本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。
2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。

本記事は第4部「みぎうえ」の3話、最終回である。
黄昏時の引田駅(香川県)から、特急「うずしお」に乗ってスタート地点の高松へ戻ってきた。
そして空港に行くまでに、私はプライドをかけて自身との虚しい戦いに身を投じたのだった。

赤線が今回のルート、オレンジ線は以前通ったルート
国土地理院の地図を加工して利用
譲れない高松駅下車
街を散策してから引田駅に戻ったのは、日の暮れかけた17時半前。
駅舎を立て替えている最中で、みすぼらしい仮設の小屋で30分以上を過ごす。
普通列車が到着して、下車した高校生たちが自転車や迎えに来た車で去っていくと、また静かな駅に戻った。
例によってトイレも撤去されており、これから最後の列車に乗るのになぜこんな惨めな思いをしなければならないのか。

これから乗車するのは引田駅を17時55分に発車する特急「うずしお24号」で、高松駅には18時32分に着く。
帰りの飛行機は高松空港を20時35分に発つジェットスター448便である。
私は今までの旅程は綿密に組んできたのだが、ここから先は「高松で2時間あれば飛行機には間に合うだろう」と高を括っていた。
果たしてグーグルマップで調べると間に合うようだ。
それは高松の一つ前の停車駅の栗林駅で降りて、近くの停留所から最終のリムジンバスに乗るというスマートな経路だった。
ちなみに、意外と最終バスの時間が早くて高松駅発が18時26分なので、高松駅まで「うずしお」に乗ったのでは間に合わない。
しかし、ここで「待てよ」と思った。
これでは公共交通機関による四国一周が完成しないではないか!
栗林駅は既に高松市に入っているし、高松駅までは3駅で距離にして4㎞程度に過ぎない。
とはいえ、このたったの3駅4㎞のために、私は一生後悔することになるだろう。
あるいは起点を高松空港と捉え直すこともできる。
これなら筋は通る。
しかし、かつての内閣が行ったような「解釈改憲」によって事を済ませられるほど、私は卑怯でも利口でもない。
そもそも、第1部1話の朝出発する時の、高松駅を前にしたあの高揚感は一体何だったのかという話になる。
だから意地でも高松駅まで列車を乗り通さなければならない。
駅から空港まではもうタクシーを使ってしまおう。
6,000円ほどかかるがやむを得ない。
がしかし、長年時刻表と格闘してきた私としては、やはり面白くない解決法ではある。
ということを引田駅の狭い仮設待合所で一人思案しているうちに、一つの方法を考えついた。
リムジンバスは途中の「栗林公園前」までは大回りして停留所の数も多い。
そしてバスが高松駅を出てから「うずしお」が到着するまでの時間は6分。
そこで、駅から急いでタクシーに乗って「栗林公園前」まで飛ばせば、最終リムジンバスに間に合うのではないか、と考えたのだ。
道路が混んでタクシーが思うように進まなければ、同様にバスも遅れるだろうし、それでも間に合わなければ諦めて空港まで乗ろう。

国土地理院の地図を加工して利用
特急「うずしお」の最高速度は130km/h
そんなわけで、若干緊張しながら「うずしお24号」に乗車したのだった。
とりあえずビールを飲んで気を紛らわす。
5分後に三本松駅に着き、結構乗客が増えた。
こちらの方が東かがわ市の中心駅のようで、四国新幹線に香川県東部の駅をつくるとすればこの辺りになるだろう。
となると、引田駅はますます寂れてしまうのではないか。
高徳線(高松~徳島)は四国の路線のなかでは急カーブがそこまで多くないので、最高速度は130km/hと高速化されている。
四国で130km/hを出す特急はこの「うずしお」と、松山行きの予讃線「しおかぜ・いしづち」のみである。
それだけでも「みぎうえ」に戻ってきた感がある。
小刻みな加減速とジョイント音が頼もしい。
18時32分、ヨーロッパのようなターミナル式の高松駅にゆっくりと進入した。
本来ならば厳かにこの到着の時間を過ごすべきだが、急いでいるので運転席後ろの先頭のドアでスタンバイする。
駅を出て、10秒間だけ高松駅との1週間ぶりの再会を祝おう。
初志貫徹、ついにスタート地点に戻って来たのだ。

タクシーとリムジンバスを組み合わせてトリック完成
駅前ロータリーからタクシーに飛び乗った。
「リムジンバスに間に合いたいので急いでください」と言ったわけではないが、何となく慌てている様子が伝わったようだ。
運転手はキビキビと車線変更しながら赤信号を巧みにかわし、順調に進んでいく。
私は心の中で「いいぞ、いいぞ」と叫び続けた。
果たして、バス出発の2分前に「栗林公園前」に辿り着いた。
上手くいったのである。
これがもし高知県のタクシーだったら、運転手との会話は盛り上がってもバスには間に合わなかっただろう。
私は時刻表トリックのアリバイ工作に成功した犯人のような気分でリムジンバスに乗り込んだ。
空港でうどんとビールで祝杯を挙げ、無事飛行機に乗り、帰宅したのは日付が変わってからだった。
小さくて長い四国800㎞
以上、一週間の四国大回り旅行が終わった。
実のところ、このルートの距離は合計820㎞程度で、新幹線だと東京駅・三原駅(広島県東部)間と同程度に過ぎない。
そのため当初は四国なら小さい島だと軽く見ていたのだが、実際に心して取り組んでみるとなかなかの大物であった。
旅の充実度は数字では表せないもので、自己満足の域を出ないが、本シリーズ「四国一周七日間」を書き終えるに至り、なお一層その気持ちを強くする。

改めて四国の地図を見ると、愛媛県西部の佐多岬がルートから大きくはみ出してしまっている。
一度「大回り」などとやり始めると、こういう「残り部分」があるのは気に食わない。
戦国時代の四国の覇者、長宗我部元親も鳴門付近の土佐泊城は制圧できなかった(第2部5話で元親を「四国全体までほぼ制覇した」と表現したのはそのためだ)というが、「四国統一」はそれほどまでに厄介なのである。
それはともかくとして、近いうちに佐多岬から九州攻略をしてみたいと思う。
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