本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。
本記事は第3部「みぎした」の3話、日程にして6日目。
室戸岬からバスを乗り継ぎ、道の駅東洋町からは線路と道路を両方走行できる世界初のDMV(Dual Mode Vihicle)に乗車した。
高知東部交通の乗り継ぎは室戸世界ジオパークセンターで
6日目の朝、昨日までとは違って少し寒かった。
民宿のお婆さんと朝食でもゆっくり話したかったが、バスの時間が迫っているので致し方ない。
眼の前の室戸岬を8時前に出るバスに乗車する。
意外なことに、旅行者やお遍路さんが何人かいた。
10分程度で終点の室戸世界ジオパークセンターに到着。
徳島方面へはここで乗り継ぎをすることになる。
程なくして甲浦岸壁行きのバスがやって来た。
バスは相変わらず海沿いを走る。
「ジオパーク」らしい海岸のゴツゴツした奇岩は、やがて単調ではあるが癒される砂浜の景色に変わった。
40分程で道の駅東洋町(高知県)に着いた。
DMVはここで乗り換え、JR牟岐線に接続する阿波海南駅まで乗車する。
四国「みぎした」の交通機関の運行系統は時刻表などを見ても分かりづらいが、乗り換え地点をまとめると、奈半利駅~(道の駅とろむ・室戸岬経由で)室戸世界ジオパークセンター~道の駅東洋町~(DMV)阿波海南駅となる。
必ずしも行き先が乗り換え地点ではないので注意したい。
なお、土曜休日には室戸岬を経由して道の駅とろむまで直通する全席指定のDMVがあるが、この便はみぎしたフリーきっぷでは利用できないので注意しよう。
道の駅東洋町からDMVに乗る
これから乗車するDMV(Dual Mode Vihicle)は世界初の線路と道路の両方を走りことができる乗り物である。
車体の見た目はボンネット付きのマイクロバスなので、「線路でも走れるバス」というイメージが一番しっくりくる。
乗客が少なく廃止候補とされていた阿佐海岸鉄道は、2021年12月より通常の鉄道車両に代わってDMVの運行を開始した。
コスト面・柔軟な運行ができる点でも有利になるし、何より「世界初の乗り物」という話題性がある。
さて、徳島の特産品であるすだちが描かれた緑色のDMVがついにやって来た。
運転手にフリーきっぷを見せると予約の有無(していなかった)と行き先を聞かれ、「では3D席に座ってください」と言われた。
DMVは厳格な定員制なので、事前予約していないと便によっては乗せてもらえないこともある。
しばらくはバスとして走り、甲浦駅からが鉄道運行区間である。
高速道路のインターチェンジのようにして線路へと進入していく。
バスが停まり、棒読みの案内放送が「モードチェンジスタート」と言うと、祭りの笛太鼓が鳴り出して車体が少しだけ浮き上がり、30秒もしないうちに「フィニッシュ」となった。
横文字でカッコよくしたいのか、シュールな笑いを取りたいのか、あるいはその両方なのか判断しかねる演出である。
ともかく乗客を乗せたままモードチェンジが終わり、列車は走り始めた。
ガッタンゴットンという音が聞こえる、紛れもなく鉄道線路を通っているのだ。
速さは時速60㎞くらいと遅いが結構揺れた。
DMVの鉄道区間は時々海が見えるが大半がトンネルである。
トンネルを過ぎているうちに、3日間に渡る高知県が終わって徳島県に入ると宍喰駅。
これから線路区間へ入るところ
視察で来たのか、背広を着た男女のグループが10人以上予約していて満席に近い状態だ。
車内は都会の通勤ライナーのような雰囲気で、私のような旅行者やお遍路さんもここでは場違いな客みたいだった。
再度バスモードになって阿波海南駅に到着した。
牟岐線の列車まで時間があるので、ここ徳島県最南端にある海陽町を観光しよう。
邪馬台国は徳島県最南端の海陽町にあった?
駅を背にして東に15分程度歩くと、大里松原という雄大な松林の海岸に出た。
弓なりになった砂浜海岸に沿って波がウェーブするようにして押し寄せていた。
遠くの方は霞んでいて、波が砂埃をたてているようだった。
ところで、徳島と高知の県境は自然は豊かでも、人文社会学的要素はあまりないのではないかと思うかもしれない。
しかし、ここ海陽町には意外なほど史跡が残っている。
駅と大里松原の間には、阿佐国境の警備・治安維持のために編成された鉄砲隊が勤めた御鉄砲屋敷跡がある。
路が複雑に入り組んだ南国の城下町のような雰囲気だった。
住宅地を少し南に歩くと大里古墳がある。
6世紀末~7世紀初頭に築造された円墳で、その石室の規模は県内最大級だというから驚きだ。
南に歩いて海部川を渡ると、目の前には海部城跡のある丘が現れた。
戦国時代の海城のあった山頂に立つと、先ほど見てきた大里松原を見渡すことができる。
水軍の総帥、森村春とその家臣たちの墓もあった。
今眼下に広がる平和な景色も、戦国時代の水軍にはどのように映っていたのだろうか?
城山の麓には鄙びた風情ある港町だった。
細い道を迷いながら散策するのが楽しい。
この地域に独特な民家の構造に、「ミセ造り」というものがある。
可動式の板を建物の通りに面した軒下につくり、これを降ろすと縁台に、畳むと雨戸になる。
これも雨が多い地方ならではの工夫だろう。
阿波海南駅発の列車まではまだ時間があるので、駅を通り過ぎてDMVの終着となる阿波海南文化村まで行く。
ここは博物館や体験学習館、だんじりの展示室などがある複合施設となっている。
カフェのマークがあったが、それらしきものは営業していない。
せっかくDMVも乗り入れる地域の拠点とするなら、レストランでもあれば良いのにと思う。
町立博物館を訪れた。
大里古墳のジオラマや出土品、海部の刀剣などが展示されている。
なかでも興味深かったのは海陽町の古墳についてのパネル展示だった。
四国の古墳、殊に前方後円墳は瀬戸内海沿岸部と吉野川流域に集中しているが、そんな中でも徳島県南端の海陽町で2024年に発見された前方後円墳は異例の存在であるという。
古くから近畿地方との交易が盛んだったようだから、その影響もあるのだろう。
さらには町内にある弥生時代の芝遺跡では、外来の土器の割合が異常に高いことを根拠にして、「邪馬台国の候補地と考えてよいのではないか」とまで豪語していた。
人口8500人程度の海陽町も、DMVが世界初だと言っているうちに相当気が大きくなったようである。
ともかく、期待以上に予想外の発見がある、面白い博物館だった。
結局、阿波海南文化村と海部駅との間を徒歩で往復する形となった。
あまり考えずにDMVで阿波海南駅まで乗ったが、海部駅から歩いて観光した方が効率は良かった。
それにしても、侮りがたき海陽町であった。
阿波海南駅に戻った。
これから12時8分発のJR牟岐線のディーゼルカーに乗って阿南駅を目指す。
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