【未来の記録】悲願の四国新幹線が開業、新大阪までの所要時間が2時間未満に

我脳引鉄

2016年、ついに新幹線網が北海道にまで延びた。
この日を以て、四国は全国唯一の新幹線空白地帯となってしまった。
島内では高性能な在来線特急列車が都市間輸送に健闘しているが、平成以降に整備された高速道路と比べると明らかに不利なインフラ条件下にある。

2025年現在、数ある新幹線構想の中でも四国新幹線は最も計画が進んでいる。
そこで私なりに新幹線が開業した四国を考えてみた。
以下、四国同盟新聞社から2038年4月の記事を引用する。
参考:四国新幹線整備促進期成会

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【ルート】岡山駅から瀬戸大橋を渡り各県都へ

今から50年前、四国にとって史上最大の交通革命が起こった。
1988年の瀬戸大橋開業によって四国が本州と繋がったのだ。
そして本日は、当時に匹敵するほどの記念すべき日となった。
我らが悲願の四国新幹線が開業したのである。

思えば四国は鉄道発達史から見て全くの不毛の地であったと言ってよい。
高度経済成長に伴って全国各地の路線で複線化・電化・高速化が盛んに行われた昭和30~40年代になっても、四国だけはほぼ手つかずの状態だったのである。
辛うじて国鉄民営化後に予讃線が電化されたが、複線化はほんの一部の区間のみだ。
東北地方の人はよく「東京(中央)に都合よく利用されて蔑まれる可哀そうな地域」を演出するが、東北本線は1968年に全線複線電化・高速化され、1982年には東北新幹線も開業している。
つまり、鉄道網発展の不平等に関しては東北の専売特許ではなく、むしろ我々四国こそが主張すべきことである。
しかしそんなことはどうでも良い。
被支配者同士の反目は支配者の思う壺である。
じゃこ天ときりたんぽが互いを貧乏呼ばわりしていては、過疎地域が生き残ることなどできぬ。

さて、この度実現した四国新幹線は、岡山駅に起点に瀬戸大橋を通って徳島駅(高松駅経由)・高知駅そして松山駅の3方向に延びるものとなった。
建設費を抑えるために高松~徳島と四国中央~高知の区間は単線となっている。
当初は徳島県が淡路島経由のルートを求めていたが、四国4県が団結して実現性の高い瀬戸大橋経由で誘致することによって新幹線開業に至ったのだ。
「香川県は岡山を、徳島県は関西を、愛媛県は広島を、そして高知県は世界を向いている。」などと揶揄された四国も、ついに新幹線のおかげで一つになったのである。

四国新幹線の路線図と駅
国土地理院の地図を加工して利用

在来線のルートと大きく異なるのは、松山方面行きと高知方面行きの路線が多度津駅(香川県)ではなく、伊予三島駅から改名した四国中央駅(愛媛県)で分岐する点である。
また伊予西条~松山では、海岸沿いに今治を経由する在来線に対して、新幹線は高縄半島基部をショートカットしている。

なお、瀬戸内海側を中心として沿線に中小都市が集積する四国新幹線は、開業済みの整備新幹線である東北・北海道新幹線や北陸新幹線よりも人口集積が良好である。
「なぜ四国なんかに新幹線を」と反対する声もあるが、これまで四国に新幹線がなかったことの方が不自然だといえよう。

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【車両・ダイヤ】新大阪から各県へ2時間未満、東京からも約3時間

四国新幹線の運行系統はやや複雑となった。
まず新大阪発の「しおかぜ」(松山行き)・「南風」(高知行き)・「うずしお」(高松経由徳島行き)の3列車が併結して走り、瀬戸大橋を渡った先の丸亀駅で「うずしお」が、四国中央駅で「南風」が分割される。
さらに丸亀駅では「うずしお」を切り離した後、まもなく高松駅始発の「しまんと」がやって来て編成に連結され、「南風」と共に高知駅へ向かうのだ。
また、この便とは別に、高松~松山に「いしづち」が運転される。

車両はJR四国が開発した10000系である。
10000系の特徴は6両または3両という短い編成単位で柔軟に併結できる点にある。
最高速度は270km/hに抑えられた。
四国新幹線内では260km/hしか出せないうえに山陽新幹線区間も短いために、それ以上の性能は費用対効果が低いと判断されたためである。

10000系のモデル、フリーゲージトレイン試作車

松山行き「しおかぜ」は丸亀・四国中央には全列車が停車し、その他の駅には一部列車のみが停まる。
「南風・しまんと」と「うずしお」が単独で走行する区間、及び「いしづち」は各駅に停車する。
直通する山陽新幹線内の停車駅は新神戸に加えて西明石または姫路である。

岡山からのおよその距離は松山まで165㎞、高知まで150㎞、徳島まで140㎞。
瀬戸大橋での低速運転と途中駅で分割併合のための停車時間を考慮しても、各駅まで1時間以下の所要時間となった。
これに新大阪~岡山の所要時間50分を加えると1時間40分台、さらには東京(品川)~新大阪のリニア中央新幹線と乗り継ぎ時間を合わせても、東京から3時間で四国の主要都市が結ばれたのである。

高松徳島松山高知
岡山30分55分60分60分
新大阪1時間20分1時間45分1時間50分1時間50分
東京2時間35分3時間3時間5分3時間5分
各区間の所要時間
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【実録】四国新幹線に乗る

2038年4月某日、四国島民300万人(15年前は350万人だったのだが)の悲願がついに叶った。
構想が始まって以来60数年、ついに四国新幹線が開業したのである。
我々四国同盟新聞社取材班も、初日の松山駅から岡山駅まで「しおかぜ」に乗車することにしよう。

松山→岡山の「しおかぜ」

本日新幹線を迎えた松山駅ではセレモニーが行われた。
来席した客には十河信二氏の親族も招待されていた。
十河信二(1884~1981)は愛媛県出身で西条市長を経て、国鉄総裁として東海道新幹線実現に尽力した人物である。
「『新幹線生みの親』と呼ばれる彼が生まれたこの地に、ようやく新幹線が走ることになって感無量です。」と親族は熱く語る。

伊予西条駅前の四国鉄道文化館にある十河信二の胸像

セレモニーが終わり、我々も新大阪行き6両編成の10000系「しおかぜ」に乗車しよう。
在来線特急時代の「しおかぜ」と違って、新幹線は内陸部をショートカットするので残念ながら瀬戸内海はほとんど見えない。
費用削減のため既存の新幹線よりもカーブがきつく設計されているが、それでもほとんどの区間で260km/h運転が可能だそうだ。

乗車した車両の端の席では学生グループがビール片手に談笑している。
「しまなみ海道を自転車で渡って四国入りして、昨日は道後温泉に泊まりました。これから大阪に帰るところです。ネット限定の『ユース専用グループ割引』でかなり安くなったんで、バスよりもずっと速い新幹線にしました。さっきも『四国に気軽に来られてええなぁ。今度は高知辺り行かへん?』って皆で話とったんです。」

開業後の課題はとりわけ若者の間で根強い「新幹線=高い」というイメージを払拭して、利用者のハードルを下げることにあった。
四国全体への経済効果も考慮し、競争力のある価格設定によって一人当たり利益率を悪くしてでも乗客を増やす狙いがあるという。

十河信二ゆかりの伊予西条駅、続いて新居浜駅といった中予地方の工業都市を通過し、交通の要衝である四国中央駅に停車した。
この駅で前方に待機している「南風・しまんと」を併結する。

新幹線開業前の四国中央駅付近

堂々12両編成となった列車は県境を越えて観音寺駅を通過、平地を走って香川県第二の都市丸亀駅に到着した。
ホームにはうどん屋が開業していた。
ここでは先頭の「しまんと」3両を切り離し、徳島駅から来た「うずしお」を迎え入れる。
丸亀駅は高松・岡山方面の線路が分岐するだけでなく、善通寺・琴平、そして大歩危小歩危観光の拠点となる阿波池田駅へのアクセスという点でも重要である。

ここで隣の席に男性が乗ってきた。
丸亀市内の造船会社役員を務める50代の男性で、今日は東京へ出張だそうだ。
高松空港まで行かなくても、東京まで2時間半で行けるようになったと嬉しそうだった。
「(新幹線ルートから外れた)今治で働く同業者からは羨ましがられてます(笑)。私が就職した30年前から造船業は斜陽産業やと言われてますが、私はこの仕事に誇りを持ってます。なんぼ第三次産業の時代や言うても、この国に食糧とエネルギーを運んでくるのはうちの船ですがな。それとも年棒何十億と稼いではるアスリートから夢やら感動やら貰うて、それで腹が膨れますかいな?」

思えば四国新幹線の機運が活発化した2020年代前半は、特に地方で人口減少が顕著となり、混沌とした国際情勢を反映して「経済安全保障」という用語が一般化した時代であった。
さて、いよいよ瀬戸大橋である。
この橋はもともと新幹線規格を含む構造で整備されていて、四国新幹線実現にとって大きなメリットとなった。

新幹線増設工事前の瀬戸大橋

ついに新幹線が瀬戸大橋を渡り終えた。
鷲羽山児島駅は岡山県の強い要望で設置された。
いくら四国4県でまとまっても岡山まで繫がらなければ新幹線の意味がないので、岡山県は費用負担など様々な項目でかなり良い条件のディールをしたと言われている。

干拓でできた平地をしばらく走ると前方に山陽新幹線が見えてきた。
「ちょっと失礼します」といった感じで割り込み、「しおかぜ・南風・うずしお」連合は岡山駅に到着した。

岡山→高知の「南風」

我々はここで下車する。
帰りの高知行き「南風」に乗る前に岡山駅を散策してみた。
JR四国も営業に力を入れているようで、売店にはお遍路グッズまであった。
その商品を見ていたのはスペイン人観光客。
「昨年カトリックの聖地巡礼をしたので、今回は瀬戸内の島や鳴門の渦潮を観光してから日本のお遍路にも挑戦しようと思います。」

そろそろ時間なのでホームで「南風」を待つ。
やがて四国ではお馴染みの「瀬戸の花嫁」が流れて、新大阪駅から来た列車が到着した。
四国新幹線列車専用に列車接近メロディーを用意するとは、なかなか凝った演出である。

四国中央駅までは来た道を引き返し、左に折れて四国山地に突っ込んでいく。
新幹線開業に伴い、在来線の四国横断ルートだった土讃線の阿波池田駅~後免駅(現在の土佐南国駅)は廃止された。
ほとんど特急しか走っていない区間だったので、大歩危小歩危へのアクセスや南国市内の需要もバスで十分と判断されたのだ。

廃止された土讃線の渓谷区間

四国中央~土佐南国の駅間距離は約50㎞と長く、ひたすら山間部をトンネルで南下していく。
いかに土佐高知が隔絶された地であったが分かろう。
前の席には東京から来た一人旅の30代男性がいた。
「僕は鉄道に乗ってあちこちへ行ってたんですが、高知はどうしても遠くて今回ようやく来れました。最近は温暖化の影響でカツオの季節は4月からだって聞きますから、時期的にもちょうどいいですね。高知からは室戸半島を一周して徳島まで行って、そこからまた新幹線で帰ります。往復の新幹線の切符があれば周遊チケットも安くなるんですよ。」

四国新幹線の経済効果を広範囲に行き渡らせるために、ただ単に新幹線で四国に来てもらうだけでなく、いかに四国を回遊してもらえるかが重要だった。
彼が利用した施策もその一つである。
また新幹線ルートから外れた土讃線の阿波池田駅以北は、高松~丸亀~阿波池田~徳島に観光列車を走らせて、徳島線(阿波池田~徳島)と共に周遊コースの一環となるそうだ。

2024年に「鉄旅遊民」氏が提唱した「四国上下左右」概念図

ついに四国山地を抜け、夏のような陽が射す高知平野に出ると御免駅ごめん改め土佐南国駅に着く。
安芸・室戸方面への土佐くろしお鉄道ごめんなはり線乗り換え駅である。
程なくして終点の高知駅に到着した。
新大阪からも1時間台の所要時間だ。
僻遠にある遠流の地も、今や高速交通網の中に組み込まれた。
これを機に高知県は変わっていくのだろうが、地元の人たちが話す威勢の良い土佐弁が大阪弁や標準語に変わってしまわないか、我々としては気がかりではある。

以上で開業日の取材を終えるが、実は四国新幹線の話はこれで終わらない。
来年には松山からさらに西へ延伸し、豊予海峡をトンネルで抜けて東九州新幹線の大分駅まで至ることになっているのである。
(つづく)






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