奥羽本線は福島駅から山形駅・秋田駅を経て青森駅に至る路線です。
東北本線の盛岡~青森が第三セクター化された現在、青春18きっぷを利用して普通列車だけで青森に辿り着く最短ルートとなっています。
途中に山形新幹線・秋田新幹線が介在しつつも閑散とした区間もあり、500㎞弱の間に実に多様な姿を見せてくれます。
本記事では奥羽本線をその性格によって5つに分けて解説します。
- 全国屈指の勾配で奥羽山脈を横断する、福島~米沢
- 山形県内陸部の盆地を繋いでいく、米沢~山形~新庄
- 線内で最もローカルな雰囲気の、新庄~大曲
- 奥羽本線というより秋田新幹線、大曲~秋田
- 日本海縦貫線の北部を構成する、秋田~青森
2022年4月上旬、普通列車のみで福島から青森を目指しました。
なお、上記5つのパートにおける乗車記部分の節の冒頭では、それぞれの地理的な概要をイントロダクション(青字の部分)として述べたので参考にしてください。
福島~米沢
全国屈指の難所、板谷峠
通常「山形線」と纏められる福島~新庄において、米沢までを独立したパートで扱っている理由は、一つに極端な普通列車の本数の少なさにあります。
福島~米沢の普通列車は1日6往復だけで、しかも朝と夕方に偏っています。
車両は全てのクロスシートが車両中央部の方向を向いている「集団見合い型」と呼ばれるタイプです。
山形新幹線が直通するため、他の在来線の線路幅(1067㎜)と異なり標準軌(1435㎜)となっています。
もう一つの理由は、東北本線と共に南北に縦貫する奥羽本線が、最初の大仕事として奥羽山脈を東西に横断するのがこの区間だからです。
幹線としては異例の急勾配が続く難所で、山形新幹線が走るまでは板谷・峠・大沢(廃止された赤岩も)の各駅はスイッチバック構造でした。
なおJR東日本では、福島駅で山形新幹線の上りホームと山形線を結ぶアプローチ線の工事が行われており、その関係で日中の普通電車は福島~庭坂を運休し、代行バスでの営業となっています。
期間は2022年3月12日から約1年の予定ということです。
乗車記:スイッチバック跡が最大の見所
太平洋側の福島から日本海側の米沢に出るこの区間は、途中にスイッチバック駅が連続していた急勾配の庭坂~関根の前後に比較的勾配の緩い区間がある、激しい横断線の三部形式(少し急ー超急ー少し急)です。
果樹園の中をいく、左に吾妻山
よく晴れた春の朝7時ごろ、県都の割には小さな福島駅からは大勢の通勤通学客が出てきます。
そんな慌ただしい雰囲気の中、米沢行きの列車は恥ずかしいくらい空いた状態で、福島駅を7時14分に発車しました。
まもなく左手前方に薄く雪を被った吾妻山が見えてきます。
辺りには果樹園が広がり、桜はちょうど見頃です。
スイッチバック跡が残る板谷峠越え
早くも庭坂駅から急勾配区間が始まります。
山裾に回り込むようにS字カーブを描きながら福島盆地を後にします。
列車は松川の谷を上ります。
この辺りはまだ雪が残っていて、季節が後戻りしていくような気分になります。
車窓はどちらかというと左側の方が、深い谷を見ることができて綺麗だったように思います。
普通列車に乗ると各駅のスイッチバック施設跡が確認しやすいです。
駅近くの線路の傍らに水平に伸びる細長い用地がそれです。
山形県に入り、板谷駅の手前にはかつて利用されていた雪覆い小屋が見えます。
サミットの峠駅では、やはり雪覆いに囲まれたホームで「峠の力餅」の売り子の声が響きます。
ここでもスイッチバック跡の用地が、現在のホームから斜めに伸びています。
駅弁「牛肉どまんなか」で有名な米沢へ
その後は谷を右手に見ながら降りていきます。
集落が現れる関根駅に着く頃には勾配も緩み、雪もほとんど消えました。
米沢駅といえば駅弁の「牛肉どまんなか」が有名です。
似たようなスタイルの駅弁多しと言えども、ゴボウや糸蒟蒻などで誤魔化さず「直球どまんなか」勝負の食べ応えのある弁当です。
米沢は江戸時代に最上氏ではなく上杉氏(米沢藩)によって支配され、地理的にも新潟や会津に近いという、他の山形県内陸部とは異なった歴史文化を持っています。
また、伊達政宗が誕生したのもここ米沢です。
米沢~山形~新庄
ロングシート車両が多く混雑しがち
本パートも前回に続き、新幹線に合わせた標準軌の線路です。
新幹線効果は計り知れませんが、他の路線との直通ができなくなることで、東京一極化を加速させている面もあるように思えます。
山形で普通列車の運転系統が分かれており、早朝以外は乗り換えが必要になります。
運転本数は多く、米沢~山形は日中でも1時間に1本。
山形~新庄はやや減りますが、日中の間隔が空く時間帯でも2時間に1本程度です。
車両は福島~米沢で使用される集団見合い型クロスシートのものの他に、ロングシートのタイプもあります。
なお、ロングシートの車両でもトイレは設置されています。
この区間は沿線人口が多いので混雑しやすいです。
特にかみのやま温泉~山形~村山あたりは、時間帯によっては奥羽本線の中で最も混むエリアです。
乗車記:景色は山形までは右、以降は左がおすすめ
山形県内陸部にある米沢・山形・新庄の3つの盆地を繋ぎ、それらの間に山越えを挟むのが本パートです。
①赤湯まで米沢盆地、②かみのやま温泉まで山越え、③山形を経て村山くらいまでが山形盆地、④そして山地になり、また平地が広がるとすぐ新庄です。
最難関攻略後の平地
山形行きの列車はロングシートタイプの4両編成でした。
市街地や工場を見ながら、遠くの雪山に囲まれた盆地を北に進みます。
この辺りは葡萄畑も多く、ワイン生産も行われています。
牛肉と赤ワインの産地とは、米沢はいい所です。
赤湯からのパノラマは絶景
赤湯駅を出ると、右手に米沢盆地を見下ろすようにして山の斜面を登って行きます。
眼下の市街地が途切れ、そして田畑も遠ざかっていき、飛行機が離陸するときに似ています。
ここが第二パートの車窓ハイライト区間です。
山間部に入ると新幹線効果で綺麗になった赤湯駅からは一変し、辺りは侘しくなります。
右手に蔵王、山形城のすぐ傍を通る。
かみのやま温泉駅の手前で開け、右手には樹氷で知られる蔵王がそびえています。
車内は立つ人も多いくらい混雑してきました。
向かいの座席では、色白で健康的な山形らしい女性二人が話しながら相変わらず化粧をしています。
にわかに市街地が現れて山形駅に到着です。
さすがに賑やかですが、列車が一通り発車した後は人の気配もほとんど無くなりました。
旅行中も健康第一です。
地酒の「出羽桜」とドライ洋ナシで、ビタミン補給と(体内の)アルコール消毒をしながら、新庄行きの発車を待ちます。
山形駅を出ると山形城の堀が左手のすぐそこです。
福島ではほぼ満開でしたが、こちらではまだ枝がピンク色を帯びているくらいです。
天童駅辺りで見られた果樹園はさくらんぼでしょうか?
広い耕地で数人が脚立に乗って農作業をしています。
沿線人口が多く駅間が短いですが、平日の昼前という中途半端な時間帯のため車内は空いていました。
最上川が近づく
村山駅を過ぎるとまた山越えが始まります。
左手に見えるのが出羽の霊場、月山です。
冬~春にかけて村山地方(山形県内陸中部)から最上地方(内陸北部)に来ると、雪の量が変わります。
今回もこの辺りで雪が現れてきました。
江戸時代より船運で栄えた大石田付近で最上川が近づきます。
鉄道よりも何百年も昔から暮らしや経済を支えてきたこの大河は、直接はっきりとは見づらいですが、その存在は進行方向左手に十分感じられます。
舟形駅を過ぎ、陸羽東線が右から合流してくるとようやく新庄盆地が開け、まもなく新庄駅に到着です。
山形新幹線はここが終点なので、この先は在来線と同じ狭軌になります。
そのため奥羽本線は新庄駅内で分断されており、線路は続いていません。
新庄~大曲
新幹線・特急の空白区間。車両はロングシートがほとんど。
区間ごとに役割がバラバラになりつつも、何だかんだでそれぞれ面目を保っている奥羽本線にあって、完全に時代から取り残されてしまったのがこのパートです。
以前は東京から秋田へは奥羽本線経由が一般的でしたが、1982年に東北新幹線が開業して以来、盛岡から接続する田沢湖線(今では秋田新幹線になった)に下克上されてしまいました。
山形新幹線と秋田新幹線の狭間で特急列車の設定も無く、1日7.5往復の普通列車のみです。
車両は基本的にロングシートですが、ロングシートとボックスシートが千鳥配置になったものが来ることもあります。
また、形式としては相変わらず701系ですが、帯の色がピンクと紫に変わっており、奥羽本線では新庄駅を境に南東北と北東北が分かれることを示唆しているように思えます。
乗車記:緩急のついた第二の山場
すぐに盆地を出てひたすら山に入って越えていく山形県側(院内まで)と、たちまち平地になって横手盆地が広がる秋田県側との対比が著しいのが本パートです。
盆地はすぐ終わり、雄勝峠に挑む
昼食後の酒を飲みながら秋田行きの列車の発車を待ちつつ、レンガ造りの機関庫を眺めます。
運転手は先ほどの山形発新庄行きと同じ若い女性でした。
まるで飛行機の客室乗務員でもするかのように、相変わらず念入りに運転席のミラーで身だしなみを整えています。
そんな彼女に昼間から2回も酒を飲んでいるところを見られて少し気まずいですが、ロングシートの先頭付近に陣取ります。
2両編成の電車はやはり空いていました。
初めの方は新庄盆地を走るといっても、山を避けながら比較的平坦な道を選んでいる感じです。
左手前方には白く輝く鳥海山の山頂付近が見えます。
また、羽前豊里駅からは鮭川沿いに進んでいきます。
真室川駅からはいよいよ本格的な山間部に入ります。
林業の街として発展した町で、木材が積んであるのを時折見かけます。
第一パートの板谷峠越えという例外を除くと、この山形・秋田県境の山越えが奥羽本線で最も険しい道です。
やがて難読駅の及位駅に到着。
前方に立ち塞がる山を貫通するトンネルに入ると秋田県です。
ところで、奥羽本線全般の特徴として、人口密度の低い県境などの山間部に入ると単線から複線になります。
これは輸送力の低い区間に、勾配・曲線を緩和した別線を新設するなど、優先的に改良することで路線全体の輸送力増大を図っているためです。
東北本線のように全線複線化という贅沢ができない、亜幹線ならではの面白さです。
県境のトンネルを抜けると下りに転じます。
続けて2回渡るか細い雄勝川が、やがて雄物川と名前を変え、その流域に恵みを与えて穀倉地帯とするのはもう少し後のことです。
そのまま下りが続き院内駅に到着です。
隣接する赤レンガの建物は、昔あった銅山の資料館です。
雄物川沿いの穀倉地帯をいく
勾配は緩み、谷が広まっていきます。
雄物川は支流を集め、もはや堂々とした姿になっています。
横手盆地に入り、湯沢駅は久々の市街地です。
だんだん乗客が増えていきます。
長靴にスウェットパンツ姿の、いかにも農夫らしき人も乗ってきました。
水田を果樹園にして商品価値を高める転作は各地で行われていますが、秋田県では稲作が大半のようです。
乗客はほとんど短距離客で、数駅で降りていきます。
横手駅で、山形駅以来お世話になった運転手も交代しました。
後三年駅は11世紀の合戦の名を冠した駅です。
中央政府への国家統合が遅れた東北北部において、後三年の役とそれに続く奥州藤原氏の平泉は、歴史の教科書に出る数少ないトピックです。
右手に奥羽山脈を見ながら走り、大曲駅に到着します。
次のパートに移りますが、私の乗っている列車は引き続き秋田まで行きます。
大曲~秋田
標準軌の秋田新幹線と狭軌の普通電車が並走する
大曲~秋田は奥羽本線というより、秋田新幹線の一部(つまり田沢湖線の延長部分)という印象が強いです。
新幹線だけでなく、大曲以南からの奥羽本線普通列車も直通するので、複線の線路のうち新幹線用の標準軌(1435㎜)と普通列車用の狭軌(1067㎜)がそれぞれ単線で並んでいます。
また一部では狭軌の線路が三線軌条化(狭軌・標準軌両方対応可)されており、この場合新幹線にとっては複線になります。
そのため、普通電車が走っている横を新幹線が追い抜くという、大都会の複々線区間で見られる光景が秋田の長閑な水田で繰り広げられます。
この区間は普通列車がおよそ1時間毎に運転されています。
運転系統としては本パートは独立しておらず、いずれも新庄や途中の湯沢・横手からやって来る列車です。
乗車記:景色は左右ではなく、「前」が楽しい
出羽山地を越える峰吉川~大張野を横手盆地と秋田平野が挟み、一応横断線の体を成しています。
奥羽本線は本パートで初めて海沿い近くに辿り着きます。
引き続き横手盆地
大曲駅を慌ただしく発車し、相変わらず水田地帯を走ります。
「こまち」が130㎞で突っ走る真っすぐな道ですが、冬に備えて防雪設備も目立ちます。
刈和野駅付近では雄物川と再会します。
このまま一緒に秋田に向かうのかと思いきや、峰吉川駅構内で奥羽本線は右に大きくカーブして雄物川から離れます。
軽く出羽山地を横断
山間部のカーブ上にある峰吉川駅は、出羽山地越えの始まりを盛り上げてくれます。
右の標準軌側は新幹線用で列車が停車しないので、ホームがほとんどない。
もっとも地形的にはそれほど険しくなく、山越えというより「丘陵を越す」くらいのイメージです。
ただ、それまでの線路があまりに平坦だったので、その対比でカーブがだいぶ増えたと感じます。
ついに海沿いの秋田平野へ
大張野駅を過ぎてしばらくすると山越えは終わりです。
思えば福島以来、平坦な土地はずっと「盆地」でしたが、今度は雄物川下流の秋田平野、つまり海沿いの沖積平野です。
それを教えてくれる遥か前方の風車を見れば、貴方が熱心な環境活動家でなくても心躍るに違いありません。
市街地が増えてきた頃、筋の通った赤い情熱的な顔と質感のある白い肌を持つ線路上の秋田美人、E6系新幹線が、東北のゲタ電を追い抜いていきました。
羽越本線と合流して、終点秋田駅に到着です。
今度は奥羽本線が羽越本線の後を継いで日本海縦貫線の役割を果たします。
秋田~青森
秋田~八郎潟・弘前~青森が混雑しやすい。
「日本海縦貫線」という正式な路線名があるわけではありませんが、大阪から青森に至る日本海側の路線群をこのように呼称しています。
かつて全線を走破した昼間の特急「白鳥」やブルートレインは廃止されましたが、貨物列車は今でも数多く運転されています。
日本海縦貫線の最終盤でもあるこの区間は、大館や弘前で乗り換えになることが多く、秋田から青森まで乗り通せるスジはおよそ2時間に1本です。
また1日に3往復、特急「つがる」が設定されています。
区間列車が多い秋田周辺と弘前~青森が、やはり沿線人口が多い分混雑する傾向にあります。
車両はあいにくロングシートがほとんどです。
乗車記:車窓は全般的に左側がおすすめ
①広大な八郎潟干拓地に沿って北上する東能代まで、②米代川沿いに内陸へ進む大館まで、③秋田・青森県境を越える大鰐温泉まで、④それから弘前を経て浪岡まで津軽平野、⑤そして中央分水界を越えて太平洋側に再び出て青森着。
というのが本パートの大まかな流れです。
「日本海縦貫線」でありながら海は見えませんが、それぞれの部分に特色があります。
日本離れした八郎潟干拓地の水田風景
2日目の午前中は秋田市を軽く観光し、13時35分発の弘前行き列車に乗ります。
発車15分前に乗車した時は既に車内には結構人がいました。
秋田駅を出ると久保田城の近くを通り過ぎ、やがて左手に貨物駅が見えます。
右手の大平山も迫力があります。
追分駅で男鹿線を分け、少し林の中を走ります。
そして大久保駅を過ぎた頃、左手に八郎潟干拓地がパッと開けます。
北海道を思わせる大陸的な風景で、その遥か向こうには男鹿半島の山がかすかに見えます。
八郎潟駅でだいぶ人が降りました。
相変わらず広大な水田が広がっています。
横手盆地も十分に全国的な米どころでしたが、こちらは規格外のスケールです。
やがて右側から山が迫り、鹿渡駅からは丘陵地になります。
また開けると大きく右に折れて東能代駅に着きます。
大館駅の駅弁「鶏めし」は逸品
日本海沿いの行路は五能線に譲り、奥羽本線はこれより内陸へと米代川を遡って鷹巣・大館の盆地を進みます。
束の間の海近くの開放的な区間が終わり、車窓の雰囲気も変わります。
はじめは米代川は左手に見え、その向こうには白神山地が連なり、北を目指す列車を阻んでいます。
東能代からは車内はガラ空きで、途中の駅も目に見えて粗末な造りになります。
二ツ井駅の手前で米代川を渡ります。
その直後に下り線だけトンネルをくぐります。
上り列車より
その後も平地とも山間部ともいえない道が続きます。
谷が狭まる所は線路が複線になってトンネルで抜けるあたりは、幹線らしさを感じます。
秋田県北部の主要都市、大館駅に到着。
ここは忠犬ハチ公の故郷で、秋田犬の里として有名です。
また比内地鶏やきりたんぽも大館発祥という、秋田文化の真髄といえる土地です。
秋田美人も然りとのことですが、誠に残念ながら今回は乗客が少なすぎて統計的に有意な結論を出すことができませんでした。
大館駅で乗り換える場合は、駅前の販売所で駅弁を買うことをお勧めします。
「鶏めし」はジューシーで歯ごたえもよく、数ある類似の駅弁の中でも一際優れています。
奥羽本線の駅弁は良質な肉系が多いです。
線路改良された県境越え
感傷的な歌謡曲風の駅メロが流れて大館駅を発車します。
ここから車掌が乗務してきました。
いよいよ秋田・青森の県境の矢立峠にさしかかります。
これまでの県境とは違って、今回は1970年に線路改良が行われているので勾配もカーブも緩やかです。
ここでも上下線が大きく離れ、別の路線が分岐するようです。
秋田行きは近道の急な坂だが下りなので問題ない。
針葉樹林の並木が綺麗で、日陰にはだいぶ雪が増えてきました。
陣場駅を過ぎて入る複線トンネルの中で青森県になります。
そのトンネルを出るとすぐに津軽湯の沢駅に到着。都会から来たらしき男子学生二人が「この駅、雪あるけど家ないじゃん?秘境だね。」と話しています。
まさに彼らの言う通りで、冬季(12月~3月)は普通列車も全て通過するほど周りに何もない駅です。
実際冬にここを通過しても、雪に埋もれたこの駅の存在に気付くのは難しいです。
流れの早い平川と共に下っていきます。
碇ヶ関駅からはだいぶ谷が広がります。
津軽平野とお岩木山
弘南鉄道が乗り入れる大鰐温泉駅を過ぎるとついに津軽平野です。
リンゴの木があちこちで見られ、青森まで来たことが実感できます。
左手前方では岩木山が迎えてくれます。
津軽富士の愛称に違わぬどっしりとした裾野に、特徴的な山頂の形が薄いシルエットになって浮かんでいます。
今日は弘前で宿泊します。
学生の下校時間帯ですが、若い人がこれだけ難解な方言を使うのは津軽くらいでしょうか。
居酒屋のカウンターの一番奥の席で、常連客が物凄い量の酒を飲みながら、マスターと津軽弁で何かを話していました。
翌日、最後の列車は五能線のディーゼルカーによる間合い運用のようでした。
車内の混雑具合はそこそこです。
左手の岩木山は、この日は上半分が隠れていました。
それにしても、広い平野の中で孤高にそびえ立つ姿には、物理的に測れない大きさを感じます。
一方、右手に目をやると、リンゴ畑の向こうには奥羽山脈の北端、八甲田山が横たわっています。
雲の中から見え隠れする険しい山頂が、今も自然の恐ろしさを人間に見せつけているようです。
大釈迦越え、そして青森で東北本線と再会
このまま津軽平野をコーダ(結尾部)にして朗々と青森に乗り込みたいところですが、浪岡駅で平野は途切れ、大釈迦駅は最後の峠越え、大釈迦越えの入り口に当たります。
後日この区間に乗った時の電車
津軽半島の付け根の山地を横断します。
もう青森も近いことだし、大したことないだろうと構えていると、意外と雪深い山間部です。
青森・弘前の津軽二大都市の間にもかかわらず、この辺りは廃屋が目立ちます。
県都青森を目前にしてこのような光景を見るのは寂しいものです。
実はここが、日本の国土を太平洋側と日本海側に分ける中央分水界です。
つまり、福島駅を出てすぐに超急勾配を越えて日本海側に来た奥羽本線は、終点青森直前に再度太平洋側に戻ってくるわけです。
青森の平野部まで来て、住宅地に突如現れたような新青森駅です。
新たな青森の玄関ですが、新幹線で八甲田山をトンネルで抜けてこの駅に着いても、旅情はありません。
長かった奥羽本線もついにフィナーレです。
青森の手前でまず津軽線が左から合流し、今度は右から東北本線(現・青い森鉄道)がやって来ます。
つまり、日本海側・太平洋側そして北海道方面からの線路が、ここ青森駅で一つにまとまるのです。
特に東北本線とは福島駅で別れて以来の再会ですから、最初と最後の中央分水界の横断の話と同様に、実にドラマチックな展開です。
青森駅に着き、他の乗客はすぐに跨線橋を上がりますが、私はいつもホームの奥まで歩きます。
青函連絡船時代、北へ帰る人の群れが無口で歩いたところです。
青森駅くらい「終着のターミナル駅」の雰囲気を感じられる場所といえば、津軽海峡の対岸の函館駅くらいです。
ホームの雰囲気は相変わらずですが、駅舎は2021年に新しくなっています。
しかし、そんな真新しい待合室に、いかにも「津軽の行商人」風な、派手な柄の服装の婆さんがいました。
これで仮にリンゴが入った籠を背負っていたら、市の観光課に雇われた人だと断定して間違いなかったでしょう。
青森駅近くの青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸にて
普通列車の所要時間は9時間以上
各パート毎の普通列車の所要時間の目安を示します。
乗り換え無し、あるいはスムーズに乗り継げたケースを想定しています。
- 福島~米沢:45分
- 米沢~新庄:2時間少々
- 新庄~大曲~秋田:2時間半
- 秋田~青森:3時間半
実際に福島から青森に行く場合、乗り継ぎが悪いことが多く、乗車時間の合計よりはるかに時間を要します。
例えば、福島発8:04に乗ると、普通列車のみの場合は青森着は20:10になります。(2022年3月の時刻表)
もっとも、東北本線も距離があまり変わらず、やはり乗り継ぎも概して良くないです。
線路幅は違えど、一つの路線
奥羽本線の魅力は、その役割はおろか線路幅までも違う区間が入り乱れながら、一つの路線を形成している点にあります。
そこには鉄道がその発展の過程で刻んできた歴史を、良い面も悪い面も見ることができます。
しかし、そんな首尾一貫しない奥羽本線でも、やはり全線乗り通して初めて味わえる感慨があります。
この路線は始点の福島で東北本線と別れるや否や過酷な峠越えを強いられ、その後何度も山や谷を越えてきました。
そして最後にまた兄貴分の東北本線と終点青森駅で出会う時、まるでベートーヴェンの交響曲を聞き終えたような熱い感動を覚えるのです。
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