これまで「未来の記録」シリーズで未実現新幹線計画を勝手に進めてきた。
山陽道・西海道(九州)・南海道(四国)ときて、ようやく山陰道である。
これで「私的日本列島改造計画」の西日本版がひとまずは完成する。
本記事の内容は山陰新幹線の前半で、最終的な山陰新幹線は文字通り「東西二本立て」となる。
前半では「東山陰新幹線」と呼ばれる岡山~米子ルートについて記す。
以下、山陰地方の地方紙「五ヵ国連盟」より2042年3月の記事を引用する。
【前置き】山陰のルネサンス
世界地図を逆さにして日本列島を眺めて古代に思いを馳せてみよう。
「裏日本」であるはずの山陰が、大陸・朝鮮半島にほど近い「日本の表玄関」に見えてこないだろうか?
そして昔は島根半島は島だった。
特に朝鮮の人々にとってこの島は、ヴェネツィアやシンガポールがそうであるように、大変魅力的な地理的条件に思えたことだろう。
だがしかし、現代において山陰は首都から最も時間・空間距離が長い辺境と化している。
戦後の太平洋ベルト偏重の経済発展もこの地域には十分に届かぬまま、日本全体が衰退に突き進んでいるのは読者も承知のことである。
律令制時代には5か国(因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐)から成った山陰は2016年、まさに参院選で鳥取・島根両県が合区とされ、近年では県合併の噂まで飛び交うようになった。
そんな折、一つの希望が灯った。
山陰新幹線である。
もっとも実現への道のりは「七難八苦」であった。
【概要】山陰新幹線原案の次善策として中国横断ルートが実現
山陰新幹線の元の計画は、新大阪駅から山陰本線に沿った形で鳥取・松江を経て新下関駅付近で山陽新幹線に合流するものだった。
しかし沿線の人口・産業集積と交流実態からして当初案は非現実的で、「災害時のバックアップ機能」「新しい国土軸の形成」といったお馴染みの「マジックワード」を以てしても正当化は難しかった。
さらには全線をリニア形式で建設して中央リニア新幹線と接続し、東京・博多間を2時間余りで結ぶという案も出された。
理論上は経済合理性のあるこの壮大なプランも50年前なら検討の余地があっただろうが、既に高齢化した日本にとってはあまりに超長期目線に過ぎた。

出典:鳥取市「山陰新幹線の整備効果」
そこで現実的な落としどころとして、現行の特急「やくも」(岡山~出雲市)と同様の「中国横断ルート」による山陰へのアクセスが採用された。
山陽新幹線からの分岐は新倉敷駅から西へ5㎞程度の地点で、新大阪方面だけでなく広島方面からの乗り入れも可能である。
山陰新幹線の途中駅は吉備・備中高梁・新見・根雨・米子である。
吉備駅は井原鉄道の井原駅付近に新設された。
吉備駅以北は単線で、山陽新幹線との分岐点から米子駅までの距離は約110㎞と、蛇行する在来線の伯備線(145㎞)より大幅に短くなった。
最高速度は260㎞/hである。
そして米子~出雲市は在来線との共用区間として新線が建設され、新幹線と山陰線特急が走る。
新線には特急停車駅のみに駅が設置されている。
かくして2042年3月。
苦難の末に山陰新幹線(新倉敷・福山~米子~出雲市)が開業したのであった。
山陽新幹線の岡山開業によって伯備線が陰陽連絡線の主役に躍り出て70年、そして伯備線が電化されて60年の月日が経っていた。

国土地理院の地図を加工して利用
ところで山陰新幹線実現にあたっては、俗に「21世紀の出雲神話」と呼ばれるエピソードがある。
山陰新幹線について議論するため、与党「国民は僕」所属の国交省大臣が島根県知事を訪れた時のことである。
大臣は知事が披露する新幹線計画に賛同せず、報道陣に公開された会談は重苦しい雰囲気となった。
そんななか、同席した副知事が「今から1000年以上も昔、出雲はヤマト政権に国譲りをした。日本国政府は一度でも島根県に感謝を表したことがあるのか?」と問いただすと、大臣が「だから出雲大社があるだろう。神の御加護を。」などと挑発し、カメラの前で本音剝き出しの激しい口論に発展。知事は大臣に県庁からの退出を申し渡した。
しかしこれも出雲の神々の威光であろうか。
数日のうちに大臣は屈服して知事に手紙を出し、無事に島根県の作成した新幹線計画が動き出したのである。

【ダイヤ】新大阪から松江まで2時間
山陰新幹線を走る列車の名前は、新大阪~出雲市は当然ながら「やくも」である。
また、広島~出雲市については「くにびき」が充てられた。
広島~山陰地方にはかつて木次線経由の急行「ちどり」があったが、同列車が廃止されて久しく、出雲神話にちなむ列車名に揃える意図もあって「くにびき」が採用されたのである。
そして岡山方面から来た「やくも」と広島方面から来た「くびにき」は、吉備駅で併結して出雲市へ向かう。
新大阪発「やくも」の標準的な所要時間は岡山まで約50分、米子まで1時間45分、松江まで2時間、終着の出雲市までは2時間20分となった。
山陰新幹線内は各駅停車が基本だが、一部の便は速達タイプとして「大阪から松江まで1時間台!」の広告塔となっている。
リニア中央新幹線から新大阪駅で乗り継げば、東京から山陰各都市まで3時間程度で結ばれるのだ。
米子 | 松江 | 出雲市 | |
岡山 | 55分 | 1時間10分 | 1時間30分 |
新大阪 | 1時間45分 | 2時間 | 2時間20分 |
東京(品川) | 3時間 | 3時間15分 | 3時間35分 |
山陰新幹線用車両にはJR西日本のW8系が開発された。
これは四国新幹線の10000系をベースにした車両で、最高速度は270㎞/hに抑えながら短編成を複数併結できる仕様になっている。
また雪が多い山陰の気候にも対応しているのも特徴である。

2024年出雲市駅にて
なお、2024年に登場した特急「やくも」用の273系は物持ちの良いJR西日本ではまだ「若手」に該当するので、グループ利用にも対応した車内設備を活かして関西~北近畿地方の特急列車たちに転用された。
これらの区間は新幹線建設よりも既存の在来線特急のアコモ改善が必要だったため、273系の再就職は一石二鳥だった。
また、鳥取・倉吉方面についても新幹線ではなく、現行の特急「スーパーはくと」の改良が行われた。
経由している智頭急行が高速向けの線路であることと、山陽新幹線乗り入れにしても距離が短く新大阪・新神戸駅からしかアクセスできないことが理由である。
【実録】山陰新幹線「やくも」に乗る
2038年の四国新幹線開業に続き2042年は山陰新幹線開業を迎え、岡山駅は活気づいている。
普段はあまり出しゃばることもない岡山県民の間でも「リニア新幹線を岡山駅まで延伸させよう」と随分強気なことを言う人が現れているそうだ。
「やくも」を待っているうちに、若いカメラマン氏がアナゴの駅弁を買ってきた。
やがて石州瓦をイメージしたという格調高い外観のW8系が入線した。
新大阪駅から来た列車は既に多くの席が埋まっている。
荷物棚には東京の土産物もあった。

「やくも」は3月の麗らかな空の下、晴れの国岡山を出発した。
最高速度に達するもすぐに減速しながら新倉敷駅を通過して、ついに山陰新幹線へと入線。
感動する間もなく吉備駅に着いて、待機していた広島発「くにびき」と連結する。
停車時間が長い「くにびき」の乗客のために、昔の駅弁売りさながらにホームでは吉備団子が販売されているという。
川沿いに蛇行する道を懸命に身を傾けながら走った在来線特急時代と違って、新幹線「やくも」はトンネル主体の線路を走る。
予算削減を反映して新幹線にしてはカーブ・勾配がきつい方だが、そもそも距離が比較的短く最高速度も抑えられているのであまり問題にはならない。
トイレから戻ってきたカメラマン氏が「東北地方の人もこの列車に乗っていた」と言う。
聞くところによると、ズーズー弁訛りのおばあさんが二人で「カメダに行った」などと話していたとのことだ。
「君、『五ヵ国連盟』に勤務しながら山陰の方言について無知とはけしからん。出雲弁は東北に似たズーズー弁だということは有名じゃないか。松本清張の『砂の器』を知らんのかね?」
「へえ、知りませんでした。なんせ最近旅行で秋田県の羽後亀田という駅に行ったものですから。でもこの辺にカメダっていう駅はありましたっけ?」
「この列車が停まる宍道駅から出ている木次線の亀嵩駅のことだな。『砂の器』の舞台になった所だ。」
「ああ思い出した。蕎麦が有名な駅ですよ。」
「君はそういうのには詳しいんだね。」
備中高梁、新見と停車し、中国山地を貫通するトンネルに入る。
僅か数分でトンネルを抜けた鳥取県ではまだ雪がだいぶ残っていた。
山陽路からついに日本海側の山陰へ新幹線でやって来たのだ。
「裏日本」という表現を表面的に忌避したところで、山陰は山陽と比べて明らかに発展から取り残された地域であった。
今や山陰新幹線は、地形的には大して険しくないはずの中国山地という心理的障壁を打ち破ったのである。
「上越新幹線で新潟に行く時と似てますね。」とカメラマン氏が興奮しながら言う。

根雨駅を過ぎると右手に伯耆富士こと大山の誇らしい姿が見えてきた。
取材班の隣には20代前半の幼馴染の男女4人が乗っている。
「皆で出雲大社に縁結びの祈願をしに行くんです。ほら、最近国が少子化対策とか言って奨励してるじゃないですか。それに乗っかろうかと思って。えっ、僕ら2人ずつが??うちらはあくまで友達同士ですからね(笑)。」
我が国の少子化は歯止めがかからず、ついに昨年(2041年)は山陰両県の人口が100万人を切ってしまった。
こうした状況では国も地方自治体も成すすべがなく、人口減少対策はもはや神頼み状態となっている。
米子駅で本来の意味での新幹線区間は終わり、終点の出雲市駅までは高規格の狭軌・標準軌(レール幅)併用で、山陰線特急「まつかぜ」も同じ線路を走る。
最高速度もせいぜい160㎞/hだ。
県境を越えると安来駅。
眼の前の製鉄工場は古代よりこの地で営まれた「たたら製鉄」を思い出させる。
松江駅では大勢の観光客が下車した。

在来線はここから宍道湖に沿って走るのだが、新線からは断続的にしか見えない。
宍道駅を過ぎると出雲平野をラストスパートで駆ける。
鉄道作家の宮脇俊三氏も「山陰地方らしい陰影のなかに、一種の高雅さとも言うべきものが出雲にはあるのだ。」(古代史紀行より)と述べ、出雲が「ただならぬ地」であると繰り返し表現している。
その神々しい景色は新幹線時代になっても変わらない。
終着の出雲市駅に到着した。
取材班はここで1泊し、明日は山陰本線でさらに西進する。
そして益田駅(島根県西部)からは今回の山陰新幹線と同時開業した「西山陰新幹線」(通称・石見新幹線)に乗車する予定である。
その様子は次回の後半記事にてお伝えする。
(つづく)
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