「ヨーロッパの田舎」ルーマニアのなかでも、最も美しいと言われているのがシギショアラだ。
飾らない小さなこの町は、我々がゲームなど創作の世界で思い浮かべる「中世ヨーロッパの町」そのものである。
2026年4月、シギショアラに1泊滞在した。
昼間は日帰りで別の街シビウを訪れていたが、朝と夜と違った表情を見せるシギショアラに会うことができた。
朝:静かなシギショアラ旧市街
ウィーン発の夜行列車でシギショアラに着いたのが朝7時半頃。
列車が走り去った後は近所の農家が飼っている鶏の鳴き声しか聞こえない、静かな駅だった。
駅舎を背にしばらく歩くと、橋の向こうに旧市街が見えてきた。
ホテルに荷物だけ預けて観光を始めよう。

城壁に囲まれて小高い丘にある旧市街は、周りから見ると民家を無造作に積み上げて造ったような印象を受ける。
街は小さいので数時間もあれば十分見て回れる。
どこを目指すのでもなく情緒ある細い階段を登ってゆく。
ふと顔を上げると、石畳の坂、門、建物、そしてランドマークの時計塔が雑多かつ立体的に収まっている。
この光景こそ、シギショアラの象徴である。

感傷に浸っている間もなく、旧市街中心部まで来てしまったようだ。
朝早いためか観光客はまだおらず、たまに地元の人が犬の散歩をしているくらいだった。

シギショアラを含むルーマニア西部のトランシルヴァニア地方の各都市は、13世紀に入植したドイツ人が造った町である。
落ち着いた佇まいの家の数々、今も残る城壁や門を見ていると、本当にドイツの田舎町にいるような錯覚を覚える。


さらに上を目指して、木組みの屋根付きの珍しい階段でさらに高い丘に行ってみる。
簡素な造りの長い階段を息を切らしながら登っていると、自分も中世の町の住民になったような気分だ。

階段は聖と俗を繋ぐトンネルだった。
丘の上にはプロテスタント教会が鎮座していた。
頂上に相応しく、質実剛健で大きな教会である。
その裏手にはドイツ人墓地が広がっていた。
しかし、日本で言う「無縁仏」となっているものが目立つ。
この町を造り発展させたドイツ人も、現在ではその数は非常に少なくなっている。
もはや「ドイツ人墓地跡」となった一帯を歩けば、そんな歴史が手に取るように分かる。

教会の隣には学校があり、生徒たちが続々と登校してきた。
そろそろ授業が始まる頃かと思われるが、彼らはいつまでも外で談笑している。
中世の世界を真空パックしたような静かな町も、この時ばかりは何の変哲もない現代の空気に包まれていた。
シギショアラ観光は街の雰囲気を味わうのが醍醐味なのだが、時計塔の内部にある歴史博物館だけは是非訪れよう。
ミシミシと音がする床を歩きながら、町の模型や使い古された家具・工芸品の数々を鑑賞すると、ここで暮らしていた人々の息吹が伝わってくるようだ。

そして博物館のハイライトは、時計塔のバルコニーから見渡すパノラマである。所狭しとせめぎ合って建つ赤い屋根の家は、薄汚れていて形も歪んでいる。
貧しささえも感じる部分もある。
しかしこうした住民たちの生活感が溢れる匂いは、テーマパーク的な上っ面の綺麗さからは決して滲み出ることはない。
これぞ本当の中世ヨーロッパの町なのだなと私は感激してしまった。


夜:伝統料理に見るトランシルヴァニアの重層的な歴史
シビウ観光を終えてシギショアラ駅に戻ってきたのが20時過ぎ。
既に日は沈んで街に明かりが灯り始めていた。
今夜はプチホテルも兼ねた雰囲気の良いレストランの中庭で夕食にしよう。
最初に牛のハチノスを使ったスープ、チョルバ・デ・ブルタ(Ciorbă de burtă)を頼む。
ニンニクをふんだんに効かせたクリーミーでコクのある味わいで、これは病みつきになる。
二日酔いの時に飲んだら、たちまち五臓六腑が活性化するだろうなと思う。
そしてメインはポークシチュー。
ハンガリー料理と同じパプリカ風味の濃厚なソースの中には、刻んだソーセージが所々に隠れている。
付け合わせはルーマニアの主食であるママリガ(トウモロコシの粉を練ってふかした料理)。
ここトランシルヴァニア地方は、中世から第一次世界大戦までハンガリーの領土であった。
ドイツ・ハンガリー・ルーマニアが織りなす複雑な歴史が、この一皿の中に詰まっているのだ。

膨れた腹をさすりながら、なおも町を散策。
オレンジ色の光に照らされた夜のシギショアラは、昼間に感じた荒れて傷ついた部分を覆い隠して、ロマンチックな町並みに仕立て上げられている。
結婚式でもあったのか、着飾った若い男女とその仲間たちの歓声だけが響いていた。


もう22時過ぎ。
そろそろホテルに帰らなければならない。
後ろ髪を引かれる思いで何度も振り返りながら、私はシギショアラの旧市街を後にした。


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