満洲・満鉄紀行⑤:大連現代博物館で辿る満鉄の記憶と「北方の香港」の矜持

アジア

満洲…
日本人にとっては、純粋に地理的な意味での「中国東北部」にはない、浪漫や憧憬、そして後ろめたさが交錯する不思議な力がこの言葉にはある。
そんな「日本の新大陸」を象徴する存在が、南満洲鉄道(満鉄)である。
単なる鉄道会社にとどまらず、植民地経営全般を幅広く手掛けていた。

現在でも線路・設備や建物など、その遺産は至る所に残っている。

満洲・満鉄紀行(序):鉄道が繋ぐ近代と現代のグラデーション
満洲…日本人にとっては、純粋に地理的な意味での「中国東北部」にはない、浪漫や憧憬、そして後ろめたさが交錯する不思議な力がこの言葉にはある。その広大な大地は豊かな資源を有する「日本の新大陸」であり、ヨーロッパへの入り口でもあった。そして193…

鉄道と近代史が共鳴し合う強烈な光(とその影)に引き寄せられた私は、2026年9月上旬に満洲を実質7日間旅行した。
本記事は第5回。
旅順から大連市に戻り、大連現代博物館を訪れた。

⚠️注意
自然な文章にするため、実際の旅行における時系列は一部前後させています。
また当サイトでは、「戦前の日本及び現代の中国・ロシア・北朝鮮=悪」といった西側諸国特製の世界観は採用しません。
スポンサーリンク

アヘン戦争(1840)から現代までの大連の歴史に触れる

前回の記事では、日露戦争の激戦地旅順を半日ツアーで巡った。
帰りはホテルではなく大連現代博物館で降ろしてもらった。
博物館は大連の中心部からやや南西方向(つまり旅順の方向)に離れている。
朝早めにツアーを開始したので、閉館までもまだ時間がある。
我ながら効率の良いプランニングではないか。

モダンな外観の博物館の前には、蒸気機関車が展示されている。
機械が好きそうな男の子とその家族が写真を撮っていた。

円形の吹き抜けとなったエントランスホールは、天井がドーム型のガラス張りで開放感がある。
新しい市民ホールに来たような気分だ。
2階の常設展示コーナーへ向かう。

中国の近代史はアヘン戦争が勃発した1840年より始まる。
渤海に突き出た遼東半島先端に位置する大連は北京・天津にも近い戦略的に重要な場所で、それ故に列強の侵略を繰り返し受けた。
中国国内でも旅順港や大連の近代化が図られるが、日清戦争・日露戦争の敗北によってロシア、続いて日本の支配する所となる。
そして日本の敗戦後はソ連の管理を経て中華人民共和国に返還された、という歴史に即して展示が進んでいくのが大まかな流れである。

解説は基本中国語のみだが、写真や資料が豊富なので興味深い。
2日間にわたって大連や旅順の史跡を見て回ってきた者としては、今までの旅程の復習をしている気分になれる。
当然ながら日本との関わりについても多くが割かれている。
大連を訪れる日本人は日本史との繋がりに興味がある人が多いだろうから、この大連現代博物館はおススメできる場所だ。

中央は勝利橋からロシア人街にかけての写真

日露戦争関連では旅順港や沖合で沈没した遺品も保存されている。
黒ずんだ電動機や金属製の容器・器具が並べられている。
ここに来る前に旅順港の穏やかで煌びやかな風景を見ていたので、あの海の底にこんなものがゴロゴロしていたとは信じられなかった。

それから印象的だったのが、かつてあった大連神社の大太鼓。
日本統治時代は各地に神社があって、現地人にも参拝を強制していた。
しかし、日本時代の建物が多く残っている大連にも神社は一つもない。
日本が撤退しても利用価値がある近代建築と違って、神社には使い道がなく、それも中国人にとっては不愉快な精神的施設とあっては、取り壊されるのが自然な帰結なのだろう。

鉄道ファンとしては、やはり満鉄関連の展示が興味深かった。
海外向けのポスターや行先票、満鉄の株券、そして食堂車で使われていた会社のロゴマーク付きの食器など、関連商品がミュージアムショップにあったら買いたいものが幾つもあった。

満鉄が鉱工業の分野に広く携わり、日本時代に産業が発展したことも述べられている。
それはたしかに「日本のため」の発展だったが、大連・東北地方の社会インフラを築いたのも事実である。
現在の中国東北地方でも旧満鉄の路線が数多くあり、大連市にある旧ヤマトホテル(現・大連賓館)や現役の病院も満鉄が経営していた。
鉄道はただ線路の上を列車が走るだけのものではない。
その沿線・地域の経済であり文化でもあるのだ。

写真の列車は満鉄が世界に誇った特急「あじあ」号
左下は当時駅にあったベンチ

暗く落ち着いたトーンの展示室は最終盤で突然様相が変わり、赤く塗られた空間で中国共産党による解放・発展が強調される。
それまでの写真・資料による丁寧な展示から、勇敢な労働者や軍人のレリーフなど、雰囲気任せになる感じは否めない。

最後にモヤモヤした印象を抱きつつも、全体としては非常に見所の多い博物館だった。
14時半過ぎに入場して、見終わったのが閉館の16時半の直前だったから、2時間を見学時間(メインの常設展示のみの場合)の目安にするとよいだろう。

スポンサーリンク

自由と統制の間で揺れる「北方の香港」

一般に中国の歴史系博物館(特に近代以降)は「中国共産党史観」が色濃く反映されていて、資料を通じて歴史を学び、その余白から何かを感じ取ることよりも、一方的な「愛国教育」に主眼が置かれている。
その点、大連現代博物館は異色である。
日本統治時代がいかに植民地搾取を受けた苦難の時期だったのかを強調するのではなく、その時代の文化交流や産業の発展についてもしっかり述べられている。
むろん、「日本が侵略者」という基本スタンスは維持しつつも、歴史を「中国共産党による評価」ではなく「当時起こった事実」として描いているのである。

当時の大連の街に自分が溶け込んだ気分になれる

大連を「北方の香港」と呼ぶことがある。
たしかに、風光明媚で国際的な港湾都市、という共通点を持っている。
歴史的に外国からの文物を取り入れて発展してきた両都市には、他の中国の都市にはない自由で開放的な雰囲気がある。
大連現代博物館の「中華人民共和国らしからぬ」フラットな展示も、そんな「北方の香港」ならではの視点なのだろう。

大連現代広場に隣接する星海広場はアジア最大級の広さを誇る

一方で、近年の香港は統制強化によって「一国二制度」は形骸化し、「中国化」が進んでいる。
博物館の最終盤の中国共産党のパートで持った違和感も、自由な発展と統制下での成長との間で揺れる大連の葛藤の表われだったのかもしれない。


コメント

タイトルとURLをコピーしました