【日韓擬似国際列車の旅④】半島へ上陸、関釜連絡船とKTXを繋ぐ釜山の近現代史

アジア

2026年6月末日、日本・韓国両国の新幹線と下関・釜山間のフェリーを乗り継いで、東京発ソウル行き「日韓擬似国際列車」の旅に出かけた。
日本が朝鮮や中国に進出していた1940年の時刻表を基に、現在の最新型高速列車を当時の看板列車に見立てることで、戦前の鉄道黄金時代の海外渡航を今日に蘇らせようとする試みである。

【日韓擬似国際列車の旅・序】東京から韓国・ソウルまで鉄道と船を乗り継ぐ1700㎞
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本記事は第4回。
戦前の関釜連絡船に見立てた関釜フェリーが釜山に到着した後もしばらく船内に留まる。
その後、ソウル行き列車までの間に釜山の街を少しだけ見物した。

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蒟蒻畑に横たわる国境

雑魚寝タイプの2等船室で2人の韓国人、大らかな年配男性と冷静な中年紳士と話が弾んだ。
30年前は3人とも神戸・大阪で過ごし阪神大震災を経験したことが分かり、海外渡航なのに神戸行きフェリーに乗って帰郷している錯覚に陥ったほどだった。

【日韓擬似国際列車の旅③】関西弁が国境を溶かす関釜フェリー2等船室の旅
2026年6月末日、日本・韓国両国の新幹線と下関・釜山間のフェリーを乗り継いで、東京発ソウル行き「日韓擬似国際列車」の旅に出かけた。日本が朝鮮や中国に進出していた1940年の時刻表を基に、現在の最新型高速列車を当時の看板列車に見立てることで…

目を覚ますと朝6時頃。
甲板に出てみると既に船は釜山に入港していた。
フェリーターミナルの奥には高層ビルが所狭しと建ち並び、その背後には山が迫っている。
やはりここは神戸ではないか。

釜山港付近より

部屋に戻ると、韓国人たちが何やら真剣な顔で話し合っている。
彼らの前には日本の「蒟蒻畑」の袋が幾つもある。
中年紳士が状況を説明してくれた。
韓国でも幼児が蒟蒻畑でのどを詰まらせて死亡する事件があったので、国内への持ち込みが禁止されている。その「危険品」を昨晩一緒に話をした年配男性が持ってきてしまった、とのこと。
当の年配男性は私の方を向いて
「知らんかったぁ~」と、とぼける。
結局、量は多くない(そうは見えなかったが)から大丈夫だろうと言う。

故郷を思わせる釜山の風景に、日本語を話す乗客たち。
韓国に来て初めて私に国境の存在を意識させたのは蒟蒻畑だったのだ。

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韓国へ入国

8時になってようやく下船が許された。
入国審査は韓国の電子入国をオンライン申請していたのでスムーズだった。

手続きを終えてターミナルビルから出る所で、なんと先ほどの中年紳士が私を待ってくれていた。
彼は釜山で日本語の個別レッスンをしているヤンさん。
一旦自宅に帰り、すぐに仕事があるとのこと。
12時34分発のソウル行き列車まで釜山を観光したい旨を話すと、「とりあえず釜山駅に行きましょう。」と案内してくれる。

駅まではやはりペデストリアンデッキを歩く。
今日は大雨なので屋根付きの通路で助かった。
人口20万人の下関市に対して、釜山市は人口300万を超える国内第二の都市だ。
旧釜山桟橋駅の場所の当たりはつけてきたのだが、港湾設備も当然ながら大規模に開発されており、残念ながら下関のように1940年当時の桟橋跡を辿ることはできそうにない。

大きな船が下関からの「ソンヒ」

駅に着いてコインロッカーにスーツケースを預け、日本のSuicaに相当するTmoneyを購入してチャージする。
こうした準備作業は初めて来る国では何かと苦戦するものだが、梁さんのおかげであっさりと第一関門をクリアしてしまった。

梁さんから国内最大の魚市場「チャガルチ市場」を薦められ、私も興味が湧いたので行くことにする。
同じ地下鉄路線に乗るので、市場近くのチャガルチ駅まで一緒に来てくれた。
地下鉄は新しくて、ヨーロッパよりずっと綺麗だった。
車内も静かで、蒸し暑いのにマスクをする人が一定数おり、ハングル文字以外は日本と全く同じ光景である。
ちなみに韓国人が日本語を学ぶ動機について尋ねると、親戚に日本人がいる、日本人の彼女が欲しい、あるいは高齢者の認知症予防に至るまで様々だという。

チャガルチ駅で2人で降り、改札前で梁さんと別れた。
LINE交換もした。
「困ったことがあったら遠慮なく電話してください。レッスン中でもかまいませんから。」
「本当にお世話になりました。さようなら。カムサハムニダ!(ありがとう)」

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グロテスクで美味なるヌタウナギ

激しい雨の中を歩いて市場ビルを目指す。
その周辺にも露店が多数あったが、ゆっくりと見ている余裕はなかった。
ビルの1階は100mは優にある2本の通路の脇に、様々な魚やカニ・イカなどを満載した水槽が並んでいる。

外の通りと同じくらい濡れた通路を歩きながら物色して、ヌタウナギを調理してもらうことにした。
ウナギという名前が付いているが顔らしい顔がなく、「魚」というよりゲームに登場する「ワーム」のような生物である。
おばさんは赤みがかった40㎝くらいの細長いワームを5匹ほど掴んでフックにかけ、ジャガイモの皮むき器のような手際の良さでその皮を包丁で剥いでいった。

血肉を露にしたヌタウナギだが、なんとまな板の上でまだクネクネのたうち回っているではないか。
そんなヌタウナギたちを、おばさんは平然とぶつ切りにしてゆく。
骨はないらしい。
果たして、切断された各々の切り身たちは、なおもうごめいていた。
あのグロテスクな光景を、承認欲求のために動画撮影・投稿できる人はサイコパスだろう。

仕事を終えたおばさんは、唖然としている私を呼んで一緒に2階に来いと言う。
2階には料理担当の別のおばさんがいた。
何種類かある調理法の中から塩焼きを希望した。
玉葱と一緒に焼くだけのシンプルな料理で、ごま油風味のスープに付けて食べるようだ。

もう動き出さないことを慎重に確認しながら、処理されたばかりのヌタウナギを口に運ぶ。
食感はホルモンのようにコリコリしていて、味の第一印象は白身魚のような淡白さだった。
しかしすぐに脂のコクが押し寄せてくる。
心地よく噛みしめる度に淡白さと濃厚さが双璧を成して両立するヌタウナギ。
こんな美味い魚は食べたことがない。

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釜山近現代歴史館に残る戦前の鉄道の記憶

さて、本シリーズのテーマは「日韓擬似国際列車」である。
今の釜山に鉄道桟橋跡が見出せないとはいえ、ヌタウナギを食べて感動するだけでは形無しになってしまう。
極上の朝食を終えた私はバスで釜山近現代歴史館へ向かった。

本館

東アジア各国の「近代」の始まりは、中国ならアヘン戦争、日本なら黒船来航だが、韓国では1876年の日朝修好条規がこれに当たる。
それまで中華冊封体制のもと清の属国だった朝鮮が、この条約によって欧米の近代的世界観で(日本に押し付けられた不平等条約とはいえ)独立国として歩み始めるのである。
近代的な開港地である釜山はその出発点だった。
その点、近代建築の並ぶ釜山はやはり神戸に似ているが、西欧の模倣を楽しむ「ハイカラ」的な神戸の軽さに対して、植民地支配の拠点・朝鮮戦争での国の存亡をかけた臨時首都・民主化抗争の中心と、釜山には韓国近代史ならではの重みがあるのだ。

さて、韓国(朝鮮)における鉄道建設は、1910年の韓国併合以前から日本の強い影響のもとで進められた。
当時は鉄道建設即ち近代化だったから、この博物館にも鉄道関連のコーナーがある。
「釜山行」と書かれた行先票や、植民地時代の釜山桟橋や関釜連絡船の写真、そして当時の乗車券・急行券・寝台券なども展示されていた。

「奉天」は現在の中国の瀋陽

私が再現しようとしているのは、先人たちがここにあるものを使って辿った道である。
擬似国際列車の朝鮮半島上陸に際して、戦前の記憶を目にすることができて良かったと思う。

釜山近現代歴史館は建物自体も見どころとなっている。
見学した本館は、韓国併合の直前に銀行として建てられた施設だ。
とくに1階のカフェは当時の内装を活かした「レトロモダン」な雰囲気で、時間がもっとあればここで休憩したかった。

本館から通りを挟んだ向かいには別館もある。
この建物は日本統治時代に、東洋拓殖という植民地事業を手掛けた会社の釜山支店として建てられている。
無骨な本館とは対照的に、曲線美を取り入れた優美で装飾的な外観・内装である。
内部は図書室として使われており、こちらもアーチ形の窓や丸い柱を活かしたスペースとなっている。
日本による植民地支配という歴史を否定も美化せず、現代・未来へと昇華した素晴らしいコンセプトの空間だった。

別館
別館内部

駅に戻り、列車乗り場へ向かう。
1940年の特急「富士」、関釜連絡船に続くのは、その名も急行「ひかり」である。
そんな名列車に見立てて私がこれから乗るのは、最新型高速列車のKTX青龍チョンニョンだ。

改めて梁さんに、おかげさまで無事釜山を観光して列車を待っていること、季節・天候の良い時に是非釜山を再訪したい旨をラインした。
正直、4時間半の乗り継ぎ時間をどう潰そうか悩んでいたのだが、釜山滞在は強烈な印象を私に刻んでくれた。









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