満洲…
日本人にとっては、純粋に地理的な意味での「中国東北部」にはない、浪漫や憧憬、そして後ろめたさが交錯する不思議な力がこの言葉にはある。
その広大な大地は豊かな資源を有する「日本の新大陸」であり、ヨーロッパへの入り口でもあった。
そして1932年に建国された満洲国は、日本・朝鮮・満洲・蒙古(モンゴル)・漢民族が「五族協和」を目指すはずだった。
思えば1928年(昭和3年)の張作霖爆殺事件や1931年(昭和6年)の満州事変をきっかけに、我が国は内政では軍部が主導権を握り、外交面では国際連盟離脱で国際社会から孤立することとなる。
そして満洲での権益確保のために中国、さらにはアメリカとの戦争が拡大してゆく。
「戦前の昭和史は即ち満洲史」と言われるゆえんである。

長春市の偽満皇宮博物院にて
満洲・満洲国を語るうえで欠かせないのが南満洲鉄道(満鉄)である。
ロシアが清国に敷設した東清鉄道の一部を、日露戦争後の1905年に譲渡されたのがその始まりだ。
以後、満鉄は関連会社線も含めて満洲各地の鉄道を運営した。
特に、国内の列車を優に超える130km/hで走行する蒸気機関車が豪華客車を牽引した特急「あじあ」号(大連~哈爾浜間)は、日本のみならず世界の鉄道史に燦然と輝く存在だ。

瀋陽市の鉄路陳列館で良好な状態で保存されている
また、朝鮮(当時日本領)の釜山から半島を北上して奉天(現・瀋陽)を経由し、満洲国首都の新京(現・長春)や北京へ直通した列車たちは、大日本帝国が夢見た「大東亜共栄圏構想」のおぼろげな姿でもある。

さらに満鉄は単なる鉄道会社にとどまらず、鉱山開発、ホテル・病院経営、都市計画に至るまで幅広い事業を手掛けていた。
つまり満鉄は(事実上の)植民地支配を行う「日本の東インド会社」のような存在だったのである。
満洲における列強の争いは鉄道やその付属地を巡る争いだったことからも、20世紀前半に鉄道が果たしていた役割は今とは比べ物にならないくらい大きかったことが分かる。
満洲国も満鉄も1945年の敗戦で消滅したが、現在でもその遺産は至る所に残っている。
満鉄の線路や設備は中国の鉄道に引き継がれ、沿線都市にあった建物も現役で利用されているものがたくさんある。
書類上で会社を清算することはできても、歴史とは連綿と続いて行くものなのだ。

今もホテルとして使われているが、訪問当時は改装工事のため休業していた
さて、鉄道と近代史が共鳴し合う強烈な光(とその影)に引き寄せられた私は、2026年9月上旬に満洲を実質7日間旅行した。
大連を起点に鉄道を駆使して瀋陽・丹東・長春・哈爾浜を訪れ、最後に北京に着いてすぐ飛行機で帰国した。
なお今回の趣旨は満洲・満鉄なので、見学する史跡や博物館は基本的に近代史に関係する場所に絞った。
それでもいつもながら詰め込み気味のハードなスケジュールとなったのは否めないが、これは時刻表愛読者の習性であるから致し方ない。
今年7月に韓国を訪れた時、私は「国内旅行の延長」のような親近感を覚えた。
それに対して満洲では、膨張する昭和初期の日本の精力というか異様な緊張感が随所にみなぎっていた。
さらに現代の中国社会の抱える特質や、この地域の混沌とした国際情勢が絡み合って、得も言われぬ独特のディープな経験となるのである。
大連と哈爾浜を除けば、満洲には所謂写真映えするようなスポットはあまりなかったが、鉄道や歴史の観点からは非常に興味深いところだった。
それでは日本とアジアとヨーロッパ、そして近代と現代が鉄道によって繋がれて密なグラデーションを成す満洲・満鉄紀行を、これから綴っていこうと思う。

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