四国一周七日間・第4部2話:大鳴門橋の四国新幹線未成区間、渦の道を見学する

旅行記

本州を除く主要三島のなかで、九州・北海道と比べると存在感が薄いのが四国である。
全体的に穏やかというか地味な印象で、福岡・札幌のような圧倒的な力を持つ都市もない。
そして日本最後の新幹線空白地帯でもある。

2024年11月下旬、そんな四国を七日間かけて高松を起点として反時計回りに一周した。
本シリーズでは旅程を「みぎうえ」「ひだりうえ」「ひだりした」「みぎした」の4パート(部)に分けてその様子を綴っていく。
なお、一周旅行全体のルートや「上下左右」の概念については、ガイダンス記事を参照していただきたい。

四国上下左右概念図
国土地理院の地図を加工して利用

本記事は「みぎうえ」第2話、大鳴門橋が見える鳴門公園付近を観光し、その後バスに乗って香川県東部の引田ひけたを目指した。
いよいよ一週間にわたる四国周遊も最終盤である。

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四国新幹線が通るはずだった大鳴門橋「渦の道」

鳴門駅からバスに乗って、兵庫県の淡路島へ架かる大鳴門橋の袂に着いた。
他の観光客たちはバス停近くの階段を登って展望台を目指すが、私は大鳴門橋の橋脚にネットで覆われた怪しげな空間があるのを見つけた。
これが四国新幹線の建設予定スペースだろう。
中を覗いてみても何もなかった。

ここで四国新幹線と大鳴門橋について軽く説明したい。
四国新幹線のもともとの計画ルートは、新大阪から淡路島を経由して、この大鳴門橋を通って徳島に至るものだった。
そしてこの案では高松・松山を経て、さらには豊予海峡を海底トンネルで抜けて大分に至ることになっている。
そんなわけで、大鳴門橋の道路の下に鉄道用スペースが確保されているのである。

写真の地図の点線(新大阪~徳島)が当初の四国新幹線計画ルート

しかし、当初の計画通りに四国新幹線が開通する見込みはもはやない。
淡路島と四国に架かる美しい橋も、その下半分は果たせぬ夢を待ち続ける悲運な空間なのだ。
なお、唯一残された新幹線空白地帯という汚名返上のため、現在四国4県が一体となって推しているのが、建設費が抑えられる瀬戸大橋経由のルートである。

それでは他の客たちに続いて展望台に上がった。
いい天気だ。
風が辺りの松の木を揺らしている。
真っ白な橋は、まるで風景の一部として溶け込んでいるようで、その下を大小の船が通り抜けていく。

続いて、私にとって鳴門で一番のお目当てである、「渦の道」を訪れる。
ここでは例の四国新幹線用のスペースを利用して、現在では渦潮を真上から見学できる散策コースが整備されている。
入り口の背後にも用地があり、トンネルまで掘られていた。
見る限りでは単線での建設が想定されていたようだ。

あいにく渦潮の時間ではなかったが、足元ではさざ波が砕けて泡のように消えていく。
床もガラス張りになった所があり、子供が恐る恐る歩いたりジャンプをする。
ペット連れの人もいて、犬は何事も無くガラスの上を歩く。
飼いならされた犬というのはなぜかくも危険を認識する能力が欠落しているのかと、実家の犬を見ていても思う。

それはともかく、ここですべきことは渦潮や周りの景色を見ることではない。
眼の前のがらんとした空間を新大阪発松山行きの新幹線「うずしお」、あるいは「しおかぜ」が走っている姿を想像することである。

このコースが実現すれば大阪と徳島は1時間未満で結ばれたことだろう。
それに比べると、現在の本命となっている瀬戸大橋経由は徳島県にとってのメリットは明らかに小さい。
四国が一体となって新幹線の機運を醸成するために、譲歩して岡山ルート推進に舵を切った徳島県の英断が報われることを期待したい。

四国新幹線整備促進期成会によれば、各県都が1時間以内で結ばれるだけでなく、新大阪からも1時間半程度、さらには建設が進む中央リニアとの連携により、東京を起点としても3時間程度で各都市に移動できるメリットがあるという。
また、高松・松山をはじめ瀬戸内海側を中心に中小規模の都市が集積しているため、北陸新幹線や東北・北海道新幹線といった整備新幹線より沿線人口が多いのも「建設すべき理由」である。
「人口減少が深刻」「採算が取れないのでは」という懸念はもっともではあるが、それを言うと盛岡以北の環境はもっと酷い。

再掲

四国新幹線の夢から醒めた後は、橋を眺めながら鯛の刺身を食べた。
潮の流れが速い海峡で育ったため、鳴門の鯛は四国の反対側の宇和島で養殖されたものよりも脂が少なく断然歯応えがある。
JR九州やJR東日本だったら「四国東西鯛決」なるハッシュタグをSNSで拡散して、単細胞な旅行者やインフルエンサーを誘致していることだろう。

最後に「大鳴門橋架橋記念館エディ」を訪れた。
「渦の道」の入場券があると割引になる。
渦潮のしくみや大鳴門橋の構造、そして国内外の橋について紹介している。
館内にあるVRでは、渦潮観覧船に乗っている気分が味わえて迫力があった。
また屋上からの景色も非常に良い。

屋上からの眺め
道路は大鳴門橋に続いている

ちなみに鳴門では外国人の姿が目立つ。
ここほど大規模な渦潮は世界でも珍しいようだ。
DMVもそうだが、徳島県には意外と「世界有数」なコンテンツがあるので、徳島市ももう少し頑張ればよいのにと思う。

観光を終えて鳴門駅に戻り、引田駅ひけた行きのバスに乗る。
しばらく走るとちょっとした峠を越え、再び海沿いに出た。
だが鳴門海峡のような華やいだ雰囲気はなく、鄙びた漁村が点在するのみであった。
遠くに見えるのは本州か小豆島だろうか。
6日ぶりの香川県に入ると、左手の平地が広くなった。

景色と同様に、外国人が沢山いた鳴門海峡へのバスとは対照的に乗客は僅かで、しかもそのほとんどは鳴門市郊外で降りてしまった。
県境を越えたのは私を含めて二人だけだった。
16時頃に引田駅前に到着した。

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東讃の港町として栄えた引田

ルートとしてはこれから高徳線に乗って高松まで行けば完了だ。
だが、7月に高松と丸亀を訪れたとはいえ、香川県を素通りするだけは申し訳ないと感じるので、最後に引田の街を散策したい。

四国「みぎうえ」概念図
赤線が今回のルート、オレンジ線は以前通ったルート
国土地理院の地図を加工して利用

引田は現在の東かがわ市に位置し、コブのように突き出た半島によって風が遮られる天然の良港があるため、昔から海運の拠点として栄えた港町である。
その半島に築かれた引田城は、讃岐・阿波国境近くの戦略的にも重要な地であった。
駅から城の登山口に至るまで古い町並みが保存されている。

歴史的な存在としては県都高松・西讃の丸亀に続く東讃の引田も、今ではしっとりとした風情のある静かな街だ。
現在でも醤油を作っている赤い壁の屋敷があり、味噌に似た麹の香りが漂っている。

暗くなる前に引田城を攻略してしまおう。
頂上付近からは市街地と引田港を見渡すことができる。
播磨灘にはさざ波もなく、犬と鳥の声しか聞こえない。
しかし引田城最大の見所は頂上からの景色ではなく、北二の丸の石垣である。
兵隊が列をなして歩いてくる姿が思い浮かんでくるように、見事に積み上げられている。
ちょうど夕日に照らされて苔むした石垣が輝いていた。
城の案内板にも、ここに来たら石垣は必見だと書いてあるので、頂上にだけ登って満足して帰ってこないように注意しよう。
速足の私で登山口からの往復に45分程度を要した。

ところで、「お前は1週間車窓から海を見て、城に登って海を見ているだけではないか。」と読者は呆れていらっしゃるかもしれない。
しかし考えてみて欲しい。
ついにお遍路で八十六箇所目くらいまで来た人が「もうお寺は飽きたから、次からは教会巡りに切り替えよう。」などと言うだろうか。
ずっと海ばかり見ているのは、私が「大回りルート」を忠実に辿っていることの証拠なのである。

黄昏時になってなお一層風情を増した街並みを散策する。
港をぶらぶら歩いていると、事務所の人が不思議そうにこちらを見ている。
公開されている建物もあるようだが、あいにく営業時間が過ぎていた。
空いている施設を覗いてみると、誰もいない薄暗い部屋に雛人形が並んでいて、思わず背筋を冷やしてしまった。

引田駅に戻ったのは17時半頃で、外はもう暗かった。
これまで20箇所くらいを巡ってきた四国一周も街の観光はすべて終え、残すところ高徳線の特急「うずしお」で高松駅に行くのみとなった。





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