南九州では1987年の国鉄民営化前後に数多くの路線が廃止されました。
今回紹介する鹿児島県北部を通っていた宮之城線と山野線も、自動車の普及や人口減少によってその使命を終えています。
2020年9月に、鹿児島中央駅から鹿児島本線で川内まで行き、そこから宮之城・薩摩大口を経て肥薩線の栗野駅まで、資料館などに立ち寄りながらバスで辿りました。
川内から宮之城へ
九州新幹線も通る川内駅は、在来線では以南が鹿児島本線、以北が肥薩おれんじ鉄道となっています。
たしかに鹿児島中央~川内は列車も多く、通学時間帯だったのでいろいろな種類の制服を着た学生で車内は大混雑でした。
もっとも線路は意外と山間部で、単線と複線が入り混じる面白い区間でもあります。
川内からはいよいよバスで旧宮之城線のルートを行きます。
最初の行き先は路線名にもなっている宮之城駅跡で、所要時間は約1時間です。
バスは川内川に沿って走りますが、低い山地と水田の風景がずっと続き、車窓は特筆すべきものはありません。
そういえば作家の宮脇俊三氏も初乗りの「時刻表2万キロ」でも、その後の「最長片道切符の旅」でも宮之城線に乗った時は退屈してウトウトしたと記しています。
川内~宮之城はおおよそ1時間毎にバスの便がありますが、川内を出発したのが平日の午前10時ごろと中途半端な時間帯だったためか車内は終始ガラ空きで、時々買い物に出かける老人が乗って来てはすぐに降りていきました。
宮之城駅跡へは「鉄道記念館」というバス停で下車です。
駅があった場所にはなかなか立派な建物が造られており、バスの切符売り場や観光案内所なども兼ねています。
中にはちょっとした鉄道資料館のようなコーナーもあり、まるで今でも列車の切符を売っているかのような窓口で係員と地元のおばさんたちが薩摩弁で話していましたが、その内容はほとんど理解できませんでした。
またバスターミナルの傍には、線路・信号機・機関車のモニュメントなどがあり、かつてここに鉄道があったことを示しています。
薩摩永野を経由して薩摩大口への行き方(空港バスとタクシーを駆使)
さて、ここから引き続き宮之城線を辿って薩摩大口へ向かうのですが、途中のスイッチバックがあった薩摩永野駅には駅舎や線路が保存されているので、そこに立ち寄りたいと考えていました。
ところが、薩摩大口行きのバスは薩摩永野駅跡を経由しません。
私が宮之城に到着したのは10時40分ごろで、次のバスは12時半過ぎに出発するので、タクシーで往復しようかと思っていましたが、他に方法が無いか観光案内所で事情を説明してみました。
同じ建物にある旅行会社の方も助けて下さり、色々調べた結果以下の通りの旅程で決まりました。
- 宮之城を11時20分に出る空港バス(鹿児島空港行きだが区間利用可)に乗り「永野」で下車
- 永野に11時38分着。そこから徒歩数分で薩摩永野駅へ
- 見学後、紹介されたタクシーを呼んで「求名農協前」のバス停へ。(タクシーで15分程度、料金は1000~1500円だったと記憶している。)
- 求名農協前13時4分発のバス(これが当初から乗る予定だった便)に乗り、薩摩大口には13時36分着。
やはりいくらネットが発達しても、地元でしか分からない情報はあるものです。
薩摩永野駅跡を利用した永野鉄道記念館
空港バスはしばらく山道を走り、とりとめのない水田の集落に来ると永野に到着しました。
真っすぐ歩くとすぐに薩摩永野駅が見えてきました。
薩摩永野駅は普段は施錠されていて、見学を希望する場合は施設を管理している近くのコンビニに申し出ることになっています。
鍵を開けてくれたのはとても明るく元気なおばさんでした。
この駅は「永野鉄道記念館」という名前になっていて、特徴的な赤い屋根を持つ白い駅舎が保存されています。
スイッチバック式の駅でしたが、線路断面図を見ると前後に急勾配があるわけでもなく、線路選定の際に駅の場所で地元と揉めた等の事情があるのでしょう。
駅舎内部は写真や切符などが展示されています。
音声による案内もありました。
そして建物の外にはホーム・信号・線路などが残されています。
スイッチバック式の駅ならではの線路のポイントもそのままになっていて、レールを見ていると信号機が今にも点灯しそうな気がします。
ホームの傍らには小さな花が植えられていて、これもまた「もののあはれ」です。
30分程経ってそろそろ待機してもらっているタクシーに乗ろうかという時に、鍵を管理しているおばさんがまたやって来て、しばらく3人で雑談をしました。
と言っても話しているのは8割くらいはおばさんで、鉄道があった時代の話や、最近電機産業の企業が町に来て助かったことなどを聞きました。
枕崎に縁があるようで、私が前日指宿枕崎線に乗り開聞岳に感動したことを話すと喜んでいました。
薩摩大口から肥薩線の栗野へ
予定通り求名農協前までタクシーを飛ばし、バスに乗り換えました。
バスには他の乗客はいなかったように思います。
薩摩大口駅は宮之城線の終着で、水俣から来る山野線との接続駅でした。
駅跡には結構大きな「大口ふれあいセンター」という公民館が建っていて、ここの4階には「歴史民俗鉄道記念資料館」があります。
その名の通り、郷土資料館の一角に鉄道関連の写真・設備・道具などがあります。
コロナ対策で住所と名前を書きましたが、所々に東京の住所が記されています。
館内スタッフによると週に2,3人くらいの割合で東京から人が来るが、8割は私のように鉄道目当てだそうです。
展示品はそれほど多い訳ではありませんが、廃止直後に刊行されたと思われる本も見せてもらいました。
そこには人々の鉄道にまつわる思い出やエピソードが綴られています。
さすがの私でも東京の通勤電車は殺伐とした苦行でしかありませんが、通勤通学の駅や車内が心温まる社交場のようになるのも、田舎ならではの生活感なのでしょう。
バスまで少し時間があったのでスーパーに寄りました。
ここではサツマイモは「からいも」と呼ばれているようです。
昼食がまだ(というか時間が無かった)ので、パンと一緒に大きくて安い鰯のいりこを買いました。
保存された線路と車掌車を眺めながら、いりこをバリバリかじっていました。
車両の背後にふれあいセンターがある。
薩摩大口駅を15時に発車した栗野駅行きのバスは、やはり川内川に沿って水田地帯を走ります。
相変わらず平凡な景色ですが、遠くには山なみが続いています。
鹿児島県はサツマイモや茶畑の印象が強いですが、この地方は水田が多いのでしょうか。
薩摩大口駅から45分程度、栗野駅は山野線の終着駅です。
肥薩線の途中駅ということで川内以来の現役の駅ですが、この駅もあまり元気がないように見受けられます。
山野線が使っていたホームと線路は草に覆われています。
肥薩線はスイッチバックとループ線の雄大な路線として有名ですが、2020年現在運行されている吉松~隼人も趣のある途中駅が多くあります。
この年(2020年)の7月に豪雨災害で被災し、半分以上の区間で運休している肥薩線とて復旧できるか危ういですが、これ以上南九州に廃線が増えないことを願っています。
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