中世にドイツ人が入植してつくったルーマニア西部のトランシルヴァニア地方には、今でもドイツ文化が息づく都市が多くある。
そのなかで最もドイツ色が強く感じられるのがシビウ(SIbiu)だ。
旧市街は大きくないので半日程度あれば主要な見どころを押さえることができる。
2026年4月、シギショアラからの日帰りで、シビウを3時間程観光した。
広場は大小の2つある
シビウ駅から歩くこと10分弱、旧市街の中心地である大広場に着いた。
昼間降っていた雨も止んで、今ではすっかり青空だ。
運動場のように広い広場を、半袖半パンの子供たちが我が物顔で走り回っていた。

シビウの街並みを見ていると、ここが南東欧に分類されるルーマニアだとは信じ難い気分になる。
赤い屋根をした行儀よく洗練された建物は、ドイツやチェコのような中欧古都でよく見るものだ。
この違和感を解く鍵は歴史、それも最近の20世紀にある。
中世以来長らくオーストリア・ハンガリーに属していたトランシルヴァニア地方は、第一次世界大戦に両国が敗北したことでルーマニアに割譲された。
つまり歴史文化的には、シビウは正教会圏のバルカン世界ではなく、カトリックまたはプロテスタント圏の中欧世界に属しているのだ。
大広場の近くに小広場がある。
土産物を売る露店も並んでいた。
この小広場からは有名なうそつき橋も見える。
「橋の上で嘘をつくを軋む」とか、例によってその名の由来は諸説あるのだが、それはともかく橋自体はごく普通の橋である。
橋の下をくぐる小路は屈曲した石畳の坂道になっていた。
橋そのものより、橋があることで際立つ都市の立体感こそが見ものだと言える。

大聖堂の塔からの眺めは必見

次にシビウ大聖堂を訪れる。
この街のランドマークともいえるルター派の教会だ。
内部には16世紀ごろのレリーフなどが多数飾られている。
学生らしき女性が2人、オルガンとクラリネットを合わせて練習していた。
驚いたのが2人がドイツ語で話していたことだった。
そういえば街中でもドイツ語も耳にした。
ドイツ語話者は非常に少なくなったとはいえ、未だシビウの生活の中にドイツ文化がしっかり生き残っているのだ。
市のドイツ語名である”Hermannstadt”の文字もよく見かける。
私は大学の第二外国語でドイツ語を履修したので、あの吐きだす息の量の多い発音を聞くとこの街が俄然身近に感じられてきた。

大聖堂内部の見学が終わったら塔に登ろう。
市街地を一望できる眺めこそ、シビウ大聖堂を訪れるべき一番の理由である。
だが最上部への階段は予想以上に難儀なものだった。
それなりの高さがあるから段数が多いのは仕方ない。
問題は吹き抜けとなった空間に階段が取り付けてある構造である。
そのせいで下が丸見えで、恐怖で足がすくむ。
子供の頃やったスーファミや64時代のマリオのような、足を踏み外したら即アウトになるステージを思い出す。
脚よりも指が筋肉痛になるほど手すりにしがみつきながら、何とかゴールへと登り詰めた。
櫓から市街地を見渡す。
広場を中心に赤い屋根の家が眼下を埋め尽くし、小さな屋根窓がむっつり覗き見をする目のように見える。
シギショアラの生活感が滲む「土臭さ」とは対照的に、シビウの街並みは小綺麗で都会的に洗練されたものだ。
この景色に比べれば、それまでの手に汗握る苦行など些細なものではないか。

無事に地上に還り、カフェでひと休憩する。
街の風景に複雑な立体性を与えている市壁を利用した屋外席でルーマニアワインを飲んでいると、自分がずっとこの街に住んでいるかのような気分になってくる。
これぞ至福を感じることのできる旅行中の余白である。

博物館に見るシビウの重層性
最後に大広場に面したブルケンタール国立博物館へ。
オーストリア帝国の属領トランシルヴァニア公国の総督、ブルケンタールの宮殿を利用した総合博物館だ。

地方の博物館、などと侮ってはいけない。
ここはウィーンかと思わせるほど豪華な部屋の数々や、膨大な美術品や民具が展示されていて、迷子になりそうなほど内部は広かった。
オーストリア帝国の皇帝や女帝の肖像画を見たと思ったら、今度はルーマニアの田舎風な民族衣装が展示されていて、そのあまりのギャップの大きさに困惑してしまう。
ウィーンの宮殿と田舎の郷土資料館が、同じ建物の中に同居しているのだ。
ハプスブルク帝国の東端であり、かつルーマニアの地方都市であるシビウの重層性をひしひしと感じることのできる場所である。
閉館する1時間少々前に入ったが、結局全て廻ることはできなかった。

帰りの列車の時間が迫っている。
散策・観光・余白を詰め込んだ、充実した3時間だった。
夕方の旧市街は人出も増え、都会的な賑やかさがより一層感じられるようになっていた。
「その辺のカフェでもう一杯ワインを飲んで、またシビウ市民を疑似体験したいな」と思い残しながら、私は駅へと足を速めた。

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