五能線は秋田県の東能代駅から青森県の川部駅を結ぶ路線です。
長い区間を日本海に沿って走り、その後も津軽富士こと岩木山の麓のリンゴ畑が広がる車窓が展開する、その日本有数の風光明媚さでよく知られたローカル線です。
秋田・青森間を「リゾートしらかみ」が日によっては3往復運転されており、五能線を走破するうえでは非常に利便性が高い列車です。
しかし、私は国鉄型キハ40系の普通列車で2019年12月に能代(始点である東能代の次の駅)から川部を目指しました。
なお、現在の普通列車の車両は今回紹介している国鉄型ではなく、GV-E400系という新型車両になっています。
参考:JR東日本のニュースリリース【新型車両導入】
JR東日本のニュースリリース【旧型車両引退】
国鉄型キハ40系時代の五能線普通列車の乗車記
日本海が見えるのは東八森駅から
東能代駅からは、通学時間帯になると1駅だけとはいえ、能代駅行きの列車が設定されています。
私が能代から乗った時も、東能代からの高校生が沢山降りてきました。
その後も向能代駅・北能代駅と能代シリーズが続きますが、この辺りまでで高校生はいなくなりました。
やがて前方には白神山地の山なみが立ちはだかります。
北上する五能線はこの白神山地に挑むような真似はせず、おとなしく海岸へと進んでいきます。
東八森駅を出てから、ついに日本海が見えます。
五能線に乗っていることを実感する瞬間ですが、もっと迫力のある美しい海は今後沢山堪能できます。
時々は進行方向右側も眺めると、幾重にも折り重なって薄く雪を被った山々が朝日を浴びて輝いていました。
県境の岩館駅からは最もローカル線らしい車窓
その後も荒々しい海に沿って走ります。
とりわけ秋田と青森の県境を越える岩館駅~大間越駅は岩だらけの海岸の景観が素晴らしく、五能線のハイライトの一つといえそうです。
列車は海をやや見下ろすように走るので、海岸線を長い距離で見渡すことができます。
「波洗う」という穏やかで煌びやかな表現とは対照的な、荒涼とした厳然たる風景があります。
大間越からしばらくは落ち着いた車窓になり、松林や水田が見られます。
背丈の低い植物が多いのは雪や風の厳しい環境で生き残るためでしょうか。
十二湖駅を過ぎると、また崖や岩礁の日本海沿いの車窓です。
陸奥岩崎駅からは五能線の中では最も急な上り勾配が始まります。
この辺りは山が日本海に向かって突き出した地形をしており、その出っ張りに沿って走ります。
そのため背後の山と曲がった海岸線に囲まれた集落を見渡すことのできる、五能線の見せ場の一つです。
次の陸奥沢辺駅からは海といったん離れ、樹林の中をなおも上っていくので山岳路線のような雰囲気です。
そして上りつめて海の近くに出た先にあるのが、ウェスパ椿山駅。
(追記)駅は存在するもの、観光施設のウェスパ椿山は2020年10月に閉鎖されました。
私は以前ここを訪れたことがあるのですが、ここからモノレールで行ける展望台からの景色は実に見事です。
特に日本海に沈む夕日が綺麗で、上の写真の観光駅長さんによると、現地の人は「ジュッと音がする」と昔から言っているらしいです。
なお、それを知ってか知らずか、作家の宮脇俊三氏は
「夕日の下端が水平線に接すると、日が沈むという表現そのままに、たちまち海中に没した。もうこれきり二度と現われないぞ、と言うかのような沈み方である。」(「最長片道切符の旅」で五能線の深浦駅付近の描写)
というユニークな表現をされています。
さて、今度は下り勾配となり、艫作駅からまた海沿いを走ります。
やがて短いトンネルが連続する部分を抜けると、漁港のある深浦駅に到着します。
深浦駅からも日本海の車窓が続く
深浦駅は五能線では大きな駅で、普通列車だとここで乗り換えになるケースもあります。
昔はこの深浦駅から急行「深浦」が設定され、青森駅、さらには八戸線まで乗り入れるという珍しい運転経路をとっていました。
日本海側の港町から陸奥湾を経て太平洋側にまで行くことになります。
深浦駅から次の広戸駅までは、無数の岩に波がぶつかって砕ける絶景区間です。(もう何回目でしょうか?)
私の乗車した日は特に風が強く、雄大な海原と荒々しい海岸線が印象的でした。
フィギュアスケートの使用曲ですっかりお馴染みとなった、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章を思わせる風景です。
その後も海に沿って走ります。
駅名も驫木や風合瀬といった風を連想させる難読駅が続きます。
観光地の千畳敷駅を過ぎると車窓は落ち着いてきます。
進行方向左側を見ていると、それまでの迫力ある景色になれたせいか物足りなく感じてしまいますが、陸奥赤石駅あたりからは山側の右手には岩木山が見えてきます。
鯵ヶ沢駅を出て岩木山を愛で、リンゴ畑に心和む
鯵ヶ沢駅も比較的大きな駅で、駅前の雰囲気からも他より栄えているように感じられます。
鯵ヶ沢駅を出た辺りで長らくの日本海とのお付き合いも終わります。
日本海の風景がいつまでも、かといって飽きずに続く五能線の車窓は山陰本線に似ています。
しかし山陰本線は「一応は」本線ですが、こちらは正真正銘のローカル線ですから、沿線の鄙びた景色はより一層印象的です。
鯵ヶ沢駅から先はもし可能なら、進行方向右手のボックスシートに移りましょう。
日本海の車窓が終わると「今度は私の出番です」とばかりに、裾の広い岩木山が悠然と姿を現しています。
続けざまにとっておきの役者が登場するとは、五能線はなんと恵まれたことでしょうか。
東北の数ある名峰の中でも一際美しい山容である。
ちなみに、やはり東北地方の日本海沿いを走る羽越本線も、日本海と名峰が織りなす車窓が素晴らしい路線です。
こちらは五能線ほどローカル色はなく、適度に近代化された線路です。
それまでの波と岩の風景から一変して、穏やかな田園の中を進みます。
縄文土器で有名な木造駅を経て、五所川原駅に到着します。
ここはストーブ列車で有名な津軽鉄道が発着する駅で、乗客はかなり多くなりました。
五所川原駅を出ると、しばらく和やかな水田地帯を走ります。
林崎駅の前後では、厳しい表情の日本海と対を成すもう一つの五能線の象徴ともいえる、岩木山の麓に広がるリンゴ畑の車窓が我々を楽しませてくれます。
12月はリンゴの収穫期ではなく果実は見れなかったのですが、欧米人が「分からない」をジェスチャーする時の腕のように枝を伸ばしたリンゴの木を見るだけで面白いものです。
リンゴの倉庫も沢山あり、何だか自分がリンゴアレルギーであることが恥ずかしくなってしまいました。
夕方にこの区間を利用した時に、近くにいる女子高校生たちの会話に耳を澄ましていたのですが、ほとんど理解できませんでした。
英語の方がよほど分かりやすいと本気で思いました。
ちなみに、唯一明確に聞き取れた単語が「〇ね!」(〇は「タ」と「ヒ」から成る漢字)でした。
さて、五能線の終点である川部駅で奥羽本線と再会します。
東能代~川部の距離は奥羽本線で約100㎞、五能線経由だと150㎞弱です。
路線としては川部駅で終わりですが、五能線の列車は全て弘前駅まで直通しています。
また、「リゾートしらかみ」の一部はさらに青森駅まで足を延ばしています。
この列車は青森駅の前に新青森駅にも停車するので、新幹線への乗り継ぎにも便利です。
五能線普通列車の所要時間
五能線内の普通列車の乗車時間はおおよそ4時間です。
今まで見てきたとおり、実際に乗ってみると景色を楽しむのに忙しくてあっという間です。
秋田~青森となると前後も含めて6時間程度です。
同区間を奥羽本線に乗ると普通列車でも3時間程度なのでその2倍かかりますが、それだけの価値は十分にあります。
絶景と防災は表裏一体
日本海の絶景で知られる五能線ですが、その建設過程や線路保守には大変な苦労があることを忘れてはなりません。
波風や雪を浴びながら岩だらけの海岸沿いを走る列車の旅は魅力的ですが、防災のためにそれなりの投資がなされている現在でも、災害のために列車運休が度々生じています。
また 1972年12月には道床が高波によってえぐられて、列車が転覆して蒸気機関車に乗っていた乗務員に犠牲者が出るという事故が起こっています。
その頃は蒸気機関車の現役引退間近ともあって、余計に痛ましい出来事でした。
私が今回乗車した時も、その前日は強風のため大部分の区間でほぼ1日中、運転を見合わせていました。
このような過酷な背景を知ることで、より思い入れのある五能線の旅ができるのはないでしょうか。
インスタ映えしない五能線の魅力
五能線の旅の真髄は、いろいろとお膳立てされた「リゾートしらかみ」に乗って、絶景区間をゆっくり走ってもらって、写真を撮ってそれをSNSに投稿することではありません(もちろんそれも魅力的なのは否定しません)。
前出の宮脇俊三氏は次のように述べています。
景色のよさとローカル線の風情とを備えた線区の代表としてこの五能線を挙げる人は多い。たしかに日本海と北国とが合成する寥寥とした沿線風景は胸にしみ入るものがある。
宮脇俊三著:最長片道切符の旅
(中略)しかし五能線の味わいは、このような「点」(注:直前で観光スポットについて言及している)ではなく、風を避けて肩をすぼめるようにたたずむ民家と岩礁に体当たりする日本海の荒波とにある。
五能線沿線出身の知人も「リゾートしらかみよりも、普通列車に乗って欲しい」と言っていました。
車窓だけではなく、車内や駅での人間模様や難解な津軽弁などといった、ローカル線の「生活感」を感じ取るのも、普通列車でしか味わえない五能線の醍醐味です。