2022年、鹿児島方面への九州新幹線に続いて西九州新幹線が部分開業し、長崎にも新幹線が走ることとなった。
その一方で最後に残った東九州新幹線は、未だに関係自治体が自分勝手なルートを提案しているだけの状況が続いている。
そのあり方を巡って自治体・鉄道会社のエゴが錯綜するなか、全体として最適な解を私なりに考えてみた。
以下、鎮西新聞日向支部より2038年3月の記事を引用する。
【概要・ルート】東九州新幹線が小倉・博多~大分~宮崎で開業
西九州新幹線(新鳥栖~長崎)が全通したのは2036年、翌年には山陽・九州新幹線(新大阪~鹿児島中央)が高速化された。
これにより九州の南の果てと西の果ては、大阪から3時間程度で結ばれることとなった。
「裏側」に当たる大分県と宮崎県も、九州の向こう側の動向を黙って見ていたわけではない。
長らく計画だけに終わっていた東九州新幹線建設の機運が徐々に高まっていく。
そして西九州新幹線全通と山陽・九州新幹線高速化実現の目途が立った2020年代後半、宮崎県で知事選挙が行われ、タレント出身で知名度の高い候補者H氏が「陸の孤島宮崎をどげんかせんといかん!」と東九州新幹線建設を訴えて当選したのである。
大分県は元から前向きの立場だったので、これによって政治的課題はクリアした。
ここで問題となるのはルートである。
最終候補に残ったのは2つの案だった。
まず一つ目の基本計画案は日豊本線に沿った小倉~大分~宮崎だ。
この案の利点は①沿線人口が多いこと、②大阪方面からのアクセスが良好なことである。
一方デメリットとしては、博多を起点に考えると小倉までJR西日本の山陽新幹線を経由するために利用者の費用負担が大きくなり、JR西日本とJR九州との利益折衝が必要になることが挙げられる。
国土地理院の地図を加工して利用
もう一つの有力案は九州新幹線の新鳥栖駅から分岐して、久大本線に沿って日田・由布院経由で大分を目指すルートである。
メリットとデメリットは基本計画案と逆の関係となる。
つまり、沿線人口が少なく大阪方面からは遠回りになる代わりに、博多からもJR九州の路線で完結できる。
自治体と国とJRとの協議の結果、最終的には基本計画に改良を加えた案が採用された。
小倉駅付近から東九州新幹線が分岐して南下するわけだが、さらに博多駅付近から分岐する線路も建設し、両者は筑豊田川駅(田川伊田駅から改名)で合流して大分県の中津駅を目指すのである。
こうして東九州新幹線の区間を「小倉~筑豊田川~宮崎、及び博多~筑豊田川」と処理することで、基本計画案の欠点を補うことができた。
つまり、路線名の決め方など曖昧なので、山陽新幹線の線路を一部使いながらもJR九州で完結する東九州新幹線ができあがったわけだ。
国土地理院の地図を加工して利用
なお、上記2案の他にも新八代駅(熊本県南部)から人吉・都城を経て宮崎に至る肥薩線沿いのルートも熊本県より提示された。
しかし豪雨被害で長らく運休となっていた肥薩線をJR九州にしぶしぶ復旧させたばかりなのに、観光客に依存した赤字ローカル線に並行する新幹線を重ねて建設することは、政治的にとうてい容認されるものではなかった。
それはともかく、実現したルートが中津駅以南は基本計画案通りなので、宮崎県では「そのまんま東九州新幹線」と呼ばれているとかいないとか。。
「にちりん」が主役に復帰、「フェニックス」が復活
設置された駅は筑豊田川(福岡県)・中津・宇佐神宮・別府温泉・大分・臼杵・佐伯(以上大分県)・延岡・日向・みやざき児湯・宮崎(以上宮崎県)である。
みやざき児湯駅は特急停車駅だった高鍋駅から改称された。
「児湯」は沿線の高鍋町などの町村を含む郡の地名である。
沿線に別府温泉・宇佐神宮などの有名観光地だけでなく中小の工業都市を抱えるので、それなりの観光・ビジネス需要を見込むことができる。
国土地理院の地図を加工して利用
路線距離は小倉~大分および博多~大分が約140㎞、大分~宮崎が160㎞。
最高速度は260km/hで、速達列車の各区間の所要時間はそれぞれ40分と45分となった。
主に速達タイプは新大阪から直通してくる「にちりん」が、各駅停車タイプは「ソニック」(博多~大分)、準速達タイプは博多~宮崎の「フェニックス」が担う。
九州鉄道記念館にて
「ソニック」と「フェニックス」は新幹線初のカタカナ列車名となった。
「にちりん」と「ソニック」は在来線特急として親しまれてきた名称だ。
「フェニックス」は宮崎の県木にちなんだ列車名である。
かつて同じ名前の急行列車が、宮崎~小倉~博多~鹿児島(所要時間は12時間以上!)という現代では考えられない経路で運転されていたのは60年以上昔の話である。
ともかく、博多~宮崎の所要時間は1時間50分程度と飛行機に対しても競争力を有し、同区間の鉄道復権が期待されている。
「にちりん」は山陽新幹線を最高速度320km/hで走るN500系による運用で、小倉駅で鹿児島中央行き「はと」から切り離される。
新大阪から大分まで2時間35分、宮崎までは3時間20分の所要時間となった。
宮崎空港が市内中心部に近いので、関西~宮崎は依然として飛行機に対してやや不利である。
一方で大分だと関西はもちろん、リニア新幹線との接続によって関東からの需要も見込める。
田川 | 中津 | 宇佐 | 別府 | 大分 | 臼杵 | 佐伯 | 延岡 | 日向 | 児湯 | |
にちりん | ▲ | – | – | ● | ● | – | – | ▲ | – | – |
フェニックス | – | ▲ | – | ● | ● | ● | ● | ● | ▲ | ▲ |
ソニック | ● | ● | ● | ● | ● |
●=停車、▲=一部が停車
そんな東九州新幹線が開通したのは2038年。
南宮崎駅までの電化が1974年に行われてから64年後のことだった。
【実録】「にちりん」で新大阪から宮崎へ
2038年3月某日、本日めでたくも開業した東九州新幹線へ直通する宮崎行き「にちりん」が、新大阪駅を15時14分に出発した。
朝の一番列車には、東九州新幹線実現に尽力した元宮崎県知事のH氏が法被姿で乗車したという。
「にちりん」は新神戸駅・姫路駅と停車した後、北九州市の小倉駅までノンストップで走る。
我々取材班の隣にいたのは、都内の電気自動車メーカー勤務の40代男性。
東京からリニア新幹線を乗り継いで小倉駅まで行き、明日は工場を視察する予定だそうだ。
石炭と鉄鋼で栄えた北九州市は、1960年代以来ずっと斜陽都市といわれてきた。
しかし2020年代より先端技術産業の投資が相次ぎ、近年は再び工業都市として発展しつつある。
思えば2024年に市の人口の社会動態が60年ぶりにプラス(つまり転入超過)となった時、北九州の「反転攻勢」が強く印象付けられたものだった。
EVメーカー社員:「最近は北九州市に出張する仲間が多いですね。以前はシュテルン・フリーゲンダー(Stern Fliegender)航空で北九州空港から入っていたのですが、リニアができて山陽新幹線も速くなったので便利になりました。
工場では『中国メーカーに追いつけ追い越せ』と従業員を鼓舞していますよ。それにしても安い中国製品が溢れて世界中でデフレが問題になっていた頃もありましたが、それも遥か昔の平和な時代に感じますな。」
小倉駅には17時7分に到着した。
ここで鹿児島中央行き「はと」と切り離し作業が行われる。
8両編成になった「にちりん」はしばらく山陽新幹線を走った後、東九州新幹線へと分岐する。
やがて博多から来た線路と合流して筑豊田川駅を通過した。
このあたりも活気をなくした炭鉱町だったが、博多にも小倉にも近くなるということでマンション新築工事が進んでいる。
ちなみに本日のダイヤ改正では博多~筑豊田川~小倉という変わった経路で運転される東九州新幹線の短距離列車「かわら」が福岡県の要望により設定され、敢えて全区間乗車する鉄道ファンのSNS・動画投稿が朝から絶えないという。
大分県に入ってすぐ中津駅を通過。
ここは福沢諭吉ゆかりの地だが、旧1万札の流通がほぼなくなった現在、彼のことを知る人もだいぶ減ってきた。
宇佐神宮駅から宇佐神宮まではバスでのアクセスとなる。
取材班の後ろの席にいたのは台湾人の旅行グループだった。
今日は姫路城に行って、姫路駅から別府温泉駅まで「にちりん」に乗車するという。
インバウンド客:「日本観光と言えば何といっても城と温泉です。それぞれ日本一の姫路城と別府温泉を結ぶ列車ができると聞いて、このタイミングで来日しました。
明日は阿蘇山を観光してから熊本城も訪れて、熊本市に住む知人が経営するレストランで夕食会です。彼は『今の熊本城城主は台湾の半導体メーカーの社長だ』なんて冗談を言ってましたよ。」
別府温泉駅付近の湯けむりが工場からの煙に変わり、17時50分に大分駅到着。
ここで降りる人が多数いて、車内は閑散としてきた。
特別に許可を得てグリーン車を覗いてみよう。
異様なほどの客室の熱気の正体はアツアツな新婚カップルであった。
新郎:「祖父母から寝台列車『ことぶき』で宮崎に行った話を聞いて、僕らも行き先を宮崎に決めました。たまにはAIじゃなくて人の意見も参考にしようと思って(笑)。」
新婦:「GAHCルフトで飛んだ方が安くて速いんですけど、列車旅もロマンチックで素敵かなって。えっ、海外ですか?今はそんな裕福な時代じゃないですよ。新婚旅行をする人も少ないし、そもそも結婚する人すら私たちの周りにはあまりいませんね。」
大分駅から佐伯駅までの区間は在来線時代だとリアス式海岸沿いの景色を楽しめたのだが、あいにく新幹線は内陸寄りをトンネルで通過してしまう。
また費用削減のため大分~延岡は単線で建設されている。
そして佐伯~延岡の在来線は路線そのものが廃止された。
というのも同区間を通しで走る普通列車は1日1往復のみ、区間列車もごく僅かしかなかったためである。
再び平地となって延岡駅を通過。
ここからは再び複線になり、時間帯によっては延岡~宮崎に「ひゅうが」が運転されている。
時々遠くに海を見ながら宮崎平野を南下し、18時35分に終点の宮崎駅に到着した。
今までは県庁所在地にしては利用客が少なかった宮崎駅も、東九州新幹線開業を機に生まれ変わり、駅周辺には高級ホテルの建設も相次いでいるという。
博多・大阪、そして東京とも結びつきを強めた「裏九州」の将来に期待しながら、取材班は焼酎片手に地鶏の炭火焼を嚙みしめるのだった。
九州男児としては島津家発祥の地にして肉と芋焼酎の本場、都城までの新幹線延伸を望みたいところだが、それはやはり酒飲みの妄想に過ぎないのであろうか。
(了)
(鉄旅遊民管理人追記)
作中に登場する「シュテルン・フリーゲンダー航空」と「GAHCルフト」は、実在する航空会社とは関係ありません。
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