本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。
本記事は第3部2話。
ごめん・なはり線の終点奈半利駅から高知東部交通のバスに乗って室戸岬を目指した。
奈半利~室戸岬の高知東部交通バス
奈半利の街を1時間だけ観光して駅に戻ってきた。
駅には小さな売店があったので飲み物を買ってバスを待つ。
安芸市から来たバスには誰も乗っていない。
隣でワンカップ片手に談笑しているおじさん2人は結局バスに乗らなかったので、乗車したのは私一人だった。
こういうシチュエーションにもだんだん慣れてきた。
高知東部交通のバスでは高知県限定のICカード「ですか」以外は現金払いしかできない。
幸い「四国みぎした55フリーきっぷ」を持っているので、両替機で小銭ジャラジャラという平成初期みたいなことはしなくて済む。
フリーきっぷの名前が示す通り、バスは海沿いの国道55号線を走っていく。
「ひだりした」パートの足摺岬周辺の複雑な海岸と違って、「みぎした」の室戸半島の海岸線は真っすぐで、土地や集落も比較的広い。
その分車窓としては単調な印象も受ける。
港町らしい室戸の市街地に入る。
人口1万人と少々の市にしては、なかなか大きな設備を有する漁港に見える。
やっと学生が1人乗ってきたと思ったらすぐに降りてしまった。
前回にも触れたが、今路線バスで走っているのは、室戸半島沿いに高知県から徳島県まで(つまり「四国みぎした55フリーきっぷ」のエリア)を結ぶはずだった国鉄阿佐線の未成区間である。
ごめん・なはり線と阿佐海岸鉄道との間、奈半利駅~室戸岬~甲浦駅の区間が実現しなかたのは残念に思う。
とはいえ仮に国鉄時代に阿佐線が全線開通したとしても、この沿線人口の少なさと利用状況を見れば、JR四国にとって経営の負担となり、そのうち台風被害で長期運休→廃止決定のコースを辿ったであろうことは容易に想像できる。
室戸岬を観光
停泊する船が黒い岩石に変わると、室戸岬のバス停に15時半ごろ到着した。
バス停の室戸岬は地形的には半島の行きつく果てであるが、バスの運行上は途中の停留所に過ぎないので、降車ボタンを押すのは忘れないようにしよう。
この先の徳島方面へのバスに乗り換える停留所は室戸世界ジオパークセンターである。
バス停付近にあるのは、私が今日泊まる民宿と小さな観光案内所と中岡慎太郎像、そして使用禁止になっている公衆トイレくらいだった。
ここから観光施設や道の駅まで歩いて行くのは遠く、車がないと不便なところだ。
まずは目の前の海岸へ。
ねじり曲がった巨大な木炭のような地層が行く手を阻んでいる。
そんなドス黒い岩に可憐な黄色い花が咲いていた。
道路と海辺の間に生える背丈の低い草木を何とか搔き分けて遊歩道が整備されている。
亜熱帯植物も群生していて、強風に耐えられるよう岩に根を張り巡らしている。
ただ、道が分かりにくく時間帯によっては岩場が水没していて、暗くなってからこの辺りを散策した時は迷子になって本気で焦った。
幸いなことに、四国霊場の最御崎寺へは徒歩圏内だ。
車が通る室戸スカイライン経由でも行けるが、山道を歩いた方が近いようだ。
山道の途中には空海がこもったという伝説が残る洞窟もあった。
急な坂を20分くらい登ると最御崎寺に着いた。
金堂のゆったりと下方向に広がる屋根が印象的だ。
境内にある「鐘石」を叩いてみると、中に金属でも詰めてあるのだろうか、本当に鐘のような音がした。
この寺には宿坊も併設しているようだ。
足摺岬の金剛福寺にせよ、室戸岬の最御崎寺にせよ、地の果てのような所にこれほどの仏教世界が広がっているのには驚かされる。
最御崎寺のすぐ近くに白い室戸岬灯台がある。
前方にはただただ広い太平洋が広がるのみだ。
ちょうど日没の時間だった。
雲の中から太陽がありがたく降臨してきて、オレンジ色の強烈な光を放って海上を照らした。
まるで日の出を見ているようだった。
帰りは室戸スカイラインを歩く。
九十九折になった道からは、室戸岬の海岸や室戸の市街地が見渡せる。
車を停めて写真撮影している人たちが何人かいた。
たしかに車で走り去ってしまうには勿体ない景色だ。
18時前、岬の突端にある民宿に戻った頃には辺りは暗く染まり、凛とした中岡慎太郎の像の輪郭が浮かび上がった。
西の空だけが炎上しているように赤く輝いている。
眼の前の道路を通る車はもうほとんどない。
民宿はお婆さんとその息子さんが切り盛りしているようだ。
夕食では刺身や金目鯛の煮付け、カツオのたたきなどが次々と運ばれてきた。
噂に聞いていた、円錐状になってお酒が入った状態では置けない杯も見せてもらった。
高知ではお酒を飲むのも仕事、他所では営業には気を使うが、高知では肝臓を使うと言われているそうだ。
私みたいな人間でもここなら優秀な営業マンになれるかもしれない。
料理が一通り揃ってから、息子さんが懇親会のために安芸市へ出かけた。
安芸市で一泊して翌朝は魚を仕入れて戻ってくるらしい。
出て行く時に「母は話が長いですよ」と「注意」を促した。
果たして、お婆さんの話好きは本当にその通りだった。
室戸市はかつて遠洋マグロ漁業の基地として栄え、多い時には人口は3万人を超えたという。
しかし排他的経済水域の設定により遠洋漁業は廃れ、その後も少子高齢化によって現在の人口は1万2千人程度となっている。
景気が良かった時代の話を聞いていると、今日バスで通って見てきた室戸市のこととは思えなかった。
県東部の室戸市が栄えていた一方、四万十川流域の西部は昔から振るわず、県内の東西格差を埋めるための政策は「税金の使い道は西高東低」と揶揄されていたそうだ。
東西の違いは方言のアクセントにもみられ、東部は漁師町らしい荒っぽい語尾だが、中世に公家大名の一条氏が支配した西部は「ふわっとした」感じらしい。
東部の方言は他所の人に使うと嫌われるので、なるべく抑えて話しているという。
試しにお婆さんに地の方言で話してもらったが、確かに荒っぽくて怒られているみたいだった。
もっとも高知の人が他所に行くと、すぐそこの言葉に馴染めるそうだ。
ふと外を見ると、木々が揺れている。
風が強くなったようだ。
さざ波の声もより近くに聞こえる。
だが、「台風銀座」と呼ばれるこの地域の人にとっては大したことはないようだ。
室戸岬の突端にあるこの民宿は日本一風が当たる建物で、お世辞にも外見からそんな感じはしないが、柱も通常の倍くらい頑丈に作られているらしい。
お婆さん曰く、頭の良い人を輩出してきた西部(特に中村)を例外として、高知の人は堅実さに欠けて金儲けにも興味はないそうだ。
「そらそうでしょうね。こんなちゃんとした料理まで出して、一泊××××円なんて安すぎやんか。」と私も相槌を入れる。
努力という言葉嫌いだから、空き部屋があっても受け付ける予約は最低限にしているとのこと。
そこには人間臭い本音も交じってはいるのだろうが、特に過疎地で深刻化している担い手不足という事情もあるに違いない。
と、そんな感じで、18時半から始まった会話がお開きになったのは21時半だった。
部屋に戻ると、さざ波の声だけが相変わらず響いていた。
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