国鉄臭みなぎるレトロ特急、キハ185系特急「剣山」自由席の乗車記

ローカル線

1987年の国鉄民営化から間もなく40年。
国鉄時代に設計・製造された車両の多くは引退し、生き残っている者でも原形をとどめないほどの整形手術(改造工事)が施されていることがよくある。
国鉄車両の聖地と呼ばれた中国地方の普通列車でも最近は置き換えが進んでおり、まして特急車両となるともはや絶滅危惧種である。

無愛想だが妙に頼りがいのある、あのレトロな「国鉄臭」を未だ漂わせる特急列車に会いたければ、徳島線の特急剣山つるぎさん(徳島~阿波池田)に乗ればよい。
2021年まで関東の特急「踊り子」で親しまれた185系のディーゼル版ともいうべき、形式名も似たキハ185系が四国で活躍しているのである。
2025年11月中旬、夜行バスで徳島駅に降り立った私は、9時ちょうど発の「剣山1号」に乗車した。

青線が「剣山」の走る徳島線
国土地理院の地図を加工して利用
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【車両】ありがたき国鉄の遺産、キハ185系

特急「剣山」に運用されるキハ185系は、民営化も間近に控えた1986年、発足後も厳しい経営が予想されるJR四国のために最晩年の国鉄が用意したディーゼル特急車両である。
軽量のステンレス車体・短編成での運用が可能・一部の設備や部品は廃車発生品を流用するなど、コストカットを強く意識した「身の丈」に合った車両だった。

しかし高速道路整備が進んでいた時代、急勾配と急曲線が続く悪条件の線路においても高速で走れる大出力・振り子式車両の開発が、新生JR四国によって進められる。
そして民営化後間もない1989年に2000系が爆誕し、キハ185系は僅か3年で四国の主役を退いたのである。
軽快になったとはいえ国鉄色を引きずるキハ185系に対し、見た目・スペック共に2000系は新しい時代のディーゼル特急で、両者の関係は「親子にも見える異母兄弟」そのものであった。

そんな気の毒なキハ185系も、「剣山」や「むろと」(徳島~牟岐、2025年3月に廃止)といったローカル特急で生き残り、さらには普通列車や観光特急としても運用されるなど、ある意味で設計思想通りのしぶとい活躍を見せて現在に至っている。
やはり国鉄は、そしてキハ185系は正しかったのだ。
なお一部の編成は九州に渡って大幅なリニューアルを受けたが、四国の定期特急用の編成はオリジナルに近い状態を保持している。

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【車内・混雑】自由席でも充分座れる

JR四国には2025年現在でも特急には自由席が残っている。
「剣山」は通常2両編成(阿波池田早朝発の便だけ4両編成)だが、1両の一部だけが指定席で残りは自由席である。
車内は客室・デッキ共々国鉄時代というか昭和を感じさせる。
当然ながらスマホを充電するコンセントはない。

今まで乗ってきた印象だと、「剣山」の自由席は混雑することはなく、わざわざ指定席を取る必要はない。
自由席で吉野川が見える北側の席がおすすめだ。
また、キハ185系は最前列の客室から前面展望が楽しめる。
徳島発だと自由席車両の最前列、阿波池田発だと指定席の最前列が「展望席」となる。
阿波池田発の便でどうしても前面展望にかぶりつきたい人は、進行方向右側の最前列(運転席が無い側なので前がよく見える)を指定しよう。

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徳島→阿波池田

四国の県庁所在地駅のなかで徳島駅は最も旧態依然としている。
松山・高知は新しい高架式だし、高松は行き止まり式の立派なターミナル駅だ。
それに比べると自動改札機すらない徳島駅は、ローカル線の要衝駅のような雰囲気がある。
何より駅自体が、市街地と徳島城跡の間に狭苦しそうにあるのが奥ゆかしい。
とはいえ、朝ラッシュ時には徳島駅も活気を呈していた。
普通列車や高松からの特急「うずしお」が到着すると、大勢の人が有人改札に殺到する。
そんな寒空の張りつめた朝、特急「剣山」は場違いなほど空いていた。
2両編成のうち、自由席の3号車の乗客は15人程度、一部指定席の1号車はもっと少なかった。(なぜか2号車はなかった)

徳島城跡に見守られながら徳島駅を出発。
すぐに左手に眉山が見える。
次の佐古駅(通過)までは高徳線と徳島線の単線が並列する、事実上の複線区間である。
徳島県内での複線となっているのはこの1駅区間だけ。
ちなみに徳島県は全国で唯一電化率0%という不名誉な記録を持っている。
検札をしている車掌のもとにおばさんがやって来て、「佐古まで行きたかったんやけど、これ特急なんかいな?」と言い出す。
幸い「剣山」は停車駅が多く、その次の蔵本駅で彼女は下車できた。

旧式車両の鈍足ローカル特急の予想に反して、列車は100km/hを越えるスピードで快走した。
吉野川河口部の平地なのでカーブが少ないのだ。
沿線は住宅地や野菜畑が目立つ。
「剣山」に限らず四国の特急は停車駅が多く、短距離の利用客もちらほらいた。
これがJR北海道だったら、今ごろ快速列車に格下げされていることだろう。

「剣山」はその後もずっと吉野川右岸を走るので、徳島発の場合は進行方向右側がおすすめだ。
なお列車名の由来である剣山は、四国山地に位置する西日本で2番目に高い山(標高1955m)であるが、車窓からはそれとはっきり見えない。
本来は列車名も「吉野川」が相応しいのだが、特急格上げ前の徳島線急行列車で既に使われていたので、別のものを当てる必要があったわけである。

阿波川島駅付近では川島城跡の模擬天守閣が右手に見える。
左からは四国山地が、右からは讃岐山脈が寄り添って来た。
線路はだんだんと川幅が狭まる吉野川を忠実に辿る。
キハ185系がブレーキをかけると、ガリガリと音が鳴った。
客室の雰囲気・走行音・乗り心地…
五感でレトロさを味わおう。

もし徳島線でどこか途中下車したいという人がいれば、特急も停車する穴吹駅がおすすめ。
川を渡って2㎞少々のところに、うだつで知られる脇町の町並みがある。
藍染めで栄えた家が、富の象徴だったうだつ(防火壁)を競って建てたことから、「うだつが上がらない」という慣用句が生まれた。

吉野川を遡ること1時間、それなりに山深い所に来てもよさそうだが、未だに平地は広い。
峻険なイメージのある四国山地も意外となだらかで女性的だ。

阿波加茂駅から少し走った所に美濃田の淵という景勝地がある。
川のなかに数々の奇岩が顔を出している様子を、木々に阻まれながらも辛うじて列車から見ることができた。
間延びしがちな徳島線の景色にあって、終盤の良いアクセントとなっている。
佃駅(通過)で土讃線と合流し、高台から三好市の市街へと降りていく。

終着阿波池田駅は四国のへそに位置している。
それ故に、小さな山間部の街にしてはやたら広大な要衝駅という、私が好む駅の典型例の一つだ。
残念ながら駅そば・駅弁はないが、駅前の商店街には飲食店やホテルが多い。

この後は土讃線(非電化区間)の普通列車に乗り通すために、特急「南風」で琴平駅まで北上する。
自由席は立ち客が出るほど混んでいた令和世代の2700系に乗ると、昭和生まれのキハ185系が一層愛おしく感じられてきた。







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