【日韓擬似国際列車の旅②】内地と外地の結節点、下関駅と鉄道桟橋跡をめぐる

アジア

2026年6月末日、日本・韓国両国の新幹線と下関・釜山間のフェリーを乗り継いで、東京発ソウル行き「日韓擬似国際列車」の旅に出かけた。
日本が朝鮮や中国に進出していた1940年の時刻表を基に、現在の最新型高速列車を当時の看板列車に見立てることで、戦前の鉄道黄金時代の海外渡航を今日に蘇らせようとする試みである。

本記事は第2回。
本州の西の果てにして九州、そして朝鮮・大陸への結節点だった下関駅とその周辺の関連史跡を巡ろう。

【日韓擬似国際列車の旅・序】東京から韓国・ソウルまで鉄道と船を乗り継ぐ1700㎞
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下関駅の栄枯盛衰

16時51分、山陽本線の普通電車が終着下関駅に着いた。
東海道・山陽新幹線「のぞみ」を戦前の看板列車、特別急行「富士」に見立てた旅は終わった。
生暖かい海峡の風が迎えてくれる。
東京から5時間40分かけてようやくここまで来たのだ。

【日韓擬似国際列車の旅①】東京発「のぞみ」で本州の西の果て下関駅へ
2026年6月末日、日本・韓国両国の新幹線と下関・釜山間のフェリーを乗り継いで、東京発ソウル行き「日韓擬似国際列車」の旅に出かけた。日本が朝鮮や中国に進出していた1940年の時刻表を基に、現在の最新型高速列車を当時の看板列車に見立てることで…

ここ下関駅を発着するのは現在では普通列車ばかりだが、かつて長編成の優等列車が機関車交代のために停車していた頃の雰囲気を残している。
つまり、今回のような「時間旅行」に相応しい場所だ。

もっとも、準拠元となる1940年は本州と九州を結ぶ関門トンネルが未開通で、下関駅はもう少し東の位置にあった。
その頃の下関駅は本州から続く鉄路の果てで、隣接する港から九州や朝鮮(当時日本領)の釜山への連絡船が発着する結節点だったのである。

今日偲ぶことができるのは戦後の九州行きブルートレイン全盛期、つまり1960年代~70年代の面影だ。
ちなみに、2009年に下関駅を最後に発着したブルートレインもやはり「富士」(東京~大分)だった。
下関駅の栄光は、富士に始まり富士に終わったと言ってよい。

現在の駅舎

電車を降りた乗客たちは階段を降りるか、あるいは関門連絡船ならぬ小倉行き普通列車が出る隣のホームで列を作っていた。
往時を偲ぶためにホームの九州寄り先端部まで歩いてみよう。
4両編成の電車が4セットは入りそうなほど長いホームだ。

普段から列車が停車する位置を外れると、屋根がなくなって鉄骨だけの無残な姿となっている。
今から50年前、機関車付け替えの時間を利用して九州へ向かうブルートレインの乗客たちが朝のストレッチをしていたであろうホームも、所によってはもはや廃駅同然だった。

改札口を出て駅ビルを通り過ぎる。
空き店舗が目立ち、街の景気はあまり良くないのだと察せられた。
大きく立派な駅から2両編成のディーゼルカーが出発していった。

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今も残る鉄道桟橋跡と山陽ホテル記念碑

駅散策の次に目指すのは関門トンネル開業以前に駅があった所だ。
当時の駅に隣接していた鉄道桟橋駅跡のモニュメントが残っており、ここを訪れなければ疑似国際列車の旅は成立しない。

鉄道桟橋跡は下関駅から5分ほど歩いた「海峡ゆめ広場」の一画にある。
埋め立ての関係で地形は変わっているが、かつてはこの辺りが旧下関駅と港だったのだろう。
当時をイメージしたイラストの横には記念碑があり、その手前に2本の係船柱だけが残っている。
仲良く並んで座る高校生カップルの不審そうな視線を浴びながら、私は一人で80余年も昔の光景を思い浮かべてうっとりしていた。

18時間半の旅を終えた特急「富士」の乗客たちがここで釜山行きの連絡船に乗り、朝鮮・満洲、あるいはヨーロッパを目指していったのである。
係船柱にそっと触れてみる。
昼間の暑さか、それとも歴史の重みか、ざらざらした黒い塊は暖かかった。

旧下関駅の利用者の皆が間断なく鉄道と船を乗り継いだわけではない。
乗り継ぎの途中で1晩を明かす乗客のために、駅前には山陽ホテルという洋式ホテルが建っていた。
山陽本線の前身である山陽鉄道によって運営され、同鉄道が国有化されたことで鉄道省の所有となった。
終戦目前に営業休止するまで、東京駅・奈良駅と並ぶ格式あるステーションホテルとして多くの著名人も旅の途中でここに投宿したという。

残念ながら今では建物自体も取り壊されて、跡地は駐車場になっている。
警察署から通りを挟んだ所に小さな記念碑があった。
アーチ形で煉瓦造りの記念碑の土台には当時のレリーフが使われており、すっかり様変わりした市街地にあって貴重な戦前の美意識を今に伝えている。

そろそろ釜山行きフェリーの乗船時刻が近づいてきた。
それぞれの人生を背負って下関駅を行き交った人々の記憶をとどめ、私も下関港国際ターミナルへ向かった。


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