政治家に捻じ曲げられた線路、大船渡線(鉄道)冬の旅行記

ローカル線

大船渡線は東北本線の一ノ関駅から気仙沼駅・大船渡駅を経て、三陸鉄道の盛駅まで至る路線です。
北上山系を横断する一ノ関~気仙沼、及び海岸沿いの気仙沼~盛という、明確に2つの性質を持った路線です。

2011年の東日本大震災により被災し、気仙沼~盛は鉄道としての復旧を断念し、BRT(Bus Rapid Transitの略。線路跡の専用道を主に走るバス)による運行となっています。

本記事では鉄道として運転されている一ノ関~気仙沼を取り上げたいと思います。
乗車したのは2020年12月中旬です。

大船渡線路線図。紫が鉄道線、ピンクがBRT。
国土地理院の地図を加工して利用。
スポンサーリンク

乗車記:北上山地を横断して太平洋へ

この日の一ノ関駅は気温も低く雪がしっかり降っていて、在来線ホームを見おろすようにそびえる新幹線の高架がなお一層冷ややかに感じられました。
ここ一ノ関は岩手県の最南部ですが、目的地の気仙沼は宮城県の北東部に位置しています。

乗車するのは14時7分発の列車で、気仙沼までの所要時間は1時間半弱です。

発車まで時間があるので駅弁を買って遅めの昼食です。
鮭いくらまぶし弁当」は親の鮭が主役で、子のいくらがその良きパートナーといった力関係です。
ご飯も鮭の味がするのも良いです。

発車間際に乗り込んだので大船渡線の普通列車は混んでいました。
乗っているのは高校生と中高年と、ローカル線の典型的な客層です。

列車は南側(仙台方)に向かって一ノ関駅を出発し、東北本線・新幹線と分かれます。
間もなく勾配があらわれてエンジン音も高鳴り、辺りは銀世界の山間部となっていました。
先ほどまでの新幹線の立派な設備は夢だったのかと思わせます。

陸中門崎りくちゅうかんざきの手前で北上川を渡ります。
しばらく坂は緩みますが、相変わらずカーブの多い線形です。

陸中松川駅の傍には大きなセメント工場がそびえ、その前後にも生産設備が点在しています。
それまで静かな寒村の風景だっただけに、その姿にはハッとさせられました。
北上山地はなだらかな老年期の地形で石灰石が産出されるため、このような工場群があります。

摺沢すりさわでは高校生がたくさん乗ってきましたが、次の千厩駅せんまやで多くの客が降りて、車内は閑散としていました。
千厩駅前には商店が並んでいて、他の駅よりは栄えているようでした。

大船渡線の最高地点は小梨駅矢越駅の間にあり、その標高は200m弱にすぎません。
上ったり下ったりを繰り返す路線なので、あまりサミットに到達しても感慨は沸き起こりませんでした。

折壁駅から先は工場や自動車整備場がちらほら現れてくるので、終着も近いような気がしてきます。

がしかし、新月駅を出てすぐに宮城県に入ると川が細くなり、建物も観測所らしきものしか見当たりません。
何だかんだで沿線には集落や生産施設がそれなりにはあった大船渡線ですが、最後の県境は険しい道でした。

やがて市街地が開けて終点の気仙沼駅に到着です。
東北を代表する漁港として知られる気仙沼ですが、駅には山が迫っていて、あまり海が近い実感が湧きません。

気仙沼はフカヒレで有名ですが、メカジキもここを代表する魚のようです。
ちなみに私はその晩、フカヒレは食べなかった代わりに、駅の売店で買ったシャークジャーキーをホテルでつまんでいました。
鯨とマグロを足して2で割ったような味でした。

スポンサーリンク

大船渡線は「我田引鉄」の鍋弦線

さて、冒頭の地図をもう一度見ると、現在鉄道として存在している一ノ関から気仙沼までは、西から東へと進む途中で大きく北に迂回していることが分かります。
陸中門崎駅~千厩駅は直線距離では10㎞程度ですが、実際の線路は25㎞にも及びます。

陸中門崎駅から千厩駅までは大きく迂回している。
国土地理院の地図を利用。

実はその建設を巡って政治家の票田として利用されて、再三路線線路が変更になった結果、現在の「鍋弦線」と呼ばれる形となったのです。
政治的な判断で鉄道が建設されることを、我田引水をもじって「我田引鉄」といいますが、大船渡線はその典型です。

国鉄時代は仙台・一ノ関~気仙沼・大船渡・盛を結ぶ急行列車が1日数往復設置されていました。
これらは東北本線沿線から南三陸の各地とを結ぶ、大船渡線本来の使命を果たす列車です。
しかし、非効率な路線となってしまった大船渡線は、自動車道が整備されるとバスに対して劣勢に立たされます。
急行は快速に格下げされ、やがて快速も廃止されて現在に至っています。

1967年10月号の時刻表より。
急行列車の所要時間は今の普通列車とあまり変わらない。
スポンサーリンク

民営化後の「地域密着」の功罪

山地を越える横断線というと、平地ー山越えー平地という分かりやすい「三部形式」から成る路線が多いですが、大船渡線はそのような形式美を持たない、とりとめのない展開・風景が続きます。

雑多な印象を感じる大船渡線の個性は、やはりその「鍋弦線」の形状にあります。
その経緯は前章で説明した通りで、大局的な観点からはけしからぬ話なのは間違いありません。
しかし、国鉄民営化後に顕著になった「地域密着」の姿勢とて、マクロ的な視点を欠く「部分最適」に陥っているように思います。
JR4社に跨る九州行きブルートレインが、結局十分な競争力をつけることなく廃止されたのはその典型です。

摺沢駅を通学に利用する学生たち

とすれば、現在の我々も「我田引鉄」などと言って、民主主義のプロセスが線路選定に関わることを安易に批判できるのでしょうか?
摺沢駅(地元の有力者が現れて線路を捻じ曲げた)で乗り降りする高校生を見ながらそのようなことを思いました。




コメント

タイトルとURLをコピーしました