東北・上信越地方の鉄道網は1960年~1970年代に劇的な改良がなされ、1982年に開通した新幹線も着実な高速化が行われています。
私が議長を務め、これまでの歩みをミニ新幹線を含む歴代特急車両と共に振り返ります。
2022年6月某日、上野駅にて
議長:本日はお忙しい中ありがとうございます。
今回は「奥羽越列車同盟」と銘打ちまして、東北・上信越地方にゆかりの深い方々をお呼びしました。
また山形・秋田新幹線の現役車両、E3系・E6系さんにもお越しいただきました。
183系:奥羽越列車同盟?どこかで聞いたことある言葉ですけど?
751系:江戸幕府崩壊後の戊辰戦争で結成された旧幕府側の「奥羽越列藩同盟」をもじってるんでしょう。東北・北越の各藩が「朝敵」とされた会津・庄内藩の赦免嘆願のために軍事同盟を組んだものの、新政府に敢え無く敗れてしまいました。
583系:まあそんなことはともかく、東北の歴代特急車両といえば国鉄型のオッサンばかりかと思っていましたが、やはり山形・秋田美人のお二方がいると華がありますな!結構結構!
E6系:今どきそんなセクハラ発言なんて、オリンピック組織委員会会長やってた元総理と同じじゃないですか!でも、私はそんなに話長くないんで安心してくださいね。
E3系:E6系さん、冒頭からそんな熱くならなくても…
485系:お嬢様方失礼しました。583系さんは失言癖がありますが立派な経歴をお持ちなんです(これも例の元総理と同じですね)。
さて議長、早いこと本題に入りましょうや。
議長:はい。それではいつも通り年功序列制でキハ81系(以下「キハ」は省略)さんからお願いします。
各車両自己紹介
81系:私は日本初の特急型気動車として、1960年より上野~青森の「はつかり」の新型車両として登場しました。「はつかり」は東海道・山陽筋以外では初の特急でしたから、私はそんな名列車の担当となれたことを誇りに思ったものです。
皆さん、私の顔を見てブルドックだのカバだのおっしゃいますが、自分では結構気に入っています。
485系:皆さんこんにちは。485系です。それにしても、かつて私がここから東北各地に向かった上野駅、いいですねぇ。
私は直流・交流どちらでも走れる車両なので、両方の電化区間が存在する東北地方では面目躍如でした。また、民営化後も若い車両たちに負けないようにリニューアルして、時代に取り残されないように努力を惜しみませんでした。
583系:お疲れ様です。世界初の寝台電車の583系です。私の特徴は座席車から寝台車に変身できることです。それを生かして上野と青森の間を昼夜違わず往復しました。
私こそ高度経済成長期を最も体現した鉄道車両でしょう。「紺色と白は元気のしるし 24時間戦えますか」という、時代を20年先取りした栄養ドリンクのCMが流行ったという噂もあります。
183系:新潟や長野を中心に活躍した直流電車の183系です。私は見栄とかステータスといったものが嫌いでして、その代わり耐寒耐雪構造など実用的な部分を万全にした車両です。なお一族の中には、桁違いの急勾配のある碓氷峠(現在は廃止)を機関車と仲良く協調して走れる189系という者もいます。
E3系:2代目ミニ新幹線車両のE3系です。よろしくお願いします。最初は秋田新幹線「こまち」、今では山形新幹線「つばさ」の運用に就いています。
もう若くはありませんが、近年山形を代表するオシドリや紅花をモチーフにした塗装に変えて、沿線のイメージアップにも貢献しています。
485系:捕捉しますと、「ミニ新幹線車両」とは線路幅を新幹線に合わせた在来線(つまり山形新幹線と秋田新幹線のことです)に直通運転できる新幹線車両のことです。
議長:先に言われてしまった…
さて、お次は751系さんですね。
653系:ちょっと、抜かさないでくださいよ!デビュー年では私が次です。
議長:653系さんが関東から今の新潟に転勤したのは2013年秋、つまりE6系さんデビュー後。なので恐れ入りますが一番最後になります。
751系:751系です。私は2000年に「スーパーはつかり」(盛岡~青森)としてデビューしました。進化した名列車に相応しく、東北本線を高速運転して少しでも東京から青森を近くしたのです。
東北新幹線全通後は、日本海側の奥羽本線特急「つがる」(秋田~青森)に就いています。
E6系:秋田新幹線の新型車両E6系です。彼氏のE5系「はやぶさ」と一緒に日本最速の320㎞運転を行っています。
外観のカラーだけでなく内装も秋田をイメージしたものになっています。「秋田美人」とは見た目はもちろん、内面の美しさも含んだ言葉ですからね。
議長:では653系さん、お待たせしました。
653系:こんにちは。久々に上野駅に帰って来た653系です。
私は元々常磐線「フレッシュひたち」をしていたのですが、2013年より転勤になりまして今は羽越本線「いなほ」(新潟~酒田~秋田)をやっております。
751系さんと同じボンネット型で顔が似ているとも言われますが、私の方が華やかだと思いませんか?
1960~1968:近代化の時代
「はつかり」よりも「がっかり」、81系のほろ苦いデビュー
議長:ありがとうございました。
81系さんがデビューした1960年というと、まだ特急列車自体珍しかった時代です。
81系:はい。「はつかり」は東京以北では初の特急列車で、1958年に運行開始した時は蒸気機関車が牽く古い客車の寄せ集めだったのです。東京から西に向かう寝台特急「あさかぜ」や東海道特急「こだま」は最新型の車両なのに、東北特急はあまりに粗末だというので私が登場しました。これでようやく北日本の鉄道にも近代化の波が訪れたのです。
E3系:きっと沿線の人達は嬉しかったことでしょうね?
81系:ところが、営業運転が勇み足でしたもので、初期故障を頻発させてしまったのです。おかげで「はつかり事故ばっかり」とか「がっかり」とか散々な言われようでした。その後は安定して走れるようになったのですが。
E6系:大変でしたね。私も「Easta(イースタ)」という写真や動画を共有するSNSによく投稿するんですけど、たまに嫌な思いするのでよく分かります。
653系:そういえば81系さん時代の「はつかり」って、仙台まで東北本線ではなくて常磐線経由でしたよね?私が言うのも変ですけど、なんでわざわざ裏街道を通ったんですか?
81系:常磐線は近くに石炭のあるいわき駅(当時は平駅)までは戦前から複線化されていたので、当時は東北本線より改良が進んでいたのです。それに海沿いの路線なので、勾配が内陸の東北本線より緩いのも利点でした。なんせ東北本線は、私のような非力な気動車泣かせの山越えが結構ありましたからなぁ。
東北本線の電化進展により485系が本領発揮
議長:そんな東北本線も1965年には盛岡まで電化が到達し、「やまびこ」(上野~盛岡)、「ひばり」(上野~仙台)に485系さんが就きました。
485系:あの頃は全国で電化が進み、新幹線も東海道だけでしたから、私はもう引っ張りだこでしたよ。
九州・東北といった「後進地域」では、電化は新しいタイプの交流電化によって行われました。ですから、山陽本線から九州へ、あるいは東北本線で黒磯駅から先へ、となると昔ながらの直流と新しい交流区間を跨るわけです。よって、私のような交直両用電車は非常に需要がありました。
751系:当時は東北において交流区間だけ走る特急列車の設定は考えられませんでしたから、なおさら485系さんの価値は高かったのです。
485系:最近ではそもそも電車と気動車の区別さえ曖昧になっていますが、当時の気動車と電車の性能差は圧倒的でした。ですから、電車特急が走ることはその線区・地域にとっても名誉なことだったのです。
1968~1982:電車特急最盛期
1968年10月で大きな飛躍
議長:さて、昭和43年10月1日の「ヨンサントオ」のダイヤ改正は、東北地方にとって歴史的な日でした。
ついに青森駅まで複線電化がなり、「はつかり」には時代の寵児、583系さんが就きます。
583系:在来線の最高速度が120㎞になったのがこの時で、上野~青森は2時間短縮されて8時間半になったのです。「ヨンサントオ」は全国的な白紙ダイヤ改正でしたが、その主役こそ生まれ変わった「はつかり」だったのです。
冒頭申した通り、私は24時間戦える働き者ですから、昼は「はつかり」2往復、夜は「はくつる」(東北本線経由)と「ゆうづる」(常磐線経由)1往復ずつと大忙しでした。
81系:私など最高速度100㎞でしたから、電車特急の諸君には恐れ入りましたな。
583系:昼間の「はつかり」が終着駅に着いたら、しばし車両基地に戻って休憩もほどほどにして夜の仕事の準備です。4人用座席がなんと3段ベッドに早変わり!まるで手品のようでしょう?
なお、4人用のボックスシートとはいえ間隔はとても広く、寝台も当時の客車のものと比べるとはるかに幅広でした。
485系:あのギミックは限られた空間を活用し尽す、いかにも日本的なものでした。
653系:社畜自慢の最中に申し訳ないんですが、どうして昼も夜も走る必要あったんですか?今の「サンライズ」さんみたいに、夜行専用にした方がサービス上良いと思うんですけど?
583系:ワークライフバランスと怠けているゆとり君には分からないでしょうが、当時は高度経済成長期で列車本数が増え続けるなかで、あいにく車両基地の容量が逼迫していたのです。我々にも住宅事情というものがあったんです。それに昼夜兼用なら余計な車両製造コストも省けます。
だいたい毎日家に帰ってゆっくり休むなんて、二流のサラリーマンですな。
81系:それはすみませんなぁ。私なんかは青森駅に着いたら「ああ 津軽海峡冬景色」と口ずさみながら酒を飲んでおったものです。
183系:81系さんはこう見えて大酒豪なのです。
青森・秋田の者はよく酒を飲みますからね。
81系:長野にもゆかりのある183系さんには、葡萄酒の美味しさも教えてもらいました。
亜幹線でも電化すすむ、485系の栄光と挫折
485系:さて皆さん、ヨンサントオというと583系さんばかり注目されがちですが、私だって相当躍進したものですよ。
「ひばり」も2往復から5往復に増発されましたし、電車特急化された奥羽本線「やまばと」(上野~山形)、磐越西線「あいづ」(上野~会津若松)が東北本線以外の行き先にも到達したのです。
81系:時代の流れは速いものでした。私は「はつかり」を583系さんに譲ってから、「つばさ」(上野~山形~秋田)を経て、「いなほ」(上野~新潟~秋田)で運用されていたのですが、1972年10月にはそちらも485系さんにお任せしました。以後は暖かい紀伊半島の「くろしお」で余生をのんびり送りました。
485系:調子づいた私は1975年には札幌~旭川の「いしかり」で、ついに北海道進出を果たしたのですが、ここで大失態を犯してしまったのです。
議長:どんな失態ですか?
485系:寒さには慣れていたつもりなのですが、北海道の気候は東北よりもずっと厳しかったのです。しかもあの粉雪のせいで私の機器がやられてしまい、遅延どころか間引き運転を余儀なくされる始末でした。
183系:北海道の雪は東北日本海側と違ってサラサラですからね。スキーヤーは喜びますが、我々にとっては大迷惑です。
485系:結局道産子の781系さんに任せて北海道からは撤退しました。ヨーロッパ最強を誇ったナポレオンも、モスクワから退却する時は私と同じ気持ちだったのでしょう。
E3系:それは大袈裟だと思いますけど。
上越線「とき」に新型車両183系登場
議長:ところで、豪雪地の新潟でも「とき」の運休が相次いだ時期がありましたね。昭和48年の「よんぱち豪雪」ですか。その対策も兼ねて183系さんが投入されます。
183系:「とき」を担当していた181系さんは、元は151系という東海道特急を務めていらした看板車両で、太平洋ベルトに新幹線が整備されるのに伴い上信越に再就職されていたのです。ですから雪はあまり得意ではなかったようですし、ご自慢の豪華車両のパーラーカーを普通車に改造されたのも不満そうでした。
E6系:今でも東海道新幹線がグリーン車を3両もつないでるのを見ると羨ましく思います。
183系:私が「とき」に加わった1970年代中盤は特急列車が大衆化した時代でもありました。ですからそれまで特急のステータスであった食堂車を廃止して輸送力増強に努め、普通車にもリクライニングシートを装備しました。
要するに一億総中流社会において、私は少数のブルジョアジーのためではなく、善良な一般の労働者のために走ったのです。
485系:まあ、何と言いますか、当時は国鉄がストライキをよくやっていた時代だったわけです。
1982~2010:東北・上越も新幹線時代に
1982年東北・上越新幹線開業
議長:1982年11月、当初予定より5年以上遅れてついに東北・上越新幹線(大宮~盛岡/新潟)が開業します。当然ながら在来線特急は大きく再編されました。
485系:私は依然として結構仕事がありました。
先ほど話になった特急の大衆化ですけど、私も183系さんを見習って一部は6両編成グリーン車無しの身軽な編成になって、「はつかり」(盛岡~青森)・「たざわ」(盛岡~秋田)という新幹線連絡特急の役目を果たしました。
183系:「とき」は新幹線になりましたが、私の仲間の189系が機関車と一緒に碓氷峠を越えて「あさま」(上野~長野)を続けました。
583系:私の場合は寝台特急の運用はまだありましたが、主な活躍の場だった「はつかり」が近距離になってしまったので、全盛期が嘘のように仕事が減ってしまいました。
議長:そうですか。583系さんのように特殊な構造の方は、転職活動も難儀されたことでしょうね。
583系:手持ち無沙汰にしていた1984年、国鉄のお偉いさんから肩をポンと叩かれたのです。「583系君、今まで本当によくやってくれたと思うが、我々はもう二刀流は必要としていないんだ。そういえば九州で手伝って欲しい仕事があるんだが、どうかい?」私はもちろん「何でもやります」と言いました。すると車両工場に連れていかれて、普通列車に改造されてしまったのです!
183系:それはお気の毒ですねぇ。まったく、経営者たちは我々を酷使し搾取する。
583系:その後東北にも戻りましたが、酷いものでした。
E3系:そういえば九州の回でもそのお話されてましたね。(クスクス笑いながら)どなただったか「昭和のモーレツ社員改め、平成の悲哀なるサラリーマン代表」とか言ってましたっけ?あっ、ごめんなさい。
1987年4月国鉄民営化でJR東日本発足
議長:さて、1987年4月に国鉄が分割民営化されJR東日本が誕生します。
ここから10数年は全国的に高速化・振り子式車両投入が盛んでした。他の地域で座談会をすると在来線の新型車両が次々と得意げにお話をされるのですが、東北では2000年の751系さんだけですか…
653系:一応1997年に私が「フレッシュひたち」でデビューしましたよ、常磐線の南半分ですけどね。
まあ、先パイの651系さんからは、勿来の関(茨城・福島県境にある奥州三関の一つ)を越えていわき駅を過ぎれば常磐線もローカル線だと聞いていました。
751系:全然フォローになってませんよ!
だいたいですね、JR東日本に一纏めにしたのがいかんのです。今からでも遅くない、奥州は「JR北日本」に分離独立して関東の支配から脱し、仙台・盛岡中心の特急網を構築するべきです。
E3系:でもJR北日本とやらの経営はどうなんでしょう?仙台程度の通勤輸送ではとても賄えませんよ?
751系:東北新幹線は東京からまるっと頂きましょう。いや、それでは結局のところ東京依存を容認してしまうなぁ…
E6系:そんな空想どうでもいいわよ。
653系:おやおや、秋田新幹線さんは厳しいですねぇ。そういえば戊辰戦争で秋田藩は列藩同盟の一員でありながら裏切ったそうじゃありませんか。もっとも、新政府軍にも恐れられた庄内藩が誇る名将、酒井了恒の敵ではありませんでしたがね。ハハハ。
183系:いや、そもそも国鉄民営化自体が誤りだったのです。英米の新自由主義に毒された当時の…
485系:議長!この話題は全く不毛です。話を進めてください。
山形に続き秋田もミニ新幹線化、E3系「こまち」デビュー
議長:同感です。
時計の針を10年進めまして1997年。この年には3月に秋田新幹線、10月に北陸新幹線(高崎~長野)が開業しました。
E3系:その5年前に400系姐さんが山形新幹線で成功を収めて、私が秋田新幹線で続いたんです。
両新幹線によって、東北新幹線が通らない日本海側の県にもその恩恵を行き渡らせることができたのです。後に山形新幹線が新庄まで延伸した時は、そちらにも進出しました。
485系:山形新幹線だと福島~米沢、秋田新幹線だと盛岡~角館で奥羽山脈を越えますね。私も両方通りましたが、かなり苦労させられる線路ですよ。
E3系:はい。特に冬は県境を越えると急に雪の量が変わって、日本海側に来たんだなって思います。
あと、私の最高速度は275㎞で当時は東北新幹線で最速でした。新幹線網が拡大する中、高速化が進んだのがあの時代だったのです。
183系:本当に「裏日本」と言われた日本海側の都市も新幹線ができて変わりましたね。それをけしからんという人はいますが、北国の人々の健気な苦労を情緒と勘違いしているのでしょう。
私の頃は毎年春になると、上野駅で古びた帽子とコート姿の出稼ぎ労働者が、「あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな」と言って帰省していきました。あれは確かに風物詩ですが、彼らだって地元に農業以外の仕事があった方がよかったのです。
E3系:ありがとうございます。「新幹線ができたら地方が東京化して面白くない」って言われて悲しい気持ちになったことがあるので、そう言ってもらえると嬉しいです。
751系「スーパーはつかり」で高速化
議長:全国の高速化ラッシュも終盤の2000年、「はつかり」に新型車両751系さんが投入されます。
751系:私は当時流行った振り子式車両ではありませんが、東北本線は線路が良いので持ち前の130㎞運転で、最速「スーパーはつかり」は盛岡~青森を1時間58分で結びました。
その後東北新幹線が八戸まで延伸すると、八戸~青森・弘前「つがる」でも俊足の走りを見せました。
583系:その頃に東京対青森の輸送シェアで鉄道が優位に立ったのでしたな。電車特急の全盛期から転落期を経験したものとしては、とても感慨深いものがありました。
751系:「つがる」は客車急行の名列車です。北東北を愛するものからすれば、桜が綺麗な津軽藩の城下町弘前は私の心の故郷です。
485系:私は全国あちこちを走りましたが、津軽の方言はほとんど理解できませんでしたね。それは今でも変わらないようですが。
そういえば、81系さんは今日どんな津軽弁かと思っていたのですが、意外と普通ですね。
81系:私も今日はよその方とお話していますから、津軽弁は抑えているのです。
183系:確かに訛ってはいますが標準語ですもんね。
751系:81系さんが素で話し出したら、私だって分かりませんよ。
議長:私も以前ロマンチックなことがありました。
津軽地方のとあるローカル線の駅近くの店で、店員さんに「もしかして東京から来ました?」と聞かれたのです。びっくりして見ると、見覚えのある美人ではありませんか。なんと数年前まで新宿で一緒に働いていた元上司が里帰りしていたのですよ。で、東京ではほとんど訛りは無かったのに、彼女と同僚の会話となると全く理解できないのです!あれは感動したというかショックだったというか…
E6系:でも、その方は議長さんとは関西弁で話してくれてたんでしょう?
議長:なんでそのオチ知っとんねん!?
E3系:東北新幹線の回で伺いました。
2010~:東北新幹線全通後
751系は奥羽本線「つがる」へ
議長:それは失礼しました。
さて、2010年に東北新幹線がついに新青森まで全線開通します。先行開業から実に30年近くの長い道のりでした。一方で751系さんは東北本線から追われる身となります。
751系:列車名はそのままに、今度は奥羽本線の秋田~青森の特急に就きました。しかし、線路改良された東北本線と違って奥羽本線の最高速度は95㎞。実力を発揮しているとは言い難いですが、まあ他に適当な路線もありませんしね。
583系:どうして青函トンネルを通って函館に行くとか、札幌で転職活動するとかしなかったのですか?思うに、最近の若者は努力する前にあきらめることに慣れ過ぎておりますな。
485系:たしかに。青函トンネルには独自の基準がありますけど、私は外観・内装共に大幅リニューアルして140㎞運転まで行って北海道に渡りましたからね。
北海道の精鋭たちにも見劣りしません。
751系:私は地元loveなので北海道に行こうとは思いません。
だいたいですね、不名誉なことに青森・秋田・岩手の北東北三県は人口増加率ランキング(※)でワースト3を独占しているのですよ。外に出ていかず故郷のために尽くす私を褒めこそすれ、昭和の精神論で非難するなど時代錯誤も甚だしい。
(※)総務省「住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数(令和3年1月1日現在)」
E6系、珍列車名「スーパーこまち」でデビュー
議長:2013年春には秋田新幹線の新型車両E6系さんがデビューされました。E6系で運転される列車はまさかの「スーパーこまち」でした。
E6系:なんか90年代の特急みたいなダサい名前で嫌だったんですけど、E3系さんの便とは料金が変わる関係で、1年限りの苦肉の策だったんです。
それはともかく、一般に新幹線が航空機に対して優位に立てるとされる所要時間が4時間なんですね。だから320㎞運転によって、全定期列車の東京~秋田の所要時間が3時間台になったのはとても意義のあることなんです。
485系:秋田は東北の県都の中で、東京からの時間距離が一番長いですからね。
E6系:さっき人口動態の話が出ましたけど、秋田県の場合特に深刻で、人口増加率がワーストの常連なんです。
そこでデビューした年に、男女100人ずつを集めて「スーパーこ❤まちコン」という婚活イベントをしたのです。本当ですよ?
583系:おお~、いいですね!私も行きたかった。
して、成果のほどやいかに?
E6系:それが…成立したカップルは2組、男性はいずれもマスコミの方でした。
653系:芳しい結果とは言えませんね。
E3系:でも、いつもE5系さんと一緒にいるE6系さんが、単独で他人のお節介なんて珍しいですね。
81系:「こまち」は必ず「はやぶさ」と併結ですからね。E6系さんも大人になりましたなぁ。
E6系:皆さん、そんなこと言わないでくださいよ!私だって秋田の将来を思って一肌脱いだんですから!!
う~ん、流線型・300㎞運転・リクライニングシートは最低条件ね。
653系、羽越本線「いなほ」へ左遷
議長:ところで、この頃常磐線でも変化がありました。新型車両の657系さんが東日本大震災後の希望としてデビューされ、それに押し出される形で2013年より653系さんが羽越本線「いなほ」(新潟~酒田~秋田)に転属となりました。
653系:最初に「秋田行きの特急列車をやってくれ」と言われた時は本当に驚きましたよ。これではまるで江戸時代に常陸国から出羽国に左遷された佐竹氏と同じじゃあないかと。
751系:中央の権力者は自分の都合次第で何でもしますからね。
E6系:あの、さっきから随分と秋田のこと悪く言ってくれてますね?
653系:しかし、結果として良かったと思っているのですよ。やはり私はビジネスライクな常磐線特急なんかより観光要素の強い「いなほ」の方が向いているようです。
しかも、それまでは普通車のみの編成でしたが、最高クラスの快適さを誇るグリーン車を組み込んだのです。
あと、海側は二人座席ですから、一人利用でもA席を取りましょうね。
183系:私だったら需要を考慮して質素に4列座席の半室グリーン車にするところですが、思い切ったことをされましたね。
653系:首都圏で感じていたストレスを新潟・東北で解消したかったのですよ。
東北地方の東西南北
議長:ありがとうございました。
ところで、前から疑問に思うことがあるのです。北東北(青森・岩手・秋田)・南東北(宮城・山形・福島)という言い方がありますけど、E3系さんが仰った通り、冬から春は奥羽山脈を東西に横断する時の気候の変化が印象的です。
485系:だから東北地方は南北でなく、太平洋側と日本海側、つまり東西で分けるべきという意見ですか?
議長:そうです。だって中国地方は山陽と山陰でしょう?広島県を島根県と一緒にしますか?
751系:いかにも畿内の摂津国から来た浅学の旅行者らしい主張ですな。
たしかに地理的にはその通りです。しかし、歴史的には南北に意味があるのですよ。
議長:というと?
751系:教科書では「縄文時代の後に稲作が伝来して弥生時代が始まる」と教わりますね。しかし北東北では気温が低いため稲作はあまり発達せず、北海道と同様に縄文の流れを汲む文化が続いたのです。
81系:北海道の駅に多い「〇〇ナイ」という地名はアイヌ語由来ですが、東北新幹線にも「いわて沼宮内」という駅があります。
E6系:そんなことE5系も言ってました。何でも最近「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたんですって。
それで彼は最近縄文にはまってて、土偶の美しさがどうのこうの言ってるんです。私の前で無神経だと思わないのかしら?
653系:からかってるんですよ。
それはともかく、北東北って歴史の教科書にあまり出ないですよね。縄文時代の後は、平安時代の坂上田村麻呂、それに平泉と戊辰戦争くらいかな。てか全部負けた側じゃないですか。
183系:言われてみればそうですね。
その点、新潟や南東北は宮城県の多賀城に代表されるように中央政府の支配に早くから組み込まれましたし、メジャーな戦国大名たちが割拠しました。
E3系:それに同じ山形県でも新潟・福島に近い米沢は上杉氏、山形・新庄は最上氏なんです。
183系:しかし、上杉といえばやっぱり新潟だと思いますけどねぇ。
583系:ほお。東北本線で宮城県から岩手県に入る時も、相変わらず120㎞でちょっとした山塊をトンネルで越えるだけで、何も変わらないと思っていました。
485系:戊辰戦争の敗北で「白河以北一山百文」と蔑まれた東北地方ですが、我々の努力の甲斐もあってここまで開発されたし、これからも発展することを期待しましょう。
さてと、そろそろ締めませんか?実は参加車両8名で東北の地酒が飲めるお店を予約しているのです。
81系:さすが485系さん!今日は飲みますぞ。
E3系:すいません、私飲み会は苦手なので。
E6系:私ももうすぐE5系が迎えに来るので。
653系&751系:あ~、つまんね~。
583系:私は現役時代君らの何倍も忙しかったが、付き合いには欠かさず参加したものだ。文句言わずに来たまえ。
議長:それでは飲み会組は楽しんでくださいね。ミニ新幹線お二方は気をつけてお帰り下さい。
皆さん、本日は長い時間ありがとうございました。
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