骨密度の高い肋骨線、冬の仙山線快速列車の旅【仙台から山形へ】

ローカル線

仙山線は仙台駅から山形駅(実際は羽前千歳駅)へ至る路線です。
東北を背骨のように南北に貫く東北本線と奥羽本線の間を横断する「肋骨線」の一つです。
60㎞程度とあまり長くない路線ですが、敢えて仙山線の沿線を3つに分けると

  1. 仙台~愛子あやし:仙台市近郊区間
  2. 愛子~山寺:急峻な谷間
  3. 山寺~山形:開けた山形盆地

といった具合です。
①膨張する仙台市、②奥羽山脈の険しさ、③果樹園のある山形と、それぞれの地域の特色がよく表れている点も魅力です。

寒波が押し寄せる2020年12月中旬に、仙台から山形まで仙山線に乗車しました。

紫線が仙山線。
国土地理院の地図を加工して利用。
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快速列車の乗車記

快速列車の所要時間は1時間15分程度

仙山線のダイヤは仙台~山形まで通しの列車が1時間に1本と、その合間に1,2本ずつ仙台~愛子間(つまり冒頭でいう①の部分)に区間運転の列車が設定されています。
全区間走る列車のうち7往復は快速列車です。
つまり、仙山線は仙台と山形を結ぶ中距離都市間輸送と、仙台市近郊における短距離輸送を担っているといえます。

もっとも快速といっても停車駅は多く、仙台から愛子までは各駅に停車するものもあります。
仙台~山形の所要時間は普通列車が1時間25分前後、快速だと1時間15分程度です。

車両は南東北でお馴染みの電車で、4人用ボックス席とロングシートが混在しています。
1990年代に東北一帯に投入された電車はオールロングシートでした。
後にボックスシートに飲み物を置くテーブル付きの、この車両がデビューした時は嬉しかったのを覚えています。

仙山線の電車

奥羽山脈を越えて山形へ

12月中旬の昼過ぎ。南東北の太平洋側の都会、仙台は気温は0度近くでしたが、この時はまだ雪は見られませんでした。
私が乗車したのは仙台駅を14時4分に出発する快速です。
始発駅のホームには既に多くの人が待っていましたが、何とかボックス席の進行方向側を確保します。
列車は混雑していて、立っている人も沢山いました。
出発するとすぐに東北本線と分かれます。

北仙台駅を過ぎると起伏のある地形となりますが、沿線には住宅や学校が多く活気を感じさせます。
快速列車とはいえ短距離客が多く、駅に着くごとに乗客は減っていきます。

国見駅から一旦下り勾配となります。
川沿いの谷間に広がる市街地を見おろしながら陸前落合駅に着きます。
結構な山間部ですが、仙台市の宅地化はここまでも及んでいます。

その次の愛子あやしを出ると街は雪に飲み込まれてしまったのかと思うほど、瞬く間に白黒の世界へと変わりました。
まるで雪が駅を参考にして降る場所を決めているようです。

いよいよ山越えが始まります。
ついさっきまで都市近郊を走っていたとは信じ難い風景です。

温泉の玄関口となる作並駅には転車台があります。
昔ここで機関車を交代させていたためです。(詳細は後述)

谷はいよいよ深くなり、勾配もきつく曲線も多くなります。
線路は足場を求めて何度も川を渡ります。

やがて奥羽山脈の険しい行路に懲りたのか、列車は開き直って長さ5㎞を超える仙山トンネルに突入します。
このトンネルの途中で緩い上りから下りとなり、宮城と山形の県境を越えます。
トンネルを抜けてからも今度は急な下り坂を右に左にカーブしながら進んでいきます。

やや開けたところで山寺駅に到着します。
「奥の細道」で知られる立石寺が右手に見えていたはずですが、一面雪なのではっきりと認識できませんでした。
駅周辺には旅館や商店が集まっています。
この駅でまとまった数の観光客が乗ってきました。

このどこかに立石寺があると思われる

山寺駅にも転車台が保存されています。
使命を終えてもなお歴史の生き証人として、毎年夏になると蝉の声を聞いています。

山寺駅を過ぎて楯山たてやまあたりまで来ると、山越えもほぼ終わって山形盆地に入ります。
冬なので収穫はもう終わっていますが果樹園が多く見られ、果物の印象が強い山形県らしい景色です。

羽前千歳駅は戸籍上の仙山線の終点。以降は奥羽本線となります。
市街地が増えていくにつれて雪は減りますが、仙台側のように無くなることはありませんでした。
この辺りはビニールハウスが多いようです。

目的地の山形駅に着く直前、右手に山形城を見ます。
桜の季節が有名ですが、控えめに雪化粧をした姿もなかなか気品のある美しさでした。

結局山形駅に着いても雪はうっすらと残ったままでした。
山形新幹線、というか奥羽本線の主要駅だけあって、学生や観光客らしき人も結構沢山いました。

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仙山線は交流電化発祥の地

仙山線の仙台~作並は国鉄で初めて交流電化が行われた区間でもあります。
まず、電化には直流と交流の2種類があります。
ざっくり言うと、交流電化は地上設備のコストが低く、逆に車両側のコストが高くなるので、需要が小さい地域に向いています。

直流電化の方が歴史が古く、東京・大阪の都市部をはじめ、東海道本線・山陽本線はこの方式で電化されました。
一方、太平洋ベルトと比べて発展の遅れた東北では1960年代以降に交流電化された、というのが全体の流れです。

蒸気機関車と並ぶ交流型電気機関車。(長浜鉄道スクエア)
交流電化の実用化によって電化区間は全国に広まった。

さて、話を仙山線に戻すと、1937年の全通時には作並~山寺が既に直流電化されていました。
これはなぜかというと、前章の乗車記で見た通り長さ5㎞以上にも及ぶ仙山トンネル(当時3番目の長さ)があるためです。
煙をモクモク吐く蒸気機関車は長大トンネルには不向きなので、この区間だけ電気機関車に付け替えていました。
作並駅と山寺駅にあった転車台は、こうした歴史を物語っていたのです。

機関車交代が行われていたため作並駅構内は広い

戦後になって仙台~作並が交流電化の試験線として選ばれます。
適度に勾配がありトンネルの改修も少なく、作並では交直接続の試験もできるという理由があったそうです。
かくして、国鉄初の交流電化は1957年に完成しました。

その後は2つの電化方式が混在するのは非効率ということで、1968年に仙山線は全線が交流電化となって今に至ります。
この年は東北本線が青森まで全線複線電化された年でもあります。
急速に近代化が進んだ東北の鉄道網は、高度経済成長や国土開発の進展そのものでした。

電気を通す電化の話の根底には、血の通った歴史・経済の話があるのです。

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さらに発展する余地がある仙山線

概して非電化で閑散とした肋骨線群のなかにあって、仙山線では電車がそこそこの本数運転されています。
時刻表の路線図を見ても、他の肋骨線が「地方交通線」(「ローカル線」のイメージに近い)を表す青色なのに対して、仙山線は「幹線」を意味する黒色で描かれています。
仙台市の規模はもちろん、南東北の2県都を繋ぎ、沿線にも作並温泉や松尾芭蕉ゆかりの山寺を擁する恵まれた環境がその理由でしょう。

仙台付近を複線化したり、より停車駅の少ない特快のような列車を設定できれば、この路線の持つ可能性をさらに引き出せそうです。
南北縦貫に偏った東北の鉄道交通を、仙山線をきっかけに変えて欲しいという期待を抱かせてくれます。

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