速道路が全国各地で開通した現在では考えられないことです。
関連記事:スイッチバックにループ線、肥薩線絶景の旅【いさぶろう・しんぺい利用】
廃線候補の超ローカル線の指針
三江線の廃線(2018年3月)以来、今度の標的は木次線ではないかという懸念が、特に地元において囁かれています。
ローカル線には「景色の良い路線・区間は乗客が少ないので廃止されやすい」という残酷な真実があります。
その命題によれば木次線なんぞはその筆頭であり、むしろ私はよくこれまで生き残ってくれたなと思っています。
周辺の道路や高速道路の整備に加え、沿線人口の減少といった環境の中で木次線が生き残る道は、(やり方はともかくとして)観光鉄道以外にはないでしょう。
トロッコ車両を連結した「奥出雲おろち号」が運転されているのはその例です。
この列車により木次線の乗客が増えるだけでなく、「奥出雲おろち号」に乗るために大阪から来る人が新幹線と特急「やくも」を利用すれば、その分JR西日本にとっても利益になるわけです。
実際に、遠くから来て本数も少ない木次線に敢えて乗る価値は十分にあります。
全国屈指の超ローカル線といって差し支えない木次線がどのような活路を見出すかは、日本の地方交通のあり方を考える上で示唆に富む指針となるでしょう。